ラストページ 三種のきのこのチーズリゾット(後半)
青年が帰り、ノルは机から飛び降りた。
(むむ?)
ロゼが嬉しそうに目を細めて、薔薇の花びらを指でつついている。
あいつにもらった花がそんなに嬉しいのか?
もやっとしたノルは彼女の足に頭突きした。
「のっ!? ……ノルさん? 急にどうしたんですか、いきなり頭突くなんて」
「なんとなく。それよりもロゼ、リゾットくれ」
「もう……はいはい。少しお待ちくださいね? いまこちらを花瓶に移してしまいますから」
ロゼはカウンターの棚から花瓶を取り出すと花束を移し変えた。
店内に綺麗な青薔薇が咲く。
ノルは微笑むロゼの横顔をじっと見上げた。
「珍しいな。お前さんが花を飾るなんて。いつもは俺が摘んできた花とか即ゴミ箱行きなのによ」
ノルがゴミ箱を見れば、さきほどロゼが丸めた包装紙(花束を巻いていた)が入っている。いつもあんな風にノルの贈り物も捨てられてしまうのだ。
「いえ……、だってノルさんが摘んでくるやつってその辺の雑草ですし。花瓶に活けて飾ったら、みすぼらしいお店になってしまうかと……」
「なにおぅ⁉ ……と、言いたいとこだが、たしかに否定できない……」
雑草だらけの店内とか。ある意味落ちつくかもしれないが、お洒落な店とは真逆になってしまう。
「しっかし、珍しいついでに言えば、青い薔薇ってのも初めて見るな。薔薇といえば普通、赤とか桃色な気がするが……」
ノルがぴょんとカウンターに飛び乗り、しげしげと薔薇を観察する。
濃い青。
小型の種類なのか、一輪一輪小ぶりの愛らしい花をつけている。ロゼがノルの隣にやってきて、花びらに指を添えた。
「こちらは竜帝国の北部に咲く『ヴィクトルローズ』と呼ばれる青薔薇です。大変高価な値がつくもので、この辺では見かけませんが……苗木などがあれば、室内の温度を調整してあげれば咲きますので、栽培は可能かと」
「ほーん、たしか竜帝国ってロゼの故郷だっけ。んじゃ、これは懐かしの故郷の花ってわけか」
だからさきほどから楽しげに花びらをつついて遊んでいるわけか。
ノルは納得する。しかし、ロゼ曰くそういうわけではないらしい。
「わたしは竜帝国の西部。大陸湖と呼ばれる大きな湖があるあたりで育ったので、故郷の花とはちょっと違いますね」
「そうなん? なら、普通にこの花が好きとか?」
「そうですね、好きですよ。なによりわたしにとっては特別な花ですから」
「と、いうと?」
「実はわたしが『氷』の魔女と名乗っているのは、この薔薇に由来するからなのですよ」
「ほう」
それは初耳だ。ノルは詳しくたずねた。するとロゼはくすりと笑ってノルの背中を撫でた。
「──では、少し昔の話でもしましょうか」
ロゼが椅子に腰かけ、懐かしい想い出話を語った。
◆ ◆ ◆
稽古をおえて気がつけば夜になっていました。いつものように師匠にお礼を言っておばさん夫婦の家に向かうと、その日の夕飯はリゾットでした。
森のきのこをふんだんに使用したチーズリゾット。
わくわくしながらわたしは食卓につきました。
──どうせあいつはひとりだと適当な食事しか取らない。だから持っていってやれ。いつもの湖畔にいるだろう。
と、一緒に住むおじい様が娘であるおばさんに言って食事を持たせてくれたので、夕飯後に森を抜け、大陸湖のほとりへと向かうと──
(師匠は……ああ、いました……)
夜風に吹かれながら湖畔に座る師匠の姿がありました。
その手には固そうなパン。
こうみえてわたしの視力は鷹並みなので、遠くの距離からでもそのパンに青カビが生えていることを確認できました。躊躇いもせずに噛る師匠はすごいですね。
一歩近づくと、師匠がゆっくり振り返ります。さすがは師匠です。まだ林の中だというのにこちらの動きを察知しました。
民家数件ぶんほどの距離をさくさくと詰めて師匠に皿を渡します。
「おじいさまが師匠に持っていくように仰っていました」
リゾットを受け取った師匠は「ありがとう。それから先生だ」と言ってから、カビの生えたパンを傍らに置きました。
──どうして、シショウと呼んではいけないのでしょう?
毎回呼び方を訂正されるので、そこに並々ならぬ熱い想いを感じますが、それよりも、まだそれを食べるのでしょうか。
絶対捨てたほうがいいと思うのですが。
カビパン食べても平気な師匠はさすがとしか言いようがありません。
わたしなら、間違いなくお腹を壊します。
ともあれ、師匠がリゾットを口にするのを確認してから、わたしもその隣に座ります。
肩を並べてちらりと横をみれば黙々とリゾットを口に運んでいるようです。
相変わらず静かなかたですね。
わたしはそっと師匠から視線を外して湖を眺めました。
湖面を揺れる白銀の月。
草木が風に流れてとても幻想的な光景です。
静かな暗がりの中で、唯一響くのは、師匠がリゾットを飲みこむ音だけ。
普通はこんな状況ならどきどきしてしまうのが年頃の女の子というものでしょう。
ですが残念なことに、わたしは早く帰りたい気持ちでいっぱいでした。
(夜は嫌いです……)
ええ、わたしは夜が嫌いです。自分を置いて森を出ていった両親のことを思い出すからですね。
夜なんて大嫌い。
はやく眠ってさっさと朝日を迎えたいものです。だけどお皿の回収もありますから、わたしは膝を抱えて待機です。
しかしまぁ隣の人はずっと無言ですし、大嫌いな夜ですし、この間がけっこう辛くて、つい弱音をこぼしてしまいました。
「師匠……どうしてわたしには高い魔力が宿らなかったのでしょう」
「…………」
「もしも強い力があれば、両親だってあんな風に喧嘩をすることも家を出ることも無かったのに」
「…………」
返事はありません。当然です。きっとこんな話をされて困っているのでしょう。
師匠は森の外からやってきた人ですから、ここの事情なんて知りえないと思いますし。
それでも、わたしは話したかった。
聞いてほしかったのです。
「瞳の色が赤に近づくほど魔力が高い証拠だそうです。事実、森族には紫色の瞳が多い。けれど、わたしの瞳は氷色。だから氷の魔女だって、みんなからいつも馬鹿にされるんです」
火の魔法が得意なのに。
わたしは膝に顔をうずめて、ひとりでしんみりしていました。すると、一拍置いてから静かな声が頭に落ちてきました。
「……氷の薔薇」
「え?」
顔をあげると、空になった木皿を脇に置いて師匠が言いました。
「雪原に咲く氷の薔薇。君は見たことがあるかな」
「氷の、薔薇? いえ……」
わたしが首を横に振ると、師匠は湖を見つめていつもように淡々と話をつづけました。
「『竜帝』と呼ばれる花があってね。竜帝国の雪原地帯に咲く美しい薔薇があるのだけれど──」
「それってヴィクトルローズのことですよね? その花なら知っていますが、氷で出来た薔薇ではなく、ただの青い薔薇ですよね、それ」
──おっと! ついつい師匠の話をとめてしまいました。ですが仕方がないことです。口をつぐんで、そのまま耳を傾けると、
「そうか。では、見たことは?」
「え……いえ。実物は……その、あれは北部に咲く花ですし……」
これは気まずいです。いま偉そうに師匠の話を遮ってしまった手前、その質問にはたじたじです。
ヴィクトルローズ。
竜帝国の雪深い場所に咲く青薔薇のことですが、師匠が『氷の』などというから、てっきり本当に氷で出来た薔薇を想像してしまい、からかわれた……いえ、そういうわけではないのでしょうが、ついむっとしてしまったんです。
わたしがおずおずと師匠の顔を見ると、とくに気にしたそぶりもなく、湖を見つめたままです。
白い髪が微風に揺れるその横顔は、落ちついた大人の男という印象でした。
「──その青薔薇が夜間に凍りつくと美しい花の結晶になる。そして夜明け。朝日を浴びて青白い光を発する。君の瞳はその輝きによく似ている」
「…………はぁ」
よくわからない。
きらきらした結晶の中に青い薔薇がある。そんなイメージでしょうか。
師匠がこちらを向いて、わたしの頭にそっと左手を置きました。
波風ひとつ立たない湖畔のように静かな瞳。
それでいて、夜を明るく照らしてくれる篝火の色。
吸い込まれるような師匠の眼差しが、わたしを射貫いた。
「綺麗だよ。まるで、氷の薔薇のようだね」
「…………っ」
きっとその瞬間に、わたしは師匠に恋をしたのだと思います。
◆ ◆ ◆
「──と、いうお話があるのですよ!」
「それって真面目な話? それとも笑っていい話?」
氷の花のようだねって。
聞かされたノルは全身が痒くなった。
「しかもそれ、ロゼの名前と薔薇を掛けてる感じだし……」
意図的なのか、天然なのか。あるいは適当に答えたらそうなったのか。いずれにしてもノルは後ろ足で耳を掻きまくった。
「ふふ、しかもですよ? いつもにこりともしない師匠が、なんと! その時だけはほんのわずかに笑って言ったのですよ。これはとても珍しいことなのです!」
「氷の薔薇のようだねってところ?」
「綺麗だよってところからですね」
「あ、そう」
細かいな。
大差ない違いなのだが、ロゼは嬉しそうに語る。
「そして、それからわたしは『氷の魔女』と名乗るようにしました。それが氷の魔女誕生秘話ですね」
「ふぅむ……、でもそれ、元は集落のやつらから言われてた悪口だろ? そこはいいのかよ、名乗って」
「まぁ……。そんなことは些細なことですよ。それよりもこの青い薔薇と同じ、ということのほうが大切なんです」
ロゼが青薔薇をちょんと指の腹でつつく。
美しい群青の花びら。
ロゼの瞳よりは濃い色だが、たしかにその師匠の言う通り、氷漬けになっていれば、もう少し淡い色に見えるだろう。
そこそこうまい喩えをしたものだ。台詞はともかくとして、ノルは素直に感心した。
「ところで、いまの話に出てきたリゾットって、さっきの青年に作ってやったやつ?」
「お、よく気がつきましたねノルさん。あれは故郷直伝の『三種の茸のチーズリゾット』です!」
「三種? マッシュルームとエンリギとブナシメジ?」
「白丸茸と、コリコリ茸と、うまうま茸です」
ロゼはしっかりノルの言葉を訂正した。
「んで、そこにオレンジの隠し味が入っていると……」
「まさか。おじいさまはオレンジが苦手ですから」
「ほう?」
ここにきてまさかのオレンジ外し。
ノルが興味深げに見上げると、ロゼは苦笑して「ただ」と続ける。
「その日の翌朝に、師匠からオレンジリゾットをリクエストされたとおじいさまが仰っていました。もちろん即却下したと話されていましたが……。それで、今度師匠に会えたらオレンジリゾットをお出しできればと、わたしがこの店を開いた理由のひとつでもあったりします」
「お前のセンセー、ほんとオレンジ好きな……」
ブレない奴。ノルは呆れつつも、はにかむロゼの右腕を鼻先で小突いた。
「つまり、ロゼは大好きなお師匠さんに飯を食わせてやりたいから、この店をやってるわけか。案外健気なところがあるんだなぁ」
「大好きとは……なんだか照れますね。まぁ事実ですが」
「はっきり言うのな……。ノルさん、ちょっと妬きそう」
「そんな、ノルさんのことも大好きですよ?」
「ほーん。そんなら、その証拠とやらをみせてもらおうじゃないか!」
ノルが、ばっと前足を広げて後ろ足で立つ。ロゼが目を丸くした。
「ええ? 証拠ですか?」
「おうよ! 『ノルさん、大好き!』って言って、頬ずりしてくれたら納得してやるよ」
「また微妙な線を攻めてきましたね」
「だって、お前。ちゅーしてって言ったら、してくれんの?」
「それは嫌です」
「だろ?」
だから頬ずりで勘弁してやる。
そんな偉そうなことを言ってのけるノルを一瞥して、ロゼはうーんと考える素振りをみせたあと、厨房へ足を向けると、
「ノルさんはロウソクづくりに戻ってください」
と言って、なにやら準備を始めた。
◇ ◇ ◇
「よ、今日も来てやったぞ」
「アルバか。お前もけっこう暇だよな」
「ま、新しい神殿長殿が働きもんだからな。おかげでこうしてロゼの店にメシが食いに来れるよ」
「リピートしてくれんのは嬉しいが、明らかにその神殿長さん、悲鳴あげんてんだろ」
「あれ? アルバさん、いらっしゃいませ」
ロゼがひょっこりと厨房から顔を出す。
ちょうど皿を並べるとこらしい。ロゼの手には白い深皿が握られていた。
「すみません、今日はいつものやつの作りおきが……」
「いいよ、あるもんで」
アルバが椅子を引く。ロゼが「少しお待ち下さい」と言って顔を引っ込める。
ふたりのやり取りを耳に入れながら、ノルは視線を下に落として色鉛筆で絵を描いた。
「さっきからなに書いてんだ? ……リゾットか」
ノルの手元をアルバが覗き込む。
「んー? そそ、さっきロゼが作ってたリゾットかいてんの。──これでよしと」
手早くぱぱっと済ませ、色鉛筆の蓋を閉じる。
完全にロウソク作りをサボっていたノルは、ふいーっと息を吐き出すと、一仕事終えたと言わんばかりに椅子へと腰かける。
するとそこに、三枚の皿がワゴンに載って運ばれてきた。
ふわりと香るのはチーズの薫りだ。
さきほど青年に出していた茸のチーズリゾット。ノルがアルバの座るテーブルに移動すると、ことりとノルの前に皿が置かれた。
「ほう、やっぱりうまそうだなぁ」
チーズの海にたゆたう、つやつやとしたライスが美しい。
具は三種の茸。
黒胡椒がかかってちょっとお洒落な見た目だ。
さっそく顔を近づけようと首を動かすと、ノルの鼻先にロゼの手のひらがぶつかった。
「?」
見上げると、ロゼの左手には緑の粉が入った小瓶がある。反対の手にはスプーン。
なんだか前にもこんなことがあったなぁ、とノルはぴんと閃いた。
「なんだ? またなにかの文字を書いてくれるのか?」
「はい。見ていてくださいね?」
ロゼがきゅぽんと小瓶の線を抜く。
そこから出てきたのは乾燥したパセリの葉だ。
瓶を傾け、スプーンに乗せて、さらさらとリゾット上に落としていく。
なにを書いているのだろう。
ノルがしげしげと見つめていると、それは愛を表す形となった。
緑のハート。
ロゼからノルへの気持ちが完成した。
「ノルさんへ、愛の贈り物です」
くるりと皿を回して、ノルに向けられるハートの形。ノルは目を瞠る。
「ほほう、これはなかなか粋なことをしてくれるじゃないか」
「はい。わたしからのノルさんへのささやかな気持ちです。愛を形にしてみました」
「愛を形にねぇ、それとはすこし意味が違う気もするが……」
だいぶ直接的な愛の示しかただ。けれど満更でもないノルは顔を上げて礼を言う。
「おう。ありがとな、ロゼ! 俺もお前を愛してるぜ!」
「わたしも、まぁまぁ大好きです」
「そこは、『わたしもです。ノルさん愛してます』だろ?」
「すみません、心に正直なので」
「がーん! ……まあ、いいけど」
ノルがアルバをちらりと見る。
「なんだよ」
「ノルさん、愛し──」
「ロゼ、わたしには星で頼めるか?」
「承りました」
「うぉい! 無視かよぉぉ!」
ふたりとも冷たい。ノルはがっくりと肩を落として二人の手元を見た。
アルバのオムライスに描かれる何かの星座(ヘタすぎて判別不能)。反対に、ロゼのオムライスにはアルバが花の絵をかいている。こちらはうまいものだ。
(あれから半年か)
ノルは目を細める。
春からここに店を構えて半年。
最初は客が一人も来なくてふたりで悩んだ。
それは今と変わらず、この店に来るのは相変わらず篝火の魔女としての客ばかりだ。
純粋に食事目当てで来てくれるのは、このアルバくらいか。
たった一人の常連さん。
それだってきっと進歩した。
しかも彼女はロゼの数少ない友達にもなってくれた。
だから、とノルは絵日記へと目を落とす。
このページがすべて埋まるとき。
王都一の料理屋さんになって、ロゼが会いたいというお師匠さんが来てくれたのなら。
その時は、こんな他愛もない楽しい毎日があったんだよ、と教えてやりたい。
そしてこの初恋泥棒! ともなじってやりたい。
(……まあ、初恋かはわからんが)
ともかく。
完成した星と花の絵柄を見つめてノルは念じる。
大輪の薔薇が咲き、夜空に赤い星が瞬く頃。
お前の好きなオレンジリゾットを一緒に食おうじゃないか。
待ってるぜ、センセー!
ノルは心の中で顔も知らないロゼの師匠に語りかけた。
「では、ノルさん。合図をお願いします」
ロゼが席に着いてスプーンを握る。
「ん? おお。んじゃ、ほれっ! ふたりとも合わせろ?」
いつもように手を合わせて─
いただきます!
─Fin─
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
本当はこのあとも続く予定でした!
ロゼが師匠に会うまでの話を考えていたのですが、目標のブクマ数に届かず断念。
そのため本物語はこれにて終了です。
感想、いいね、★ボタン。今後の執筆活動の励みになるので、いただけるとすごく喜びます。
あらためまして、最後まで目を通していただき今一度感謝申し上げます。
同シリーズの『ゼノの追想譚』もよろしくお願いいたします。
2025.6.13~
番外編も、よかったら読んでいだだけると!