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氷の魔女の料理屋さん  作者: 遠野イナバ
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ページ8 紅茶のスコーン(後半)

 そのころノルはニアの森にいた。


「くそぅ、ロゼのやつ。あんなに怒らなくたっていいのに」


 ノルはベニボンキノコの上に寝転んで空を眺めていた。ちなみにこのベニボンキノコを乾燥させて粉にするとさきほどの爆裂粉が作れる。


「このあとどうすっかなー」


 まだ陽は高い。このままのんびり森で過ごすのもいいが夜はさすがに厳しいか。ノルはねぐらを探すべく、ぴょんとベニボンキノコからおりた。


「ま、明日にでもなれば、機嫌も良くなるだろ。それまで放っておこー」


 ノルは森の中を走り、いちばんやってはいけない選択をした。


「と、お? あれは……」


 すこし先につたに隠れた扉があった。白に近い灰色の扉だ。近づくとわずかに扉が開いていることに気がついた。


「うん? こんなところに誰かが住んでんのか?」


 きいっと扉を開いて中に入る。湿った香りとともに血の臭いが鼻腔をかすめた。


「おいおい、まさかの事件発生ってか?」


 ノルは眉間にシワを寄せて思考する。


(うーむ……どうするか)


 厄介ごとの匂いがする。ここはなにも見なかったことにして戻ろうか。しかし気になることは気になる。怖いものみたさというやつだ。


「ま、いっか。やばくなったら、かーえろ」

 ノルは先に進むことにした。


 ◇ ◇ ◇


「こなごな、ですね……」


「ええ、あとかたも、なく……」


 ロゼとサラは互いに顔を見合せ、ため息を吐いた。あれから四日間。毎日のようにスコーンづくりに励んでいる。

 途中まではなんとかなる。しかし焼く工程がどうにもうまくいかない。かまどの中で爆発する。突然ぼんっとなって、中を開けると四方に飛び散る無惨な生地。真っ黒焦げになってしまうとか、そんな可愛い次元の話じゃない。

 驚くほどにサラには料理の才能が無かった。


「爆烈粉の入れすぎでしょうか……」


 ロゼはかまどの壁についた生地を指につけて、しげしげと観察した。みたところ、ごく普通のスコーン生地だが。


「すみません……実はわたし、料理がへたでして……」


 もじもじと、二本の人差し指をくっつけて、恥ずかしそうに打ち明けるサラ。

 しかしいまさら言われずとも分かっていることなので、ロゼは驚くことなく額に手を置いた。

 

(ううーん、サラさんの料理の腕は予想していたつもりですが……)


 まさかこれほどまでとは。

 サラに爆発系の魔法を教えたらうまく使いこなせるかもしれない。

 ロゼはううむと唸り、結論づけた。

 ──これは、お手上げだ。

 いちど受けた依頼を断るのは忍びないが、がこれはどうにもできない。

 彼女にお菓子づくりを教えるのは無理がある。なにより、そろそろノルを探しにいきたいし。


(あれから四日も経つのに……)


 ノルが帰ってこない。

 どうせノルのことだから、翌日には戻ってくると思っていた。そうしたら、小言のひとつでも言って一緒にドーナツを買いにいこうと思っていた。

 たとえ限定品でなくてもおやつの時間を共有できるのならそれでいいのだから。

 ロゼは彼女に身体を向け、勢いよく頭をさげた。


「申し訳ありません。わたしにはサラさんに料理を教えることは難しそうです」


「ロ、ロゼさん、そんなっ! 頭を上げてください」


「いえ、いちどお受けすると口にした以上、やり遂げるのが魔導師というもの」


 ですが、とロゼは続けた。


「明日までにサラさんがスコーンを焼けるように指導するのは難しいかと」


 せめてあと一週間あれば、なんとかなったのかもしれない。

 だがこれは無理だ。ちくりと胸が痛む。


(できない約束をしてはいけない。師匠ししょーもよく言っていたことなのに)


 情けない。ロゼは悔しい想いでいっぱいだった。しかし、サラは言った。


「いいんです、ロゼさん。はじめからわたしがスコーンを焼けるとは思ってもいませんでしたから」


「え?」


「さきほどもお話したように、わたしは料理が苦手です。屋敷の厨房に立っても侍女たちを困らせるだけ。だから、外に出て、こうして料理を教えてくださるお店を探したのですが、ロゼさんの前にも何軒も断られてしまっていたんです」


 だから、と寂しげな笑顔で彼女は笑った。


「むしろここまで親切にしてくださってありがとうございます。感謝しています」


「サラさん……」


 ロゼがなんともいえない気持ちでサラの目を見ると、彼女はぺこりと一礼してエプロンを外し、調理台の上に置いた。とても丁寧にたたまれていた。

 サラは椅子に立てかけてあった鞄から金貨を一枚取り出すと、ロゼの手に握らせた。


「お礼です。あと食材の代金。受け取ってください」


「い、いえ! さすがにこれはっ」


 ロゼが金貨を返そうとすると、サラは首を横に降って「それよりも」と続けた。


「このあたりで人気なお菓子屋さんはありますか? できれば紅茶に合うような美味しいお菓子が売っているお店がいいのですが」


「お菓子……ですか? それでしたら、この通りをいった先にドーナツ屋さんがありますが……」


 先日ロゼが行った店だ。

 この時間では限定品は売ってはいないが通常のものなら残っているだろう。


「じゃあ、明日はそこのドーナツを買って渡します。友人もきっと喜ぶと思うので」


 そのまま「お世話になりました」と告げて出ていこうとするサラに、ロゼは声をかける。


「あの!」


 サラが振り返る。


「その……どうしてわざわざ自分でお菓子を? お話を聞く限り、はじめから買うか、家の人に作ってもらったほうが……」


 歯切れの悪い口調でロゼがたずねると、サラは困ったように笑ってから、ぽつりと声を落とした。


「喧嘩を、してしまったんです」


 それはひどく哀しげな声だった。


「友人はお菓子づくりが趣味で、彼女の作ったお菓子を食べるのがわたしの日常でした。でも先日、ひどいことを言ってしまって、彼女を傷つけてしまったんです」


 サラが目を伏せ、語る──。


 ◇ ◇ ◇


 いつも通りの美味しいお菓子だった。

 だけどわたしは欲が出てしまった。

 その日に出たのは黒ベリーのスコーン。

 わたしはクルミのスコーンが食べたかった。どうしてベリーなのか。

 今日はクルミの気分なのに。


 わがままなことを言った。

 それは自覚している。

 でも彼女のつくるクルミのスコーンは絶品なのだ。誰よりもどの店よりもおいしく焼いてくれるから、「今日はベリーの気分じゃない」と顔を背けてしまった。

 とうぜん彼女は怒った。

 でもまぁ、いつものことだ。わたしが拗ねれば彼女は小言を言って新しいお菓子を用意してくれる。

 いつもの光景。ささいな日常。

 けれど、その日は違った。

 怒った彼女は、もうお菓子を作ってあげないと言った。だから返してしまったのだ。

 それくらいわたしにも作れる、と──。


 ◇ ◇ ◇


「あとでほかの侍女たちから聞きましたが、それは彼女がわたしのために特別に用意してくれたものだったそうです」


「と、いいますと?」


「わたしが庭で育てていた黒ベリーの小さな木。そこに実ったものを使い、作ってくれたそうです。父に叱られて落ちこんでいたわたしを喜ばせようとして」


「それは……」


「ね。馬鹿でしょう、わたしは。そんなことも知らないで大喧嘩をして……。それから彼女とは屋敷の中であってもなんだか気まずくて」


 サラは寂しそうに帽子の鍔を指で撫でた。おそらく彼女の口ぶりからして友人とは屋敷の侍女のひとりなのだろう。サラがこちらをみて微笑んだ。


「だからせめて、今度の彼女の誕生日には、彼女のいちばん好きな紅茶のスコーンを作って渡そうと思ったんです。いつもこんなに大変な想いをして作ってくれていたのに、ごめんねと謝りたくて」


「…………」


 いまにも泣きそうな笑顔だった。

 それを見て、ロゼは先日のことを思い出す。


(そうでした。わたしも……)


 本当は、あんなに怒るつもりは無かった。ひとこと「ごめん」と謝ってもらえれば、許したのだ。それをノルが意固地になるからついカッとなって契約を解除するなんていってしまった。


(ノルさん……)


 きっと彼女の友人も、今ごろ後悔していることだろう。サラは帽子を深く被り直すと、ドアノブに手をかけた。


「それではそろそろ行きますね。ありがとうございました。ロゼさん」


 サラが扉を開く。それを、


「待ってください!」


 ロゼはサラの手を掴んで強く引き留める。目をぱちぱちとさせて驚いた顔だ。


「ロゼさん?」


「やっぱり、もういちどだけ」


 彼女の瞳をまっすぐみてロゼは言う。


「もういちど。いえ、なんどでも! サラさんが作れるようになるまでわたしが教えます。教えさせてくださいっ!」


 ロゼは勢いよく頭をさげた。サラは慌てた様子でロゼの肩に手を置く。


「で、ですが……わたしの料理の腕では、明日までにスコーンが焼ける未来がくるとはとても……」


「──大丈夫。なにごとも練習あるのみです。ぎりぎりの時間まで粘りましょう! ──それに」


 ロゼはいちど言葉を切り、自分の胸に右手を当てて笑う。


「わたしは篝火かがりの魔女。どんなに絶望的な未来であっても、明るく照らして、あなたを導いてさしあげます」


「ロゼさん……」


 サラがはっと目を開く。やがてふたりはがしっと両手を握りあった。


 ◇ ◇ ◇


「いや、それはさすがに大げさすぎんだろ」


 絶望的な未来ときた。

 サラとやらの腕も大概だが、練習すればいつかは作れるようにはなるし、彼女にも失礼である。しかもなにやら変に盛り上がっているし。


「つーか、ロゼのやつ、確か菓子作りは苦手だって言ってなかったか?」


 ノルの記憶では、ロゼがスコーンを焼いている姿なんて見たことがない。いつも朝食やらおやつに出るのはその辺の店で買ってきたやつだ。  

 それなのになぜ人に教えているのか。

 色々とツッコミどころが多い光景に、ノルは窓の外からふたりを覗き見ていた。


「本当はさっさと家んなか入って、ひとっ風呂あびたいところなんだが……」


 まだまだ無理そうだ。はぁーと長いため息を吐いて、ぶらさがっていた窓の木枠から手を離して地面におりた。

 実はあのあと謎の遺跡を探索していたノルは、崩れた床につまずいて転んだり、木の幹に絡まったりして大変だったのだ。迷って迷って、そのすえに見つけたのは、ただの古びた室内庭園だった。

 割れた天窓からそよそよと風が吹き抜ける静かな場所。財宝もなければ、肝が凍るような殺人現場もない。

 血の香りも単に自分の耳から流れたものだった。どうやら森を走っているうちに鋭利な葉で切ってしまったらしい。

 まったくもって、事件の欠片のひとつないノルのうっかりであった。


「まぁでもたまにはいいだろ。ノルさんの大冒険ってな!」


 もふもふ冒険譚。これは王都で流行はやるに違いない。──と、ノルがひとりで頷いていると、通りの向こうから、アルバが大きな紙袋を携えてやってきた。


「そんなところで何やってんだ、ノル。中に入ればいいだろ」


「簡単に言うなよ。お前も知ってんだろ? 俺とロゼが喧嘩中なの。いま気まずい時期なんですぅー」


「知るかよ、いま初めて知ったつーの。──それよりほら、これ食うか?」


 アルバが紙袋から四角いパンみたいなものを取り出す。ふっくらと焼き上がったそれは、細かく刻んだベーコンが練り込まれていた。


「ふむ、塩気を含んだ香ばしい香り……。なにこれ?」


「スコーン」


「なぬ⁉ これが……? え、丸くないけど?」


「いや、色んな形があるだろ。三角とか、光蝶スピル型とか」


 光蝶スピル型って……。成形が大変だろうに。


「? これ、もしかしてお前が作ったとか?」


「そうだよ。この前グラタン食いに来たとき、ロゼッタがスコーンがどうのって話してたからな。食いたくなって、チビたちに焼いた残りを持ってきた」


 平然と言ってのけるアルバを見て、『ほんと人は見かけによらないなぁ』とノルは思った。


「じゃあな」


「あ、待て!」


「……?」


 眉を寄せてアルバが振り返る。ノルは急いで四角いスコーンにかぶつりつく。


(ん、んぉ──⁉)


 がつんとやってくるベーコンの塩気。ピリリと辛い黒胡椒。練り込まれたチーズのうま味。酒を呑みたくなる味だ。

 そして、このスコーン特有の、口の中の水分ぜんぶ持っていかれる感じ!


(だが、中心はしっとりしている……)


 焼いてあまり時間が立っていないからだろうか? ほのかに蒸気を含んだスコーンは、不思議と食が進む。

 ノルはぺろりと平らげ、言った。


「うまい! 満点!」


「そーかい、そりゃあ良かった」


「と、いうわけで、そんなキミにお願いしたいことがある」


「どこが『と、いうわけで』、なんだよ。話繋がってねーぞ」


「いいから、いいから」


 ノルはアルバをしゃがませ、耳打ちする。

 百面相だった彼女はやがて苦笑し、小さく頷いた。


「……りょーかい」


 店に入るアルバは見送り、ノルはつぶらな瞳を空に向ける。

 あと数時間後には、サラもスコーンを焼けるようになるだろう。

 そう遠くはない未来だ。

 そのときは自分もご相伴しょうばんに預かろうじゃないか。


「さて、もうちっとぶらぶらしとくかー」


 ぴょんぴょんと跳ねて、ノルは初夏の空の下を走った。

次回「太陽のピザ」

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ロゼの師匠の物語はこちら↓

ゼノの追想譚
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