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氷の魔女の料理屋さん  作者: 遠野イナバ
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ページ8 紅茶のスコーン(前半)

 あるところに悪いうさぎさんがおりました。

 大切にしまっておいた魔女のお菓子をこっそり食べてしまうのです。

 魔女は台所にうさぎさんを呼びました。

 ぼうぼうぼう。

 魔女の指先には炎が揺れています。

 ──さぁ、懺悔の時間ですよ。




「──ノルさん」


「………………」


 食べカスまみれのノルを見おろし、ロゼは片手で皿を持ち上げた。


「こちらは今日のおやつに取っておいた大切なドーナツです。なぜお皿が空になっているのでしょうか?」


「…………」


 ノルは答えない。


「正直に言ってくれたら怒りませんよ。わたしも師匠オニではないですから、謝る相手に無体な真似はしません。今後は改めると、ちゃんと約束してくれたら許してさしあげます」


「…………嘘つけ。言ったってどうせ怒るくせに」


「なにか言いましたか?」


 ぼそりとこぼしたノルの言葉にロゼの眼差しが鋭くなる。

 ノルはそっぽを向いて不貞腐れた様子だ。


「……では、質問を変えましょう。こちらのドーナツをわたしがどれだけ楽しみにしていたか、ノルさんは知っていましたか?」


「知ってる。人気店の菓子なんだろ」


「そうです。一日五〇個限定の、キャラメル蜂蜜がけマシュマロショコラドーナツです。手にいれるのにどれだけ大変な想いをしたか……!」


 ロゼは珍しく憤慨していた。

 基本的に物事を冷静に見ることのできる彼女ではあるのだが、どうしてもこれは見逃せない。


(わたしがどれだけ死力を尽くしたと思って……!)


 実際、かなりの苦労だった。

 ドーナツ屋が開く二時間前には店に並んでそれでも前から十一番目。

 微妙な位置だった。

 前の客たちが何個も買ってしまったらロゼの番まで回ってこない。


 一応、お一人様五つまでと決まっているから、誰かがひとつでも少なく注文してくれればロゼの手に入る。

 賭けだった。なんども失敗続きでようやく回ってきた勝機。

 内心ハラハラしながら自分の番を待った。


 二個だ! ふたつも残っている!


 これならノルの分も買える。

 ロゼはほくほく気分でドーナツ屋を出た。それが今朝のことだった。


「おやつに一緒に食べようと思って棚にしまっておいたんですよ? それを少し隙に、しかもふたつも食べてしまうなんて。ノルさんにはそれでも人の心があるんですか⁉」


「……いや、俺うさぎだし」


「問答無用です!」


 ロゼは指先の炎をノルに向けて発射する。ノルの真横を通りすぎ、うしろのかまどにぶつかった。ちりりとノルの耳をかすめて彼が耳を押さえた。


「熱! おまっ、これは駄目だろ! うさぎさんいじめるなよっ!」


 絵面的に! とつけ足すノルに抑揚を消した声でロゼは告げた。


「なにをいまさら。本物のうさぎさんはドーナツを食べません」


「そうだけど!」


「今度は上です。ノルさんの頭上にむけて火を放ちますよ」


「やめて! 背中、燃えちゃうから!」


 ロゼはふたたび炎の灯る指先をノルに向けた。


「なっ、なんだよ! べつにいいだろ! また買ってくればいいんだしよぉ。そんなに怒らなくたって」


「二時間。並ぶ覚悟がありますか? それも毎日一週間」


「そ、それは……」


「ノルさん、ごめんなさいは?」


「ぐ……」


「ごめんなさいは?」


「…………ロゼのケチ」


 そこでロゼの中で何かが弾けた。


「なるほど、なるほど。わたしも食いしん坊な使い魔など入りません。今日限りでノルさんとの契約を解除させていただきます」


「なっ⁉」


 ロゼがそっぽを向いて言うと、ノルは顎が外れるほど大きく口をあけた。いや、実際はうさぎの口なので小さい口だが。


「契約を解除するだと⁉ そんなことしたら、お前、ショボい魔法しか使えなくなっちまうぞ! いいのか⁉」


「構いません。なぜなら元からノルさんの力を借りて魔法を使っていないからです。つまり、あなたは完全にただの穀潰し。食いしん坊の役立たずなうさぎさんは我が家にはいりません!」


 ぴしりと人差し指を向けて言い放つ。ノルはふるふると肩を震わせて吠えた。


「んだとぉ! うさぎさんは可愛いから家に置くもので、見返りなんか求めるもんじゃねーだろ!」


「ノルさんは可愛くありません」


「ぐっ……、心をえぐる言葉……」


 そこでノルはくるりと身体の向き変えると、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、


「もういやだー! ほかの家の子になるぅ!」


 と、捨て台詞を吐いてホールまで移動。開いた窓から疾風のごとき速さで逃走した。


「ちっ、逃げ足だけはさすがに早いですね」


 文字通り脱兎。しかしこれでしばらくは帰ってこないだろう。

 正直、ロゼの中ではムカつきが抑えられそうにないので、ノルの顔など見たくはなかった。

 まぁ、あと数時間程度で気持ちは落ちつくだろうが。


(いえいえ。ちゃんと反省するまで家には入れません)


 今日のロゼはいつにもまして厳しかった。理由は察しのとおり、ドーナツ……いや、ノルと一緒に食べるのを楽しみにしていたからだ。

 ロゼは空になったら皿を見て、深いため息を落とした。


「──あのー、失礼します」


 店の入り口から声が聴こえた。誰か来ているようだ。ロゼは慌ててホールに出て客を迎えた。


「いらっしゃいませ!」


 客がぺこりとお辞儀をする。

 二十歳前後の女性だ。

 さらさらとした長い亜麻色髪に春色のワンピース。手にはつばの長い薄緑の帽子。

 どこかのお嬢様だろうか。客はパッと顔を輝かせた。


「こちらは魔導師さんのお店であっていますか?」


「はい。氷の魔女ロゼッタの料理工房です。なにかご依頼ですか?」


「は、はい。その、お菓子のつくりかたを教えていただきたくて来ました!」


「お菓子ですか?」


 それなら作るよりも買ったほうが楽だろうに。変わった子だなとロゼは思った。


(お菓子ですか……)


 困った。ロゼは菓子は作れない。クッキー(しょしんしゃ)レベルで良ければ可能だが、こうしてわざわざ手解きを頼みにくるくらいだ。

 きっと玄人レベルのお菓子をご所望なのだろう。

 なんと言って断ろうか。

 ロゼが悩んでいると、女性が言った。


「その、こちらには祖母の紹介で来させていただいたのですが、とても美味しい料理を作るとききまして」


「祖母?」


「はい! 以前、飼い猫を探してもらったことがあると。シュクレちゃんのこと、覚えていますか?」


 あの靴下模様の白猫か。捕まえるのに苦労したのでロゼもよく覚えている。


「ああ、セリカさんの……。あ、もしかしてお孫さんですか?」


「そうです! ホットジンシャー、祖母がとても美味しかったと話しておりました」


「なるほどそれで……」


 ホットジンシャーを料理と言うかは甚だ疑問だが、こうして良い噂が広まることは良いことだ。ロゼは内心で拳を握った。


「えっと、お菓子のつくりかたのご依頼でしたか。具体的にはなにを」


「はい! 紅茶のスコーンをお願いしたいのですが」


 なんだスコーンか。

 それなら初級も初級。

 ロゼの故郷でもみんなに愛されるお菓子だ。

 先を促すと、女性はハキハキと伝えた。


「実は五日後に友人の誕生日を控えていまして、彼女にお菓子を贈りたくて」


「お誕生日ですか。それでしたらケーキのほうがよろしいのでは? スコーンですと、その、普段のおやつというような気もしますし……」


 特別感もなにもない。しかし、彼女はずいっと顔を近づけて言った。


「いえ! 紅茶のスコーンがいいんです。それでなければ駄目なんです!」


「は、はぁ……」


「お願いします!」


 彼女が深々と頭をさげてきた。

 よくわからないが、なにかスコーンに思い入れでもあるのだろうか。

 それとも誕生会を開くとかで、大人数で食べられて、それでいて持ち運びが楽なものを選んだとか?

 ロゼは困惑したが、顔には出さずに微笑んだ。


「承知しました。氷の魔女ロゼッタがたしかにそのご依頼、承ります。どうかあなたに火の加護がありますように。──では、料理の書を持って来ますので、どうぞそちらにおかけ下さい」


 彼女を席まで案内して、飲み物を出そうとカウンターに回ったときだ。ちょうどアルバがやってきた。


「よお、ロゼッタ。昼メシ食いに来たぜ──って悪い、来客中だったか。出直すか?」


「あ、大丈夫ですよ。なにをご注文ですか?」


「三層グラタン」


「うちのは五層ですよ」


「んじゃ、それで」


 女性に紅茶を出して、料理本(ちゃんとしたやつ)を見てもらっている間に、ロゼは作りおきしておいたグラタンを温めてアルバに持っていく。

 そのあとは女性の真向かいに腰をおろし、これから作るスコーンの味を提案する。


「個人的におすすめなのは、プレーンに木の実を混ぜたもの。オレンジジャムを練り込んだものなどになりますが……」


「紅茶味でお願いします」


「一択ですか」


「一択です」


 女性が元気よく頷いた。


「でしたら、材料を用意しておきますので、明日にまたいらして下さい。ご友人のお誕生日が五日後とのことですので、その前日か、当日の朝に焼いて持っていく形になると思いますから、それまでに何回か作ってみましょう」


 なに、小麦粉を練って焼いた簡単な菓子だ。

 クッキーの進化形とも言える。それなら二、三回作ればコツも掴めるはず。

 そう思って明日からのお菓子教室を提案したのだが、彼女は困ったように微笑んだ。


「できれば今日から毎日お願いしたいのですが」


 毎日……?

 なんとなく、嫌な予感がした。


「駄目、でしょうか?」


「い、いえ。大丈夫ですが、今日ですか? それなら材料をそろえないと……」


「では、買い出しにいきましょう! 経費はこちらでお持ちしますので」


「はぁ……」


 ずいぶんとやる気に満ちた人だ。

 しかし経費を持ってくれるというならありがたい。

 ロゼは彼女と買い物に出ることにした。

 そしてこの数時間後に、この依頼を受けたことをロゼは心の底から後悔することになるのだが……そんなことは露知らず。

 ロゼは店を出て商業通りを目指した。


「あ、わたしはサラと言います。今日からよろしくお願いしますね、ロゼッタ先生」


 先生……!

 ロゼはなんともおもはゆい気持ちになった。そのまま肩を並べて彼女の話を聞いた。やはり良いところのお嬢様だった。

 まぁそれならお菓子づくりなんてしませんよね、とロゼはぼんやりと空を眺めながら、たわいもない会話をつづけた。


(そういえばノルさんも、スコーン好きなんですよね)


 今朝はドーナツのことで喧嘩をしてしまったが、よくよく考えれば別のお菓子を用意すればいいだけの話だった。

 一緒に食べるだけなら何もドーナツに固執する必要は無いのだから。


 わずかにちくりと差す胸の痛みに頭を振ると、ちょうど商業通りについたらしい。

 ここはいつも行く場所と違い、専門的なものが多いから、サラの望むものも手に入るだろう。さきほどスコーンに使う茶葉がうんぬんと話していた。

 ロゼとしては紅茶の違いについて詳しくはないから、彼女が選んでいるのを隣で見ていた。


 そのあとはお菓子の材料。

 小麦粉はロゼの店にもあるけれど、サラが見たいと言うので近くの店に立ち寄った。

 そこでロゼは絶句した。


「ロゼさん! このさらさらした粉はなんですか?」


「それは、小麦粉ですね」


「あちらの白いものは?」


「粉砂糖です。ドーナツなどにまぶすやつですね」


「目の前のきらきらしたものは?」


「……各種果物のシロップ漬けですね。焼き菓子に混ぜたりします」


「すごい! 綺麗ですね、これ!」


「そ、そうですね。宝石のようにきらきらしていますね……」


 ひとつひとつのことに反応して喜ぶ彼女をみて、ロゼは気が遠くなった。


 このひと、台所を見たことがないのか?


 小麦粉ひとつ見たことないとは、どれだけの世間知らず……いや、もしかしたら貴族の娘はみんなこうなのかもしれない。


(これは……なかなか苦労しそうな依頼ですね)


 ロゼは遠い目をして、はしゃぐサラを見た。


「ロゼさん、ロゼさん、この薄紅色の粉は何ですか?」


「ああ、爆裂粉ばくれつこです。スコーンなどを膨らませるときに使うのですが、そういえば、ちょうど切らしていました。こちらもお願いできますか?」


「もちろんです」


 サラが店員に爆裂粉を注文する。


「それにしても、お菓子づくりって物騒なんですね」


 サラが口元に手をあててくすくすと笑う。


「物騒、といいますと?」


「だって、爆裂粉って火薬でしょう? 芸術と料理は爆発。なるほど、しかと胸に刻んでおきます!」


 いや、違うから。

 ロゼは頭を抱えて、彼女に爆裂粉の説明をした。

ロゼは料理絵日記の他に、ノルに言われて料理の書も買ったので、サラに見せたのはそれでした。

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ロゼの師匠の物語はこちら↓

ゼノの追想譚
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