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氷の魔女の料理屋さん  作者: 遠野イナバ
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ページ6 ゴマ香る海苔のおにぎり(後半)

『グルルルルルルッ!』


 巨大な獣。

 ノルの数十倍はあるだろう、大きな狼。いかにもヌシっぽい獣が現れた。


「でか!」


「怖い!」


 ふたりは同時に叫ぶ。ノルがこてんと気絶して、ロゼは口から魂が出た。

 巨大なヌシが『がう』とえた。甚大じんだいな風が大気を引き裂く。大槍のような牙を剥き出し、鋭い眼光を走らせるヌシの視界には、さきほどロゼが情け容赦に焼いた狼たちのむくろがある。おおかた、仲間の窮地(もう遅いが)に駆けつけたといったところだろうか。


「おいおいおい! どうすんだよ、これ! 逃げるにしても無理があんだろ」


「だ、だだだだ大丈夫です。こ、これしきの獣、わたしの敵ではありません!」


「いやいやいや! おまえ足と声、震えてんぞ⁉」


「ノルさんこそ……って、そうです! わたしは篝火かがりの魔女! ノルさんの冷えた肝を奮い立たせてみせましょうっ」


「ここで⁉」


 ここで決め台詞⁉ しかも全然うまくないし。

 ノルがつっこみ、がばっと身体を起こすと、ロゼが杖を構えて呪文を唱えた。


「──あなたに愛の贈り物。どろっどろ、あっつあつのショ……」


『ガウッ!』


 鋭い大爪が落ちてくる。ロゼの詠唱をさえぎり、振り下ろされた爪が大地をえぐり、五本の傷あとを地面に残した。間一髪。ノルが頭突いて、ロゼを転ばせたことで難を逃れた。


「おまえが悠長に呪文なんか唱えてるから! もっとこう……無詠唱にしとけよ! 俺みたいにっ」


「それはノルさんがっ、無作法者だからであって、魔導師たるもの作法ルールは大切です! なにより光蝶かれらがって──うひゃあっ!」


 今度は横から爪が流れてきた。ロゼは地面に伏してなんとか避けるも、あたれば間違いなくあの世行きだ。ふたりは走り、逃げ惑う。


「しぬしぬしぬ! これ絶対やばいやつぅ! ロゼ! なにか手はないのか⁉」


「すみませんっ! わたし近接戦は苦手でして、距離をつめられたらもう終わりなんです!」


「じゃあ弓は⁉ ここに来る時、持ってきてただろ⁉」


「どこかに落としました! あと普通にあたりません‼」


「くそぅ、役立たずのロゼ‼」


「ノルさんこそ、役立たず‼」


 互いに叫び。絶対絶命。最悪の状況。

 ノルが大きな声で叫んだ。


「誰でもいい! 誰か、助けてくれぇぇー!」



「──あい、わかった。ふたりとも、吹き飛ばされぬよう、しかと足を地面に縫いつけよ」



 しゃがれた中に闘気が宿る声だった。刹那。ふたりの頭上を風が飛び越える。


「──ハァッ!」


 振り下ろされる斬撃。耳をつんざくような断末魔。

 大地が激しく揺れた。ロゼは転び、ノルも地面にいつくばると、首だけうしろにめぐらせる。

 そこにいたのは変わった衣装をきた老人だった。白髪交じりの頭髪。長い黒刀を鞘へとおさめ、その背後には、真っ二つになったヌシの残骸。

 老人が振り向き、声をかけてきた。


「大丈夫か? そこの少女と……うん? 確かもうひとつ、男の声が聞こえたと思ったが……」


 男が顎に手をあて首をかしげる。

 ロゼが起き上がり、老人へと駆け寄った。


「た、たすかりました。ありがとうございます」


 丁寧にぺこりと頭をさげるロゼ。老人は「気にするな」と豪快に笑う。


(変な羽織りもんに、裾の広がったズボン……うーん?)


 そういえば、前にロゼから聞いたことがある。ユーハルドの西の海に、昔、小さな島国があったのだと。


 巫国かんなぎサクラナ。


 代々『巫女みこ』と呼ばれる長を中心に、独自の文化を築き上げてきた、謎多き国。

 その歴史は古く、ユーハルドが建国される前から存在していたというから驚きだ。


 しかし、数年前にサクラナ国は忽然と姿を消してしまう。

 噂では、東の竜帝国の怒りを買って島ごと沈められたのではないかと言われているそうだが、真実分からない。


 そして、そこの民──サクラナ国の人たちはボタンを使わない服を好んでいたそうだ。ノルには適切な表現はできないが、ともかく変わった衣装だった。


(ふむ……)


 ノルが老人を見つめると、老人は目を細めてノルに視線を留めると、頭を振って眉間をつねった。


「ロゼッタ! 何があった⁉」


「アルバさん」


 茂みの奥からアルバが駆けてきた。頭に葉っぱがついていることから、相当慌てて来てくれたのだろう。嬉しいことだ。しかし、ノルのことは視界に入っていないのか、彼女の瞳はロゼに釘付けだ。


(──いや、爺さんを見ているのか)


 ノルが見上げれば、アルバの眉間に皺が寄る。


「あんた、どっかで見たような……」


「気のせいであろう。それよりも──」


 老人は涼しい顔で、ロゼに視線を戻す。

 これ知り合いのパターン、とノルは思ったが、この場で喋れることは出来ないし、三人の会話を静かに見守ることにした。 


「さきほどの、ずいぶんと大きな個体であった。北の地には多いと聞くが、このあたりにも生息するのだな」


「いえ、このあたりに住む森狼は比較的に小型な部類なので……ぐうぜん変異した個体でしょう。もともと彼らは大人しく、人を襲うこと自体が稀ですから」


 ロゼが同意を求めると、アルバも頷いた。


「ふむ。それでか……」


 老人が顎を撫でて続ける。


「実はな、この森に入る以前に街道にて行商が襲われているのを助けた。その者曰く、最近彼らの活動が活発になって困っていると話しておったが……。こやつを見る限り、おそらくこの個体の食糧を集めるために仲間どもが積み荷を奪おうとしていたのであろうよ。律儀に人には危害を加えおらぬようだったから、追っ払うだけにしてやったがな」


「なるほど……、そういうことか」


「ではもう、ヌシを倒したので街道を通る方々を襲う心配は無い……?」


「そうさな。これでむやみに彼らの命を散らさずにすむ」


 ロゼがホッとしたような顔をする。


「良かった……。いくら城からの依頼とはいえ、彼らを狩るのは可哀想でしたから。これでもう安心ですね」


「ははは、心優しきお嬢さんだな」


(……………)


 とてもさきほどまで無慈悲に狼たちを燃やしていた奴の台詞とは思えなかった。


「そうだ。お礼になにかお困りごとはありませんか? わたしは魔導師なのですが、ご依頼いただければ格安で解決いたしますよ」


「そこは無償で、じゃないのかよ……」


 ぽんと両手を叩くロゼ。

 呆れ眼でアルバが見る。

 老人が、ううむと首をひねった。


「魔導師……呪術使いのことか。そうさなぁ、礼には及ばんとは言いたいが、王都まで案内してもらうというのはどうだろうか」


「王都ですか?」


「ああ、近々王都で祭りがあると聞いてな。せっかくゆえ立ち寄ろうと思ったのが、くだんの行商のあとに森へ入ったら迷ってしまってな。都まで連れていってもらえると助かる」


「わかりました。ではたしかにその依頼、氷の魔女ロゼッタが承りました。どうかあなたに火の加護がありますように」


「んじゃ、行くぞ」


 アルバが森の先を示して、全員で歩き出す。


 ──ぐうううううううううううぅ。


 地鳴りのような音だった。老人とアルバが振り返る。


(まさかの俺の腹の音!)


 恥ずかしい。ノルは耳を抱えて身体を丸めた。


「──あ、その……ですね?」


 ロゼが気まずそうにおずおずと手をあげた。わずかに頬が赤いが、お前もか。

 なんたる偶然。でも良かった。

 ノルの恥ずかしさがやわらいだ。だがこの状況。老人からはロゼひとりの腹が鳴ったと思われているに違いない。


(すまん、ロゼ!)


 ノルが心の中で謝ると、老人が大きな口を開けて笑い飛ばした。


「はっはっは! すまんすまん。いまのは儂の腹が鳴った。狼退治にいそしみすぎて、昼を取るのを忘れておったわい」


「あー……、だな。わたしも鳴った。さすがに爺さんの腹の音には負けるけどな」


 挙手するアルバ。

 ふたりとも、いい奴だ。

 老人が「昼にしよう」と言って、倒壊した丸太に座り手招きする。


「おいで、お嬢さん方」


 懐から包みを取り出し、広げる。丸いなにかをひとつ、ロゼたちに手渡した。


(……? あれは……ライスか?)


 ノルはロゼに近づき、ひくひくと鼻を鳴らす。白ゴマが混ざった全体的に茶色い米の塊。なんだろう?


「ああ、握り飯ですね! 美味しいですよね」


 にぎりめし? 

 響きからしてライスを丸めたものだろうか?


「いいのか? これ、爺さんの昼メシだろ?」


「はははっ、構わんよ。若い娘さんたちと肩を並べて食えるとなれば、嬉しいことはあっても悪い気はせんさ。さぁ、はやくお食べなさい」


「んじゃ、遠慮なく」


「ありがとうございます!」


 ロゼの顔がぱっと華やぐ。やったー! という心の声が聞こえてくるようだ。さっそく握り飯にかぶりつこうとするロゼ。しかし、アルバが待ったをかける。


「ここで食う気か? せめてもう少しマトモなところに移動しようぜ?」


 転がるヌシなる残骸。薙ぎ倒された木々の数々。鉄を帯びた血生臭い香り。

 流石にこんな戦場じみた場所での昼食には、さしものアルバも気が引けるのか、むくろを見て顔をしかめた。老人がぐるりと首をめぐらせあごを撫でる。

 そこでロゼが杖をかがげてニヤリと笑う。


「ふっふっふっ、そういうことならこのロゼッタさんにお任せください!」


「おまえ、たまに調子に乗るよな」


(たまにつーか、ちょくちょくな)


 ロゼが目を閉じる。

 ノルの耳にも聞き取れない言葉を彼女が呟いた、その刹那──あたりの景色がパッと切り替わる。


 ──花畑だ。


 万彩の春花が広がる丘の上。優しい微風がノルのひげを揺らし、花の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 上を見れば、天を彩る美しい星々。砕いた宝石を散りばめたかのような空の輝きは、さしものノルでさえ感嘆の声を漏らさずにはいられない。


 昼と夜の狭間。


 そんな空間に身を置くような錯覚さえ覚えてまるでここが、フィーティア神話に出てくる妖精郷いきょうのようだと思った。

 幻想的な光景にノルは思わず見惚れてしまう。


「これは……」


 老人の瞳が大きく開かれる。

 アルバも茫然とした様子で空を見上げている。

 ロゼは得意気に胸をそらして言った。


「ちょっとした幻影魔法です。わたしは篝火かがりの魔女。お二人の瞳に炎の夢をともしてみました」


(全然うまくない決め台詞)


 だけど綺麗だ、とノルは丘を見渡す。

 これはロゼが最も得意とする幻を見せる魔法だ。

 森族に伝わる幻術で、こればかりはロゼの師匠でも真似できないのだと、この前自慢げに披露してきた。

 ちなみにその時は人参畑だった。

 ノルは幻だと忘れてついまっしぐらしてしまった。


「ささ、お二人ともご飯にしましょう」


「お、おう……」


 半分呆けた様子でアルバが草原に腰をおろす。

 同様に老人もあぐらをかき、ふいに近くの花に視線をめた。


「綺麗だな。あの人が好きだった花が咲いておる」


「あの人?」


 ロゼが聞き返すと、老人は困ったように笑ってシワの深い目元をさらに濃くした。


「もう記憶も薄れた昔のことだ。好いた女が居てな。あやつも桜草サクラソウが好きだった」


(サクラソウ……プリムスの花のことか)


 小ぶりの、淡桃色ピンクの花をつける雑草だったか。

 ノルは老人の視線の先に近づいた。ちょんちょんと鼻で花片をつつくと、老人の笑みが深まった。


「んじゃ、さっそくいただきますか」


 アルバが握り飯にかぶりつくと、ロゼも並んでぱくりと食いついた。


「──そら、お前さんにもくれてやろう。存分に食え」


 ノルの鼻先に、握り飯が置かれる。


(いや、じいさん。うさぎに握り飯は駄目だろ……)


 まあ、ありがたいけれど。

 ノルが上を見ると、幸せそうに昼飯を噛み締めるロゼの顔。こいつ、食ってる時は笑顔だよなぁと、ノルも握り飯なるものをひとくちかじってみた。


「…………っ!」


 口にいれた瞬間、鼻をつき抜ける海の香り!


(なるほど、こいつは海苔か)


 ユーハルドの西の港でとれると聞く海藻。

 種類は様々だが、これはその海藻を甘辛く煮込んだものだろう。

 全体に入り混じり、この甘じょっぱい味わいは、いくらでも食が進む。ノルはパクパクと握り飯を頬張った。


(また、この食感もいいなぁ)


 ところどころに混じっているゴマの実が、ぷちぷちと口の中で弾けて楽しい。

 よく考えられている。

 文句なしの味だった。気づけば地面に落ちた米粒ひとつ。あっという間に食べ終わってしまった。

 ノルが見上げると、ロゼは二個目に突入している。


(ふぅむ)


 老人が持っている包みはふたつ。

 三つ、三つで包まれた握り飯を、老人はアルバとロゼに二個ずつ渡し、ノルにもひとつ与えた。残りの一つを老人が平らげ、足りない分を干した果実で補っている。

 つまり──もう残っていない。


(ううむ、もっと食べたい……)


 じゅるりとよだれが垂れるノル。わずかに逡巡し、ノルはぴょんと飛んだ。


(ロゼには悪いが……)


「ええっ!? ノルさん⁉」


(いっただきー!)


 目を見開くロゼと呆れるアルバ。豪快に笑う老人。

 楽しい楽しい、昼の時間の一幕だった。

次回「ハーブソルトの豚バラ串」

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ロゼの師匠の物語はこちら↓

ゼノの追想譚
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