ページ1 森のオムライス(前半)
魔女と使い魔の日常×グルメもの。
作中ではこちらの世界と同じ食材名も料理名も出てきますが、伝わりやすいようそのように表記しております。
魔女の料理と聞いて何を思い浮かべますか?
材料はトガケ? それともヤモリ?
ぐつぐつ煮込んで呪文を唱えて、ひっひっひ。
……なーんて、違いますよ?
香草たっぷりの元気が出るご飯。
それが魔女の料理です。
いらっしゃいませ、お客さま。
氷の魔女の料理屋さん、本日開店です!
「──と、いう宣伝文句はどうでしょうか。ノルさん」
と、魔女が言った。
「──却下だ、ロゼ。後半はともかく前半は無い。客が引くから即座に消しなさい」
と、使い魔が返した。
「そうですか? けっこうインパクトたっぷりだと思うのですが……」
「そうだなぁ。たっぷりすぎて閑古鳥が鳴くだろうなぁ」
ぱたんと長い耳を机に叩きつけ、使い魔ことうさぎのノルは少女を見上げた。
灰銀混じりの黒い髪。
腰まで伸びた艶やかな黒髪を、耳にかけて絵筆をとる少女の名前はロゼッタだ。
愛称はロゼ。
薔薇の意味があるのだと、以前彼女が笑って話していた。
(今日も相変わらず地味な格好だなぁ……)
いかにも魔女っぽいローブ。
見た目は十六歳くらい。
見目麗しい彼女の職業は、自称魔女さんだ。
確かに火の魔法が得意な彼女だが、これから王国で料理店を出そうというのだ。
魔女よりも、料理人と名乗ったほうが適切だろうとノルは思う。
さきほどから店の看板を作っているらしいロゼの横顔を一瞥してから、ノルは手元の本に目を落とした。
見るからに素人感溢れるイラスト。
変な料理のレシピ。
いっけん絵日記風のそれは、ロゼが日頃からつけている料理日記なのだと言う。
オムライスっぼい絵が描かれたページを見ながらノルは「そういえば」と思い出す。
「ところでよ、食材買いに行かなくていいのか? 夜には店、開けるんだろ?」
「あ! そうでした! 忘れてました」
「いや、忘れんなよ……。あと今日の昼飯、オムライスが食いたい」
「えー、うさぎがオムライスはちょっと……。そこは可愛らしくニンジンと言っておきましょうよ」
「いいんだよ。ノルさん、星霊だから」
ニンジン色のもふもふボディ。
つぶらな瞳に長い垂れ耳。
ノルは彼女の相棒兼、下僕兼、愛しき隣人なのである。
「じゃあノルさん。さっそくですが、この看板にうさぎの絵をかくので、なにかポーズをお願いします」
「俺の話きいてた?」
アイスブルーの瞳をキラキラさせて絵筆を掲げるご主人さまにノルは、ていっ、と頭突きをお見舞いしてやった。
◇ ◇ ◇
──かつて、世界はもっと広かったらしい。
竜たちの争いを記したフィーティア神話がある。
その神話によると、遠い昔に天地を裂く大戦があったそうだ。
天は瘴気に覆われ、海は朱く、大地を壊した災厄の時代。
それから約千年。エール大陸では数多くの国が興廃を繰り返し、現在、四つの国家が成っている。
東の【竜帝国】ハルーニア。
南の【聖国】パトシナ。
北の【商業国家】イナキア。
そして、西の【妖精国】ユーハルド。
とりわけ四か国の中でも大陸最古の歴史を持つユーハルド王国は、エール大陸西部に位置する、人口数十万規模の小国だ。
緑豊かな土地は広く、気候も穏やか。
農耕と牧畜を軸に発展を遂げる農業国。
そして、神話の時代より、星霊光蝶に愛され、悠久の繁栄を約束された、すごい国である。
………──────らしい?
「ええ、確かに。そのようなことをお祖父様が仰っていたような気がします」
「ごめん、なんて?」
ぶつぶつとひとりごとを呟くロゼを見上げてノルは首をかしげた。
ロゼは、大国ハルーニアの出身だ。
それも一般社会から隔絶された森育ち。
ゆえに、ふつうは知っているだろう常識には疎く、当然ながらこの国、ユーハルドの土地勘などほとんど無いに等しかった。
だからこうして買い物には出たものの、どの道を行くべきかと彼女は頭を悩ませていた。
「そういえば……」
──王都の大きな通りは、中央の噴水広場を軸に四方へ伸びている。だから道に迷った時は城壁を背にして、町の中心を目指すといいよ。
魔法を教えてくれた師匠が、以前ユーハルドに連れてきてくれた時にそう言っていた。
ロゼはちらりと遠くを見る。分厚い城壁が、王都を囲うようにぐるりと一周している。
(あれを背にする)
くるりと身体を回転し、人が賑わう通りを目指して足を進める。
するとすぐに大きな通りにぶつかった。
そこからさらに歩くこと数十分。立ち並ぶ露店を見つけた。噴水広場に着いたようだ。
「ノルさん、タマゴです!」
「いや、外でオレに話しかけんなよ」
頭おかしい奴だと思われるぞ、と続いた中年男のざらついた声は、赤い紐に繋がれたノルのものだ。
ロゼはノルを連れて近くの露店を覗く。
白やら赤土色のタマゴが入った小さなカゴが並んでいる。
タマゴの入ったカゴを指して、ロゼは店主に声をかけた。
「こちらをいただけますか?」
「あいよ。銅一枚な」
「はい」
財布袋から銅貨を一枚取り出して店主に渡す。
「お嬢さん、新顔だな。最近越してきたのかい?」
「はい、先週引っ越してきました。北の通りの奥に料理店を開く予定です。よかったらぜひお越しください」
「ほう、食堂か。──それじゃあ、これサービスな。タマゴが入り用な時はぜひうちに来てくれ。嬢ちゃんの店にもそのうち立ち寄らせてもらうよ」
「わー! ありがとうございます」
店主はニッコリ笑って、もうひとつのカゴを渡してくれた。
そのまま市場をめぐり、買い物かごに次々と食材を詰めこんでいく。
これであとはもう戻るだけ。
ロゼが残りのお金をポケットにしまったところで、今度は小さな嗚咽が耳を掠めた。
「あれは……。男の子が泣いていますね。迷子かなにかでしょうか?」
「迷子ぉ?」
ロゼが二本先の通りを指す。
五歳くらいの男の子だ。あたりをきょろきょろと窺いながら座りこんで泣いている。
母親と、はぐれたのだろうか。
ふたりが近づくと男の子は顔をあげた。
「どうしました? なにかお困りごとですか?」
「……お姉ちゃんは?」
「氷の魔女のロゼッタです。こちらは下僕のノルさんです」
「いや、誰が下僕だよ」
「──ひっ! うさぎがしゃべった!」
「ああ、大丈夫ですよ? ただの喋るうさぎさんですから、そんなに怖がらなくても」
「いやいやいやっ、ふつうのウサギは喋らないからね?」
ノルがぴしりとロゼの腕をたたけば、男の子の顔には恐怖の色が追加された。
「うわーん、怖いよー、うさぎのお化けだよー!」
「あー、ノルさんが泣かせたー」
「いまのは俺のせいじゃないだろ……」
勝手に泣いたんだよ、と抗議の声を上げてノルはガシガシと前足で頭を掻いた。
「……ったく、だいたい人型をとれば、こんなことにはならないっつーのに。それをお前がダメだって言うから……。ほれ、坊主。ノルさんは怖くないぞ?」
男の子はしゃくりを上げてますます泣き出した。
「ダメだ、お手上げ。あとは頼んだ」
「出た、ノルさんの他力本願」
「うっせぇわ。そこは器用に生きていると言いなさい」
──仕方のないうさぎさんですね。
ロゼはため息をついてから、男の子の目線に合うよう腰をかがめると、ぽんぽんと小さな頭を撫でた。
「大人のかたとは一緒ではないのですか?」
「大人……お菓子を買いにきたら、お母さんが迷子になっちゃったんだ」
「お母さんが、じゃなくて坊主が、な? ──んで、どうすんだロゼ。巡回中の兵士にでも預けるか?」
「そうですねー」
ノルの提案にロゼは空を仰ぎ、太陽の位置を確認する。
中天を過ぎた頃。
いまならまだ陽が高いから、王都市内を巡回している兵士に頼めば母親を探してくれるだろう。
しかし──とロゼはノルの首輪を外す。
「ここは正義感溢れるロゼさんといきましょうか」
「よ、さすがは俺の相棒!」
ロゼは立ち上がると、さながら司令官のごときポーズで高らかに告げた。
「ではノル軍曹! 母親を探してきてください! 私は店に戻るのでっ!」
「なあそれ、お前こそ他力本願じゃね?」
「なにか言いましたか?」
「……いえ、べつに」
んじゃな、司令官殿! と叫んでからノルは、たたたっと可愛い足音を鳴らして雑踏へと紛れていった。
ロゼは片膝をつく。
男の子を安心させるようにニコリと笑って優しい声を出した。
「大丈夫ですよ。ノルさんがお母さんを探してきてくれますから、元気を出してください」
「本当に? お母さんを見つけてくれるの? あのうさぎさんが?」
「はい。とても優秀なうさぎさんですから」
「ぜったい嘘だー!」
男の子は涙をとめなかった。
(うーん、なかなか泣きやんでくれませんね)
ロゼは男の子に尋ねた。
「あなたの名前は?」
「リック」
「ではリックくん。お姉さんが飛びきり元気になる魔法をかけてさしあげます」
「魔法?」
「はい。わたしは篝火の魔女。どんなに冷たく凝った心でも、必ず溶かして、あなたを明るい笑顔に変えてみせましょう!」
ロゼは立ちあがり、男の子に手を差しのべた。
男の子が眩しそうにロゼを見上げる。
ちょうど逆光だったようで、男の子は目を細めてつぶやいた。
「さっき、氷の魔女ってお姉ちゃん言ってた」
「……二つ名は、いくつもあってもいいと思うのですよ」
真面目な顔できっかり返してから、ロゼは男の子を立ち上がらせた。