【短編】草映える
“草”というものをご存じだろうか?
いわゆる忍者・忍びの一種で、普段は敵地において一般人のフリをして諜報活動を行いつつ、いざ戦となった場合には本国からの指示に従い内部から破壊工作や暗殺などを行う、いま風に言えば内部諜報員というやつである。
もっとも“草”はもっと徹底していて、その地で家庭を築き家族にも正体を知らせずに、何事もなければ生涯を終えることも当然としている。
ただし子供の中にこれぞと思う者がいれば、その者にだけ自分が草であることを明かし、秘密裏に自分の持つ忍術や体術を伝授して、いざという場合に備えるように徹底的に……言い方は悪いが洗脳して代々に伝えるのであった。
とは言え御一新によって江戸幕府もなくなり、“草”というか忍びの存在自体もまるっきりの時代遅れとなり、ほとんどの者たちは技も密命も伝授することなく市井に混じって消えていったことは想像に難くない。
そんな絶滅したかと思える“草”であるが、令和の時代になっても細々と血脈を保っていた、生きた化石というか……もはや未確認生物並みに珍しくも無用の長物である。それがこの自分――相田 和樹の他人には話せぬバックボーンになる。
もともとは祖父である師匠は自分の代で“草”などという時代錯誤な使命を放棄する予定でいたらしい(「そもそも子供らは才能がなかったからのぉ」とは祖父の言い分)。事実、父にも伯父伯母にも一切何も伝えなかったため、親戚一同は祖父の事を田舎で農業の傍ら子供たち相手の剣術道場を開いている普通の親父……としか思っていない。
それが何で孫にあたる自分に秘密を伝えたのかと言うと、要するに自分が幼少の頃から異彩を放っていたため(記憶にないが五歳ぐらいで中学生を殴り飛ばしたり、五階から飛び降りて自然に着地を決めケロリとしていたそうだ)、
「これは早いうちにどうにかしないと一般社会に適合できんぞ」
ということで適当に理由をつけて――母親が生まれた息子の異様さに怯え、半ばノイローゼになっていたこともあり――自分の手元で育てることにした。
その後、祖父の薫陶を受けて十歳になると体術と剣術において祖父を凌ぎ、十一歳で飛んでくる矢を素手で掴んで取り投げ返し、十二歳で拳銃弾ならナックルガードをつけた拳で弾き返し、それ以上の大口径弾になるとナイフで斬り飛ばせるようになり、十三歳で手刀の一撃で百キロの猪の首を飛ばし、十四歳の時に抜き手で三百キロを超えるヒグマの心臓を貫通して無傷で勝利するまでになった。
その際に、万一の際に備えて猟銃片手に待機していた祖父がしみじみと語ったものである。
「お前は生まれる時代と場所を間違えた」
そんなものかというのが当時の心境だった。
その後は特に変化もなく――半ば自主練ながら修行は続けていたが、別に自分は殺人狂でも戦闘狂でもないので、海外まで足を延ばして虎やらライオンと戦ったり、紛争地域へ行って武装集団相手に立ち回りをする馬鹿げた気もなく――そこそこ世間の常識も身に着け(一般人は想像を絶するほどひ弱で脆弱であり、自分たちと違うものを異端視する程度の見識だが)、そろそろ高校進学を期に田舎を離れるか……と祖父と進路を考えていたところへ思いがけない客が来た。
【内閣調査室 E対策班参事 室谷 重行】
四十代半ばほどのいかにもエリート官僚といった風情のフルオーダースーツを着た男性と、その護衛らしい三十代の黒スーツ(の下に防弾チョッキ。脇の下に拳銃をぶら下げているのが服の線と体の動きでバレバレな)の男性ふたり。動きからして元軍人――自衛隊か米軍出身だろう――ここまではわかるがもうひとり、こちらはやたら場違いな人間が随行していた。
見たところ自分と同年輩か、やや年上と思われるナチュラルメイクにブレザーとチェックのスカートを穿いた学生(?)らしき身だしなみの人物である。
国民的アイドルか超一流モデルと言っても通じる整った顔立ちに、長い髪を腰まで伸ばしている。
若干珍しいのはその髪色で、一見すると黒髪のようだが光の加減で蒼く透き通って見えるという変わったものだった。
だが染めている訳でもカツラを被っている訳でもないのは、草として変装術も習得した自分の目には明らかである。
それに加えて立ち振る舞いに訓練された挙動が見られる。ただし軍人や武術家のそれではない。もっと剣呑な殺すとか殺されるかといった、特殊な戦闘――つまり暗殺者かスパイの類――に先鋭化しているように見える。
また何よりもどこからどう見ても女性なのだが、筋肉の躍動感に微妙な違和感を覚えて、自分は内心首をひねっていた。
「――♪」
と、あからさまに凝視していたわけではないと思うのだが、彼女(?)が不意に自分の方を向いて、ニッと満面の笑みとともにウインクを放ってきた。
祖父宅の十畳ほどある畳張りの居間で、電気掘り炬燵に座る形で上座に祖父、対面に主賓である室谷氏とその隣にこの少女(?)、炬燵に入らずに護衛ふたりが背後に正座をしていて、そして角を挟んで下座に自分がついているので、上座にいる祖父ならともかく他の人間には、いまの茶目っ気たっぷりの仕草は見えなかったようである。
とりあえず無視をして、無言で自分はお茶を淹れ――護衛ふたりは固辞した――テーブルの中央に煎餅の入った皿を置いた。
ふむ……忍びの視線を感じ取るとは、やはり見た目通りの人物ではないらしい。
万一の際には全員を無効化すること――まあ最大限に手間取ってもニ十秒といったところだろう――を念頭に置きながら、とりあえずは客人として対応している祖父と室谷何某とのやり取りに耳を傾けることにする。
いろいろと前置きやら細かい話はあったものの、前提として自分と祖父とが“草”であることを政府機関では事前に把握していたらしい。
明治政府から続く機密文書でマーク対象となっていて、親父の代までは数年に一度形式的に調査をしていて、それも祖父が身まかった後に調査対象から外す予定でいたものが、まさかの孫の代への継承。
「そしてそのお孫さんが途轍もない才能を発揮する天才……いや、不世出の奇才。麒麟児――というのが内調の調査部が出した結論であり、そのため最重要監視対象として、失礼ながらお孫さんの行動は陰ながら常に把握するように努めておりました」
口に出した当人が半信半疑という口調で、調査報告書とやらのコピーを手に言い放つ。
自分もその写しを読ませてもらったが、完全とは言えないまでも大まかな行動は押さえられていて、特に注目すべき点として北海道でヒグマを斃した写真や、祖父が放った銃弾をナイフで切り飛ばしている訓練風景の写真が添付されていた。
とはいえいまの言葉でいろいろと腑に落ちた点があったので、自分は膝を叩いて納得した。
「ああ、四年前に赴任してきた駐在所の警官に、二百メートルほど離れた場所に三年前に新居を構えた若夫婦。宅配便の運転手が三人。それと屋外では四百メートル程度の距離を保って監視している人物が常にいましたが、なるほどそちらの関係者でしたか。殺気がなかったので放置していましたけど」
別に隠すほどの事でもないし――法治国家の中で違法行為をしているわけでなし(愛用のナイフや祖父の拳銃は明らかに銃刀法違反ではあるが)――天才だの奇才だの言われたところで、他に比較対象がないのでイマイチピンとこない。
そもそも自分としては幼少の頃から同じ修行をすれば、自分ができるのだから他にもできる人間はゴロゴロしているのではないか……程度の感慨しかない。
だが、何気ない指摘に思いがけなく狼狽える室谷氏。
「――っっっ! まさか……特殊作戦群の監視の目を察知していたとは。正直、今どき忍者云々などという胡散臭い漫画のような存在にかまけるなど、人材と予算の無駄としか思えませんでしたが――」
歯に衣着せぬその言い様に祖父が快活な笑いを浮かべた。
「はははっ、普段から黒装束に鎖帷子、わらじ履き、忍者刀を背負って『ござるござる』とでも言葉尻に付けるとでも思われていましたか? そんな目立つ忍びでは忍んでいる意味がないでしょう」
そんな祖父の軽口に微苦笑を漏らしつつも――よく分からないが何やら共通認識として笑うポイントがあったのだろう――まだ納得しかねない表情で、室谷氏は振り返ってふたりの護衛に問いかけるような視線を送った。
「多少は武術の心得はあるようですが……」
「正直、例の件に絡ませるのは力不足としか」
プロであるふたりの見解も似たようなものであることに納得して頷きかけた室谷氏だが、ついでとばかりに隣の彼女にも話を振る。
「どう思う《アラクネ》。仮にお前がやり合ったとしたら……?」
「そうですねー……」
『アラクネ』と呼ばれた少女は見た目通り涼やかな声で苦笑いをしつつ、炬燵に入ったまま考え込む素振りを見せた。
「……鋼糸か。珍しい暗器を使うな、お嬢さん」
途端に祖父が感嘆と警戒混じりの声を放つ。
それに応えるかのように炬燵の中から出した彼女の手には、掌に収まるサイズの長方形の器具が握られていて、そこに微かに蛍光灯の光を反射する極細の金属糸が、するすると引き込まれていった。
「忌憚のない意見ですが、こちらのお爺さん相手だと五分五分。そして和樹君相手だと――」
自己紹介したわけでもない相手の名前を気軽に口にする不躾さは若干引っかかるものの、こういう性格なのだろう。
「どうあっても勝ち筋が見えねーな。室谷さんは天才だとか麒麟児とか言いましたけど、そんな生温いものじゃないね。オレの手足とも言うべきアラミド繊維の糸を、どうやってかオレの手首に弾き返しやがった……お爺さんは足首に巻き付くまで気が付かなかったというのに。正直、今回のプロジェクトに集められた連中って、どいつもこいつも化け物ばかりだけど、こんな得体が知れない相手は初めてで、さっさと尻尾を巻いて逃げてぇ――ってところですね」
ざっくばらんな男のような口調でそう言って肩をすくめる彼女。
「それほどかね……?」
信じられないという口調の室谷氏と、似たような表情で顔を見合わせる護衛の黒服ふたり。
「『バケモノにはバケモノをぶつけろ』というコンセプトで集められたメンバーですけど、さらにそれを凌駕する作戦の要として、和樹君の存在は必要不可欠だと断言できます」
逡巡する室谷氏に対して、彼女が断固とした口調で言い切った。
「う~~む……」
考え込む室谷氏の態度に風向きの変化を感じ取って、当事者不在のまま話を進まされるのは心外だとばかり、祖父が淡々とした口調で言い放つ。
「どうやら目的は和樹のようですが、正直申し上げて我らは社会的には単なる農家の親爺と未成年者。政府に借りがあるわけでも義理もない。余計なことに首を突っ込む義務も責任もないはずですが? それとも脅迫でもするつもりですかな? 理不尽な要求や命令には精一杯抵抗いたしますが」
「まさか! そのようなつもりは毛頭ありません。事は日本……いえ、この世界の一大事であり、そのためにお孫さんのお力をお借りしたいとまかり越した次第です。当然それに見合った補償や報酬は提示させていただきますので」
慌てて釈明する室谷氏の言葉に、軽く鼻を鳴らして祖父が自分の方を向いた。
「ふん。どう思う、和樹」
どう思うと言われても、いまのところ『世界の危機』とかふわふわした内容しか聞かされていないわけだし、
「……正直ピンときません。スケールが大きすぎて自分如きに何ができるかと疑問ですし、そもそも“草”としての技能をたつきの道にするつもりはありませんでしたので、大金を提示されたところで迷惑というのが偽わざる本音ですね」
「いやっ、金には代えられない歴史に残る偉業なのです! 成功したあかつきには文字通り物語の英雄もかくやという称賛と、薔薇色の人生が約束されるでしょう!!」
室谷氏が食い気味に話に割って入るが、言葉を重ねられるほど安っぽく――都会で怪しげな壺を買わせようとする輩もおそらくはこんな感じなのだろう――どうにも食指が動かない。
「自分としてはそれなりの学をつけて、将来的にはいっぱしの職業に就くなり商売をするなりして、人並みの暮らしができれば十分なのですが」
「そうであるなら大抵の大学に口利きができますし、将来は国家公務員に優先的に採用することも約束いたします」
「いや、そういう自分の分をわきまえない……下駄を履かせてもらった立身出世は身を持ち崩す元ですので結構です」
冷めかけたお茶を湯呑で飲みながら、そう答えると室谷氏が曰く言い難い表情で押し黙った。
「班長駄目ですよ、損得勘定で交渉しては。この手の人種には搦め手は効きません。真っ正直に事情を話して、それで納得してくれたら御の字。ダメだったらスッパリ諦めましょう。――ま、オレ個人としては和樹君のことは好きなタイプで気に入っているので、できれば同級生になりたいところだけど」
「同級生?」
「そ。なんなら恋人でもいいけど」
あっけらかんととんでもないことを提案する彼女の言葉に、自分としては珍しく0.1秒ほど絶句して隙を作ってしまった。
「恋人と言っても今日会ったばかりですし……そもそも貴女は女性ですか?」
バツの悪さを誤魔化すために、そう最初から気になっていた疑問を口にする。
「ん~~~? 和樹君は男が好き? 女が好き?」
「……意味が分かりませんが、同性愛の趣味はありませんね」
「よしわかった! じゃあ今からオレは彼女ってことで、それで無問題。オッパイ触るか? あと合意の上でエッチなこともし放題だぜ~。あっ、そういえば名前も言ってなかった。オレは笹嘉根 依織、十五歳……ま、孤児なので本当の年齢は不明だけどさ。あと二年前まで香港で殺し屋をやってたけど、いまは内調の嘱託職員やってまーす。コードネームは《アラクネ》ってことで、よろしく~♪」
わざとらしく科を作っていまさら(やたら物騒な)自己紹介をする自称彼女。もっとも『ささかね』っていうのは確か蜘蛛の古語で枕詞にもなっていたはず。《アラクネ》という暗号名と合わせて、十中八九偽名の類だろう。
さらに掘り炬燵の中で太腿を寄せてくるのを、反射的に追い払いながら微かにため息を漏らしたところで、室谷氏がより盛大なため息をついて威儀を正し、絶大に脱線した話を軌道修正した。
「ゴホン! では単刀直入に、お二方は『異世界召喚』という言葉を聞いたことがありますか?」
「「…………」」
突然出てきた荒唐無稽な単語に、思わず面食らって祖父ともどもまじまじと室谷氏の顔を凝視してしまった。
「いや、ご不審を持たれるのは重々承知しておりますが、正気を失っているわけでも酔っ払っているわけでありませんので悪しからず」
真顔で否定するその隣では、依織が腹を抱えてケラケラ笑っている。
「いや、そーなるわな。アニメやゲームじゃあるまいし、いい年こいた大人が『異世界召喚』だなんて――おまけに話している相手は忍者ときた。ひゃははははははははははははっ!!!」
「……何かの符合や暗喩、冗談の類ではなく、そのものずばり『異世界召喚』という意味ですか?」
そういった娯楽に造詣のない自分でも、テレビやスマホの情報として『異世界』とか『召喚』という言葉や概念は知っている。とはいえあくまでフィクションという前提の元であるのだが、室谷氏の口調や態度はまるでそれがまごうことのない事実である……と大真面目に断定するものだった。
「和樹や、どういう意味なのかわかるのか?」
怪訝そうな祖父の問いかけに、どう説明したものかと内心で首をひねった。
そんな逡巡を斟酌してくれたのだろう、
「この世界に隣り合っているものの、本来は互いに行き来することは不可能な異なる世界。幽界、アガルタ、根の国、ニライカナイ、桃源郷……古来より数多の伝承に語られる、通常の人の世とは違う場所という意味ですが、確証はありません」
室谷氏が慣れた口調で補足してくれた。同時に懐から何枚かの写真を取り出して炬燵テーブルの上に広げる。
「これは……。ふむ……写真では何とも言えんが、面妖な生き物だの。鬼か物の怪の類かな?」
一言断ってから写真を手に取り、そこに写っていた醜悪な面相の牙の生えた緑色の肌をした小鬼と、人と豚とを掛け合わせたかのような、おぞましい赤褐色の巨漢――の屍骸を目にして祖父が唸った。
回された写真を自分も見たが、合成写真じゃないかという疑いや好奇心よりも先に、生理的な嫌悪感がなぜか凄まじい。
『こいつの存在を許すな! こいつらを駆逐しろ!!』
本能というか魂が全力で拒否を示している。自分にしては珍しい荒ぶる感情に面食らう。
「すっげ―嫌な気分だろう? 誰もそうなるらしい。学者の言い分では、遺伝子に刻まれた『天敵』に対する敵対反応ってことだ。気の弱い奴なら『捕食者』を前にした小兎みたいに、ブルブル震えて動けなくなるそうだけど」
自分の反応を窺いながら依織が実感たっぷりに補足してくれた。
「さきほど異世界とは往来ができないと言いましたが、ごくまれに偶発的に世界が繋がることがあり、あちら側からこちら側にに異世界の生物が迷い込んでくる事例があります。こういった者たちは古来より鬼、妖怪、モンスター、悪魔、邪妖精……さまざまに呼称されていますが、例外なく敵対的でありこちら側の生物――特に人間を積極的に襲う傾向にあります。ちなみにこちらの緑の怪物は『ゴブリン』、豚のような怪物は『オーク』と現在は共通の名称が割り振られていますが」
「つまりこの怪物どもと戦うために和樹を貸して欲しいというわけですかな?」
微妙に釈然としない表情で祖父が室谷氏に確認を取る。
だが、予想に反してその首は横に振られた。
「いえ、国内で怪物――『捕食者』が確認される事例は年に十回以下。それも内調の千里眼の持ち主や宮内庁直下の予知能力者。並びに異世界と接続された際に生じる磁場の乱れで予測することが可能ですので、後は自衛隊と警視庁特殊部隊とで対処するので問題ありません。問題はこちら側からあちら側へ迷い込んだ迷い人――手垢のついた表現をするなら神隠しに遭った人間によって、あちら側にこちら側の情報が渡り、こちら側同様……とまではいかないまでも、連中にとって重要な『こちら側には無数の人間が存在している』こと『大部分が抵抗する術を持たない獲物である』ことが把握されていることです」
「把握? こいつらには情報を蓄積し伝達する知能があるのか?」
写真で見たところゴブリンは素っ裸、オークは腰に荒縄で毛皮を巻いて棍棒を持っただけの原始人程度の文明レベルに見受けられるが。
「あります」
祖父の疑問に対して真正面から断言する室谷氏。
「異世界にもこちら同様にある程度の文明を持ち、社会性を持った種族が存在する。これは早い段階から米軍やCIA、その他諜報機関の戦略分析室が出した結論であり、それを補強する材料も揃っています。その連中――仮に異世界人としますが、連中は虎視眈々とこの世界への侵略を狙っています。そのための術式も確立しているようで、この百年の間に国内だけでもひとつの群落ごと、人間だけが忽然と姿を消した事例が千件あまり確認されています」
「それがつまり“異世界召喚”ってことですか?」
創作と違って単なる『人間ホイホイ』が異世界召喚の目的だと知らされて、多少幻滅しながら自分が念を押すと、室谷氏も頷き返す。
「あちらの世界にはこちらの世界では淘汰された呪術・魔術・巫術……それに類する技術が発展しているようでして、連中には一時的に異なる世界同士を繋げる特殊な儀式をしばしば用いています。もっとも繋げるには日時や天候、生贄や供物の数や種類など細かな条件が必要な上、繋がるのもほんのわずかな時間で、人間だけを一方通行に召喚するようですが」
そのために異世界の存在をお伽噺か都市伝説の類として、隠蔽することが可能であったのですが……と溜息をついた室谷氏の空になった湯呑にお茶のお代わりを注ぐ。
「言ってくれればオレが代わりにやったのに、彼女として」
不満そうな依織を、「今日のところはお客様なので」と宥める自分。
礼を言って熱々のお茶を口に含んでから、室谷氏はここが正念場とばかり続きを一気呵成に語った。
「さらに世界同士の修正力からすぐに効果はなくなるようですが、連中は近々――予知や戦略分析室の予測では、早くて半年、遅くとも一年以内にいままでのノウハウを集結して、大規模な集団召喚を行うつもりのようです。そうして攫った人間を人柱として相互世界間の半永久的な回廊を築いて、本格的にこちら側へ侵攻……いえ、侵略を目論んでいるというのが最終的に導き出された結論です。そしてその舞台となるのが――」
【私立比良坂高等学園】
とある政令指定都市の名前と詳しい地名、そして高校の名前と概要の書かれたパンフレットをテーブルに置かれた。
よく見れば女子生徒の制服は依織が着ているものである。
……さすがにここまで勿体ぶった前置きや説明を繰り返されれば、今回の要件もおのずと見当がつくというものだ。
「つまり和樹をこの高校に通わせ、その時が来たら対処をしろ、と?」
同じ結論に達したらしい祖父が曖昧な表情で確認をする。
正体を隠して一般生徒のフリをしつつ、いざ事が起これば決起する――これではまるっきり“草”本来の役割だな、と隣で聞いていた自分も思ったし、祖父もそう皮肉を感じたことだろう。
「端的に言ってしまえば。しかしながら、かなりの精度で敵の目的と場所がわかっていますので、この高校は私立とは名ばかりで、実質的に政府が管理しており、また生徒と教師の大部分が特殊な能力・訓練を受けたエージェントとなっております。その目的はただ一つ、今回の召喚を利用して逆に敵地に侵入、速やかに殲滅作業を行い、二度とこのような無謀な行動を行使しないようにすること。そのために可能な限り少人数で一国一軍を下せるほどの最強戦力を募り投入すること。これに尽きます」
「ふむ、話は分かりましたが、そうなると首尾よく事を成せても、召喚された者たちは異世界とやらにとり残されるのでは?」
「ご懸念はごもっともですが、こちらも……というか陰陽師や能力者たちも、異世界からの侵略を察知して以降、千年間座視していたわけではありません。繋がった世界の狭間を一時的に補強することは可能とのお墨付きを得ています。とはいえ最大でも一時間といったところですが」
つまり一時間以内にどれほどの戦力が揃っているかわからない敵地を落とせと。
『敵を知り己を知れば百戦危うからず』とは孫子の言葉だが、これには続きがある。
『敵を知らずして己を知れば、一勝一負す』つまり敵の力量が不明で味方の戦力がだけがわかっている場合は勝敗は五分五分。
『敵を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし』敵の事も味方の事もわからない状況であれば、戦えばまず負けるということだ。
現在の自分の状況は最後の『戦う毎に必ず殆うし』だろうな、侍や職業兵士、英雄志願の熱血漢か、世のため人の為に我が身を投げ出す篤志家でもなければ、こんな特攻隊も同然の話に乗ることはないだろう。
そう思いながら祖父と室谷氏のやり取りを傾聴していた自分だが、
「どうする和樹? お前の希望としては受けるか、受けないか」
予想に反して祖父はどちらでも構わない、自分個人の意向を尊重するような態度であった。
「……それはつまり、これまで学んできた武術や技術を隠すのではなく、公然と使っても構わないという意味ですか?」
「ああ構わん。先祖代々の技と言っても、もはや無用の長物。まして贔屓目ではなしにお前は不世出の天才。その才はこのまま腐らせるには惜しい。それに儂は正直お前がさらにどこまで伸びるのか見てみたい。だがこの日本でその技量をこれ以上延ばせる場所はない。ゆえに此度の話は天啓とすら思えるのだ。――だがしかしお前の人生だ、お前の納得できる道を選ぶがいい」
そうは言っても祖父の意向は『比良坂高校』とやらに進学して、来るべき異世界との戦に備えるべきと促しているように思える。
『お前は生まれる時代と場所を間違えた』
同時にかつて祖父の口から語られた言葉が脳裏によみがえった。
「……しかしながら、自分が何者になるかも知れず、身の振り方もわきまえられない未熟者に、この世界の命運がどうこうと言われても正直何ができるか疑問ですし、神ならぬ身にはできることも限られています。やはり無理というものでしょう。自分にできるのは自分の手の届く範囲――身内や知り合いの窮地に遭遇した場合に、可能な限り味方するのが限度と思いますが」
礼を失わない程度に言葉を選んで、素直な気持ちを伝えると目に見えて室谷氏の顔に落胆が広がった。
「念のために確認しますが、依織さんはその突入作戦に参加されるのですか?」
「あ……ああ、まあね。行き場を失くしていたオレを拾ってくれた恩や義理やしがらみもあって、抜けるわけにはいかねえな」
名前を呼ばれたのが意外だったのか、一拍置いてから肩をすくめて伝法にそう理由を口にする依織。
その返事を聞いて自分は迷うことなく大きく頷いた。
「わかりました。それでは自分も比良坂高校とやらに進学し、来るべき異世界召喚に備えましょう」
「ハァ!? い、いいのか? いま自分は関係ないみたいなことを言って断ったんじゃないのか?」
目を白黒させる依織の言葉に、自分は小首を傾げた。
「断った覚えはありませんが? ただ世界の命運を背負うなどと言う大それたことはできませんが、身内や知人が危機に面した場合には全力でお助けする……という所信を表明しただけです。そして依織さんは自分ごときを『好き』と言ってくださった『彼女』――であるならば、男子の沽券にかけてお守りするのは当然ではないですか」
真意や正体はどうあれ、好意に対しては真摯な好意で返すのが当然だろう。
「――っ……っっっ。ず、ずりーぞ、そんな真っ直ぐな目で、そんなこっぱずかしいこと言うなんて……うわ~、やべぇ。マジで惚れた……」
なぜか顔を押さえて突っ伏した姿勢で、依織は炬燵の中で足をバタバタさせる。
どうも理性的な行動がとれなくなっている依織から目を離し、自分は炬燵から出て改めて畳の上に正座をして、室谷氏に向かって深々と頭を下げた。
「それでは、ご迷惑をお掛けしますが……改めましてどうぞよろしくお願いいたします」
「――いや、こちらこそよろしく頼みます」
彼にとっても自分が出した結論は意外だったのか、どこかキツネにつままれたような表情でいたが、そこは海千山千の政府機関の人間の事。すぐに生真面目な表情になって、同じように炬燵から出て正座になって頭を返してくれた。
「ふむ……お嬢さん」
成り行きを黙ってい見ていた祖父が、いまだ身をくねらせている依織に声をかける。
「は、はい!」
慌てて顔を上げる依織。頬が赤い。
「『忍』とは『心』の上に『刃』を持ってこそ。心なき刃は凶器でしかない。そのため忍びの技とともに心を鍛えるべく和樹には修練を施したが、儂はいささかやり方を間違えた。この通り泰然自若といえば言葉はいいが、若人にあるべき上昇志向や積極性に欠けていることをかねがね懸念していた。現状維持は怠惰と表裏一体であるからな。だがしかし、お嬢さんのお陰でこの堅物にも色気がでてきたらしい。ぜひともこの調子で孫を引っ張りまわしてもらいたい。お願いできるかな?」
祖父の予想外の言葉に一瞬だけ瞬きを繰り返した依織だが、すぐにはにかんだ笑みをこぼし、
「はいっ!」
元気よく返事をすると、炬燵から滑るように出て自分の隣に身を寄せ、まるで蜘蛛が獲物を束縛するかのように、細い腕を絡めてきた。
「思いっきり甘々な生活を送るので、ご安心ください!」
そんな自分と依織とを、蜘蛛の巣に引っかかった蝶を見るような生暖かい目で、室谷氏が見詰めていた。
◆ ◆ ◆ ◆
八カ月後、私立比良坂高校1ーAの教室にて――。
「――来た」
誰かがそう呟いたのと同時に周囲の空気が代わり、同時に教室の天井と床に光る魔方陣が浮かんだ。
当然のように周囲が慌てふためき右往左往する中で、さて自分も演技とは言え騒ぐべきだろうかと、中腰で考えていたところへ、不意に伸びてきた細い指が自分の掌を握った。
「よけーな気を回すなって。こーいうのはお祭り好きの連中に任せておけ」
隣を見れば依織が出会った時のようにウインクしてくる。
「ああ、そうだな」
「そーいうこと。さあリミットは一時間。気合を入れて異世界召喚に臨もうぜっ」
愉し気に笑う依織に合わせて自分……いや、俺も笑いつつ、標準装備であるナックルガードとケプラー製の指ぬきグローブをはめ、制服の下に装備している暗器の数々を確認をして、ついでに祖父に手土産にもらった本当か嘘かは知らないが、『和泉守兼定』(大業物)の入った竹刀袋を手に取る。
やがて光は佳境を迎え――
「さあ、行こう」
眩く弾けたのだった。