第1話 ゆく夏のコンビニ
セミの鳴き声も徐々に少なくなり、夏の賑わいももうじき静けさを見せ始める頃だった。
街はずれの住宅街、時代を感じさせる古びたアパートの一室。
「ピピピ、ピピピ、ピピピ、ピッ」
むくりと気だるげに起き上がった男は、慣れた手つきでスマホのアラームを止める。
「んー、首痛ぇ」
「ん、あれ? もう昼か、何時間寝てたんだ俺」
スマホの時間表示はすでに正午を回っていたことを告げていた。
昨日は確か深夜までバイトに行っていて家に着いた後、そのままソファに倒れ込んだところまでしか記憶がない。随分と疲れていたのかそのまま寝てしまったようだ。にしてもおかげで久しぶりによく寝た気がする。頭はいつにもましてスッキリしていた。
たしか午後から講義が1コマ入っていたな。あと1回寝過ごしていたら間に合わなかったかもしれない。
「ぐぅ~~」
1Kの一室に豪快な腹の虫が鳴り響く。
そういえば、半日何も食べてない。買い置きしてた食料はほとんど使い切ったし、今更作る暇もないしな。しょうがない、コンビニでも行くか。
すっと立ち上がると、ささっと着替えをすます。
黒のワンポイントTシャツにグレーの長ズボンというこれと言って特徴のない地味な格好だ。正直ファッションには生まれてこの方、機能性以外に特にこだわりを持ったことはない。普通に着られればなんでもいいと思うタイプだ。
そのまま顔を洗いに洗面台へ向かう。鏡の前にはいつもと同じ首筋まで伸びた癖の付いたぼさぼさ髪に目つきの鋭い無愛想な顔があった。
自分の顔は別段不細工だと思わないが、人には好まれないタイプの人相だという自覚はある。昔から感情が表に出にくく、普段は基本無表情なことが多かった。我ながらかなり近寄りがたい雰囲気を醸し出しているように思う。この人相のせいで気が付いた時には人から避けられるようになっていたっけ。
そんな感慨にふけながら支度をすますと、財布とスマホをズボンのポケットに押し込み、リュックを肩にかけながらそそくさと玄関の扉を開けた。
***
自宅のアパートから10分ほど歩いたところに馴染みのコンビニがある。
「ピンポンピンポンピンポンピンポン~♪」
自動ドアをくぐると聞き慣れた入店音が店内に響き渡った。店内は冷房がかなり効いていた。外との温度差の変化にブルりと少し身を震わせる。夏も終わりに差し掛かってるこの時期、空調の効いたコンビニは少し肌寒く感じる。
店内を見渡すと自分のほかに4人の客がいるのに気が付いた。まず目に入ったのは、入店してすぐ右手の雑誌を立ち読みしているスーツ姿の男と、その奥のビール棚をのぞき込んでる作業着姿の男だ。
そして、入口から正面奥の弁当棚を目指し進むと、隣の総菜コーナーで物色しているリクルートスーツ姿の女がいた。随分と商品ラベルを凝視している様子だが、カロリー値を気にしているのだろうか。
そんなどうでもいいことを考えながら弁当棚を眺めていると、菓子コーナーにいた4人目の客であるチェック姿の男がレジに向かうのに気が付いた。ぱんぱんの買い物かごを2つも抱えている。パーティでもするのだろうか。
そんな物思いにふけっていると、直後、その男が少々不可解な行動をとったことに意識が向いた。
このコンビニには自分を含めた5人の客とは別に男女2人の店員がいた。チェック姿の男がレジに向かったとき、2人の店員は2つあるレジにそれぞれ待機しており、チェックの男は右手側の女店員のレジ付近にいたのだ。
普通なら近い女店員のレジに行くのが自然だろう。だが、チェックの男は女店員のレジをわざわざ横切り、距離の離れた左手側の男店員のレジに向かったのである。2人の店員はどちらも特に気にした様子はなかったが、俺にはチェックの男が明らかに女店員のレジを避けたように見えた。
俺は生まれながらのこの仏頂面のせいで、人からよく敬遠されることが多かった。そういった境遇もあってか、次第に人の顔色や態度を伺う癖がつくようになった。おかげで、人の感情や思考を読み取ることには比較的長けている自信がある。
なぜチェックの男が女店員を避けたのかについてはわからないが、それについてあえて考え込む理由もないのでそれ以上深く考えるのをやめた。
弁当選びは、結局長く悩んだ割に無難な幕ノ内弁当を選び、空いている女店員のレジに向かった。
「税込み430円になります」
「はい」
財布から出しておいた小銭をコイントレーに置く。
「お弁当の温めはいかがなさいますか?」
「あ、お願いします」
特に温める必要はなかったが、勢いに押されてなんとなく頼んでしてしまった。
必要もないのに相手のペースに流されて意図しない結果になるのはよくあることだ。我ながら自分の自己主張の無さに呆れる。
そんなこんなで弁当を温め終わるまで待っていると、自動ドアが開いて新たに客が入って来たのが見えた。
「はぁ~、涼しい~」
「ひまちゃん相変わらず元気ね、私ちょっと寒いくらいなんだけど」
「稽古帰りだからねー、あすか姉もすこしは運動した方がいいんじゃない?」
「耳が痛いわね、いっそ私も道場でお世話になろうかしら」
「ほんと!?、あすか姉なら大・大・大歓迎だよ!」
「ひま、あすかがどれだけ忙しいかわかってるだろ?」
「はいはーい、わかってますよー、でも冗談でもあすか姉がうちの道場来てくれたらお兄ちゃんもうれしいでしょ?」
「そ、それはそれ、これはこれだよ」
「はるくんは私が来るの嫌なの?」
「い、いや、そういうわけじゃないって、あすかもからかわないで」
「お兄ちゃんってば、相変わらずあすか姉に弱いんだから笑」
入ってきたのは、学生服姿の男女3人のグループだった。
第一声を放ったひまと呼ばれた少女は、着ているセーラー服から中学生ぐらいかと思われる。ほかの2人の男女はやや年上に見えるのと身に着けていたブレザーから察するにおそらく高校生ぐらいだろう。
それにしてもこの3人、揃いも揃ってまぶしいぐらいに容姿端麗な面立ちだ。俺とは完全に違う世界の住人達だというのが嫌でも理解できる。3人の内2人は女だったが、芸能人と言われても不思議の無いの美少女だ。男の方は雰囲気としては2人と比べるとあまりぱっとしない感じだが、十分整った容姿をしているのがわかる。
「ねえひまちゃん、さっきからどこ見てるの?」
「あすか姉、また大きくなったんじゃない?」
そう言いながら、少女はあすかと呼ばれる少女の胸をじっと凝視していた。
「え? そう? 確かに最近ちょっときつくなってきたがするけど」
「これ、絶対大きくなってるでしょ。私の方が成長期なのに、おかしくない!?」
その時、店内にいた男たちが僅かに視線を動かしたのを俺は見逃さなかった。かくいう俺もそのうちの一人だが。
うん、確かに高校生にしてはなかなか立派なものをお持ちのようだ。
「2人とも、人前でそういう話はやめたほうが……」
「お兄ちゃんも思うでしょ?」
「え、いや、どうかな、僕はちょっとわからない……かな?」
「でも、男性には大きいほうが好まれると聞いたけど、はるくんはどう?」
「あ、え、こんなところでそんなこと急に聞かれても……」
「え~、大きさがすべてじゃないもん!でしょー、はる兄?」
「ちょっ、2人ともちょっと声抑えて」
「「どっち」」
そんなこんなで困り顔の青年を前に、美少女2人の胸の大きさ論争は続いていく。
こういう時、男が美少女2人とつるんでいるのを見て、「リヤ充爆発しろ!」とか思うシチュエーションなのだろうが、生憎俺は彼をうらやましいとは思わない。むしろなかなか癖の強い女子2人に囲まれている彼がかわいそうだとすら思い始めている。
そもそも、最初の第一声やその後のやり取りなど、恥ずかしげもなく人前であんな会話ができる時点でまともな奴らじゃないのは明らかだ。見た目のせいで少々普通じゃないやり取りも絵になるからか、周りの男はほとんどが気にする様子もなくただ二人の美少女に見とれている。
美少女としてもてはやされるのが当たり前の中で生きてきたのだろう。見たところ本人たちに悪意はなさそうだが、自分たちの周りのことなど見えていないかのような立ち振る舞いだ。正直あまり関わり合いになりたくないタイプだ。
その点、少年の方はある程度まともに見えるところもある。まあ、あんな美女2人と一緒にいれば周囲の男からの風当たりも相当きついだろう。まともにならざる終えないのも当然かもな。
正直あの青年には同情せざる終えない。あんな地雷と一緒にいるなんて俺だったら羞恥以外の何物でもない。これから二もあの二人に苦労させられるだろうが彼には幸せになってもらいたいものだ。
まあ、そんなこんなで名も知らぬ青年の未来を人知れず憂いながら、いつの間にか温め終わったらしい弁当を受け取った。そして、未だにやり取りを続けている3人とまだ会計をしていたチェックの男を横目に、コンビニを後にしようと出口へ向う。
だが、結論から言うと俺がコンビニを出ることは叶わなかった。
弁当を受け取り自動ドアの前にたったは良いが扉がなぜか開かなかったのだ。
そして、直後自分の体がほのかに白く光りだしたことに気が付いた。
(うお? なんだこれ! 眩しっ!?)
生まれて初めて経験する理解不可能な眼前の超常現象に俺はひどく動揺した。何が起きているのか理解が追い付かず、ただただ呆然とするしかなかった。
「きゃあ!」
「なんだこれ!?」
「お、おい!どうなってる!」
「か、体が!」
「何なのよこれ!」
俺が自分の体の発光に呆然としていると、店内からも悲鳴や困惑の声が聞こえた。どうやら、俺と同じようにさっきまでコンビニ内にいた全員の体が発光しているようだ。
その時だった、
「うわあ!手がああ!」
「おい、き、消えてる!?」
「やだやだやだやだ!何これ!」
なんと発光した体が消失を始めたのだ。もちろん俺にも同じことが起きた。手足の先端から体が少しずつ粒子状に分解し消え始めていた。痛みは特に感じなかったが、明らかな尋常ならざる事態に今まで以上の恐怖が全身を覆った。
「は、はは、なんだ、よこれ……」
体の消失は徐々に速度を速めていった。
やがて、手足を完全に消失した俺は、そのまま仰向けになりながらただただ呆然とした。
視線を送ることはできないがほかの人も同じような状況なのだろう。周りからはかすかにすすり泣く声や何かをぶつぶつとつぶやく声が聞こえていた。
そうして、ついに残された頭部が消失をはじめ俺は静かに瞳を閉じる。
ふと、何処かで聞いた、死ぬ間際は走馬灯のように今までの記憶がフラッシュバックするという話を思い出すが、何にも見えない、そして何も感じない。
(なんだよ、俺、死ぬのか……?)
数秒後、そこには空調音がうるさく響く無人のコンビニだけが残されていた。