49. 夫婦となった日
クニューベル帝国は、帝国の英雄である将軍アルフレートの婚姻数日前からお祭り騒ぎとなっていて、首都をはじめ各地が普段より大いに人手が増えて賑わっている。
服属国の国王など多くの賓客達も次々と城を訪れる中、アルント王国の国王であるお父様と赤の王妃も到着した。皇帝陛下とは面会なさったけれど、私とはまだ会っていない。ドロテアの事もあって、まだ二人に会うのが少し恐ろしかった。
お二人は私の事を恨んでいるかしら。ドロテアを死なせてしまったのは、私だもの。
明日に婚姻の儀を控え、なかなか寝付けないでいた私の頬を優しい風が撫でた。寝室の窓は閉まっているのにと、不思議に思って目を開ける。するとそこには長い銀髪を窓から射し込む月光に照らされたガーランが、悠然と微笑みながら立っていて。
「やぁ、僕の愛しいエリザベート。明日はとうとう婚姻の儀だね。可愛い孫娘をアルフレートに取られちゃうのが寂しくて、会いに来てしまったよ」
「またそんな事を。でも、眠れなかったからちょうど良かった」
私は寝台から起き上がり、ガウンを羽織ってガーランと共に窓辺の椅子に腰掛けた。白くて美しい満月が冷たい色の光をシンシンと浴びせてくる。
「私やガーラン、お母様の髪色はまるで月光のようね。だからかしら? 月光は気持ちを落ち着かせるの」
「……エリザベートは、父親を許す事が出来る? あの馬鹿な国王はコルネリアを殺された事にも気付かないまま、よりにもよってコルネリアを手に掛けた女を王妃に据えた。そしてエリザベートを虐げて、八つ当たりをしただろう?」
ガーランこそ、娘を殺されたのに赤の王妃の事は憎くないのかしら? 妖精王の力があれば、たかが人間などすぐにどうにでも出来るでしょうに。
「お母様は、確かにお父様をとても愛していたの。そしてお父様も……。そう考えたら、お父様だって可哀想な人なのよ」
「だから許すと? 甘いね、エリザベートは」
「甘くなんか無いわ。私はガーランが血の繋がったお祖父様なのだと分かって嬉しいし、それだけで満足なの」
「君は優しいよ、エリザベート。優しすぎる。明日はきっと、幸せな花嫁になるんだよ」
ガーランにぎゅっと抱擁され、額にふわりと口づけを落とされると急に睡魔が襲ってくる。あんなに眠れないと思っていたのに、ガーランが何かおまじないを掛けてくれたのかも知れない。
「ありがとう……ガーラン……」
「おやすみ、エリザベート。あとは僕に任せて」
遠くで聞こえたガーランの声、そして優しく寝台に運ばれて頬を撫でられる。
ねぇ、任せてってなぁに? ガーラン、私は本当にいいのよ。身近な人達が幸せならそれでいいの。
そっと額に掛かった髪をよけられて、また口づけのような柔らかな感触を感じると、強制的にプツリと意識が途絶えてしまった。
「おはようございます! エリザベート様! 今日は早くからお支度をしませんと、間に合いませんよ」
「ん……レンカ? ごめんなさい、寝過ごしたの?」
「昨夜は興奮で眠れなかったのでしょう? ですから私が起こしに参りました。さぁさぁ、お支度をしましょうね」
普段のドレスと違い、婚礼用の衣装は豪華で支度にも時間が掛かった。それでもレンカは他に侍女を呼ばずに一人で着付けてくれる。その為に早く起こしに来てくれたのだろう。たった二人だけの時間は何故かとても胸が締め付けられるようで、涙が零れ落ちそうになる。
レンカだって涙目だわ。今までの事を思い出して今日の幸せを噛み締めているのは同じなのね。
「さぁ、出来上がりましたよ。エリザベート様はこの世で一番美しい花嫁になられました。お幸せに」
「ありがとう、レンカ」
自分が身近な人だけでなく、こんな風に多くの国民から祝福されながら婚姻を結ぶ事になるなんて、少し前なら想像も出来なかった。
大聖堂での婚姻の儀はお父様達も含めた多くの賓客もいる中、粛々と進められ無事私とアルフ様は夫婦になった。緊張と恐れから、お父様達の方は見れなかったけれど、誓いの口づけの後に多くの拍手が聞こえた事で勇気を貰った気がする。
その後首都をぐるりと周るパレードで、私とアルフ様を乗せた馬車は帝国の国民たちの歓声を一身に浴びながら進む。馬車から手を振りつつこちらへ向けられた数々の顔を見ていると、軍人としてのアルフ様がいかに英雄としてこの国の民達を守ってきたのか、それに民達がどれほど大いに感謝している事が伝わってきた。
「皆、アルフ様の事を尊敬なさっているのですね。子どもも大人も、真っ直ぐアルフ様に煌めく視線を向けていますもの」
「私などより、民は美しい奥方が気になるんだろう。今日は普段よりなお一層煌びやかに着飾っているからな。本音を言えば、誰にも見せずに閉じ込めておきたい程だが」
アルフ様の漆黒の髪は撫で付けられていつもと違った雰囲気になっている。黒曜石の切長の瞳は真っ直ぐに私の方を見つめていて、その奥に熱が篭っているのを感じてドキリとする。
「蜜月の間は……必然的にそうなりますわ」
このクニューベル帝国では、新婚夫婦は夫が許すまで妻は寝室から出る事なく過ごすのだというのだから。長ければそれだけ愛されている証拠なのだと本で読んだ時には、レンカと二人で倒れそうになった。
「そうだな、陛下も流石に蜜月の間は私を呼びつけるなど無粋な事もなさらないだろうし。永遠に閉じ込めておければいいのに。それほど、私のエリザベートへの愛は深いと知っておいてくれ」
「……はい」
アルフ様の声がいつもより艶っぽい気がして、私の胸が早々に落ち着きを取り戻すのは難しい。近頃は私が恥ずかしがるのを楽しんでいるきらいさえあるのだから。耳まで熱い恥じらいを隠すように、沿道から祝福を送ってくれる民達に手を振って応える事に集中した。