48. レンカ、頑張る
お気に入りの場所となった庭園の奥にあるガゼボに、アルフ様とレネ様が訪ねていらっしゃった。レンカはやはりレネ様を見ると嬉しそうで、私はそんなレンカをとても眩しく思える。
今後もレンカには私の事ばかりで心を砕くのでは無く、自分の時間も大切にして欲しいわ。
「公務がひと段落したんだ。この時間ならばエリザベートはここだと思って来てみた」
「アルフレートがすぐ殿下に会いたがって仕事にならないんだけど。どうにかしてよね」
二人は口々にそう言うと、それぞれ椅子に腰掛ける。アルフ様は普段と同じ凛々しくて素敵な軍服姿で。レネ様の方も、やはりどこからどう見ても女性軍人のように飾られた胸元と袖口にフリルの付いた軍服がよく似合っていた。
こんなに可憐で美しいレネ様が殿方だったなんて、まだ信じられないわ。失礼だとは思いながらまじまじとレネ様を見つめていると、アルフ様の視線が険しくなるのを感じ、慌てて笑顔で声を掛ける。
「お疲れ様でございます。実はアルフ様、私つい先程まですっかり騙されていたのです」
「何? エリザベートが? 誰に騙されたんだ?」
一気に周囲の空気が冷たくなるほどピリッとした気配を纏うアルフ様に、何だか嬉しくなってしまった私はふふっと笑いを漏らしながら答える。
「私、レネ様の事を侯爵令嬢で女性軍人なのだとずっと思い込んでいたのです。それでアルフ様との仲を疑ったりなどして……。だってレネ様も、わざとそのように勘違いさせるような物言いをするんですよ」
「まさか! レネを……女だと? いや、しかしそれなら……。どちらにしてもすまなかった。きちんと紹介出来ていなかった私のせいでもある。心苦しい思いをさせてしまったな」
「ええ、こんなに可愛らしいお方がずっとお側にいるんですもの。心配しない訳がありませんわ」
近頃アルフ様の困った顔を見ると、ついつい意地悪したくなってしまう。当初は表情が乏しかったのに、今ではこんなにも分かりやすく変化する事が嬉しくて。
「えー、でも僕は今まで一言だって自分の事を侯爵令嬢だとも女性軍人だとも言ってないけど」
「そうなんです。本当に、騙されましたわ。私の事をヤキモキさせるのが目的だったのでしょう?」
「まぁね、僕の幼い頃からの親友で優しいお兄ちゃん代わりのアルフレートを取られて寂しくて。それに、アルフレートには幸せになってもらいたかったからね。不幸せな婚姻は結んで欲しくなかったんだ」
レネ様はアルフ様より幾つか年下だと伺ったけれど、アルフ様もレネ様の事を弟のように可愛がっていたのね。初めて二人をあの廊下で見かけた時の気を許した雰囲気も、そういう事なら納得できる。
それなのに、私ったら激しく嫉妬なんかして恥ずかしいわ。
「いつまで経ってもレネは甘えん坊で困るな。それにしても、エリザベートとそのようないざこざがあった事など、私だけが知らなかったということか」
「ですが、お陰で私もアルフ様へのお気持ちを自覚する事が出来ましたし! 何よりレネ様は可愛らしくてくるくると表情が変わって愛らしく、私本当に大好きなんです!」
少し寂しそうなお顔をしたアルフ様を元気づけようと放った一言が、何故か一瞬場を凍らせたような沈黙に包まれると、レネ様がガタンッと音を立てて立ち上がり後退りする。
「やめてやめてやめて! 殿下がそういう事言うと私の身の危険感じるから! ほらほら、アルフレートが嫉妬してこっちに向かって殺気放ってきてるから!」
「別に私は殺気など放っていない」
「いやいやいや! めちゃくちゃ嘘吐いてるんだけど」
やはりお二人はとても仲がよろしいのだわ。アルフ様がこのように自然体でいられるんですもの。本当はレネ様が少し羨ましい。軍のお務めに関して、アルフ様はレネ様に絶対的な信頼を置いているようだもの。私もアルフ様に頼られるようになりたいわ。
「アルフ様、私もレネ様に負けぬよう、アルフ様に頼りにされるように頑張りますね」
そう宣言すると、アルフ様とレネ様はピタリと時を止めたように動かなくなって、レンカの方へと目を向ければ楽しそうにクスクスと笑いを零している。
おかしな事を言ったつもりはないけれど。どうしたのかしら?
「エリザベートはもう十分私の為に役立ってくれている。そうして可愛らしい事を言ってくれる事も、私にとったらこの上ない癒しだ。それにレネに嫉妬しているところもいじらしく愛らしいと思う」
「本当ですか? お役に立てているのならば良かったです」
あんまり褒めてくださるものだから頬が熱くなってしまったけれど、アルフ様がありのままの気持ちを素直に伝えてくれた事が嬉しくて、思わず笑みが零れるのを堪えきれなかった。
「アルフレート、そろそろ公務に戻ろうよ。もう砂糖を吐きそうだ。婚姻の儀までに終わらせる仕事が山積みなんだし、早く済ませちゃおう」
「それもそうだな。エリザベート、婚姻の儀が楽しみだ。ではまた」
そう言って立ち上がり、私の頬に手を添えそっと触れるアルフ様の表情は、本当に優しくて甘くて、私の胸はキュッと締め付けられてしまう。頬に添えられた大きな手に自分の手を合わせ、その温もりを確かめた。
「ほらほら、行くよー」
「本当に無粋な奴だな、すぐ行く」
軽く頬に落とされた口づけは、私にとってもう何度目か分からないのにまだ慣れない。去って行く後ろ姿を見つめながら、意図せずホウッとため息が漏れる。
手は固くしっかりとしているのに、アルフ様の唇はとても柔らかいのよね。不思議だわ。
「それにしても……本当にもうすぐ婚姻の儀なのね。もっと先だと思っていたのに」
私と共にアルフ様とレネ様の後ろ姿を見送っていたレンカにそう話し掛けると、新緑のように爽やかな色味の瞳を細める。庭園に数多くある緑よりも、私はレンカのこの瞳が美しいと思う。
「そうですね。婚姻の儀に関しては心配いりませんよ、全ての準備は万端です。むしろ大変なのはその後の事かと……」
「初夜……よね」
「さて、今日はそれについて学んでみましょうか。私も早くレネ様とそのようになれるよう頑張らないと、エリザベート様と閣下のお子様の乳母になれませんからね!」
そのあと、レンカと共に閨について学んだ私は、しばらくの間アルフ様のお顔をまともに見る事が出来そうになかった。何故なら大事をとって同時に取り寄せたアルント王国の閨作法の本よりも、クニューベル帝国のそれはとても情熱的だったから。
「エリザベート様、頑張りましょうね! 私も、俄然やる気が出てきました! きっとレネ様に私を好きだと言わせてみせます!」
そのように言っていたレンカは、なんと本当に宣言からひと月後にはレネ様と電撃的に婚約してしまう。
報告を聞いた時にはまた倒れそうなほど驚いて、アルフ様に支えていただかなければきっと持たなかった。照れ隠しなのかレンカとレネ様の二人は相変わらず言葉の応酬が激しかったけれど、それも見ていてとても幸せそうで。私は仲の良さそうな二人へ、心からのお祝いを述べた。
「別に、陛下が『妖精の奥方なんて凄いじゃないか』って言うから婚約しただけで、私がレンカの押しに屈したわけじゃないから!」
「あらあら! そんな事をおっしゃいますが、頬を赤らめて『レンカ、可愛い』と何度も照れながら伝えてくださったのは幻覚幻聴だったのでしょうか」
「うわぁぁぁぁぁ! やめて! 私のキャラを壊さないで!」
レンカとの婚約が決まっても、レネ様は女性らしい軍服を変えるつもりはないらしい。レネ様曰く「私みたいに美しい軍人に、無粋な軍服は似合わない」との事。レンカから聞くところによると、二人きりの時は殿方らしく凛々しい一面も見せてくださるのだとか。
「エリザベート様、私必ずやお二人のお子が産まれましたら乳母になって見せますので」
「もう……まだそのような段階では無いわよ」
「いいえ! レネ様にもそこのところはしっかりとお願いしていますから!」
アルフ様もレネ様もお顔を真っ赤にして視線を下げている。それでもチラリとレネ様がレンカを見つめる視線は、明らかに以前の違ってとても穏やかで優しいもので。
「ねぇ、レネ様! きちんとそのあたりを考慮して頑張りましょうねっ!」
「もう、レンカ! 頼むからあまり大っぴらにしないで。ぜ、善処するから……っ!」
耳まで赤くして恥ずかしそうなレネ様の表情は新鮮で、その腕をガッチリ掴んだレンカも幸せそうに笑っている。
私達の婚姻の儀が終わり次第、二人もすぐに控えめな形の婚姻を結ぶ予定らしい。大袈裟にしないのは、令嬢でもなんでもない庶民のレンカが、侯爵家の次男に嫁ぐのを口さがなく言う人がいるからなのだとか。
きっとレンカは強い子だから大丈夫だろうけど、レネ様が守ってくださるならより安心だわ。