2. 嘆きの侍女レンカ
普段別棟で食べる物よりも格段に豪華な晩餐だって、一緒に食べる相手によってこんなにも味気ない物になるものだと知った。
もしかしたら人形姫は喋れないからと侮る王妃側の使用人達が、私の食事だけ味をつけていないのかも知れないけれど。王妃やドロテア、ヘルタの機嫌が悪ければ腐った物が出された事もあるから、それに比べれば味が無いくらいはマシだと思わないといけない。
「お父様、アルフレート様の為に新しいドレスと宝飾品を仕立てても良いかしら?」
「あっ! ずるい! ドロテアお姉様。私だって新しい物が欲しいわ」
姉妹のおねだりは、すぐに母親である王妃によって許可される。お父様はとにかくアルフレート将軍との縁さえ出来れば良いと思っているから、効果的だと思う事は反対しない。ただ黙って晩餐を楽しんでいるようだった。
年頃の王女の欲しい物といえば、ドレスや宝飾品。けれど、私はもし何か貰えるのであれば……他人から疎まれる事のない声が欲しい。
「エリザベート、分かっているとは思うけれど貴女には新しいドレスなど与えませんからね。以前仕立てた物があるでしょう。貴女は舞踏会にもほとんど参加しないのだから、それを着たら良いわ」
王妃の冷たい視線は、遠く離れた私の席までヒヤリとした冷気を送るようで。王妃と妹姫達の赤い唇が、皆一様に片側だけ弧を描く。お父様はこちらを見ようともしない。
「分かった? 分かったのなら返事をなさい!」
私は何度も大きく頷いて見せた。すると、壁際に控えた使用人達の一部が嘲笑を浮かべて眉を上げたのが分かる。ここに第一王女である私の居場所など無い。早くこんな時間を終わらせて、慣れ親しんだ別棟に帰りたかった。
「エリザベート様! おかえりなさいませ。あちらでの晩餐は大丈夫でしたか? また腐った物を食べさせられたり、石ころが入っていたりしませんでした?」
ゼラニウムの清々しい香りが漂う別棟の敷地へ帰るなり、侍女のレンカが私の帰りを待ち侘びていたように廊下へと飛び出してきた。鼻と頬に可愛らしいそばかすの散った、私よりも二つ年下の侍女は新緑のように優しい緑の瞳に涙を浮かべて心配そうに尋ねてくる。
「それは無かったわ。でも、全く味がしなかったわね。素材の味だと言えば聞こえはいいけれど」
「ひどい。エリザベート様は第一王女であらせられるというのに。どうしてこんな……」
レンカの柔らかな茶色い髪を撫でながら私室へと向かう。先程廊下を走ったせいで、レンカのふわりと肩まで伸びた髪は乱れている。自分がされた仕打ちよりも、この心優しい侍女の心を痛める事になってしまった事が悲しかった。
「レンカ、私はここで静かに生きていられるだけでいいの。本当ならお父様が私の存在なんて忘れてしまって、このままここで静かに年をとっていけたらと思うのだけれどね」
「そんな事……っ! ああ、おいたわしい!」
泣き虫で、けれど主思いのレンカは私に与えられたたった一人の侍女。私はこの国のれっきとした第一王女でありながら、普段はまるで居ない人間のように扱われている。国王主催の舞踏会にだって呼ばれる事はほとんど無く、この城に仕える多くの人間にとって忌み嫌われているこの場所『ゼラニウムの別棟』で静かに過ごす事を命じられている。
「さぁ、今日はもう疲れたから軽く湯浴みをして休むわ。貴女も早めに休みなさい」
「はい。それでは着替えをお持ちします」
王女は勿論貴族の令嬢だって、自分一人で湯浴みをする事などないという。けれど私は昔からずっと自分で湯浴みをしてきた。幼い頃は乳母が入れてくれていたけれど、その乳母が亡くなってからというもの、私は身の回りの事を全て自分でしなければならなくなった。
「今日は凝ったドレスだから、脱ぐのを手伝ってもらって悪いわね」
「そんな事おっしゃらないでください。本来であればエリザベート様のような高貴なお方は何もしなくても良いのですから」
「でも、自分でするのが当たり前になってしまったら別に苦でも何でも無いわ」
「あぁ、そんな……。こんなに身も心も美しい姫様に、陛下は何故こんな仕打ちが出来るのでしょう」
「レンカ、不敬よ」
レンカ以外の誰もこの別棟には居ないけれど、いつポロっと本音が溢れてしまうか分からないから。私はレンカにわざと怒った顔をして嗜めた。するとレンカも諦めたように肩をすくめて頭を下げる。
「では、ごゆっくりなさいませ」
「ありがとう。いつもの通り、先に休んでてね」
主より先に眠る事など出来ませんと、ここに来てすぐの頃にレンカは驚いていた。今までの侍女達は当たり前のようにそうしていたから、私の方が驚いたのだけれど。
「おやすみなさいませ、エリザベート様」
レンカはそう返事をするけれど、私の部屋の灯りが消えるまで見守ってくれている事を知っている。前の侍女が居なくなって、レンカのように優しい侍女が来たのは味方が少ない私にとっては幸運だった。
私が人形姫と呼ばれ、人前で口を聞く事を禁じられているのには理由がある。私の嗄れた声は呪いの声だったから。
――エリザベート王女の声は呪いの声。『白の王妃』が亡くなったのも、呪いの声を持つ王女を産んだから。あの嗄れた声を聞いたら最後、死んでしまう。