18. ヴァイスを見られて
ここでも旅芸人のグラフ一座の舞台は人気を博した。瞬く間に噂が噂を呼び、そして演目の最後に現れる謎多き銀髪歌姫ミーナは、その歌声を聞くだけで元気になれるとクニューベル帝国内で評判らしい。
「今では平民だけでなく、貴族達までもがこぞって歌姫ミーナと会わせてくれとワルターの所へ来るそうですよ。中には妾として囲いたいと言う不届き者もいるとか」
そう言いながら、レンカはお茶を淹れつつ唇を尖らせた。
開け放たれたバルコニーの窓から、遠くにある薔薇の香りがふんわりと漂ってくるのは風の悪戯なのか。私は匂い立つ薔薇がすぐそばにあるような気持ちになりながら、やっと慣れてきたこの客室で午後の時間を過ごしていた。
「謎が多いミーナのせいで、ここに来てワルターも大変な思いをしているわね。でも、お陰でソフィーが元気そうで私安心したの。この帝国には腕の良い薬師も多いから、ソフィーも身体の具合が随分と良くなったのですって」
「ソフィーさんも、エリザベート様にお会いできて嬉しかったと泣いていましたよ。グラフ一座の皆さんも、アルント王国で居た時よりこちらで居る方が随分と生活環境が良いようです」
「確かにこの帝国は強大で、とても豊かですものね。それに民衆を見ていたら日々満ち足りた生活を送っているのが伝わってくるわ。きっと皇帝陛下が民の事を思って政を行っているからよ」
アルント王国はどうだっただろうか。ある時から金鉱脈や銀鉱脈が次々と発見され、突然豊かになった国。天候にも恵まれ、大地は肥えて作物も豊かに実った。けれど貴族達はその分民に重い税を課し、国王であるお父様もそれを良しとしていた。だから貧富の差が生まれ、一部の者だけが豊かな生活を送る国になってしまった。
「私も民の上で生活をさせていただいていたのだから、こんな風に嘆く資格は無いわね。ミーナとして城下町に下りる事が無ければ、そんな事も知らずに生きていたでしょう」
旅芸人の仲間達から聞く話は、私の心を強く揺さぶった。自分の知らない民の暮らしを知ったのはその頃だった。アルント王国は豊かだと思っていたけれど、それは上部だけで。貴族や王族だけが民を犠牲にして裕福な生活を送っていた事を知った。あの別棟に閉じ込められて、学ぶ場を与えられなかったという事は言い訳に出来ない。
「私だけがこの帝国で、何事も無かったかのように暮らしてもいいのかしら? 勿論アルント王国の事について、私が出来る事など無いのだと分かってはいるけれど。胸が痛いわ」
「そうですねぇ……。なかなか難しいですね」
いつもなら笑顔を絶やさないレンカも、流石にこの時ばかりは暗い面持ちで考え込んでしまった。
ちょうどその時、アルフ様が私の居室を訪れる。近頃は公務の合間に私を散歩に誘ってくださったり、二人で城の図書室へ行ったりして過ごす事が増えたのだった。
「エリザベート王女殿下、今日は庭園へ花を見に行きませんか? 見事な睡蓮が咲いている場所があるのですが」
「嬉しいです。睡蓮が咲いていると……衛兵からお聞きして……けれど……場所がよく……分からなかったのです」
婚姻の儀までもう少し。アルフ様はそれまでに私をこの帝国とご自身に何とか馴染んでもらいたいと思ってか、色々と気遣ってくださる。
「それは良かった。では、参りましょう」
「はい……」
レンカからは、アルフ様と二人きりの時には地声でも良いのではないかと言われた。寧ろここはもうアルント王国では無いし、私の声を呪われた声だと言う者は居ないだろうからと。でも、私はどうしてかアルフ様に自分の掠れた声を聞かれて幻滅されるのが怖かった。だから未だに裏声で、無理をしているからたどたどしい話し方になっている。
「殿下、不便はありませんか? この国に来て二週間が経ちましたが、貴女はあのレンカという侍女しか近くに置いていない。手が足りないのでは無いですか?」
「いいえ……。私は……なるべく……レンカとだけ……過ごす方が……落ち着くのです」
まさか地声で話すのを聞かれたく無いからだとは言えず、嘘を吐く事に胸が苦しくなったが、私にはそう告げる事しか出来ない。
「そうですか……それならば良いのです。……実は時々、殿下の部屋のバルコニーに白くて大きな鳥が舞い降りているのを見掛けるのですが、あれはどなたかに書簡を届けているのですか?」
思わず身体をビクリとさせ、ハッと息を呑んだ。まさかヴァイスをアルフ様に見られていたなんて。