絡まれフェネックは溶かす 1 side G
「お、丁度いいな……ほらレイシュ、見てみろ。こっちだ」
山の一番の難所を過ぎ、あとは下り坂のみ、という箇所に差し掛かったころ、程よい木々の切れ間があった。
そこからふと下を見て視界に入った光景に、グレンは独眼を細めて黒馬を止める。
「ん? どーしたのグレン」
身長の高さから視界違うレイシュはその光景に気が付いていないようだったので、脇の下に手を入れて持上げ、鞍の上に立たせてやった。
「そこのな、枝の切れ目から下を見てみろ」
「ふぇ? ……は、はわぁー! なぁにこれぇ! す……っごいねぇ! お水が……あおでっ、あおいんだけど……っあおがいっぱいあるよ! お水のなかに葉っぱもあるよ?! すっごいねぇ! きれいだねぇ!」
スザナ湖の、中の倒木や岩の陰影まではっきりと見える程に澄み渡った水面は、周りを囲む木々や水中の水草の緑までも取り込んで、様々な青を作り出している。
あまりに透明で水中が良く見える所為で、かなり深い場所もそうと思わずに船から降りてしまった者が、過去少なくない数で溺れてしまったという逸話もあるが、幻想的な湖に大層感動しているレイシュに、それは教える必要はないだろう。
興奮するレイシュに釣られたのか、グラニも首を伸ばして景色を眺めている。
ケートスは気にもせず、背負い紐の中で惰眠を貪っているが。
「この風景が、スーサの町が貴族に愛される所以だ。なまじ湖の近くで見るよりも、こうして上から全体が見えた方が良かったのかもな」
「うん! すっごくきれい! ありがと、おしえてくれて!」
満面の笑顔と美しい背景を相変わらずしゃしんに収めていた黒チビが、ふと動きを止めて下降してくる。
≪接近者発見。推定13~15歳、剣と弓を保持。獣人の特徴あり。こちらには気付いていません≫
言うだけ言って、さっさとレイシュのマジックバッグに入り込む。慣れたものだ。
「剣と弓? 狩人か……斥侯か? レイシュ、一応マントを被っておいてくれ」
「うん、わかったぁ」
返事をするなり、レイシュは後ろに避けていたマントのフードを深くかぶる。
山中に同化出来るような深緑の腰下まであるマントは、ドゥーベの街にいる時に、ヒューゴがガンガン買い増やした私物の内の一つだ。
裾と布地の表面に黒いレースでふちどりや模様があり、赤髪緑眼だった頃のレイシュに合わせたと一目でわかるものだが、黒髪でもこれはこれで似合っているなと思う。
今更になってだが、ガナオ村でなるべく目立たないで欲しいという自らの要望により、ここにきてようやく顔を隠すという発想に至ったグレンだった。
もともと姿変えの魔道具を持っていた事で、フード付きマントの存在を忘れていたのだが、目立つ連れが増えた事により、レイシュの顔だけでも隠しておいた方が良いだろうと結論を下したのだ。
これからはフードが必須になるだろうから、見かけたら各色買い込んでおかないと、ともその時に決めた。
「獣人より先に避けてもおかしいから、このまま行くぞ」
「うん……グレン、だいじょぶ……?」
「問題ない」
心配そうに見上げてくるレイシュの頭を、フードの上から優しく撫でる。
先日の昔話でも思い出したのだろう。
この先の村で、レイシュが心構えなく嫌な思いをしたらまずかろうと話したことだったが、思いの外、子供の柔らかな心に影響を残しているらしい。
グレンは別に、過去の出来事に後悔などはしていなかった。己の未熟さを憎く思った事はあれど。
だから別に、獣人に対して引け目も無いのだ。
ただ、あの一騎打ちの時に果たしてやれなかった約束を、形を変えて贖っているだけで。
「とまれッ! 誰だ! なぜここを通る!」
声変わりを終えたばかりの掠れた大声が張られる。
肉眼では見えないが、気配からいって矢を向けられているのだろう。
「ゴールドランクのグレンダルク・ハワードだ。トレスタを通りたくなかったから、こちらから来ている。長はご存じだ。敵意は無いから武器を下ろして通してくれ」
レイシュに小声で指示し、首元からタグを取り出させて宙に掲げてもらう。
やがて、パキパキと枝を踏む音と共に、弓を構えたままの一人の青年が現れた。とても13や15歳には見えない。
獣人は成長が早い。この年の頃は、あまり見かけで歳の判断が人間にはつけられないのだ。
黒チビはそのあたりをいつ学んでいるのか、本当に謎である。
「……その名前は、じっちゃんから聞いている。通して良いとも。……武器だけよこせ」
「構わないが……持てるのか?」
グレンは逆らうことなく、背にはいた大剣を鞘ごと外して突き出した。
青年の身の丈程はある大きさに、少しばかりたじろいだ様子だったが、腹の前でタグを持ったままちんまりと収まっているレイシュに目を向けて、改めてあごをしゃくった。
「その子供を寄越して先に行け。敵意が無いなら出来るだろ」
「……それは、」
「村に行くまでだ。お前達人間みたく、攫って殺そうとは思っちゃいない」
「…グレン、ぼく、いいよ。だいじょぶだよ」
「レイシュ」
物騒なやり取りを黙って聞いていたレイシュが口を挟む。
グレンが気にしたのはどちらかと言えば、今にも足を振り上げて青年を踏み付けそうな黒馬や、既に水魔法を発動しかけているグラニ、いつの間にか目覚めて前ヒレを打ち鳴らし、殴る気満々のケートスの方なのだが。
護符が発動していない現在、レイシュの心配はさほどしていなかった。
どうせ、レイシュを間近に見ればその可愛さで何もできないに決まっているからだ。
「ん。どーぞ」
「……は?」
馬上から短い両手を突き出して待っているレイシュに、青年が眉を上げる。
「はい。もーいーよ?」
「……?」
動かない青年に、レイシュが首をかしげて催促する。可愛い。
「あー……。レイシュは、一人では降りれないんだ」
「……」




