草臥れフェネックは憩う 3 side G
途中で商隊や野菜を積んだ荷馬車とすれ違いながら、予定通り1週間でハムッサの町が見えてきた。
盗賊とも、魔物とも行きかう事の無い道中は平和な物だった。
野営の最初の頃、レイシュの魔道具に神サマからの連絡が入り、ここ数日の出来事を報告した時の方が余程恐ろしかったほどだ。
小さな魔道具に映し出された男の、役立たずめが、と如実に語る憎悪渦巻く視線に晒され、生きた心地がしなかったグレンである。
ちなみに、レイシュがベネディクトの血にまみれていた際、部屋で倒れていた男達は、神サマの呪いとやらを受けたらしい。聞くだに恐ろしい代物である。
なんでも発動するための要件があったらしく、それが起こった際にはどんなに遠く離れていても、発動した事実が神サマにも伝わるのだとか。
レイシュに危機をもたらす相手など、死んで構わん、と言い切った声が本気過ぎた。
それ以外は実に平和で、レイシュを腹の前に抱えて乗せていた所為か、通り過ぎる爺婆達が、荷馬車に積んでいた野菜やら何やらをしきりに渡してくることに辟易したくらいである。
「ふわぁ……あっち、ずっと向こうまであおいね!」
「ああ。あれが海ってんだよ。塩っ辛くてやたらとデカい水たまりだ」
「うみー!」
ドゥーベの街道から来ると、町の入口まではなだらかな坂になっているため、見晴らしが良い。
晴れていれば、湾の先にある島まで見えるらしい。
「着いたらまずは宿を探す。今は馬がいるからな、馬止めのある所を選ばねぇと」
「クマちゃんもいっしょにお泊り!」
「ヒヒンッブルルルッ!」
「そうだねぇ。ぼくも、楽しみ!」
旅の途中でも思った事だが、レイシュはどうやら動物との意思疎通が出来ているらしい。
元々が獣型だからなのか神の眷属だからなのかはわからないが、馬の方でもよくよくレイシュを構っている姿を見かける。
ちなみに、馬にはいつのまにかけったいな名前が付いていた。レイシュ曰く、くろいおうまさん、の略だそうだ。
馬に熊とはどうなんだ? と思いはしたが、当の本馬が了解しているらしいので、余計な口は出すまい。
「宿を取ったら、食事がてらギルドに向かう。離れるなよ」
「うん、わかったぁ」
コクンと素直に頷く子供に、自分で言っておいて若干の不安が付きまとう。
基本、いつもレイシュの返事は良い。そして言われた事をちゃんと守ろうともしている。
けれど、ファッジの街でアーレン達にバレた時も、ドゥーベで留守番していた時も、思いもつかぬ外的要因によって面倒を引き起こしているから、どうにも信用ならない面があるのだ。
とはいえここは小さな港町だから、そうそうおかしなことも起こらないだろう。
「ここの魚は美味いぞ。取れたてだからな、どこの飯屋に入っても外れがねぇ。楽しみにしとけ」
「やったぁ! たのしみ!」
僅かに浮かんだ懸念を、考え過ぎだと頭から追い出して、グレンは残りあと僅かの石畳を青毛に駆けさせたのだった。
◇
「むふぅー。おいしいねぇ! これも、おっきなおさかなだねぇ! ぼくねぇ、おいしいおさかな大好き!」
「あんまり慌てて食うなよ」
暇そうに立っていた門兵に馬止めのある宿屋を聞けば、海からほど近い場所に立つ、垢抜けた外観の宿を教わった。
以前金持ちの商家が別荘にしていたらしく、設備がいい分値は張るが、馬止めも、おまけに風呂もあると言うからそこに即決した。
訪ねればちょうど空きがあると言うので、連泊分の金を先に支払い馬を預ける。
そして荷をほどいて降りてきた食堂で、さきほどからレイシュの興奮が止まらない。
レイシュに好きな物を頼ませたうえで、グレン用に3人前ほど注文した中から少量ずつ皿に取ってやり、食事を開始した時から、ただでさえ大きな目を興奮に輝かせて大声をあげるものだから、同じくちらほら食堂にいた宿泊客の視線が集中していた。
もちろん、ほほえましそうな好意的な視線ではあるのだが。
「おじょうちゃん、嬉しい事いってくれるねぇ。ほら、おまけだよ、こっちも食べてみな」
「わぁ! おっきい貝! すごい! 良い匂い!」
「わかるかい? これはね、この港町の特産品なのさ。身がぷりぷりで味がすこぶる良い上に、時期が来ると綺麗な乳白色の魔石を抱えてねぇ。そりゃあ綺麗だってんで、お貴族様にも大層人気なのさ」
「はふっ、んっ……んむ、っほんとだ! じゅわってして、むちってして、おにくがあまいよ!」
「おお、その通りさ! 良い舌を持ってるねぇ! ほら、こっちの小皿は、今が産卵期の魔魚の卵でね、取ったらすぐに特製のたれに漬け込んでおくんだ。ごらん、きれいだろう?」
「ふわぁ、きれー! ほんとに食べちゃうの?だいじょぶ?」
「はっはっは、もちろん大丈夫だよ。ほら、お食べ」
「うん、ありがとー!」
先ほどから、宿の女将が席から離れないのだ。
旦那だと言う料理人も、うんうん言いながら次に出す小皿を用意しているし、この席で騒いでいるメニューは他の客も興味を持つらしく追加の注文が入っているから、女将を止めようともしない。
というか、そろそろレイシュに楽だからと言う理由でチュニックを着させるのは止めるべきだろうか。
それともせっかく貰ったのだからと、リボンや髪留めを付ける所為か? いやでも、髪の長い男もいるしな。
下にズボンを履いているのに、一向に会う人間達の猫っ可愛がりが無くならないのは……レイシュが可愛いから仕方がないのか。
「レイシュ、そのへんにしておけ。もうそろそろ食えないだろう」
「むぅー……、うん……もっと食べたいけど、おなかぱんぱんー……」
「あらまぁ、それしか食べないのかい! ……ま、ちっちゃいからね。包んでやるから持っておいき」
「わぁ! いいの? これね、すっごく美味しかったから、あしたも食べたいなっておもってたの」
「嬉しい事言ってくれるねぇ。あんたっ、聞いてたかい! 赤目の煮付けだよ! 明日も作ってやんな!」
「おうっ」
騒々しいやり取りを聞きながら、レイシュを抱き上げ食堂を後にする。
ばいばい、と笑顔で手を振る子供に、宿泊客までが手を振り返している光景に、もはや溜息も出ない。
「レイシュ……美味いモンくれるって言われても、絶対に、絶対について行くなよ」
「えぇー、それ、前にもきいたよぅ」
頬を膨らますレイシュを見て、確かに追い出したはずの不安が再び忍び寄ってくる気配を、グレンはヒシヒシと感じていたのだった。




