草臥れフェネックは憩う 1 side G
「このまま行くんだな」
「ああ。……今回は事がデカくなりそうだからな。伯爵とは会わない方が良いだろ」
「そうだな。こっちは適当にごまかしておく。ほら、一応レイの荷物を持ってきたから仕舞っておけ。それと、次にどこか街に寄ったら鳥で場所を知らせろ。お前専用に個人用の物を作って送ってやる。直接連絡が取り合えた方が良いからな」
「世話を掛けるが、よろしく頼んだ」
誘拐犯達が乗ってきた馬の中から一番上等な青毛の軍馬を選び、眠ったレイシュを抱えたまま騎乗する。
ヒューゴからレイシュに買ってやったマジックバッグと黄色い背負い袋を受け取り、自分のマジックバッグにしまい込む。
少し離れた場所からそのやり取りをみていた子供達の中から、辺境伯の息子が抜けてきた。
「行ってしまうのか……もう、ドゥーベには来ないのか?」
必死な形相で話しかけてくるのは、レイシュを想うがゆえだろう。
流石に、あの背中の傷跡と覚悟を見せられておいて、子供だからとあしらう事は、グレンには出来なかった。
「いや。ほとぼりが冷めたらまた寄るさ。ヒューゴに会う用もあるだろうしな」
「そうか……。グレン殿、俺は、……強くなるぞ! 勉強も、鍛錬も、真面目に習う! レイを、守れるくらいに強くなるっ! それでっ、……だから、そのぅ……次ドゥーベに来た時は……今度は、ちゃんと……誘わせてくれないだろうか」
勇ましい台詞が、後半になるにつれて尻窄みになっていく。赤くなった顔が下を向き、見ていてちょっと情けない。
「っ、ぶはっ! なんでそこで弱腰になるんだよっ、……はぁ。いいぜ、……つっても決めるのは俺じゃないがな。今度はちゃんと、玄関から誘いに来いよ」
ヒューゴにさらりと聞いた事の顛末には、呆れて思わず天を仰いだが、行動力がある事は決して悪い事では無い。
無鉄砲さを制御し、先を見る力を付ければ、ひとかどの男に成長するだろう。
「ああ! もちろんだ! ……では、気を付けてと。ありがとうと、レイに伝えてくれ」
ぱぁっと表情を明るくしたベネディクトの後ろで、ヒューゴが笑いをこらえている。
バラバラと手を振っている子供達に片手をあげてから、グレンは青毛の首を返すよう手綱を引いた。
あいつ、本当に心底レイシュに惚れてやがるんだなぁ、等とどうでもいいことを考えながら。
◇
完全に日が昇った頃には、グレンはハムッサの町へ向かう街道の上にいた。ファッジから見て東、ドゥーベール渓谷に背を向けて1週間ほど進んだ先にあるハムッサは、長閑な漁師町だ。
湾になった町は気候も穏やかで飯も美味い。
ドゥーベから離れるついでに、怖い思いをしたレイシュを休ませてやるのにも丁度いい。
しばらくは大きい街を避けて、ゆっくりと移動しながら進もうとグレンは考えていた。
今回の誘拐騒動は、ベネディクトが元凶のようなものだが、そもそもの発端はヒューゴと街に出た一回のみの外出で目を付けられていた事らしい。
それならば、多少便が悪くても、人の出入りが少ない町のほうが危険は減る。
そんなことを考えながら馬の速度を緩やかなものに変え、カポカポと石畳を進んでいると、胸元でごそりと身じろぐ気配がした。
「ん? 起きたかレイシュ」
「ふわぁ……ぁ。ん、グレン、おはよう?」
マントにくるんで抱き込んでいたレイシュが、布地の間からぴょこんと顔を出した。
汚れた顔は拭っておいたが、髪も服もぼろぼろだ。どこかで馬を止め、身繕いをさせてやりたい。
「ああ。よく寝ていたな。疲れてたんだろ。腹は空いたか?」
「おなか! すいた! ……あれ、ここどこ? おうまさん?」
今までの旅は徒歩だったから、レイシュが馬に乗ったのは初めてのはずだ。
街中を進む馬車や、街道の途中で馬上の人間を見ているから知ってはいるだろうが。
「そのあたりも、ちょっと話さねぇとな……とりあえず、ドゥーベの街を出て、今向かっているのはハムッサって所だ。少しゆっくりしよう」
「……そっかぁ」
言葉少なに言って、マントの中に戻りグレンの胸元にぎゅっと抱き着いたレイシュは、小さな声で、「ベニィにばいばいできなかったなぁ」と呟いていた。
そう言えば、発つ前にベネディクトが気落ちした声で説明してくれた事によると、レイシュは初めての友達とやらを得て、たいそう喜んでいたらしい。
神サマの所でもグレン達にしても大人ばかりだった所へ、やり方はまずかろうが、真っ直ぐに飛び込んでいった同年代――実年齢は1歳だが――の存在に、レイシュなりに気を許していたのだろう。
それに、ベネディクトは曲がりなりにもレイシュを守りきったという実績は残している。
「……気を付けて、だってよ。ありがとうと伝えてくれとも言ってたぞ」
「あ……グレン……あの、ごめんなさい……」
「何のことだ?」
「だって……ヒューゴのおうち、おるすばん出来なかった……」
「友達が誘いに来たんだろう? そういう時はしょうがねぇな」
「えっ、でも、あの……力もね、つかっちゃったの。……ひみつっていわれたのに」
「それこそ、レイシュが優しい奴だって証拠だろう? 友達を助けるよりも大事な秘密なんてねぇよ」
「……ふぇぇ」
ひぐひぐしゃくり上げる音と共に、胸元がじわっと濡れていく。
グレンはしょうがねぇなぁと苦笑して、しがみ付く小さな背中を優しく叩いてやった。




