仕出かしフェネックは惑う 9 side B
ちょっと暴力表現有り
自分のせいだと思ったのだ。
攫われた事も。心配させた事も。泣きそうなほど怖い思いをさせた事も。
先日とはまた違う、けれども良く似合っていた薄水色のチュニックが、埃だらけの部屋に転がされていた所為で汚れているのも。
全部、ベネディクトがレイを安全な家から連れ出してしまったせいだ。
だから、責任をもってレイを守らなくちゃいけない。
――好きだからって理由も、勿論あるけれど。
ベネディクトはまだ子供だが、『辺境伯の子供』という価値があるから、今よりずっと幼い時から、誘拐された時や襲撃にあった時の対処法を学ばされていた。
ただの歴史やマナーの勉強とは違って、室内でも外でも身体を動かせたから、さほど嫌いな授業じゃ無かった事が、今回は良い方に動いた。
慌てることも無く、自分のすべき事を考え、実行することが出来たのだ。
一番最初に教え込まれたのは、それがどんな相手であったとしても、攻撃を躊躇わない覚悟を持つこと。
怪我をして血が出ようが、四肢を切り落とそうが、最悪殺してしまったとしても。
襲撃者に害されるよりよっぽどマシだ。
そしてもし誘拐されてしまったら。
逃げられることが一番だが、それが無理なら出来るだけ、救助者が来るまでに情報を集め、敵の手から隠れて逃げ続ける事を優先する。
ベネディクト本人が人質として盾にされるのが一番まずいからだ。
辺境伯の子供というのは、それだけ利用価値があるのだという。
脅すにせよ、情報を引き出すにせよ、逃げるための時間稼ぎに使うにせよ。そして、政治にも資金を引き出すにも有効な駒となる。
ベネディクトは今もまだ子供だが、もっと幼かったベネディクトに真剣な顔でそれらの事を言い聞かせた父親の言葉だけは、その時からしっかりと身についていた。
優秀な兄と比べられるのが嫌で、煩い姉達がけむたくて、授業を真面目に聞かずに逃げ出したとしても。
ベネディクトは、自分が辺境伯家の一員であることに、たしかな誇りを持っていたのだから。
◇
ガシャン、バリンと騒音が近付いてくる。
「おらっ、出てこい! 隠れてやがんだろっ!」
「ハンマーあったぜぇ! 薙ぎ払っちまえ」
「ヒャハハッ! ネズミ捕りだ! 広くもねぇんだから全部壊しちまえっ」
品の無い恫喝と反響する破壊音に、抱き寄せたレイが震えていた。
大きな瞳は涙が溜まり、白い顔はいっそう血の気が失せている。
あたりまえだ、こんなこと、普通に生活している中でそうそうある事じゃない。しかも、奴らははっきり『赤毛』と言った。
ベネディクトのせいだ。好きな子をこんな怖い場所に連れてきてしまった。泣かせてしまった。
レイはとても大切にされていた子だと、最初から解っていたのに。
垣間見た同じ赤毛の男、ヒューゴ殿の態度も、無造作に部屋の床に散らばった高価な絵本一つとっても。
父親が病気になって親戚に預けられたのだと言っていたけれど、それはなんとなく違うんじゃないかな、と思っていた。
子供一人の移動のために、平民はわざわざ強い護衛など頼まない。せいぜいが街に来る顔見知りの商隊に連れて行ってほしいと頼むか、なによりも真っ先に神殿を頼って預けるのが普通だ。
握った手は白くて柔くて、汚れの一つも無い手だった。それは金持ちの上級市民か、貴族の手だ。
知らない事も多かった。住んでいたのが遠い町だったとしても、生活態度はさほど変わらないものだ。
いろんな人種が日々出入りしているドゥーベの街を、しょっちゅう我が物顔で歩き回っているベネディクトだからこそ、気が付くことも多い。
レイのような子供は、初めて見たのだ。
精霊様も、この可愛くて不思議で無邪気な存在に惹かれ、側にいて守っていたのだろう。
抱き寄せていた小さな肩から、そっと手を放す。
「……? ベニィ?」
唇を動かす形だけで、囁くように呼ばれる。宝石みたいにキラキラした目が、不安そうに見上げてきた。
このベニィという丸々しい愛称も、レイらしく可愛くて、呼ばれてすぐに好きになった。
家族からはベンとかベンジーと呼ばれていたけど、これから先ベニィと呼んでいいのはレイだけだと、その時に決めた。
「大丈夫だ」
ベネディクトも、口の動きだけで答える。
片手に持った短剣を握り締める。
さっきレイが頬を触った時、ふわりと温かい感覚に包まれた。そのあと、どういうわけか著しく減っていた魔力が、ほぼ満タンまで回復している事に気が付いた。
何だかわからないけれど、いろいろな事がストンとなって、これか、と思った。
守ると約束したのだ。
それは、ベネディクトが抱えた辺境伯家の一員、という矜持よりも優先されるべきものだった。
「俺はここだ! 誘拐犯め!」
樽から飛び出ると同時に、短剣を振って、氷の礫を投げつけた。
この短剣には氷の魔石が仕込んであって、子供のベネディクトの魔力でもそれなりに増幅してくれる切り札だ。
大した手は持っていないが、氷礫でもそれなりの威力にしてくれる。
めくらましと牽制の意味を込めた氷礫に襲われて、男達が慌てて身を守っているうちに、入っていた樽を壁際に向けて蹴り飛ばす。
ごろごろ転がっていく樽の中から小さな悲鳴が聞こえてきたけど、騒いでいる奴らには聞こえていないだろうから大丈夫だ。
ベネディクトがするのは、時間稼ぎである。
大の男3人を相手取って勝てるとは微塵も思っていない。寄って来ようとしたら氷を出して牽制し、助けが来るまで粘ればいい。
レイが言っていたグレン、という男が辿り着くのはきっとすぐの筈だ。
「こ……っんの糞ガキがぁっ!!!」
「てめぇ、売っ払ってやろうと思ったが止めだ! ぶっ殺してやる! 人質は赤毛一人で十分だ!」
「まてっ、魔法が使えるなら手の一本ぐれぇ無くても売れる! 半殺しでやめとけ!」
誘拐犯達が勝手な事をわめいて剣を振り回しているが、ベネディクトだって引く気は無い。
今言ったように、こいつらの狙いは最初からレイだったのだ。
此処を通せばレイが危ない。抜かせてたまるか!
「急所は守られやすい……まず狙うのは、足だ……次に手……攻撃手段をうばって、時間を稼げ……」
教わった事を反芻し、なぞるように口にする。その方がやり易い。
魔法が使える相手なら、ベネディクトが飛び出た時点で怪我を負わされていたはずだ。未だにそれが来ないと言う事は、魔法は使えないと考えていい。ならば機動力を落とせばいい。
攻撃を躊躇しない覚悟。そんなものは、レイと一緒に攫われた時から、とっくに決まっている。
「餓鬼がッ! おい、不用意に近付くな! 投げるモンねぇか! 早く捕まえねぇと逃げられなくなるっ!」
「瓶でも何でもいいから投げろ! あいつの動きを止めろ!」
「このガキがっ! 調子付きやがって!」
魔力を無駄にしないように、限定した場所を狙って撃つ。
動く相手を的にするのは大変だけど、頭に血が上っているのか、真っ直ぐ向かって来ようとするから、まだ当てることが出来ている。
「はぁ、はっ……」
それでも幾度も氷礫を撃っていれば、魔力は減ってくる。
消耗を相手に気付かれてはいけない。平静を保つのだ。
(なんだ、意外と教わった事を覚えてるもんだな)
こんな時なのに、ベネディクトには余裕があって、自分を鑑みることも出来た。
だから、気が付けた。
「おいっあそこだっ!」
誘拐犯の一人が、ベネディクトから視線を外した。
振り向かなくても解る。
視線の先にはレイがいるのだ。
「っ!」
男が部屋の隅に向けて走りだすのと同時。
相対していた残り二人から眼を離し、身を翻して走る。
1歩でも男より先に。
視線の先で、樽の陰からわずかに覗いていた緑眼が見開かれた。
「っんの餓鬼が! 手こずらせやがって!!」
背中を、一閃の熱が走った気がした。




