拾われフェネックは学ぶ 1
昨日降った恵みの雨によって、草木が一段とキラキラしい朝である。
小さめのチリトリを持ち、ダーカの後についてレイシュが境内の掃き掃除を手伝っていると、鼻先をくすぐるほの甘い匂いに気が付いた。はっとして振り返った先に、参道を歩いてくる小柄な人影が目に留まる。
パッと笑顔になり、レイシュは持っていたチリトリも放り出して人影に走り寄った。勢い余って飛びつくことは、少し前にちゃんと卒業しているのだ。
「さちばぁ!おはよ!」
「あらあら、レイちゃん、お早うさんね。今日も元気ねぇ」
皺の多い頬をもっと皺だらけにして、ニコニコと優しい笑みを浮かべるのは、さちばぁだ。いつも、食べ物を届けてくれるひと。
ちょっと前に会ってから、こうやって来るたびにあいさつをしている。ひとはあいさつが大事なんだって。
美味しいおいなりも、くりきちやのおまんじゅも、さちばぁが持ってきてくれていたんだとダーカが教えてくれたから、レイシュは最初から彼女が怖くはなかった。
「うん! げんきだよ! さちばぁは? もう、おひざいたいいたい、ない?」
「大丈夫よ。この前レイちゃんが、痛いの痛いのとんでけーってしてくれたからね」
「うふふー」
「今日はね、そのお礼にケーキを作ってきたの。ナッツと干しブドウが沢山入ってるのよ」
「ほしぶどう! たべる!」
「おいコラ、朝の掃除がまだ終わってないぞ」
後ろから、レイシュが放り投げたチリトリを拾って追いついてきたダーカも、さちばぁと朝の挨拶を交わす声がする。
2人はずっとずっと前からの知り合いだそうだ。さちばぁがまだばーさんじゃ無かった頃からのツキアイだと言っていた。
さちばぁは、かんけいしゃできょうりょくしゃだから、ひとだけど神社に入れるのだ。だから、レイシュの格好を見ても「あらあらまぁ」とニコニコして頭を撫でてくれる。
レイシュの恰好———そう、ちびっ子フェネックは今、人型になっているのだ。
◇
かみになりたいとダーカに伝えた日から、レイシュは少しづつ勉強を教わっていた。
今までも、外の木はいいけど部屋の机を齧っちゃ駄目だとか、庭の土はいいけど畳をバリバリしちゃ駄目だとか、いろんな事を教えてもらっていたけれど、そういう事とはまったく別物なのだという。
力を使うのに必要な知識、だと言われたけれど、難しくてよくわからない。
せっかくダーカが教えてくれているのに、解らなくて悲しい思いをしていると、ダーカはちゃんと気付いてくれて、叩くことも無く、もう一度教えてくれる。だからレイシュは、勉強の時間が嫌いでは無かった。そして。
「ほら、受け取れ」
『フキュゥ……?』
ある日の勉強時間の事。
人型のダーカは、いつも最初は向かい合わせで話しはじめて、気が付いたら抱き上げられてナデナデされ、そのまま昼寝へと突入しているけれど、その日は少しだけ違う事が起きた。
膝の上に乗せられるところまでは一緒だけれど、コツンとおでことおでこがくっつけられる。
不思議に思いながらも、じっと動かないダーカのすごく近くにある美味しそうな色の眼を見ていると、触れ合った場所をつたって身体の中に、ポカポカとろとろするモノが入ってきたのだ。
それがゆっくりゆっくりと増えて溜まっていき、ごはんを食べ過ぎてお腹がいっぱいになった時みたいな感じがしたな、と思ったら。
「きゅ、……ぅあ、だー?」
「おーおー、成長したと思ったが、まだまだ小せェな」
笑顔のダーカに脇に手を入れて持上げられる。これは高い高いだ。けっこう好きな遊びだけど、なんだかいつもと何かが違う。体が重いようなふわふわするような……
「解るか? お前いま、人型になってるんだぞ」
「! ぃ、とー……ぁた……?」
「まだ口が回らないか。造りが違うからしょうがねェな。まぁ、喋ってるうちに慣れんだろ」
お風呂の中で泳ぐみたいにもったりとしか動けなくて、不安になって、レイシュを見ながらうんうん言っているダーカに前足を伸ばしてみる。
「……ぁえ?」
レイシュの視界に入ったのは、己の見慣れた前足ではなく、白い棒だった。棒の先に短い棒が5つついていて、もぞもぞ動いている。
触ってみようともう一度前足を出したら、どうしてか足は出てこなくて、代わりにその棒がまたもぞもぞ動いた。
「レイシュ、それがお前の手だ。ほら、俺と同じ形してるだろう?」
「てぇー?」
言われてまじまじと白い棒を見たら、たしかに、いつもレイシュを抱っこして撫でてくれるダーカの手と同じだった。大きさも色も違うから気付かなかったけれど。
あれ、じゃあぼくの前足は、どこにいってしまったんだろう?
「ハハ、解ってねェな。ほらレイシュ、鏡見にいくぞ鏡」
なぜだかとってもご機嫌なダーカに抱っこされたまま、レイシュはお風呂場に向かった。そこで、改めて己の全身を見ることになったのである。
見慣れた大きな白い耳と、丸く膨らんだ尻尾。でもそれが付いているのは、見知らぬ白いこども。こどもは知っている。神社に来る前、レイシュを見つけると追いかけてきたやつの事だ。
そんなやつがダーカに抱っこされて、びっくりした顔でレイシュを見ていた。おかしい。そこにいるのはレイシュなのに。
「面白い顔してっけど、そこに映ってんのお前だぞ」
やっぱりとても笑顔のままのダーカの顔を、鏡に映った方とレイシュを抱えている本物と、何度も見比べる。そのたびに鏡に映ったこどもも、きょろきょろ頭を動かしていた。
言われた意味が、ようやっと馴染んだ。このこどもはレイシュなのだ。ダーカと同じ、人型になれたのだ!
「! こぇ、えーしゅ?! キュ……んん、っしょ?!」
「そうだぞー。白い肌に白い髪、それと俺と同じ色の眼か。力が移ったからだろうな。これァ思ってもいなかったオマケがついたな。お揃いだぞ」
「おしょおぃ!!」
「耳と尻尾は、力に慣れたら出し入れ出来るようになるだろ。まぁ、このままでも可愛いからいいけど」
こうして、レイシュは姿を変えられるようになった。
ダーカがくれたのは、まんびょへーゆの力。いろいろ治す力らしい。
一番簡単な力だけど、使いこなすにはもっともっと勉強が必要だそうだ。証拠に、レイシュだけでは人型になることがまだ出来ない。
朝起きておはようの毛繕いをしてもらった後に、ダーカに力を引き出してもらって姿を変える。そしてそのまま勉強して、遊んで、ご飯を食べ、お昼寝の時間には元の姿に戻してもらうのだ。
ダーカはどっちの姿でも簡単に変えられて、ずっとそのままでいられるけれど、レイシュはまだ元の体ともらった力が馴染んでいないから、長い間姿を変えていられない。でも、それも毎日少しずつ伸びている。
最初の2,3日は動くのに慣れなくて、つい、前足……手を地面についてしまっては、そのたびダーカに引っ張り上げられ濡れタオルで手を拭かれていたけれど、今では朝のおつとめのお手伝いもしているのだ。
人型になってから、ダーカにくっつける時間は減ってしまったけれど、代わりに同じことを出来るようになったのはとても嬉しい。
床に置いたお皿じゃなくて、机に乗ったご飯を向かい合って食べるのも。けいだいを掃くダーカについて回ってちりとりでゴミを取るのも。手を繋いで、こっそり神社の外へお買い物に行くのも。
みんなみんな楽しくて嬉しくて、レイシュは、毎日がとっても幸せだ。




