仕出かしフェネックは惑う 6 side E
これまでヒューゴという男に持っていた認識は、騎士達の仕入れてくる噂話を加味しても、色恋沙汰の激しいわりに研究成果はきっちりと上げてくる、掴み何処のない魔術師、といったくらいだった。
勿論、魔術棟に出入りする許可を出したのは伯爵本人であるから、優れた才能を持っている事は知っていた。
しかし、そんな者はここにはいくらでもいる。
多数いる魔術師の内の一人、としか思っていなかったのだ。今までは。
しかしその認識は先ほどから、音を立てて崩れていっているのだが。
「一応このバッグも持って行くか……何があるか解らないしな」
ぶつぶつ呟きながら家の中を動き回って、必要と思しき物品をマジックバッグに詰めている男を眺める。
はたして子供用らしい鞄まで必要な物に含まれるのかは謎だが。
用意が整うまで出立出来ないのだけれども、ここに来た直後に行き先が解ってしまったのだから、時間短縮どころの話では無い。
多少待ったところで、誤差である。
そう、執務室で騎士達の届ける情報を待っていては、こんなにすぐ動くことなど確実に出来なかった。
エイダンは執務室を出てから今までの短時間で起きた事柄に思考を飛ばす。
情報が欲しいなら、伯爵一人で付いてこい、などと。
一介の魔術師が大口を叩くものだと思ったのだ。
そちらも親戚がいなくなり心配なのだろうが、こちらは領主の息子が行方不明なのである。
その命の価値はたかだか一平民と比べるべくも無い。
エイダンは普段温厚だのなんだの言われているが、これでいて、辺境伯の名を預かる人間だ。狡猾で計算高い部分もちゃんとある。多角の内で見せる面を選んでいるだけだ。
だから本来は、舐められて黙ってるほど玉無しではない。
それでも。
ほんの少しでもいいから情報が欲しかったのは、伯爵としてでは無い、一人の親としての思いゆえだったから。
だから、無礼極まりない態度にも笑って答えたし、言われるがままに、たった一人で後をついてきた。
何かあったら、いや、何も無かったら。この傍若無人な男をどうしてくれようかと思いながら。
途中で冒険者ギルドに寄った理由は良く解らなかったが、おおかた情報屋でも頼んだのだろう。
それくらいなら、騎士の中に組織している諜報部のほうが余程正確な情報を集められるのにと、冷静な仮面の下で侮蔑の念すら抱いた。
だというのに。
最初にその傲慢な思いに亀裂が走ったのは、今しがたまで子供が遊んでいたような形跡の残る部屋を見た時だ。
足元に散った絵本や紙。食べかけの菓子らしきもの。
そして、ドアの正面に開いた、腰高窓まで引かれた椅子。
おおかた言いつけを破って、ドアではなく窓から抜けだしたのだろう。
息子が目を懸けるくらいだから、どんなものかと思っていたが。しょせんは保護者の言う事も聞けない子供か、などと内心で皮肉れたのはここまでだった。
知らぬが花、とはよく言ったものである。
ヒューゴに端的に事実を告げられ、エイダン自身が慌てて確認し、ついでに窓から外も眺め下ろして、見えている事実が示す事柄に顔から火を噴くかと思った。
逡巡したような小さな足跡。それは間違いなく塀伝いにこちらへ向かい、窓の下で立ち止まり、よじ登ったのだろう壁面にも土の痕が残っていた。
そして、窓枠から飛び降りでもしたのか、少しばかり地面にめり込んだ外向きの靴跡。
進む痕跡は一回り小さいものが増え、2つになっていた。
サイズ的に息子よりも小さいだろう子供を、どちらがそそのかして抜け出したかなど、一目瞭然だった。
保護者のいう事を聞けないのは息子のほうだったのだ。
そもそも奴は普段から部屋を抜け出している。窓から出ることが悪いとは思っていないだろう。
流石にそれを見て偉そうな態度が取れるはずもなく、エイダンは素直に謝罪した。
それから先に起きた事は、今でも信じられないことばかりだ。
開け放たれた窓から飛び込んできた小さな黒い影。
人型でない精霊様など初めて見たが、その精霊様が唯人と同等に話してみせるなど、それこそ物語の中の話である。
しかも、あのような暴言を受け止められて。
それこそたかが伯爵に慇懃に振る舞うのとは訳が違う。罰が下るのではとはらはらしたが、精霊様は気にも留められていないようだった。
余程の信頼で結ばれているのだろうか。
これは王族でも無理な事である。精霊様は人間ごときの地位など意に介さない。気に入ったかどうかが全てなのだ。
驚きはそれだけでは終わらない。
精霊様が不可思議な煙を出されたかと思うと、そこに断片とは言え、ドゥーベの精密な地図が映し出されたのだ。
しかも、その中に走る赤い線が、子供達の通った経路だと言う。
開いた口が塞がらなかった。
さらにその際、精霊様の口から告げられた事実に、エイダンは身も世も無く喚きたい気分になった。
どうしてこれ以上、居丈高な態度がとれようか。
ベンが、息子ベネディクトが連れ出した先で、襲撃にあったと言うのだ。
ヒューゴから漏れ出る怒りの魔力に、顔を向けることも出来ない。
丁寧に返される皮肉にも、謝りの言葉しか言えなかった。
そして、精霊様の許可をいただき、自前の鳥に地図を託しながら、エイダンは気が付いたのである。
精霊様と繋がっているのは、ヒューゴでは無い、と。
『任務は2つ。ヒューゴに地図を見せる事、グレンを連れて戻る事』
『坊から排除は否と命じられた黒髪が、青の花畑を見せると連れ去った。途中で突発的襲撃にあったため、排除不可命令を強制破棄、出撃対応に移行』
『諾。黒髪が、父親に伝えれば無事に帰れるとの言。坊の許可有り』
そう言っていたのだ。
精霊様に任務を与えることが出来る者。
突発的襲撃が起きるまでは意思決定を委ねていた者。
息子の言葉を伝えていいと、許可を出せる者。
それは誰か?
考えずとも答えは出ている。そんな者は、一人しかいないではないか。
どうりで、会議の場でヒューゴが紹介するのを渋ったわけである。
精霊様のお気に入り……いや、もはや使役と呼んでいいのかもしれない。
そんな計り知れない価値ある人物を、しかも聞くだにベネディクトよりも小さな子供を、権力者に近付けたくなかったのだ。
取り込まれることを忌避したのか、はたまた精霊様の怒りを買う事を恐れたのか。おそらくその両方だろう。
領主の息子が襲撃にあう事以上に動転するはずだ。
これは、伯爵一人で来いなどと言い放つはずである。確かに人口に膾炙していい情報ではない。
先ほどエイダンは、たかが一平民の子供と領主の息子では命の価値が違うと思った。だがそれは、全く逆の話だったのだ。
たかが領主の息子と、精霊様に愛された子供とでは、天と地ほどの価値が違う。
傷一つなく子供を取り戻さなければ、下手したら明日にはドゥーベの街が地図上から消えているかもしれない。
もはやエイダンから、領主としての矜持など吹き飛んでいた。
エイダンの苦悩は、深まるばかりだった。
ぶっちゃけ8割伯爵の勘違いです。会わせたくない理由のくだり以外は
 




