仕出かしフェネックは惑う 5 side H
「一度家に戻ります」
「まて、此処にいた方がいち早く情報が解るぞ?」
取り急ぎ報告に来たという騎士の後から、定期的に他の騎士が現れては、何処で見た、何をしていたなどという目撃情報が逐一上がってくる。
それでも、というかそんな事よりも、ヒューゴは確認したいことがあったのだ。
一緒にいた子供が本当に眷属様なのか――9割9分の確率で間違っていないだろうけれど。
自分から家を出たのか、もしくは連れ出されたのか。
もし誘拐にあったというのならば、護符がなぜ働いていないのか。
というかクソ魔道具は一体何をしていたのか、などである。
多分、ここで騎士の情報を待っているよりも、グレンを早々に捕まえてヒューゴ共々動いた方が、よっぽど早く彼らを見つけられるかもしれない。
「……ヒューゴ。何か、心当たりがあるなら言ってくれないか。私は少しでも情報が欲しい」
「伯爵……」
そんな心境を知ったわけではないだろうが、ドゥーベール辺境伯が、鋭い瞳をいっそう尖らせてヒューゴを見据えた。凍えるように冷たい、命じる者の眼だった。
言葉尻こそ柔らかく懇願めいているが、言外に含まれた言葉は、知っている事を吐け、だ。
曲がりなりにも領主と一平民、契約とは言え主とそれに使える者。
その関係において、命令された事に嫌を返せる立場ではない。
――――普通ならば。
だがこれが、グレンのおまけとしてであっても、神の眷属を直接に保護者から任された者と、単なる一人族、という観点で見ると、その高低は軽く逆転し、かつ比べるべくもなくなる。
一言でいいのだ。
神の怒りを買いたいのか、と。
命令できる立場ではないのだと思い知らせることが出来るだろう。
だがそれを、はたしてヒューゴのみの判断で話していいことなのだろうか。
芋づる式に、隠そうとした事柄まで飛び出してしまいそうだ。
最低でもグレンに相談したいし、出来るならばクソ魔道具にも話せる範囲を聞きたい。
とはいえ、今は、どちらにせよこの多数の人間が出入りしている所で話せることなど何もない。
だからヒューゴは、慇懃な態度を崩すことなく言い放った。
「私は私で、しなくてはいけない事があるのです。それはこの場で待っていてもどうしようも出来ない事だ。どうしても私に聞きたいことがあるのなら、ご同行なされたらいい。……ただし、伯爵お一人で」
「……ほう」
「ヒューゴッ! 口が過ぎるぞ!」
「貴様ッ」
気色ばむ騎士達を止めたのはドゥーベール伯爵本人だった。片手を軽く上げて、騎士達を下がらせる。
その顔を見れば、刺し貫かれそうな目付きは変わらないが、表面上は穏やかな笑みを浮かべていた。
「わかった。それならば、言う通り同行しよう。お前達はここで情報の収集を続けろ」
「しかし、伯爵!」
「せめて一人くらいは!」
「大丈夫だ。何もない。……そうだろう? ヒューゴ」
「ええ。お約束しますよ。魔術師は契約ごとにうるさいんでね」
◇
「ドアは……閉まったままか。どういうことだ? レイ……ではないのか? そんなはずは……」
「不審な点でも?」
領主館で馬を出してもらい、最速で走らせる。
途中でギルドに寄ってグレン宛ての伝言を残すことも忘れない。こんなことが起こるなら、本人に直接鳥が届けられる個人用の魔道具を作って持たせるべきだった。
そんなことをつらつら考えながら辿り着いた家の前は、なんの問題もおきていませんとばかりに、しっかりと鍵がかけられていた。
「いえ、鍵がかかっていたので。あの子には持たせていないんだが……」
言いながらドアを開け、室内に踏み込む。伯爵も無言で後を追ってくる。見回しても、特に荒らされた形跡も無ければ、取られた物も……
「……あん?」
勉強部屋となっている客間の半開きのドアから中を覗いたヒューゴは、不味い物を飲み込んだような顔つきになった。
肩を怒らせて足早に部屋へと入る。
「これは、……自分から出て行ったのか。……バッグは……置きっぱなし、か」
「おや、随分と活発なようだな、預かり子とやらは」
伯爵の面白がるような声がする。それに答えずに室内を見回せば、床に敷かれたラグの上には絵本が出しっぱなしになっており、ベッドヘッドには黄色いクック型バッグがかけられたままだった。
護符が発動しなかった理由は明らかだ。手元になければ、発動もなにも無いのである。
そして、一番目に付くのは、開け放たれた腰高窓のすぐ下。
引きずってきたのだろう応接セットの椅子が、所在無げに置かれていた。
近付いてよくよく眺めてみる。
「……伯爵。笑っていられるのは、ここまでのようですよ」
「なに?」
「椅子の座面を見てください。足跡が2つある」
「……まさか」
ヒューゴの言葉に、急ぎ足で近寄ってきたドゥーベール伯爵は、椅子の座面を同じように矯めつ眇めつして、ついでに窓の外を確認してから、大きなため息を吐いた。
ごつごつとした手で顔をおおい、指の隙間からチラリとヒューゴを伺い見る。
ブルーグレーの瞳を染めていた尖った色は、もはや完全に消え去ってた。
「……これは、父親として、私が謝らなくてはならない立場ということかね」
「さて、確かに私は、変な大人が来てドアを叩いても決して開けるな、とはいいましたが、窓から侵入する子供を叩き出せ、とは言い聞かせませんでしたからね。落ち度は私にもある」
「はぁ、いじめてくれるな。済まなかったな、どうやら愚息の行動力を舐めていたらしい」
肩を落とした伯爵が、やれやれと頭を振った時の事だった。
≪ヒューゴ発見。地図を展開する≫
開いていた腰高窓から、とんでもないスピードでくだんのクソ魔道具が飛び込んできたのは。
「っクソま、……お前! 今までどこで何をしていた! レイはどうした!? 行方不明というのはどういう事なんだ?! ついていなかったのか?!」
≪騒音。任務は2つ。ヒューゴに地図を見せる事、グレンを連れて戻る事≫
「任務だと! レイからか?! グレンを呼べとは、危険がある場所にいるのか!」
≪不明。地図を展開する≫
言いながらも、小さな身体から白い煙が噴き出してくる。以前に見た光景と同じだ。だが、ここには、その以前を知らない人物がいたのだ。
「っ、ヒューゴ……これは、いったい……狐型の……精霊様、なのか? しゃべっている……」
「! ……しまった、忘れていた」
父子で同じ反応をしているとも知らず、有り得ない物を見たと、驚愕に目を見開き立ち竦んでいる伯爵に顔を向ける。
瞬間的に頭に血が上ったせいで、周りの事を考える余裕も無く、いつも通りに魔道具に食って掛かってしまった。
心なしか、小さな黒狐の眼が馬鹿にしているようにも感じられる。
「……わかった、すぐに写す。伯爵、説明は後で。先に地図を書き留めますから。きっとこの伸びている赤線を辿れば、子供達に会えるでしょう」
「いったい、どういう事なんだ……」
「紙は……ああ、これでいいか」
わなわなと震えている伯爵を顧みることなく、ヒューゴは足元に散らばっていたレイシュの書き損じとペンを拾い上げ、白いままの裏面に筆先を走らせていく。
そんなヒューゴの姿を見て、取り乱してはいられないとむりやり気持ちを落ち着かせた伯爵が、地図をしげしげと眺めてから声を上げた。
「これは……なんとも精密なものだな……この赤線は……うん? この出発点は植物公園ではないか」
「植物公園?」
手を止めないままヒューゴが聞き返す。
「先代が母上の為に贈った温室だよ。知らないか、街の西側にある」
「あぁ……あの、林ですか。そういえば行ったことは無いですね」
「なんだってそんな場所から? 花でも見に行ったのか」
不思議そうに首を捻る伯爵と、相槌すら面倒くさげに答えるヒューゴ。そこへ割り込む声がした。
≪青の花畑≫
「……は?」
≪坊から排除は否と命じられた黒髪が、青の花畑を見せると連れ去った。帰還途中で突発的襲撃にあったため、排除不可命令を強制破棄、出撃対応に移行≫
「……それは……つまり、窓から侵入したガキをレイが排除不可と言ったから、外に出ていくのを静観してたってことか。で、食堂に飾ってある花っつーのを摘んできた場所を見せに行ったんだな。そのあとで襲撃が起きた、と」
「……重ね重ね……愚息が、すまない」
わざわざ解り易く訳したヒューゴの、怒りに燃える緑の眼に睨みつけられて、伯爵はもはや威厳も無く肩を縮めた。
「その、鳥を飛ばしてもいいだろうか。私もこの地図の情報を騎士達に伝えたいのだが」
先ほどとは大違いで下手に出てくる伯爵を見て、ヒューゴはふよふよと浮く魔道具に目を向ける。
「いいのか」
≪諾。黒髪が、父親に伝えれば無事に帰れるとの言。坊の許可有り≫
「! ベンが、ベネディクトは無事なのか!!息子が、伝言を……っ」
魔道具の言葉に、衝撃と感動と安堵らしきものを織り交ぜた複雑な表情を垣間見せた伯爵は、一瞬ののちにいつもの冷静な辺境伯の顔に戻り、胸元から個人用の鳥用紙と魔道具を取り出した。
ヒューゴと同じように書き上げて、さっそく飛ばしている。
「もういいぞ。グレンの所に行くんだろう。俺もこの地図を辿ってすぐに向かう」
≪諾≫
一言そう言い捨てると、来た時と同じく開け放たれたままの窓から飛び出してく。
後には、説明してほしそうな伯爵と、それを無視して必要な物を揃えだすヒューゴだけが残ったのだった。
 




