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訳ありフェネックは忍ぶ 3 side B

 



 それは、少しばかり離れて護衛をしていた2人の騎士が、「あ、おちたな」と互いに目を見かわす程度には、はたから見ても明らかな出来事だった。


 ベネディクト・エヴァ・ドゥーベールは、御年8歳をむかえる辺境伯家の次男坊である。

 上に7歳違いの兄と6歳・4歳違いの姉2人がいる、計4人兄弟の末っ子だ。

 少しばかり年に開きがある為、彼らなりに末の弟を可愛がってはいるのだが、本人にしてみれば、まるで父母が倍になったかのように感じることもしばしばだった。

 なんせ真面目な兄と小うるさい姉達は、やれ剣の練習はしたのかだの、またマナーの先生から逃げて、だの家庭教師を脅かすなだのと、日々何かしらベネディクトを叱るのだ。

 なまじ長男の出来がよかったために、勉強するたび教師連中が兄を引き合いにして比べるのも悪かった。だが、それが期待ゆえだと解らない程度には、ベネディクトはまだ子供だった。

 姉達はマナーの授業をサボるなら自分達と茶会をしようと煩いし、庭園で捕まえたトカゲを見せてやろうと思っても大声で叫んで怒るしで、ひたすらにわずらわしい。

 そんなこんなで、嫌な事から逃げ出すために授業をサボるのも屋敷を抜け出すのも、わりと常習犯のベネディクトだった。

 父譲りの黒髪とブルーグレーの瞳をもった、整ってはいるがふてぶてしい面構えの男児で、兄も姉もアッシュブロンドに青眼という母似だったため、唯一自分に似たベネディクトを辺境伯はとても可愛がっていた。

 それゆえに、多少のいたずらは大目に見てやれということで、ベネディクトの抜け出し癖はわりと家族からは静観されていた。

 やんちゃ盛りの次男が、出来の良い兄弟達に比べられ鬱屈を溜めている事を憂慮したという理由も、もちろんあった。

 さて、今日も今日とて家庭教師の授業ををサボり、いつものようにドゥーベの街へと繰り出してきたベネディクトだったが。


「なんだ? 今日はやけに騒がしいな」


 出店を冷やかしながら大通りを進んでいると、普段と違って、どこかそわそわとした空気が広がっていた。

 とはいえ物取りがあった時や喧嘩が起きた時の、ピリ付いた雰囲気とはまた違っているため、危険がある気はしないのだけれども。

 不思議に思いながらもそのまま進んでいると、あちこちの店から「可愛い」だの「うちに寄った」だの「女の子が」なんて言葉が聞こえてきた。

 推測するに、どうやらこの高揚した空気は、その女の子、とやらがもたらしているらしい。


「ふん、可愛い女の子なんているものか」


 噂話をきいたベネディクトは、生意気な台詞をはき、盛大に眉を顰めた。

 上に姉が2人も居ると、可愛いなんて幻想だと、皆騙されているんだと声を大にして言いたくなる。

 ベネディクトの姉達は、父が一目惚れした母の美貌をしっかりと受け継ぎ、それぞれ美しい容姿をしている。

 何時間もかけてアッシュブロンドの髪をくしけずり、ブルーの眼が引き立つよう化粧をし、重そうなドレスで着飾って、扇子越しにウフフと上品に笑む姿は、学舎でも幾人もの男達を虜にしているらしい。

 けれど、家にいる時の彼女らは、煩いし恋愛本ばかり読み耽っているし、せっかく捕まえたトカゲや蛇をみせてやってもキーキー怒鳴るし、可愛さの欠片も無いのだ。


「どれ、皆をたぶらかす悪いヤツを見てやろう」


 そんな軽い気持ちで、少しばかり足早になりながら道々に聴こえる噂話を頼りにすすみ、ちょうど拓けた噴水広場に立ち入った時だった。

 その子を見つけたのは。


「……ぅ、あ……」


 木彫りの髪留めが飾られた鮮やかな赤毛が、ふわふわと風に舞う。

 大きな緑の瞳は、好奇心いっぱいにチラチラと広場を見回している。

 短めの緑のポンチョと、柔らかそうな黄色のチュニックが、足を振る度に揺れている。

 ベネディクトよりも2つ3つ年下だろうか。

 待ち合わせ場所として人気な噴水の縁に座り、細い足をぷらぷらと揺らしていたその子は、そばにいる同色の男から屋台で買ったのだろうクレープを受け取り、弾けるような笑みを浮かべた。

 午後の明るい陽ざしが、噴水から上がった水しぶきをキラキラと輝かせる。

 そんな効果抜群の背景と共に、それらの光景は一服の絵のごとく、ベネディクトの眼と心にくっきりと焼き付いたのだった。


「坊っちゃん?」

「……」

「大丈夫ですか、帰ります?」


 微動だにせず噴水近辺を凝視している護衛対象に、彼の心中にどういった現象が起きているのかはっきりと知りながらも、思わず浮かんだ笑みをきちんと隠して騎士達は声をかけた。

 たぶんこれが初恋だろう彼が望むのならば、少しばかりの思い出作りに、手を貸すのもやぶさかではないと思いながら。


「あの、子は……」

「はい」

「か……、かわいい、な」


 普段のふてぶてしい態度がさっぱりと消え、頬を赤くしてぼうっとしているベネディクトに、騎士達はこれはこれはと笑みを深くした。もちろん見えないように取り繕うけれども。


「赤毛の子ですか。そうですね。周りが振り返っておりますし」

「ッ!」

「ああほら、瓶売りの男が近付いて……父親ですかね、追い払われましたね」

「なっ、何を……」


 騎士との会話を慌てて切り上げ見てみれば、たしかに子供と手を繋いだ男が、そばに寄ってきた男に手を振って遠ざけてる姿が見えた。

 そのそばで、大きな瞳を不思議そうに瞬かせ首をかしげている子の愛らしさといったら!


「……っ、」

「もうちょっと近くに行ってみますか?」

「さほど年も変わらないですし、追い払われはしないでしょう」

「そっ、そのッ、あの……ッ」

「ん?あいつ、もしやヒューゴか? 子供なんていたのか?」

「結婚はしていなかっただろ。親戚の子じゃないか?」

「まぁ、あいつは知った顔だし、声かけてみるか」


 気安く近付こうとする騎士に、もはや湯気を出しそうなほど赤くなったベネディクトは、噴水を見て、騎士を見て、また噴水を見てと大層挙動不審だ。

 さすがに可哀想になったため、揶揄うのはほどほどにして、まともなアドバイスに切り替える。


「そうだ坊っちゃん、花でもあげてきたらどうです? そんで、名を名乗るんです。この花のように可愛いお嬢さん、貴方のお名前は? とかなんとか続けて言えばどうでしょう」

「おお、いいなそれ。そこの花屋に行って、買ってきましょうか?」

「……いや、」


 ベネディクトは、指さされた先の屋台を見て首を振る。

 花は、良い考えだと思う。しかし、綺麗に整えられ売っている華やかな花束は、なんだか違うような気がした。

 もっと淡い色合いで、自由に咲く野の花のような……


「! ち、ちょっと行ってくる!」

「あれ、坊っちゃん?! 噴水はアッチですよ?!」

「追いかけろ!」




 ◇




 自然公園と銘打たれたそこは、もとは祖父が祖母へと贈った温室だったらしい。

 草花の好きな祖母がそののちに温室を中心として林程の規模がある庭を作り、自分だけが楽しむにはもったいないから、という理由で市民へ解放したといういきさつがある。

 季節の花が咲き乱れ、適度に手を入れられて適度に自然の姿が残されるその場所は、噴水広場からさほど離れていない所にあった。知りつくした敷地の裏口から入り込み、目当ての場所に一目散に走る。


「あっ、あった……まだ咲いてた……!」


 息を切らして辿り着いた先には、一面のペールブルー。

 祖父が、外交に行った際に見た美しい色合いを気に入り、自国へ持ち帰り祖母の為に増やしたという花。

 焦りながらも手早く摘んで、再び勢いよく駆け出していく。

 突然の蛮行も、気になる女の子にあげるためだと知れば、祖父母も花も怒るまい。

 呆れたように公園の裏口で待っていた騎士に、バツの悪い思いをしながらも、ベネディクトは急ぎ噴水広場までの道を戻った。

 しかし。


「あー……帰っちまいましたかね」

「……そんな……」


 花を握り締めたまま項垂れるベネディクトに、気まずそうに頬をかく護衛騎士。

 落ち込んだ子供にさあ帰ろうと言えるはずもなく、どうするか、と各々思考を巡らせていたとき、1人があっ、と声を上げた。


「あいつ、ヒューゴですよ、そういえば! 帰ったんなら、確かこっちです奴の家は!」

「おお! でかしたな! そうだった! よし、急ごう。ほら坊っちゃん、行きますよ!」

「あ、ああ!」


 笑顔で背中を叩かれ、ベネディクトはよろけながらも騎士に付いて混み合った道を走りだす。

 よかった、このきれいな花を、あの子に渡してあげられる!と心を弾ませながら。


 幸いにも追いつけた先で、しかし名乗るどころか一言も話すことが出来ずに、花束を渡すだけで逃げ帰ってしまった不名誉な出来事は、騎士達の報告を通じてしっかりと家族にばれたのだった。






ネモフィラの花言葉は色々ありますが「可憐」「初恋」あたりをチョイス

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