張り切りフェネックは進む 6 side G
黒い靄。
これが魔素溜まりを見たものが、言い表すために使う台詞だ。
そう呼ばわれる通り、中心部に行くにしたがって濃さを増す靄は、およそ10ルーメほどの範囲を黒く染め上げ揺らいでいた。
「あったな……これは確かにデカい」
「普通この規模の魔素溜まりなんて、こんなに簡単に近付けないはずなんだが」
ヒューゴが眉を顰めているが、グレンとしても今回の探索の楽さ加減には拍子抜けしたほどだ。
まず魔物が寄ってこない。だから戦闘が無い…たまに自ら吹っ掛けに行くが。よって森の中を障害なく進める。総じて、消耗がほぼほぼ無かった。
これだけ濃い魔素のそば近くに来れば、普通の人間であってもその存在を視覚以外から感知できる。
魔素溜まりの破壊に駆り出されている聖騎士たちは、普段この感覚を浴びているのか。通常の騎士より強くなっていくはずである。
肌をピリピリ刺すような刺激と、息を吸い込むたびに体内に熱がこもる感覚。
なるほど、魔術を使うことで魔素の操作に慣れている人間がこうなのだ、ただの生物や弱い魔獣がこれにあてられて変質してしまうのも理解できる。
「……俺も聖騎士の活動を近くで見た事が無いから、書物の知識と聞いた話でしか知らんが。聖騎士が使える浄化の魔法を、魔素溜まりと同じ規模の魔力を込めた状態で使う、というのが唯一の破壊方法だ。それより少ない魔力で浄化を当てても、部分的に消えるだけで全てが消えずに残るため、しばらく経つとまた元の大きさまで戻ってしまうとの報告がある」
ヒューゴが魔素溜まりから視線を外し、興味深そうに黒い靄の端をチョンチョンつついて遊んでいるレイシュに向け説明している。
なに? とばかりに首をかしげてヒューゴを見上げるレイシュは、こんな場所でもいつも通りで可愛い。
その少し上を、ゆらゆら飛びながら場所替えしつつ瞬きしている黒チビは多分、しゃしん、というものを撮っているのだろう。アイツのやることを理解することは早々に諦めた。
そもそも魔道具が形を変えることも動いて話すことも、意志を持ち人間――ヒューゴに突っかかることも、想像すらしたことのない、もはや夢物語のような出来事だ。
レイシュの事は短いながら付き合いもあって、どのような存在であったとしても受け入れる余地はあった。
だが、この魔道具はどうにも、その向こうにいる存在――神サマがチラつくからいけない。
ここに来るまでの道案内も、結局言われた通りに進んで2刻足らずで本当に辿り着いてしまったのだ。
空の高い所まで飛び上がって何をしているのかと問えば、地図を作っているという。
恐ろしい事だ。コイツ1匹を飛ばして他所の国にでも放てば、どれだけの情報をつかんでくるというのか。
今のところ、レイシュの魔力を与えられないと動けないし、行動範囲も広くないため、その心配は杞憂だが。
魔道具の能力が1つ明らかになるたび発狂しているヒューゴの気持ちもわからなくはない。
普通、1つの魔道具の使える能力は1つである。
「眷属様は浄化のやり方がわかるか?」
『キュゥン?』
≪浄化とは?≫
「あー……まずそこからか……いいか、浄化は聖魔法を使える奴しか使えない魔法だ。系統的には回復魔になる。簡単なものでは汚れを落としたり、毒や麻痺を消したり……そんなものだ。俺は聖魔法が使えないからどのように発現しているかはわからん。だが、攻撃魔法を放つ時と同じだと考えるのであれば何かを消す、取り除くといった意志を持って行っているはずだ」
『フキュウ……キュン!』
≪理解≫
グレンが他所事に気を取られている間、ヒューゴの魔術講義が進んでいた。
ヒューゴは基本的に頭がおかしい行動を多々起こすが、魔術関連に関しては真摯に向き合っている。だから教え方も丁寧だ。グレンはすでに耳にタコで聞く気も起きないが。
「……本当に解っているのか? ……まぁいい。それで、眷属様が聖魔石を取り込めたという事は聖魔法、すなわち回復魔法が行使できるという事とみなす。……以前、神のもとにいたときも傷病人の治療をしていたと言ったな。どのようにしていた?」
『キュン? フキュ、キューン、クルルルッ』
≪痛いの、苦しいの治れ、と思考していた≫
「……。よし、とりあえず試すか。その前に魔力はどれくらいになったか調べるぞ」
『フキュン』
≪諾≫
「鑑定。……すごいな、魔力値がもうDまで上がっている。たった1日でこうとは……よし、まずは何でもいいから聖魔法をあててみろ。回復でも浄化でもこの際かまわん。魔素溜まりが消えなくても心配するな。これだけ魔物が集まってこないなら、いくらでも試す時間はある」
『キャンッ!』
これは訳されなくても解る。やる気に満ち溢れたレイシュが、大きく一声鳴いて、魔素溜まりに向かっていった。元気な事である。
若干の心配をしながらも見ていると、もわもわとした薄い魔素の端、触れるかどうかという場所まで進み、おもむろに2本の後ろ足で立ち上がった。
次いで、短い前足も、ふんっ、とばかりに上空へ伸ばす。
連動するように耳と尻尾もピンと天を突く。
『フゥーッ、キュン!』
「っ! 、」
「ブフッ」
≪LEC≫
笑っちゃいけない時に笑わすのはやめてほしい。真面目な空気が消し飛んだ。
本人はこれっぽっちもそんなつもりが無いだろうことは解ってはいるが。
決めポーズ、のつもりらしい恰好のまま、しばしその場に佇んでいたレイシュに動きがあったのは、それからさほど経っていない時だった。
相変わらず右へ左へと空をふらついて、レイシュを映していたらしい黒チビがピタリと静止する。
「なんだッ?! あの光は……」
「おいヒューゴ、何が起きている! 浄化での破壊というのはこういうことなのか?!」
「俺も解らん! だが聞いた話とは明らかに違う!」
レイシュが立っている場所からほど近い薄い靄の端から、キラキラと光の粒子になりながら消えていく。
そしてその粒子はどんどん増えていき、あっという間に中心部の濃い魔素溜まりまでが淡く輝きだす。
それと同時に、レイシュの小さな体も同じ光で包まれていった。
「レイシュ!」
「待て、不用意に近づくな!」
「だがッ」
「大丈夫だ! あの光は聖魔力のものだ、眷属様に害はない!」
「…チッ」
思わず走り出そうとしたグレンの腕をがっしりとつかみ、引き留めるヒューゴの言葉に、舌打ちを一つして立ち止まる。
何かあればすぐに手を伸ばし、レイシュを掴んで逃げられる位置取りで、グレンは不可思議で幻想的な光景を睨み据えた。
 




