無自覚フェネックは知る 5
良い匂いがした。
ぐぅ、とお腹が鳴って目を開く。
『あれ、ふたりともどこいっちゃったんだろう』
ソファの上で、前足をぐぐっと伸ばして体をほぐす。耳がピピピッと動いて、周囲の音を拾いだす。
あまり離れていないところで、ごつ、ごつ、という重いけれど静かな音がした。これは、グレンの足音だ。こっちに向かっている。
同時にいい匂いもするから、きっとご飯も一緒だ。
知らず、パタパタと尻尾が揺れる。
すぐに、かちゃりと音がして、ドアが開く。
「お、やっぱり起きていたか。飯だぞ。あいつ、良い肉を買い込んでたから美味いぞ」
『やったぁ! おにく!』
大雑把なグレンは、野営の時と同じように、フライパンのまま焼いた肉を持ってきていた。いちいちお皿に移すよりも冷めないし、片付けも楽だし、一人の旅では皆こうだと言っていたけど本当かな?
魔石が入っている箱を下したテーブルに、フライパンとお酒の入った瓶、パンの盛られた籠が乗せられる。
レイシュの分はブドウのジュースだ。
「そういえばお前、人型になって食った方がいいのか? 今までは魔獣だと思っていたから適当に食わせていたが」
『ううん、どっちでもだいじょぶなの』
適当に、と言っても、グレンが切り分けてくれた食べ物を、グレンの膝の上に乗ったまま食べさせてもらっていただけである。
人型の時はダーカと向かい合って座り、ちゃんと食器で食べていたけれど、たまに獣型のままでも同じように膝にのせられて給餌されていた。
「……ま、今更か」
『おなかすいたよー』
諦めたようにグレンがレイシュを膝に乗せ、ちぎったパンを口に運んでくれていた時、ずだ袋を手に下げたヒューゴが帰ってきた。
「面白いものを見た」とニヤついて、グレンに頭を叩かれていた。
◇
「いいか眷属様。これが新しい聖魔石だ。とりあえず一つ。さっき取り込んだ石のサイズを鑑みて推測すると、この容量を取り込んだ場合、人型になれるのは2刻といったところだろう」
レイシュの事を眷属様、と呼ぶことにしたらしいヒューゴが、食事と毛繕いを終えたレイシュの目の前に、いびつな林檎大くらいの白い石をコトリと置いた。
ちなみに毛繕いをしたのはグレンである。アーレンがくれた高級素材の櫛で、耳の先から尻尾までを丁寧にくしけずってくれるのだ。
昼寝の前と同じように、大きい方のソファにレイシュとグレン、テーブルを挟んで一人掛け用ソファにヒューゴが座っている。
「人型にならないと、魔道具に力を入れられないのか? 獣型のままでも魔道具は起動できるのか? それによって聖魔力の減りも変わるから試してほしい」
『人にならなくても、ケータイはつかえるよ! まりょく、の使いかたもわかったもの!』
「……解らん。とりあえずやってみてくれ」
元気に頷くレイシュの言いたいことが判別出来なかったらしい。諦めたように石を指さす。さっきよりも動きが大人しめなので、避けることなく素直に返事をする。
『わかった。んんー!』
テーブルに乗り上げて、石に前足を乗せ魔力を吸っていく。さっきよりも、ちょっと入ってくる力の量が多い気がした。
そのまま次に、隣に置かれたキッズケータイに足を下ろし、力を注いでいく。
『できたよー、って、うわぁ』
再びピコンと電子音が鳴り、液晶画面が明るくなる。
それと同時に、すごい量の着信が入ってきた。急に充電が切れて通話が終わってしまったから、心配させてしまったのかもしれない。
「……その姿でも使えそうだな」
『だいじょぶだよぉ。ほら見て、ダーカのしゃしんがいっぱいあるんだよ!』
横から覗き込んできたグレンに、ニパッと小さな牙を見せ笑いかけながら、ポチポチと画面をタップし写真フォルダを開いて、撮りためたダーカを自慢する。
「な、なんだこれは……か、神サマが……すげぇ精密な絵、か?」
『しゃしんだよー』
「なんだ?! 何があるんだ! 俺にも見せろ! 見せてくれ!」
『いいよ! ダーカかっこいいでしょ!』
しおらしい態度を秒で終わらせたヒューゴがテーブルを回ってにじり寄ってくる。レイシュとしても、ダーカの自慢はしたいから、胸を張って写真を見せてあげた。
獣の手では持ちにくいので、テーブルの上に置いてあったペン立てに立てかける。
「こ、これは凄いな……! 想像したことも無い機能だ! 一体、どうなっているんだ……!」
「もう、これだけ見ても、本当に生きている世界が違うことがわかるな……」
小さなケータイの前に大の大人が2人頭を突き合わせて、一枚一枚写真のページをおくるたびに驚嘆の声が上がる。
内容は、眼付きの悪い青年かお菓子、草っ葉くらいしか映っていないのに、大層な反応である。
《prrrr、prrrr、prrrr、prrrr……》
「っ!」
「うおっ?!」
『あ、ダーカだ!』
そこへ、着信音が響き渡った。
びくりと体を跳ねさせて、2人が慌ててソファから立ち上がり、ケータイから距離を取る。
頓着せずに、レイシュはポコンと通話ボタンを押した。もちろんスピーカー使用だ。
『レイシュ! 大丈夫か?!』
『ダーカ! ごめんね、まりょくがね、きれちゃったの。あとね、お昼寝して、ごはん食べてたのー』
『いや、いい。お前の姿が変わった所までは見ていたから、何があったのかと心配した』
ホッとしたような顔が画面に映る。それだけでレイシュは嬉しくなった。
『ダーカは? ごはんたべたの? おいしかった?』
『もちろん食べたぞ。デザートもな』
『でざーと! いいな、いーなぁ! ぼくもたべたい……』
『何だ? 食わせてもらっていないのか? グレンとやらは何をしている』
『ううん、ちがうの。ごはんはね、ちゃんともらってるよ。でもね、お菓子があんまりおいしくないの……』
『それはいけないな。……そうだレイシュ、先ほども伝えようと思ったんだが。お前に1つ、いや2つばかりプレゼントがあるんだ。喜んでくれるといいんだが』
『ぷれぜんと! なぁに?』
『今、傍にひよこリュックはあるか?』
『あるよ! まっててね』
息を殺してやり取りを見ている2人の方に走り寄り、ダーカに向けて声をかける。
『ぼくのリュックだしてー』
「あ、ああ……あの袋を出せってことか? ……つーか良くそのキュンキュン言ってる声で会話が出来てるな……」
緊張した面持ちのグレンが、自分の荷物の上に置かれていた黄色いリュックを手渡してくれる。
ケータイの乗るテーブルに持っていき、ダーカに見えるよう、正面に置いた。
『これでいい?』
『ああ。じゃあちょっと待ってろ』
ゴソゴソと何かを漁る音がした後に、ダーカは移動をはじめたようだった。
下向きの斜めになった画面の視界から、見知った社務所のドアを開けて境内を横切り、廊下を通って、本殿へ続く廊下が現れる。
ソファの後ろから、グレンとヒューゴが息をつめ眼を皿のようにして画面を見ている。
しばらくして、いつも食事を取ったり昼寝をしたり、私物を置いている部屋が現れた。
ちなみに本殿は神のいる場所だから、俺の自由なワンルームにして何が悪い、とはダーカの言である。
『見てろよ』
画面の正面に、ダーカがレイシュ用にしつらえてくれた小ぶりな箪笥が映った。
そこの一番上の2つに分かれた引出しを開けて、ダーカが手に持っていた風呂敷包みを突っ込んだ。
『なにしてるの?』
『まぁ、楽しみにしていろ』
楽し気なダーカに、レイシュが首をかしげる。後ろを振り返っても、グレンもヒューゴも不思議そうに首をかしげているだけだ。
『……もういいだろう。さぁレイシュ。リュックを開けてみろ』
『うん? ……ふぇ!!?』
「!?」
「!!!」
言われて開けたひよこリュックの中には、たった今、ダーカが手に持っていた風呂敷。それがもとからある荷物をみっちり押しのけて、堂々と存在しているではないか。
慌てて風呂敷を咥えて引っ張り出す。
かるく引くだけで解けるようになっている結び目を解けば、レイシュの大好きなお菓子達。
全身の白い毛皮がボフッと膨らんだ。
『くりきちやのおまんじゅだ!!!』
『お、無事に届いたみたいだな。生き物は送れないが、そういった小さい物なら届けられるようにしてもらった。欲しいものがあったら遠慮なく言えよ』
『あ、ありがと! ダーカすき!!』
『俺もレイシュが好きだぞ。さて、もう一つだ』
『まだあるのぉ?!』
『どっちかと言えば、本命はこっちだ。いいか、もう一つ荷物を送る。それをケータイに乗せて、力を送りながら『憑け』と祝え』
『つけー?』
『そうだ、……送るぞ』
『ん、わかった』
それから大して待たずに、ふたたび懐紙に包まれた物が送られてきた。
レイシュの鼻がピクンと反応する。
『これ……ダーカの匂いがする……』
『俺の尾の毛だからな。ほら、言ったとおりにやってみろ』
瞳をウルッとさせたレイシュに、ダーカの笑い交じりの声が聞こえた。
『うん。……むむむ、『憑け』! ……これでいい?』
『……』
『あ?! あれっ? なんで消えちゃったの?! ダーカ? ……ダー、!?』
「?! レイシュ!」
「なんだこれは?!」
言われるがままに祝ったあと。
ケータイの画面が真っ暗になったかと思うと、突然ふわりと黒っぽい煙を吐き出し始めた。
素早く寄ってきたグレンが、唖然と固まったレイシュを引っ掴んでケータイから距離を取る。
ヒューゴがどこからか出した大きめの木の棒を構えて、その前に立つ。
『ダーカぁ……、!』
あふれ出た煙は、漂って消えることなくテーブルの上でわだかまっていた。
それがシュルシュルとまとまっていき、ケータイより一回りほど大きな塊を形作る。
黒い塊がもごもごとうごめくのを、固唾をのんで見守っていた2人と一匹の前に、姿を現したものは。
≪ケーン!≫
『わぁっ、すごい! ちっちゃいダーカだぁ!』
「……っ、また、非常識なモンが……」
「何だこれは! 何がどうなっている!? 精霊か?!」
レイシュよりも更に小さな眼付きの悪い黒狐が、ふんすとばかりに胸を張って、テーブルの上に座っていたのだった。
はたから聞いていると、『レイシュ、大丈夫か!』『キャウーン』みたいなやり取りです




