無自覚フェネックは知る 3
『待たせたなレイシュ』
「んーん。ダーカの声きいてるだけでもうれしかったからいいの」
『ッ、そう、か』
グレンとの話し合いが終わったダーカが、優しい声で話しかけてきた。
お仕事をしているときみたいな、キリッとした話し方もカッコいいけれど、レイシュはこの柔らかな声が一番好きだ。
「それで、ダーカはいつおむかえにきてくれるの?」
グレンと一緒に知らない場所を歩くのは楽しかったけれど、レイシュはもう帰りたかった。
今まで必死に我慢していたものが、ダーカを見て話したことで里心が付き、居ても立っても居られなくなってしまったのだ。
『……そのことだが。レイシュ、お前に話しておかなきゃいけない事がある。大事な話だ』
「……なぁに」
柔らかかった声が、しゅっと怜悧な物に変わる。レイシュが向けられた事の無い声だ。
自然と尻尾が伸びる。
『まず、今回のお前がその世界に送られた事は…事故だった。しかし、誰かは送られる事が決まっていたんだ。その世界を助けるのと、見習い神の修業のために』
「…たすけるの? しゅぎょう?」
『ああ。何から助けるのかまでは知らねェがな。だが、治癒の力が強いお前が引かれたという事は……それに類する事なんだろう。だから、その何かが解決するまでは帰れないんだ。そして、それが修業の内容でもある』
「……え?」
『そこは、地球程存在が整っていない世界だ。だから、お前を帰すための道が開けない。無理にこじ開けると世界ごと壊しちまうからな。そっちの世界が力を付けてこっちと扉を繋げるほど安定するか、問題解決をして召喚を解消しレイシュが自力で帰るか……どちらにせよ時間がかかる』
「そんなぁ……」
思っても居なかった言葉に、伸びていた尻尾がだらりと下がる。
レイシュは、ダーカと繋がりさえすれば帰ることが出来ると、なんの根拠も無く考えていたのだ。
『いいかレイシュ、これは、馬鹿な神が定めたクソッ喰らえな修業だ。本来なら、お前のする必要が無い事だ。だから、少しでも早く帰れるように、俺がそっちとこっちを繋ぐ扉を作る事にする』
「え、でも……でもそうしちゃうと、このせかいがこわれちゃうんでしょ……?」
『レイシュが居るのにそんな危ない事する訳がないだろう? 多分だが、レイシュから取られた力がその世界のどこかにあるはずだ。それを使う。元は俺の力だから俺が繋ぐ分には扱いは難しくない。他の誰が手を出すより、早く安定させることが出来るはずだ』
「……よく、わかんない……むずかしいよ……」
『大丈夫だ。レイシュは、俺が行くまで待ってればいい』
いつも膝にレイシュを乗せて、甘やかしてくれる時みたいなあったかい声でダーカが言う。
……でも、ホントにそれでいいのだろうか。
「……ぼく、」
『うん? どうした』
「ぼくも、しゅぎょうする。……よくわかんないけど、しゅぎょうして力をつけたら、ちょっとはダーカも助かるんでしょ?」
『レイシュ』
ここに来る前にやっていた御守り作り。ダーカが教えてくれていたお勉強。それは、レイシュが神になるために必要だからやっていたことだ。
最初の頃に、もらった力を使いこなせるようになれば、ダーカと一緒の神になれると言っていた。
修業とは、たぶんそれと同じことだ。みならいが、ちゃんとした神になる為の。
だったら、きっとそれはレイシュもしたほうがいい事なのだ。
「ぼくも早くダーカに会いたいからがんばるの!」
◇
『他にもいくつか伝えておきたいことがあるんだがな……その前に、おい! 魔術師とやら!』
「はっ、はいぃ!! 何か、ありましたでしょうか!!」
ダーカの呼びかけに、客間の隅の方でしゃがんでいたヒューゴが凄い速さでにじり寄ってくる。ちょっと気持ち悪い。
『どれだけ有るんだ?』
「は、えっと……何がでしょうか?」
『魔石とやらに決まってんだろうが。レイシュの人型はその魔石で成り立ってんだろ。無いと困るから手持ちを増やしておけ。それと、ケータイの充電も、どうやって使えるようにした?』
「はい! かしこまりました! すぐに集めさせていただきます! そして、じゅうでん、というものが何か解りませんが、この魔道具は、眷属様が取り込んだ聖魔力を注がれて動いております! ですので、注いだ分が無くなりきれば、魔道具の使用は出来なくなります!」
『ッチ、レイシュ頼みか……』
いつのまにかヒューゴの呼び方が、獣から眷属様、に変わっていた。グレンが何とも言えない顔をして、這いつくばるヒューゴを見ていた。
「あ、ダーカ、どうしよう」
『うん? なんだ?』
「あのね、力が減ってるの。もうそろそろ人型がもたな……キュン!」
ポフリ、と音を立てて幼獣に戻ったレイシュはソファに転がった。ポカンとした表情の大人2人と視線が交わる。
同時に、持っていたケータイもカチャンと音を立てて床に落ちてしまった。
『もどっちゃったぁ……』
ぎこちない動きで寄ってきたグレンが、ケータイを拾ってソファに乗せてくれた。その際に何も映っていない黒く変わった画面を見て、肺の中身を全部吐き出すような溜息をつき、レイシュの隣に座り込んできつく目を閉じた。
ぎしりとソファが沈みこむ。
ちょうど充電も無くなったようだ。たしかに、そんなに多く魔力を入れてはいなかったように思う。
『ありがとーグレン』
「はぁぁー……。なんというか……何とも言えないが……ヤバかった……」
「ヤバかったのはこっちだ馬鹿め! ……あぁ……生きた心地がしなかった……」
「テメェは自業自得だろうが!」
同じく、向かいの一人掛け用ソファにぐったり沈み込んだヒューゴが、顔に手をあてて天井を見上げている。
2人とも随分お疲れみたいだった。
レイシュも先ほどから、お菓子をいっぱい食べて、じっけんにも付き合って、いっぱい泣いてと忙しかったから、ちょこっとお疲れ気味である。
「お前……凄い奴だったんだな……いろいろな意味で」
『そうだよー、ぼく、かみになるんだもの……』
大きくて暖かな手が、ゆっくりと眉間から背中までを撫で下ろしていく。もう随分と慣れた手だ。
何度も往復されるうちに、レイシュの小さな口がくわりと開いて欠伸を零す。
ダーカを見れた。話が出来た。それだけで、いつもいつも心の一番下に押し込んでいた不安も悲しさも、いつの間にか溶けて消えていた。
残るのは、絶対的な安心感だけだ。
しょぼしょぼの目をしたままソファの上を這って、グレンのちょっと硬めの太腿に乗り上げる。
くるりと丸くなって尻尾を抱えて枕にすれば、何者にも脅かされない安全ベッドの出来上がりだ。
『ちょっと……おひるね……ぐぅ』
「……お疲れさん」
グレンの小さなささやきを聞きながら、レイシュは幸福な夢路を辿るのだった。
 




