飛ばされフェネックは彷徨う 1
今更ですが、砂漠で捕獲され日本に来る→夏、金持ちに買われて飼育中→晩夏~冬、逃亡&拾われる→2月頭くらい、付きっ切りべったりお世話期間→4月あたりまで、お勉強開始→春~ 異世界→1年後の秋 みたいなざっくり時系列です
そして、ようやくプロローグに戻る
1年。それは、普通の獣であれば、とっくに成熟した個体となっている期間である。
しかしレイシュに限っては、成長途中で栄養不足に見舞われたうえ、運良く拾われた後は神気たっぷりの、ある種異界の空気を吸って生活し、かつ神に手ずから世話を焼かれて育ったことで、通常とは異なる生命体へと変異が起こっていた。
ただでさえ、一般家庭で飼われるペットでも野生の獣と比べ幼さがあるというのに、そんな特殊環境にあって成獣の意識が促されるはずもなく。
本来の身体的成長は著しく緩慢になり、しかし人型に変じられるという最たる特異点によって、人の子の幼児期ほどの教育を施され、食事も住処も人型に準じた物が与えられ、そのうえで可愛い可愛いと愛情が惜しみなく降ってくるのだ。
レイシュに接する数少ない大人達も、拾われた当初から今に至るまで、成獣扱いなど欠片もしたことも無いし、またしようと考えてもいなかった。
したがって、1年たった今でも、レイシュは心身ともに立派な幼体のままである。
「ほらレイシュ、キッズケータイ忘れてるぞ」
「あっ、ありがとぉ!」
昨日の夜、真っ暗になっている画面を見て、充電するため出しておいた手の平サイズの機械を渡されて、レイシュは慌てて背負っていたヒヨコリュックに手を掛けた。
この一年で使い込み、若干くたっとなってきたリュックは、それでも丈夫な生地のおかげで壊れることが無い。とはいえ現役の神が一針一針想いを込めて縫っているため、破損とは無縁だという事をレイシュは知らないが。
入口をすぼめている紐を引っ張り、中をのぞき込む。
薄ピンクのタオルハンカチ、小さめのウエットティッシュ、ワンポイントで肉球イラストが入ったマイボトル。アメちゃんが詰まったこれまたヒヨコ型の巾着(小)と、救急セットキッズ用。お小遣い入りガマ口財布。黒地に金糸で『厄除け』と刺されたダーカ力作の御守り。
それらがきちんと収まっている一番上に、三カ月ほど前、初めてのお使いミッションを無事に済ませた際、速攻で買い与えられた機器をポトリと乗せる。
ちなみにミッションはさちばぁの家まで一人で行く事だった。家族総出で歓迎されて、お土産も持ち切れない程持たされたし、帰りは結局、荷物持ちとして孫その3が神社までついてきた。手繋ぎで。
その際に「こんなに可愛い子を一人で外に出すとか貴方は阿保ですか馬鹿ですか誘拐されてもいいんですか変態ホイホイじゃないですかこんなの私だったら即座に攫いますっていうかやっぱり連れて帰っていいですか」と詰め寄り、青筋立てたダーカによって強制退去を喰らっていたのは余談である。
「一人で外に行くときはちゃんとリュックに入れておけよ。危ないからな」
「はぁい」
パステルブルーの丸こい機械は、レイシュがどこに行ってもダーカに解る機能がついているらしい。
もちろん力の繋がりがあるから無くても困る事は無いけれど、未だに治癒以外の力の扱いがからっきしのレイシュが、ダーカに連絡したいときに使う用なのだ。
それ以外でも、水に落としても大丈夫で、しゃしんが撮れてめーるが送れて、さちばぁとお話も出来て、頭から伸びている紐をひっぱると辺り一帯にビービー大音量の警報が鳴ったりするから、今ではレイシュのお気に入りの相棒だ。
メールは一緒に居ない時でも「だーかすき」とすぐに送れるし、しゃしんふぉるだにはダーカのしゃしんがいっぱい入っている。杜で遊んでいる時や、一人でお留守番する際に、とても頼りになるのである。
「あそんできます!」
「おう、気を付けろよ」
リュックの口がちゃんとつぼんでいるのを確認してから背負い直し、レイシュは駆け出した。先週あたりから栗の木の枝に、とげとげが付いているのを見つけているのだ。もうそろそろ地面に落ちている実があるかもしれない。
「いっぱい拾ったら、きょうの夜はくりごはんだ!」
いつしか四足となり、降り積もる落ち葉に突進していくレイシュは、この後に予測不能な事態に巻き込まれるなど、欠片も感知することなく。
このときはまだ、いつも通りの幸せな日常を送っていたのである。
◇
レイシュは、自分がちょっとどころでなく甘えたの部類に入るのだという事を、ちゃんと知っていた。
なぜならば、未だに朝と夜は毛繕いをしてもらうし、お風呂も一緒に入って身体を洗ってもらうし、寝る時は黒狐のふかふかの胸元と人型の分厚い胸板を日替わり枕にしているし、日中も暇さえあれば膝に乗り上がって撫でてもらうのが大好きだし、勉強の最中もやっぱり良く出来たなって頭を撫でてもらうし、一緒に人型となって神社の外に行くときは必ず抱っこか手繋ぎだし……
とまあ、とかく短時間で言い尽くせない程にはべったりな行動をとっている、きちんと自覚を持った甘えただった。
だというのに。これはいったいどういうことなのか。
『ここ、どこなのぉ……』
つい今しがたまで、レイシュは昼ご飯を食べ終えて、さてこれからデザートだと期待に胸膨らませ、フォークを握り締めたところだったはずなのだ。
目の前にはタルトを切り分けるダーカがいて、きっと、おいしいねって言ったら、本当は半分ずっこのお菓子だけど、レイシュのお皿に自分の食べかけを乗せてくれるはずで。
貰ったタルトはとってもとっても美味しいけれど、最後の一口は、ダーカにはいどうぞ、って、あーんしてあげて笑顔で褒めてもらえるはずだったのに。
それなのに、レイシュは今、寒々しい森の中で1匹、地面にぺたりと座り込んでいるのだ。
そう。
ベソベソと啼く幼獣がいるのは、鬱蒼と茂った森の中。普段遊び回っている鎮守の杜とは空気からして違う、どんよりと暗い、僅かな日の光すら差さない場所だった。
『ダーカぁー、怖いよぉー、暗いよぉ……キューン……』
しばらくの間その場で泣き続け、顔の周りがペタペタのかぴかぴになった頃レイシュはようやく立ち上がって、暗い森の中に向けておそるおそる足を進め始めた。
遅まきながら、泣き止んでふと辺りに耳を澄ませたとき、パキパキと枝を踏む音やざわざわとした葉擦れが遠巻きに聴こえることに気が付いたのだ。
改めてここでじっとしていると、なんだか見られているようで怖くなってきたのである。
レイシュは一年ちょっと前に、痛みと空腹と悲しみを抱えて彷徨った日の事を思い出した。あの時は、死を意識した直後に大きな黒狐に拾われた。
でも今は、啼けども啼けども、頼りになる保護者が現れる気配は無い。
トボトボと歩きながら、レイシュの止まったはずの涙がまた、とろけた琥珀の瞳から壊れた蛇口のように溢れてくるのだった。




