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拾われフェネックは学ぶ 4.5 side S

前からちょこちょこ登場していた、あの人目線で。

 


 幸婆(さちばあ)こと大西幸(おおにしさち)は、御年78歳になるご隠居だ。

 白くなった髪をいつも綺麗に後頭部で団子にし、温和な笑みを浮かべる顔は福々しく、多少縮んでしまった背はそれでもピンと伸びており若々しい。知らない人間なら10は若く見積もるだろう。

 いい歳の子供とすでに成人した孫達もおり、近所でも昔から料理上手で知られている彼女、いや彼女の家系には、世の人々には決して言えない秘密があった。

 古来から血族に脈々と受け継がれ、これからもひっそりと、しかし確実に子孫に継いでいかなくてはいけないという、なんとも壮大で大仰な秘密が。


「あれ、幸ばあちゃん、もう行くの? 俺がジョギングついでに持ってこうか?」

「ありがとうね。でも大丈夫よ、今日は軽い物しか無いから。それに、あそこまで行くのは私も丁度いい運動になるの」

「そう? 無理すんなよ」


 朝も早くからぷっくりと膨らんだマイバッグを腕に下げ、家を出ようとした幸に声をかけた心優しい孫その2を軽く躱し、足早に向かうは家から徒歩15分程で見えてくる丘の上。

 一の鳥居をくぐってからが異様に長く、鎮守の杜を横目に緩い坂道となっている参道を30分ほどかけ踏破して、ようやくたどり着くのが、近所の住人が『お山の神社』と呼ぶ目的地である。


「はぁ、今日もいい汗かいたわ……あら」


 二の鳥居をくぐったあたりで立ち止まり、ハンカチを取り出して顔を拭いていると、風に乗って高く澄んだ声が聞こえてきた。自分の名を呼ぶその存在に、疲れも忘れ思わず笑顔になる。


「さちばぁ! おはよ!」

「あらあら、レイちゃん、お早うさんね。今日も元気ねぇ」


 駆け寄ってきたのは小さな子供。白い髪に白い肌。トロリと濃い蜂蜜色の瞳。日本人とは異なる様相の人形のように整った、まだ4,5歳ほどの背丈しかないその子は、この神社を根城とする稲荷神の拾い子だ。

 どういう経緯で何処から連れてきたのか、詳しい詳細は知らないし聞けないが、少し前から、気難しい稲荷神の雰囲気が随分と柔らかくなってきているのは、間違いなくこの子供のおかげだろう。


「うん、げんきだよ! さちばぁは? もう、おひざいたいいたい、ない?」

「大丈夫よ。この前レイちゃんが、痛いの痛いのとんでけーってしてくれたからね」

「うふふー」


 ほのぼのとした会話を交わしながらも、視線は幸の持っているバッグにチラチラと向けられている。つんと尖った鼻が小動物のようにヒクついているのが、頭頂部に立つ大きな耳と相まってとても可愛らしい。

 そう、耳だ。獣の耳。それに柔らかそうな尻尾も。話す内容につられてピコピコ揺れるそれらは、明らかに本物の動物、狐の持ち物だ。

 さすが、稲荷神社に住まうだけの事はある。


「今日はね、そのお礼にケーキを作ってきたの。ナッツと干しブドウが沢山入ってるのよ」

「ほしぶどう! たべる!」


 それは、前回お供え物を持って来た時のこと。

 近年の寄る年波に勝てず、酷使してきた膝が痛みを訴えるのを坂道の途中で座り込んでやり過ごしていたら、鎮守の杜から走り出てきた子供と鉢合わせ、文字通り「いたいのいたいのとんでけー」をしてくれたのだ。

 淡い光に足をつつまれ、何事かと飛びあがったら、既に痛みは引いていた。思わず持っていた稲荷寿司を捧げてしまった事は、笑い話どころか、家族に盛大に自慢して羨ましがられた良い思い出だ。

 そんな訳で、お礼を口実にして、この愛らしい子狐稲荷に会いに来たというのに。


「おいコラ、朝の掃除がまだ終わってないぞ」


 憮然とした声の、可愛げない男が割り込んできた。最近ではもはやお馴染みの光景だ。

 精悍な面に浅黒く引き締まった長身。子狐様と色合いだけがお揃いの切れ上がった瞳。浴衣を着流し、神社を背景に立っているのが、似合うんだか似合わないんだか会うたび首をかしげる羽目になるけれど、こちらも中東系の要素を持った大層な美丈夫である。

 そして、孫その1と大差ない年に見えるこの男こそが、幸の血族が後生大事に抱え込み、守ってきた秘密の正体だ。


「あら稲荷様。おはようございます。今日もご機嫌良いようで」

「良くねェよ。嫌味か? 知っているだろうが社務所はあっちだ。供え物を置いてとっとと帰れ」

「まぁぁ! 少しぐらい休ませてくれてもいいではないですか。私も年を取りましたからね、山登りなんかした日には節々が痛くて痛くて。年寄りを労わって下さいな」

「レイシュに直してもらったんだろうが。だいたい、それだけピンシャンしておいて何が年寄りだ」


 呆れ口調を隠しもせずに言い放ち、子供の前に立ちはだかる男は、はるか昔にお目見えした時と姿かたちがまったく変わらない。神なのだから当たり前か。


「そりゃあ、あなたに比べたら、誰でも子供みたいなもんでしょうよ」

「あぁ?神に年の概念なんてねェんだよ。まったく、昔から口が減らねェ。あと近寄ってくんな。減る」

「そんな事を言って。私を楽しみに待ってた事ぐらい、知ってるんですよ」

「待ってたのは、その手提げの中身だけだ」


 父親に連れられて、話だけは耳に胼胝ができるほど聴かされていたお方に初めて声を掛けられたときは、舞い上がってしまい、ろくに挨拶も出来なかったというのに。

 そんな天上の存在も、50年も付き合っていれば気安い口も叩けるようになる。


「もう、しょうがない稲荷様ですこと。今日は、レンちゃんにお礼のケーキと、頂き物のプリンが沢山あったので、おすそ分けに持ってきたんです」

「おい、酒は、」

「ぷりん! ぷりん知ってる! 甘くてやーらかいやつでしょ!」


 はいはいと両手を上げ、ジャンプしながら可愛く会話に割り込んでくる姿を見下ろして、男の顔がだらしなく緩んだ。気持ちは解るが、仏頂面との落差が半端ない。


「レイシュ、菓子は食事の後の約束だったろう。その前にまずは、掃除を終わらせちまえ」

「うー…はぁい」


 フワフワの耳をしょんぼり垂らして、『さちばぁまたね!』と手を振りながら戻っていく子供に手を振り返し、幸は恍惚の溜息を零す。本当に可愛い。


「おい、見るな。減るっつってんだろうが」

「あらあら。こんなお婆ちゃんに嫉妬でしょうか」

「……チッ」


 相変わらず幸を見る時には憮然とした表情に戻っている男に、笑いがこみ上げてくる。

 邪険に扱っているようだが、これでいて、幸の作る料理を気に入っており、供え物を楽しみにしているのは知っているのだ。子供の手前、態度に出さないでいるようだが。

 ある者は様々な面で融通を図るため街の有力者となり、ある者は世間の眼を誤魔化すために神官となり、またある者はこの不可思議な場を変質させることの無いよう研究者となった。

 そうやって、人生のほとんどを眼前の有らぬモノに捧げ、尽くして生きてきた血族達は、この神のこれほどまでに人間臭い姿を見たことがあるだろうか。


 あと何年、この態度の悪い男に仕えることが出来るのかはわからないけれど。

 もうしばらくは、この尊くも愛おしい存在達の掛け合いを一番側で見守る役を譲らずにいられますようにと、幸はこっそり神に祈るのだった。






投稿して早速の評価、ブックマーク、とても嬉しいです。ありがとうございます。

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