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プロローグ

初投稿です。宜しくお願い致します。

 


 ◇◇◇




 フェネック――哺乳網肉食目イヌ科狐属に分類される、イヌ科最小種の動物。小動物や爬虫類、昆虫、及び植物の葉や根、果実を食する。

 主に砂漠に生息し、足の裏までも覆う柔らかな被毛は、砂の上での活動を有利にし、且つ保温性に優れ日差しから身を護る防御性も兼ねる。

 その寒暖差の激しい土地において効率よく放熱するため、顔と同程度のサイズへと進化した大きく特徴的な耳は、相応に聴覚も良い――いわゆる狐である。




 ◇◇◇





「レイシュ、飯だぞ」

「はぁい!」


 ポスポスと軽い足取りで駆け寄ってきた綿毛と見まごう幼獣を、男が片手で持ちあげた。

 短めの黒髪に健康そうな浅黒い肌。

 肉厚な身体を、着崩した濃紺の着流しが包んでいる。

 歳は二十半ばほどか。

 抱える獣についた草を払う所作は一見粗雑だが、幼獣の気持ちよさそうにとろけた瞳を見れば、その指先が優しいだろう事は容易にうかがえた。

 パラパラと落ち葉が舞うのを見て「また掃除か……」と諦めまじりに呟きながら、きびすを返した長身が向かう先には、古いけれども掃除の行き届いた社がある。

 それが、いつの間にか白い獣から着衣済みの人型に姿を変えた子供と、子供を抱えて歩く男の根城だった。


「きょう、ご飯なーに?」

「稲荷だ」

「えーまたぁ?」


 普段はつきたての餅のように白い肌だが、ぷくりと膨らんだ頬もつんとした鼻先も、いまは林檎のように赤く染まっている。

 呼ぶ間際まで鎮守の杜を走り回っていたせいだろう。


「不満なら食わんでもいいが」

「うー…デザートは?」


 素っ気なく返された答えに、恨めし気でありながらもどこか期待を含んだ、男と同じ琥珀色の瞳が向けられる。


「あるぞ。ちゃんと飯を片付けたら出してやろう」

「……ん。ぼくおいなりさん好きだもん」

「言ったな。ノルマは2つだぞ」

「だいじょぶだよ!」


 体を支える腕からあぶれた身の丈ほどの尻尾が、感情と連動してソワソワ揺れる。現金な事だ。

 けれども、固形物を受け付けなかった頃の子供を知っている男からすれば、好ましい成長には違いない。


「食い終わったら呪い(まじない)の続きを教えてやろうな」

「はぁい」


 良い子の返事に満足しつつ、少しばかりもつれた白髪を撫でるついでに梳いてやった。

 絹糸のようにサラリとした手触りは、柔らかな尻尾とはまた違った質感で癒される。

 人気の無い拝殿にひょいと上がり込んで、あちこち軋む板間を奥へと進む。

 すぐに辿り着いた色褪せた本殿には、稲荷寿司が乗った大皿と湯呑と徳利を置けばいっぱいになる小さな机に、これまた色褪せた座布団が机を挟んで2つばかり。

 そういえば、子供が来る前から枕代わりに使っていたそれは、布の傷み具合が気になっていたのだったか。

 寒くなってきたし、そろそろ厚めの物を新調してやった方がいいだろう。

 考えている間にも、腕から飛び降りた子供がうすっぺらい座布団にちょこんと正座した。その慣れた動作に、男は毎回飽きずに感動を覚えている。

 腰を下ろして手を合わせ、「いただきます」をしたら食べてもいいのだと覚えさせるのには、並々ならぬ苦労をしたのだから。

 だがしかし、手のかかる子ほど可愛いとはよく言ったもので。

 時におだて、時に甘味で釣りながら、暇に飽かせて細々とした事を、ゆっくり時間をかけて教え込んできたのだ。

 野生丸出しの最初の頃に比べたら、卵と殻付き雛くらいの差は現れたのではないかと自賛するのを、一体誰が諫められようか。


「いただきます!」


 言うと同時に稲荷寿司を小さな口いっぱい詰め込み、頬を丸く膨らませる子供の姿を肴に、徳利から直接あおって酒を飲む。

 子供にとっては大きい塊でも、男であれば3口足らずで完食出来てしまうから、食べ始めるのはゆっくりでいい。

 少し硬めに炊き上げられた生姜の香る酢飯と、甘じょっぱく煮詰めた油揚げの組み合わせは、ここ50年ほど変わっていない。

 知人に頼まれぶらりと立ち寄った社で、供えられていた味を気に入って居ついた時から、3日と空けずに饗され続けているそれが、今では子供の好物になっている事も男はちゃんと知っているのだ。


「ごちそうさまでした!」

「あいよ、お粗末サン。弁当はいるか?」

「おべんと!いる!」


 食後の日課である勉強を終えたら、どうせまた鎮守の杜で駆け回るのだろうからと、用意しておいたおやつ入りの小包を渡してやる。

 返す手で色付いた頬に張り付く米粒を取り去ってやれば、にぱりと邪気の無い笑みが浮かんだ。

 食べている間も小さな背中から下ろさなかったリュックをいそいそと膝に乗せ、受け取った小包を慎重な手つきで詰めていく姿を見るとはなしに眺める。

 鮮やかな黄色のヒヨコ型リュックは、何を隠そう男の手作りの逸品だ。

 与えた日の夕食の席で、下ろせ下ろさないのやり取りが10回を数えた時、男がくれた物だからこそ手放したくないのだと涙を浮かべて呟かれたせいで、11回目の注意が出来なくなって、結局折れたのは男の方だった。

 余談だが、今ではせっせと手作り品をこさえては与えることが男の趣味になりつつあった。

 最初こそ気まぐれで与えた物だったが、思いのほか子供が喜びを表したので気を良くした結果である。


「デザート、なぁに?」


 水筒代わりにと渡してある小さめのマイボトルに、冷めた急須の茶までちゃっかり詰め終えた子供が、さっそくリュックを背負い直しながら期待に満ちた瞳で見上げてきた。


「今日は豪華だぞ。栗吉屋の季節限定品、芋栗タルトだ」

「いもくりたると! すごい!」

「最近はお前がいるからか、供えモンに菓子類が増えてんだよなァ…酒が減らないといいんだが」


 やれやれと溜息をつきながらも、取り出したホールのタルトをきっちり二等分に切り分ける手に迷いはない。何だかんだ言って男も甘党であるからして。

 皿に乗せる時間すら待てないと伸びてくる小さな指先にフォークを持たせ、さて茶でも入れるかと、男が立ち上がり背を向けた直後にそれは起きた。


「んー? ダーカ、いま、なにか聞こえ……」

「……あァん?」


 途中で途切れた子供の声に不信を覚え、訝し気に見返った先で。

 鱗粉のような光が瞬いて消えていくのを、男は呆気に取られて見送った。

 あとには、今の今まであったはずの小さな姿が忽然と消え、薄く窪んだ座布団がその痕跡を僅かに残すばかり。


「……レイシュ……?」


 塗りの禿げた板間にカラリと転がるフォークを唖然と見つめ、思わず呟いた名前は届く相手も無いまま、本殿の壁に溶けて消えたのだった。







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