97 或る王女の理由
「中へどうぞ。おいしい紅茶とお茶菓子をご用意してますので」
声を弾ませてニナ王女は言った。
「ダールハウスさんもご一緒にどうですか?」
「申し訳ありません。職務がありますので」
「ごめんなさい、お仕事中ですよね。また、機会があれば是非」
「ありがとうございます、ニナ様」
深々と頭を下げて、第二警備隊長さんは壁の外へ出て行く。
分厚い門が重たい音を立てて閉まる。
灰色の壁は、外からこの屋敷を守っているのではなく、中の人物をここから出さないために作られているようだった。
洋館の中へ通される。
ニナ王女は、美しく迷いのない所作で僕らを客間に通した。
「こちらのソファーへどうぞ」
僕らをソファーに座らせる。
「紅茶とお茶菓子をお持ちしますね」
姿が部屋の外へ消えるのを見計らってから、僕は言った。
「エインズワースさん、バレないように部屋の調査」
「はい、アーヴィス様」
立ち上がる僕らに、
「調査?」
エリスはきょとんとした顔をする。
「ここは敵地。状況的に何があってもおかしくないからさ。あの高い壁と言い、明らかに普通じゃない。王女の住む洋館なのに、人の気配がほとんどないのも気になる」
今回はエリスが一緒なのだ。
安全面にはいつも以上に気を使わないと。
僕は気配を消してニナ王女の後を追う。
身につけてて良かった、秘密結社のエージェントスキル。
スーツの光学迷彩がない状況でも、素人相手なら十分通用する。
「…………万全の準備……悟られないよう……」
調理場の奥。
扉の前の死角に身を隠した僕は、小さな鏡で中の様子を覗く。
王女は誰かと小声で話していた。
あやしい。
僕は息を止め、耳をそばだてる。
「ここまでは完璧でしたニナ様」
年老いた女性の声だった。
「ありがとう、マクダレーネ。たくさん練習した甲斐がありました」
「問題はここからです。ニナ様の夢のために、絶対に彼には王位継承戦に参加してもらわなければ」
「そうですね。仲間になってほしいです。魔術も教えてもらいたいですし」
「そのために、ニナ様の現状については決して知られてはなりません。誰一人仲間になってもらえずにいる陣営だと知られたら、加わってなんてくれないでしょうから」
「隠し事は胸が痛いですが、がんばります」
誰一人仲間になってもらえずにいる残念な陣営らしかった。
第一王子は世界最高の選手を連れてきてるというのに。
これが格差か……。
でも、どうして断られてるんだろう?
「それでは、練習通りに」
「ええ、マクダレーネ」
出てくる気配を察知して、僕は素早く客間に戻る。
「どうだった、エインズワースさん」
「罠や武器の類いはありませんでした。薬や拷問部屋等、危険な思想の兆候もありません。ただ、一点。本が非常に多くあります」
「本?」
「はい。ざっと確認しただけでも書庫が五部屋。詳細は確認できていませんが、魔術書と政治経済についての本が多い印象でした」
ひとまず簡単に調査した時点では危険な相手ではないらしい。
とはいえ、まだまだ油断はできないけど。
「兄様、なんだかすごいね」
エリスは目を丸くしていた。
かわいかった。
ニナ王女と、メイド服の老婆が部屋に入ってくる。
「ようこそお越しくださいました。マクダレーネと申します」
老メイドのマクダレーネさんは一礼してから、テーブルにお茶菓子と紅茶を並べる。
「なっ……!? メイド……!?」
息を呑むエインズワースさん。
「キャラかぶり……負けません。絶対に負けられません。私はこのローゼンベルデで存在感ありまくりメイドにならないといけないのです……!」
なに、存在感ありまくりメイドって。
気になるところではあったけど、今重要なのはニナ王女のことだ。
「王位継承戦、陣営作りはうまくいってないようですね」
僕は目の前のソファーに腰掛けたニナ王女に言った。
「……何のことでしょうか」
「僕は交渉相手に誠実さを望みます。本当のことを言わない相手は信用できませんから」
王女の隣で、マクダレーネさんが鋭い目で僕を見つめる。
「ニナ様に失礼では――」
「いいの、マクダレーネ」
ニナ王女は、躊躇うように少し押し黙ってから言う。
「その通りです。陣営作りはうまくいっていません」
「今、ニナ王女に協力を約束してくれている方は何人いるんです?」
「……一人も。現状私の仲間になってくださった方は一人もいません」
嘘をつかないんだ、と内心感心する。
「どうして他の人は仲間になろうとしないんですか?」
「それは……」
赤い瞳が揺れた。
「ニナ様、それを言っては――」
「……ううん、アーヴィスさんの言うとおり。事情を知らないからって見せたくない部分を隠して陣営に加わってもらうのは違う。やっぱり本当のことを言わないと」
ニナ王女は僕を真っ直ぐに見つめて言った。
「その代わり、約束してください。今から話すことは決して誰にも言わないと。外に知られると、兄姉に迷惑がかかってしまうので」
「約束します」
深く息を吐いてから、覚悟を決めた顔でニナ王女は言った。
「私は魔術が使えない――欠陥品なんです」
ローゼンベルデ家にアルビノの王女が生まれたのは十五年前のことだった。
世界屈指の魔術の名家にとって、欠陥品として生まれた王女は許容できない恥以外の何物でも無かった。
幼い少女に課せられたのは虐待に近い訓練。
しかし、その結果は彼女の才の無さをただ強調するだけだった。
「九才まで一日も休まず練習して、なのに第一位階級魔術さえ使えなかったんです。本当に、才能が無くて」
欠陥品の王女は、その存在を外部からひた隠しにされるようになった。
深い森の奥、高い壁に囲まれた洋館。
許可無く外に出ることは許されない。
「でも、だから私は魔術以外のことを勉強したんです。それなら、こんな私でもみんなの役に立てるんじゃないかって」
あらゆる価値観の中心に魔術が据えられているローゼンベルデにおいて、魔術に関係しないいくつかの制度、政策は他国に遅れている部分も多くあるとニナ王女は教えてくれた。
「現在我が国は大幅な財政赤字と、高い公的債務という問題を抱えています。他国の例を見るに、効果的なのは何より歳出の削減。その上で何より重要なのは財政再建と経済成長を両立させることなんです。財政再建過程で発生するデフレ圧力を跳ね返すためにも、競争力のある企業を育て輸出を拡大しなければなりません。そのためには、包括的、抜本的な産業構造の改革が――」
内容についてはよくわからないことも多かったけど。
「ですが宮殿の中には、私が壁の外に出ることに反対する声が多数派です。このまま何もせずここで一生を終えることを望んでいる人の方が多いみたいで」
当然か、と思った。
人目に触れるだけで、自分たちの名誉に傷をつけるかもしれない存在。
しかも、それが国の中で重要なポストに就くライバルになり得る相手なら、他の兄姉は外に出したくないに違いない。
「だから私は王位継承戦に出ることにしたんです。王にはなれなくても、少しでも結果を出して私にもできるんだってことを証明したい。行動して成果を出して、ちゃんとわかってもらえれば、味方してくれる人もきっと増えてくる。そう信じてます」
そう言って、ニナ王女は僕に深く頭を下げた。
「お願いします。どうか私と一緒に戦ってくださらないでしょうか」
魔術が使えずみんなに否定されながら、それでもあきらめず戦おうとする。
その少女は――なんだか昔の僕に似ていた。
結論として、僕はニナ王女の頼みを聞き、王位継承戦に出ることを決めた。
エリスが「兄様、お手伝いしようよ」と小声で袖を引いたのも大きかったし、僕自身彼女の境遇には思うところがあったからだ。
僕の経験や前世の記憶で力になれることもあるんじゃないかと思うし。
そして何より勝利した先にある王という魅力的な就職先!
目指せ高収入&将来安泰なえらい立場!
しかし、一つだけ確認しておきたいことがあった。
「でも、だとするとこの手紙の内容は何ですか?」
「内容がどうかしましたか?」
きょとんと首をかしげるニナ王女。
「いえ、大分違うことが書かれていたので」
「私は見てないんです。マクダレーネがアーヴィスさんのことを調べて絶対に来たくなる内容の手紙を書いてくれると言うので」
「はい。我ながら完璧な仕事だったと自負しております」
自慢げなマクダレーネさん。
「ぐぬぬ……なかなか強敵です……!」
ライバル視してるエインズワースさん。
なんか別の犬が来たときのわんこみたい。
「見せてもらえますか?」
ニナ王女に言われて、僕は手紙を渡す。
視線を落としてニナ王女は硬直した。
「……え? 婚姻? え?」
白い頬が林檎みたいに赤く染まる。
「いえ、誤解です! 違いますので!」
慌てるニナ王女の隣でマクダレーネさんが言う。
「全国魔術大会の中継を見て、一度お会いしてみたいとおっしゃっていたではないですか」
「それはアーヴィスさんも欠陥品だったってお話を聞いて、この方に教えてもらえば私も魔術が使えるようになるかもって思っただけで」
「いえ、たしかにかっこいいとおっしゃっておりました。アーヴィス様はアイオライト王国の魔術界において将来有望。恋仲になり、壁を抜け出して駆け落ちというエンディングも素敵だと思います。あと、ニナ様は近頃よく恋愛小説を読んでおられますし、先日なんてノートに恋がしてみたいとポエムを――」
「ダメです! なんでもないですよ! なんでもないですからね、アーヴィスさん!」
ばたばたもみ合う二人を見ながら、エリスが首を傾けて言った。
「兄様、駆け落ちって何?」
「エリスはまだ知らなくていいことだよ」






