94 旅立ち
「絶対着いていくって言うんですよ。めっちゃかわいくないですか、うちのエリス」
グランヴァリア王立魔術学院。
教授室で僕はエメリさんと話していた。
「うん、それはわかったから。で、本題は何?」
「本題なんてどうでもいいじゃないですか。エリスのかわいさは世界の真理に最も近いところにある神の奇跡ですよ。一生このまま話しててもいい、むしろそうすべきじゃないかと僕は思ってます」
「帰ってもらっていいかな。忙しいんだけど」
「エリスの話が聞けないっていうのかー!」
「今日の君、めんどくさいな……」
あきれ顔のエメリさん。
さすがにこれ以上続けるのはよくないかな、と僕は空気を読んで言う。
「ローゼンベルデの第十七王女なる人物から手紙が届きまして」
事の次第を伝えて手紙を渡す。
エメリさんは興味深そうに手紙を見つめた。
「へえ、第十七王女が」
「知ってるんですか?」
「いや、全然。ただこれがちょっと特殊なケースだってことはわかるかな」
「特殊なケース?」
「詳しい話は行って直接聞いた方が間違いないと思う。君を一人でローゼンベルデに行かせるのは少し不安ではあるけれど」
「大丈夫ですよ。エインズワースさんも、機関の子たちもいますし」
「……黒の機関も動くの?」
「元々ローゼンベルデに進出する計画だったので」
「未だに君が黒の機関総裁だって事実を受け入れ切れてないんだけど、それについてどう思う?」
「深刻に考えすぎない方が人生楽しいのではないかと」
「君が楽しく過ごせてるようで何よりだよ」
エメリさんはため息をつく。
「やっぱり私も行くよ。片付けないといけない仕事があるから、少し遅れることにはなると思うけど」
「心強いです」
正直な気持ちだった。
エリスを連れて行く以上、万に一つも危険な目に遭わせるわけにはいかない。
実を言うと最初から来てくれるんじゃないかと期待していたんだけどね。
最近エメリさんは僕に甘めだから、心配して一緒に来てくれるんじゃないかって。
「というか、本当に忙しそうですね」
いつもは整然と片付いている教授室なのに、今日は様子が違う。
決して散らかっているわけではないのだけど、だからこそ片付けられてない小物なんかがやけに目に留まった。
エメリさんもなんだかお疲れ気味に見えるし。
「王立魔術大学の再建と魔術界の新体制作りを手伝わされててね」
「あー、フランチェスカ大師匠から」
あの人もそういうの絶対やりたくない人だもんな。
「面倒だから隙を見て逃げだそうとは思ってるんだけど」
「僕、エメリさんのそういうところすごいと思います」
「君ほどじゃないよ。……待てよ。そうか、ローゼンベルデまで逃げればさすがに追っ手も」
国外逃亡計画が行われようとしていた。
仕事から逃げるためにそこまでするとは。
さすが師匠、違うぜ。
「六賢人の後任選びが難航していてね。一気に四つも空席ができてしまったから」
「いっそ、エメリさんがなっちゃえばいいんじゃないですか?」
「その予定らしいよ」
「え?」
エメリさんは深くため息をついて言った。
「最年少記録だってさ。どうでもいいけど」
どうやら、エメリさんは六賢人になるらしい。
言われてみれば実力的に自然なことではあるのだけど、性格的には問題が――いや、六賢人ってみんな結構アレな感じか。
そんな人たちがトップでこの国の魔術界は大丈夫なんだろうか。
魔術界の将来を憂わずにはいられない。
僕のような聡明で品のある優れた人格の持ち主が上に立つべきだと思うんだけど。
ともあれ、王位継承戦に向けて僕は地下演習場で練習をする。
高魔光子波動を受けた結果、王都防衛戦では本来以上の力が出せた僕だけど、身体にたたき込まれた魔光子も時が経てば自然と外へ出ていく。
一週間が過ぎて、僕の体内魔光子保有量は外的な力を借りずに維持できる量に戻っていた。
「――頼む」
「はい、ゼロ(000)!」
ストロベリーフィールズ財閥に導入してもらった測定機をカナタくんが操作してくれる。
オペレーションチームでエースを務める彼は、真面目で成績優秀。
子供たちの中で一番ではないかと噂される中性的美少女な外見で、黒仮面騎士からの人気も高い。
たしかに僕もかわいい子だなぁ、と思う。
奴隷だった頃から食環境も改善して近頃ますます磨きがかかっているように思うし。
街を歩けば誰もが振り向かずにはいられない、スーパー美少女。
男だけど。
うん、男だけど。
「どうかしましたか、ゼロ(000)?」
いけない、ぼうっとしていた。
「気にしないでくれ。少し考え事をしていただけだ」
「ゼロ(000)は大変ですよね。世界の闇を倒すためにたくさん考えないといけないことがあると思いますし」
「いや、別にそんなことは」
「困ったことがあったら、何でもボクに相談してください。どんなことでもやります。ボク、ゼロ(000)の力になりたいんです」
少女は僕を見上げる。
長いまつげ、熱っぽい瞳。
006(シックス)と違ってそういう嗜好ではない僕でも、気を抜けば即魅了されてしまいかねない麗しの美少女。
でも男だ。
いや、待てよ。
もしかすると男でもいいのではないか?
カレー味のうんことうんこ味のカレーでは正解も出せないけれど、男にしか見えない女の子と、女の子にしか見えない男なら、女の子にしか見えない男を選ぶのが一つの適切な答えであるような気がする。
だって女の子にしか見えない男ってもう実質女の子だし。
たとえついていても、愛せなくはないような。
むしろ、ついてるところがアブノーマルな感じがして魅力的――
はっ!
一体今僕は何を!
開けてはいけない禁断の扉が若干がたがたいってるのを感じて僕は慌てて心を落ち着ける。
目を閉じると、浮かぶのはエリスの顔。
『兄様がどういう人のことを好きになっても、エリスは兄様のこと大好きだよ』
なにこのかわいい生き物。
うん、やっぱり僕にとっての一番はエリスだな。
自分の心に再確認しつつ、僕はいつもこなしているメニューを消化していく。
「すごいです、ゼロ(000)! すべての数値が過去の記録を上回ってますよ!」
弾んだ声がうれしい。
夏休みの練習やゼロ(000)として積んだ実戦の成果が出たのか、実際指標は目に見えて良化していた。
『時を加速させる魔術』は邪神戦を除けば過去最高の四倍速を記録。
体力と魔光子の消耗が激しいため、長時間継続することはできないけれど、最高速が上がったのは大きな収穫だ。
『時を止める魔術』も九秒の新記録。
『固有空間加速』や『時を消し飛ばす魔術』も、効果範囲や効力が明らかに向上している。やったぜ!
そんな中で、僕が最も確認したかったのが『事物の時を巻き戻す魔術』だった。
用意してもらった割れた瓶を一つ一つ修復していく。
修復は対象の時が巻き戻った結果として実現される。
魔術が起動すると、割れた瓶は巻き戻された映像のようにひとりでに元に戻り始める。
これらの瓶は、一時間ごとに割られている。
手際よく修復作業を続ける。
修復できなかったのは、七十三時間以前に割られた瓶だった。
「修復できるのは七十二時間まで、と」
厳密にはもう少し余裕があるだろうけど、ひとまずは七十二時間までと思っておいて間違いないだろう。
加えて、修復できるものにも制限があることを僕はここ数日の練習で発見していた。
大きすぎるものは修復できなかった。
大体八メートルくらいまでが限度かな?
死んだものを蘇らせることはできなかった。
身体の修復はできても、死んでしまった生き物が再び呼吸をし始めることは無かった。
十分だ。
エリスの目が再び悪くなっても、少なくとも現状で維持することはできるようになった。
あとは、世界を回って黒の機関を拡大。
悪魔の王をぶっ飛ばして、呪いを解かせればいい。
決意を胸に翌朝、僕は王都の駅に立つ。
アイオライトとローゼンベルデを結ぶ大陸横断鉄道に乗り込む。
「魔動高速列車の中ってこんな感じなんだ」
初めて見る魔動高速列車に目を輝かせるエリスと、
「幾末この時を待ったか……遂に、遂に私はアーヴィス様と同行するチャンスを得たのです。このチャンス絶対に逃すわけにはいきません。たくさんアピールして、目立たなければ……!!」
すごく意気込んでいるエインズワースさん。
それから、周囲には上品な服に身を包んだ子供たちが配備している。
「別に、ここまでしなくても」
「いえ、総裁の警護は機関の最優先事項。必ず無事に送り届けるよう001(ファースト)にご指示いただいています」
秘密組織のエージェントみたいにサングラスをつけた一人のチルドレンが言う。
「ご安心ください。ローゼンベルデでは複数の犯罪組織が近頃その活動を活発化させているようですが、襲撃を受けたとしても即座に無力化できるよう訓練を積んできました。何があっても総裁とそのご家族には指一本触れさせません」
見事なまでのエージェントぶりだった。
もはや本物以上の域にまで達していると言っていいのではないか。
「ありがとう。君たちの仕事ぶりを誇りに思う」
「お礼は必要ありません。我々はすべきことをしているだけですから」
みんな立派になったなぁ。
出会った頃は痩せ細ってて、ボロボロの状態だったのに。
少し大きくなった身体にうれしくなる。
こうして、小さなエージェントたちに守られて僕らはローゼンベルデへと出発したのだった。






