91 星空
「やったやった……!! 大勝利!」
勝ち取った勝利に黒仮面騎士たちは周囲から見えないところで拳を握る。
「モカちゃん……俺、やったよ……!!」
「カナタきゅん、わたしやりましたよ……!!」
「正義は勝つってことだよね!」
「すごい経験だったわ。これは良い夢小説にできるかも」
「わたし主人公の探偵小説も。探偵小説も誰か書いてほしい」
「あ、それならイヴちゃんわたし書こうか?」
「お願い……!! 楽しみ……!!」
そんな輪から少し離れたところでドランは言った。
「アーヴィス氏、よくぞ……よくぞご無事で……」
その存在がドランにとってどれだけ心強かったか。
やっぱり不出来な自分とは違う。
アーヴィス氏こそ本当のリーダーだ。
しかし続いて放たれた言葉は、ドランの予想だにしないものだった。
「勝てたのはドランのおかげだ。僕のいない中、よくみんなをまとめてくれた。本当に感謝している」
「そんな、私なんて何も……」
「何もしてないわけがないよ。君は、この組織で最も重要な存在の一人だ」
救われた、と思った。
報われた、と思った。
がんばってきてよかったと思える、そんな瞬間だった。
「あ、ありがとうございます……!!」
涙声で言うドラン。
「な、泣くほど……!?」
慌てるアーヴィス。
それを物陰に素早く駆けよって見つめるFクラス女子たち。
「きました! やっぱり最後に勝つのは大正義ドラ×アヴィなんです!」
「レオ×アヴィだって負けてませんわ! 今は逆風でもいつか必ず風が吹くって信じてますの! レオン様の寂しがりな一面からレオ×アヴィ×レオの可能性もあって――」
「オーウェン・キングズベリーさんも今界隈では注目されてるんですよ。どんな能力もコピーできるオーウェンくんはつまり受けのスペシャリスト。一般的に総受けとされるアーヴィスくんが攻めに回るのではないかという可能性も示唆されてるんです!」
「そんなのダメだよ! アーヴィスくんは総受けだから!」
「でも、固定観念にとらわれず新しいフロンティアを目指してこそ見える世界もあるはずですし」
「とにかく、早く帰ってみんなで触手BL書こう!」
「「「うん!」」」
「触手BLって何?」
「002(セカンド)は知らなくて良いです」
こうして、黒の機関一同は意気揚々と地下秘密基地へと帰還したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
「見事な魔術だった。固有時間を巻き戻し、あれだけの大怪我を一瞬で治すなんて」
地下秘密基地に帰る前、少しだけエメリさんと話した。
いつも通り魔術最優先なエメリさんだけど、どこか違和感があって僕は首をかしげる。
「なんか様子がいつもと違いません?」
「そうかな」
「ええ。いつもは魔術のことになるともっと気持ちが乗りまくってますもん。にゃおにゅーるを前にした猫みたいな感じで」
「猫って。私のことを猫扱いしたのは君が初めてだよ」
エメリさんはくすりと笑った。
「猫じゃなくてもおいしいですけどね、あれ」
「食べたことあるんだ」
「ペットフードは大体食べたことありますよ。ゴミ箱漁ってて出くわすことも多かったので。薄味で栄養価が高いので僕の中では健康食品に分類されてます。ぶっちゃけあいつらの方が僕より良い物食ってるところあるんで」
「君はいつも私の想像の上をいってくれる」
「そんなに褒めないでください。で、どうしたんですか?」
エメリさんは少しの間言いよどむ。
何度か躊躇し、それからゆっくりと言葉を選びながら話し始める。
「わからないことがあるんだ。私は魔術以外には何一つ興味を持てなかった。地位も名誉も何一つ。魔術以外のものはすべて、その気になれば簡単に手放せるものだった」
「そういう人ですもんね、エメリさん」
「なのに、あのとき大怪我を負った君を見て、失いたくないと思ったんだ。最初は魔術の未来を考える上で君の存在が重要だからだと思った。でも、おかしいんだよ。なぜかそれ以上に、君のことを失いたくないって思っている自分がいた」
「僕男性は恋愛対象外なので先生の気持ちには応えられないんですけど」
「いや、そうではないんだ。そうではないんだが」
エメリさんは痛むみたいにこめかみをおさえる。
「この気持ちは一体何だろう……?」
真面目な顔で言うのがおかしくて、僕は笑ってしまう。
それはきっと、拾った野良猫の世話をしているうちに、その猫に愛着が湧いてしまうみたいな現象で。
でも、良い変化だと思った。
エリスの手術の日、僕にいろいろ聞いたエメリ先生は『大切』の感覚を知りたがっているように見えたから。
自分も『大切』がほしいのだと、どこかでそう思っているように見えたから。
「それでいいんです。すごくいいことだと思いますよ」
「見てくださいましたか、アーヴィス様! 私の、それはもうすさまじい獅子奮迅の大活躍を。仮面メイドとして戦場に舞い降りた私は、並み居る強敵たちをばったばったとなぎ倒して、周囲の皆様から喝采を浴びてですね!」
基地に帰った僕に、エインズワースさんは声を弾ませて言った。
大活躍だったらしい。満足しているようで良かったと思う。
正直、僕は助けに行ったルート的にまったく視界に入ってなかったんだけど。
き、きっと目立てたんじゃないかな!
そういうことにしとこう! うん!
「今後はもっともっと目立っていきますので! 見ていてくださいアーヴィス様! 表の姿は最優の従者、裏の顔は謎の仮面メイド! おおっ! 個性の固まりではないですか! 目立てる気しかしませんよ! ええ!」
「応援してる。がんばって!」
うれしそうでよかったと思いつつ、僕はエリスの元へ急ぐ。
無事だと聞いているけれど、少しでも早く顔が見たかった。
「よかった……本当によかった……」
エリスは声をふるわせて言う。
「大丈夫。地上最強の生物な兄様は、伝承の怪物くらい楽勝で倒せるから。ほら、無傷」
「兄様は無茶ばっかりして……」
目元を拭うエリス。
長いまつげに涙が浮いていて僕は慌てる。
「ほ、ほんとに大丈夫だから! 新しい魔術も使えるようになって、むしろ安全性は当社比二百パーセント向上してるというか」
「もっと自分を大切にしてほしい」
「僕ほど自分を大切にしてる人間もいないって」
「これだから兄様は……」
エリスはじっと僕を見つめてから、ため息をつく。
「やさしい兄様のことだから、みんなのこと放っておけないのはわかるけどね。そういうところも好きだし」
「最後のところもう一回お願い」
『もう兄様は』
そう怒られると思った。
だけど――
「好きだよ」
真面目な顔でエリスは言った。
「いい? 約束して。どんなときでも絶対に自分の命を優先してほしい。わたしは兄様に生きていてほしいから。兄様は自分なんてどうなってもいいって思ってるところあるけど、わたしにとっては本当に何よりも大切で。黙って置いて行かれるのなんて絶対に嫌で。世界中の人の命全部と比べても、兄様を選んでしまいそうなくらいわたしは兄様に生きていてほしい。傍にいてほしい。幸せになってほしいの」
瞳が真っ直ぐに僕を射貫いている。揺れている。
「わかった?」
「うん、わかった」
この子を守るためなら僕は何だってしよう。
世界中の人なんてどうでもいい。
どんな手を使っても、僕はこの子を幸せにする。
そのときだった。
僕のお腹がくーと幸せな音を立てたのは。
「ごはんもしっかり食べてもらうからね」
「うん、食べるよ」
「もやしだけじゃなく、カレーも食べてもらうから」
厳しい先生みたいにエリスが言うから、
「わかってる」
おかしくて、僕は笑ってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
その夜、アイオライト別邸に帰ったリナリーは、庭で待っていた人物に驚く。
「何してるの」
「少し話がしたくてね。抜け出してきた」
そこにいたのは、リナリーの父――国王リンドバーグ・ライネス・アイオライト。
目を疑う光景だった。
国の王が一人で何をしているのか。
「王なのにそんなことしていいの」
「ダメだろうね。また城で暗君って噂されてしまうな」
父は笑う。
「貴方がそんなことだから」
「いいんだよ。暗君だと思ってもらえた方が良いんだ。その方が、みんな警戒しないでくれるから」
「え――」
予想外の言葉だった。
「生き残るために重要なのは自分を強く見せることじゃない。むしろ弱く見せることの方が大切なんだ。簡単に倒せると思ってくれてる方が対処もしやすい。私は絶対に死にたくないんだよ。王の責務なんかより自分の命の方が大事だから」
「そんなの王として言っていいことじゃ――」
「いいんだ。自分を大切にできない人間には何も大切にできない。自分が生き残るために国王として知恵を絞って最善の選択をする。それが私のやり方だよ」
父は青い瞳で真っ直ぐにリナリーを見つめて言う。
「今回もある程度はうまくいったと思ってる。王の盾が来ないとなると黒の機関は必ず動いてくれると思った。何より、王が逃げたと噂になった方が、人々も本気になって避難してくれる。緊急時だと認識してくれる。王都を守ろうとそれなりの数の民衆も動くだろう。あとは、戦況の終盤、敵が最も危機に陥っているタイミングで攻勢をかければいい。国内最大戦力による伏兵。敵は不意を突かれる。そのとき戦力は最大化される」
「貴方は……」
目の前にいる父は、自分の知っている父とは別人のようだった。
違う。
知っている父とは。
王城で認識されている父とはまるで違う。
この人は一体……
「私もこう見えて、いろいろがんばってるってことさ。社交界に出るのも他国との結びつきを悟られないように強めるため。もちろん、遊び好きの無能な王って評判が欲しいのもあるんだけど」
父は言う。
「あとは君だけ、ヴィンタートゥール皇国に嫁がせられたら最善だったんだけどな。あそこは治安も良いし、何より他国から迎えた姫を大切にしてくれる空気がある。普通にしてるだけで幸せになれるのに」
「絶対に嫌」
「うん、そうだね。知ってる」
父はにっこり目を細めた。
「君だけは、昔から本当に思い通りになってくれなかった。私がどんなに操作しようとしても意思がぶれない。芯が強いというか頑固というか自己中心的というか。まあ、最後のは私の娘だからしょうがないか」
肩をすくめて続ける。
「最後くらいだよ。思い通りに進んだのは」
「まさか、あの日会いに行った私に言ったのは」
「そういうこと」
父は何でも無いことのようにうなずく。
「本当は、君にもこんな話をするつもりはなかったんだ。敵を騙すにはまず味方から。何より、裏切りの可能性も考慮しておく必要があるからね。ただ、父親として君にだけはちゃんと話しておくべきだと思った。こういう甘さって隙になるから嫌なんだけど、私も年を取ったってことかな」
ため息をついてから言った。
「君は君の道を進めばいい。もし失敗してもそのときは助けるから、ってこんなことを言うと君は嫌がるか」
頭をかいて、それから――
「応援してる。抱えきれないくらいの幸せが降り注ぐことを祈ってる」
言葉の意味がなかなかつかまえられなかった。
そんな風に言われるなんてまったく思ってなくて。
ずるい。
そんなの……
そんなの、ずるいじゃないか。
父は門の外へと歩きだす。
遠ざかる背中に、リナリーは言う。
「ありがとう、お父さん!」
夏の終わり――
満天の星々が、別々の道を行く二人を励ますように輝いていた。