90 王都防衛戦4
瞬間、怪物の脇腹に炸裂したのは鮮やかな蒼い炎だった。
魔術が付与された剣から放たれたそれは、一瞬で触手を灰に変える。
積み重ねた異常な量の訓練によって極限まで合わせられた一斉攻撃。
素人のそれとはまったく違う一糸乱れぬ動きで戦場になだれ込んだ彼らの姿に、人々は自分の目を疑った。
「王の盾……」
半信半疑のつぶやきは、やがて確信に変わりはじめる。
「王の盾だ! 王の盾が来てくれた!」
「王城警備隊もいるぞ! 国王は全軍を以て怪物を倒すつもりだ!」
「おい、国王がいる! 国王自ら戦場に!」
「逃げようとしてるって噂は嘘だったのか!」
彼らの姿が戦場の人々に与えた影響は大きかった。
心理状態は戦いに大きく影響を及ぼす。
その上、最前線では人間離れした異常な動きの黒仮面騎士が、一人で触手の群れを圧倒していた。
はためく外套。
ちぎれ飛ぶ触手。
特別製の黒い仮面。
その名前を、彼らは知っている。
「――000(ゼロ)だ! 000(ゼロ)がいるぞ!」
「あの閉会式で悪魔を一撃で倒したやつだよな!」
「これならいける! 勝てるぞ!」
放たれる魔術砲火の勢いが増す。
寄せ集めだったアイオライト王都防衛軍は今、本当の意味で一つになっていた。
しかし、さらに力を増す大軍を前にして『強欲の邪神』は優雅に触手を揺らしている。
その身体が淡い緑色に発光する。
懸命に刻んだ傷が、切断した触手が、再生する。
この状況にあって、『強欲の邪神』は一切のダメージを負っていない。
正に神の奇跡としか形容し得ない人知を超えた回復力。
対して、既に最大戦力が投入されたアイオライト王都防衛軍はここから数を減らすしかない。
長引けば長引くだけ、戦況の針は残酷に傾いていく。
分水嶺――
絶対に勝負を決めなければならない五分間が始まろうとしていた。
戦線に復帰した000(ゼロ)――アーヴィスの力は、今までに増して圧倒的なものがあった。
身体から魔光子が迸っている。
体内に目一杯押し込められた魔力量が何もせずとも漏れ出しているみたいだった。
(そうか、超高濃度の魔光子波動を浴びたから)
魔力量はそのまま魔術の強さにつながる。
五倍速にまで達したその動きは巨竜のような触手さえ圧倒する。
加えて、リナリーを勇気づけたのは戦場に現れた父の姿だった。
嫌いなのに。
大嫌いなのに。
それでも、姿を見るだけで安堵してしまうのはなぜなのか。
(悔しい……)
『キルゾーンに入りました! Lが魔術を放つ隙を作ってください!』
オペレーションチームの声に、一斉に触手を食い止める黒仮面騎士たち。
触手の波は、なおも防衛線をこじ開けて突破しようとするが――
『時を止める魔術』
瞬きの間にバラバラに裁断されている。
七秒の限界を超えた時間停止。
最後はアーヴィスに阻まれて届かない。
(絶対に成功させる……!!)
リナリーは術式を起動させる。
絶対に失敗できない。
みんなの思いを込めた一撃。
固くなる心に力をくれたのは、この夏休みずっと一緒だった友人の言葉だった。
『もし失敗しても、みんなでなんとかする。抱え込む必要は無いから』
そういえば、あんな風に同級生の友達と毎日一緒に過ごすなんて初めてだったかもしれない。
自分の夢を叶えるのに必死で。
だから誰かと遊んでいる時間なんてなくて。
だけど、できた友達の言葉はリナリーに力をくれていた。
『でも、頼りにしてる』
良いとこ見せなきゃ。
『わたしと違って何でもすごくできる人だから』なんて言ってくれるあの子のためにも。
『今です、L――――!!』
オペレーションチームの声。
リナリーは術式を起動する。
それはあの日放った以来の、会心の手応え。
一度も起動してくれなかった魔術が起動する。
(いける、これなら……!!)
集中していたリナリーは、目の前に迫る脅威に気づくことさえできなかった。
コアが真紅の光を放つ。
鮮血のような鮮やかな赤が不気味に大地を染め上げた刹那、一斉に放たれたのは数百の触手。
黒仮面騎士の防衛線が突破される。
時間を止めてギリギリのところでそれを食い止めたアーヴィスだったが、しかし一本の触手に突破を許してしまう。
『L――――ッ!?』
化物が放った渾身の一撃。
それは魔術を放とうと伸ばしたリナリーの右腕を一瞬でえぐりとった。
(え――――)
目の前の状況が理解できない。
どうして腕が無くなっているんだろう。
真っ赤な血が噴水みたいに噴き出しているんだろう。
冗談はやめてほしいな。
魔術師にとって腕っていうのは絶対に失ってはいけない大切なもので。
信じたくなかった。
だけど、本当は心のどこかでわかっている。
もう魔術師を目指せる時間は終わりってこと――?
「リナリー!?」
聞こえる声は悲鳴みたいだった。
いつも落ち着いた声の友達は、見たこと無いくらい取り乱していて。
氷で私の腕を止血して駆け寄ってくれる。
びっくりした。
そんな必死な姿見たことなかったから。
「大丈夫、任せて」
とどめを刺そうと疾駆する触手を切り飛ばして、駆けよってきたのはアーヴィスだった。
『事物の時を巻き戻す魔術』
淡い銀色の光がリナリーの身体を包む。
浮き上がる大きな時計、その針が逆側に回り始める。
何事もなかったみたいに腕が再生する。
ちぎれ飛んだ戦闘用スーツの袖まで、元通りに。
『腕が、再生した……!?』
『そうか、身体の固有時間を巻き戻して……!!』
起死回生の新魔術は、彼らに再び勇気をくれる。
『L! 今度こそ支える! もう一度! もう一度チャンスをくれ!』
ドランの言葉にリナリーはうなずく。
「お願い!」
もう一度。
心を落ち着けてリナリーは魔術を起動させる。
集中するリナリーの肩をそっと支えたのはイヴだった。
「絶対に成功する」
その隣でアーヴィスがうなずく。
「焦らずゆっくり時間をかけていい。僕が時間を加速させるから」
本当に……、
本当に頼りになる。
近くにいる二人がリナリーに力をくれる。
加速した時間の中で術式を組み上げたリナリーは、周囲の空気が普段と違うことに気づいた。
「魔光子の電気伝導性は温度が低い方が優れた値を示す。温度の上昇に伴って伝導電子が散乱するから。だったら超低温状態を作ることで、電子の動きをより効率的なものにできる」
その通りだった。
電流の流れ方がいつもと全然違う。
(これなら――)
加速した時間、超低温の世界で、リナリーは術式を組み上げる。
言葉を交わさずとも、お互いが何をしようとしているのかわかっていた。
それはこの夏一緒に過ごした時間が作る、この三人でしか放てない魔術――
『加速超伝導電磁反物質粒子砲(アクセル・フリージング・フルライトニングバースト)』
光が世界を埋め尽くす。
時間が加速した空間、冷却された超伝導状態の魔光子内を電子は一切のロスなく疾駆する。
光速まで加速させて放たれた陽電子と、引き起こされる対消滅による莫大なエネルギー。
『強欲の邪神』は素早く触手の壁を作り攻撃を受け止めようとする。
幾重にも折り重ねられる分厚い触手の巨壁。
もはや壁というより立方体に近いその壁を、しかし光線は一瞬で蹂躙する。
怪物の巨体を貫通する。
空へと真っ直ぐに伸びていく。
はるか彼方で茜色の雲を裂く。
その一本の線があったのはほんのわずかの間。
しかし、その線はそこで時間が止まっていたのではないかと錯覚するほどに人々の目に焼き付けられる。
そういう、超現実的で美しい線だった。
山のような怪物は沈黙する。
静止してぴくりとも動かずにいる。
やがて、一本の触手が大地に落ちる。
砂で作られていたかのように瓦解して黒い灰に変わる。
それがきっかけだった。
触手は崩れ落ちて、根元に向け一斉に黒い灰へと変わっていく。
半透明の赤黒い身体は、黒い山に変わって崩壊する。
風に舞い上がる黒い塵と灰。
ひび割れた巨大な紫色のコアがごとりと大地に落ちた。
煙が風にさらわれるように、怪物は消えていく。
まるで、悪い夢だったみたいに。
「……勝った、のか?」
誰かが言う。
その響きは、実感となって人々の胸の中で大きくなる。
「勝った! 俺たちの勝ちだ!」
「王都を守り抜いたんだ!」
遠くから聞こえる大歓声も、リナリーにとってはどうでもいいことだった。
達成感も満足感もない。
今はただ、自分を支えてくれた二人に感謝を伝えたい気持ちでいっぱいで。
「むぐっ」
「おわっ」
大切な友達と、好きで好きで仕方ない彼を一緒に抱きしめる。
べたべたするのは好きじゃないリナリーだから、そんな行動は本当に珍しくて。
だから、二人ともきっとびっくりしてて。
だけどそんなことは関係ない。
二人がいたからできたんだ。
ここまで来ることができた。
王都を救うことができた。
私の力なんて微々たるもの。
すべては二人が支えてくれたからで。
リナリーはあふれだした気持ちそのままに、二人をまとめてぎゅっと抱きしめる。
「大好きっ!」
黒い仮面の裏にあったのは――
友だち付き合いなんて一切せず、自分の夢を追い続けたリナリーの、とても珍しい年相応の笑顔だった。






