89 王都防衛戦3
集まった人々の援護を受け、黒仮面騎士は『強欲の邪神』との距離を着実に詰めていた。
『迸る閃光と轟雷』
『氷槍の豪雨』
リナリー・アイオライトとイヴ・ヴァレンシュタインの魔術は夏休み中の練習でさらに出力を増している。
二人が作った突破口にすかさず、周囲の戦士達が殺到する。
『この程度、夢小説の中で戦った敵で想定できているわ』
『モカちゃんたちの未来は俺が守る!』
『触手BLやるなら、ドラ×アヴィが揃ってるときにしてください! この無能触手め!』
国さえ滅ぼしうる伝承の怪物を前にしてなお、黒の機関は負けていない。
それは中心にいるドランも同様だ。
この状況に置いて、ドランはほとんど最善に近い選択肢を選び続けていた。
もちろん実力だけによるものではない。
運の要素も大きくある。
しかし、運をたぐり寄せているのは紛れもなく彼の姿勢だった。
自身を過信せず、何度も確認しながら。
素早く決断するために常にいくつもの可能性をシミュレーションする。
(アーヴィス氏の代わりにはなれない。それでも、自分にできる全力を尽くす……!!)
大きなプレッシャーの中、ドランの集中力は研ぎ澄まされている。
しかし、そこに落とし穴があることに彼は気づいていなかった。
(――――!?)
大蛇のような触手。
前線を突破した三本が絡み合って、ドランを粉微塵にしようと疾駆する。
思考のリソースを指揮官としての仕事に最大限注いでいたがゆえの隙。
(しまった――)
やられる。
やられてしまう。
まだ倒れるわけにはいかないのに。
だって自分が倒れたら指揮系統はめちゃくちゃに――
『――させるか!』
『我らがクラス長には指一本触れさせん!』
しかし悪い想像は現実にはならなかった。
触手を両断したのは、苦楽を共にしてきた仲間たち。
『抱え込みすぎですよ、001(ファースト)』
006(シックス)が庇うようにドランの前に立っていた。
『私たちをもっと頼ってください。仲間ではないですか』
はっとした。
アーヴィス氏の代わりに指揮官を務める自分が、誰よりもしっかりしなければいけないと思っていた。
『そうです! 級長は俺たちが支えますから!』
『不遇な日々の中、荒んでいたわたしたちを一つにしてくれたのが誰だったのか』
『小生たちは忘れてはおらぬゆえ!』
『絶対に守ります! アーヴィスくんハーレムには欠かせない存在なので!』
『そう! ドラ×アヴィ! ドラ×アヴィこそ至高ですから!』
『何より、級長にはもっと輝いてもらわないと』
まったく、こいつらは……
本当に、本当にバカばかりで。
面白そうなことや好きなこと。
欲望のためには、ノーブレーキ。
暴走機関車な問題児揃い。
なのに、どうしてその言葉がこんなに胸をあたたかくするのか。
力をくれるのか。
照れくさい言葉を言ってしまいそうになって、ドランはあわてて言葉を飲み込む。
本音は、大切だから口にしない。
「輝いては余計だ!」
戦闘の中、照れ隠しが混じった語気の強い返しに、みんながくすくすと笑う。
まったく、お前たちは――最高だ。
背中を押してくれる力を感じながら、ドランは地面を蹴る。
リナリー・アイオライトにとって、それは特別な意味を持つ戦いだった。
幼い頃に魔術に出会って、魔術師に憧れた。
敷かれたレールの上ではなく、自分で道を切り開き、好きなことに打ち込んで生きていく。
そんな姿は、退屈な王女としての暮らしに飽き飽きしていたリナリーには輝いて見えた。
見栄と外面ばかり気にしてるくだらない人たちの顔色をうかがって生きるのはたくさんで。
社交辞令と褒め言葉の後、見えないところで陰口を言っているような連中と、同じ空気を吸うのは我慢ならなくて。
鳥かごの中を飛びだして、自分も、そんな風に命を燃やして生きていきたいと思った。
一度きりの人生なのだから。
一番後悔の無い道を選びたい。
流されるのではなく、自分で決めた道を。
『アイオライト王国ってどういう風にできたか知ってる?』
思いだすのはある日、姉様が教えてくれた昔話を聞いた日のこと。
『初代国王のリヒャルドフリート・アイオライトは怪物を封印して、人々を救ったんですって! わたしたちもみんなを守れる素敵な人にならなくちゃね!』
魔術師になると言って以来、周囲から浮いていた私に気にせず話しかけてくれるリース姉様の存在はありがたかったけど、姉様の言う王族としての義務には興味が持てなかった。
そういうのは、私以外のやりたい人がいれば良い。
私にとって重要なのは、自分の選んだ道を進むことだけ。
……そう思っていたのに。
(私にも、王族としての責任感みたいなものがあったなんて)
あるいはそれは、やることなすこと気に入らない価値観正反対な父への反抗心からってところもあるんだろうけど。
加えて、王都の病院で眠るアーヴィスくんのこともあった。
もし、ここで撃退に失敗したら、動きだした怪物は病院を襲うかも知れない。
(結局どこまでいっても自分勝手だな、私)
それでも、罪悪感なんて微塵も感じない。
私は私がやりたいように、私の幸せのために、全力で戦う。
それが私という人間に関わってくれたすべての人にできる、最大限の恩返しだと思うから。
『対象との距離接近。作戦フェイズ3に移行。問題は、どの方法で仕留めるかですが』
「私がやる」
オペレーションチームからの通信に、リナリーは応える。
『大丈夫?』
入ったのはイヴからの通信だった。
心配そうなその響きは、作戦フェイズ3の最終目標である標的の撃破。
リナリーをフィニッシャーとする場合、『電磁反物質粒子砲』が必要だと知ってるからで。
「任せて。決勝の私見たでしょ。大事なところでは強いの」
『クラス対抗戦の決勝は全然ダメだった』
「……なんのことかしら」
『彼からこの前聞いた。ふふっ、落とし穴に落ちて動けなくなるなんて』
「笑うな!」
くそ、アーヴィスくんめ!
言わないでって言ってたのに……!!
『わかった。任せる』
イヴは言う。
『貴方は、わたしと違って何でもすごくできる人だから。彼が関わらないことならだけど』
「……それについては何の反論もできないけど」
『もし失敗しても、みんなでなんとかする。抱え込む必要は無いから』
淡々とした中に、あたたかさのようなものが混じっていた。
『でも、頼りにしてる』
切れた通信に、リナリーは少し驚いている。
イヴがこんな風に言ってくれるなんて。
『わかりました、Lをフィニッシャーとする形でルートを策定します。撃破可能射程まで全員でLを連れて行ってください!』
オペレーションチームの言葉に、全体チャンネルでイヴの声が聞こえる。
『みんなでLを狙いやすい位置まで連れて行く』
『よし! 全力でLをサポートするぞ!』
『任せて、私は仕事と夢小説には本気しか出せない人間だから』
『モカちゃんたちのために勝つ!』
『勝ったらこの経験を活かしてみんなで触手BLを書きましょう!』
『いいね触手BL! 新しい可能性が広がりそう!』
『絶対勝たなきゃいけませんわね!』
頼もしい。
彼らだけじゃない。
後方で支援してくれる人たちも含めて。
みんなが怪物を倒すために一つになっている。
リナリーの背中を押している。
(絶対に……決める)
しかし、そのときだった。
『強欲の邪神』、そのコアが真紅の光を発したのは。
明るく鮮やかで、しかし不思議なほど不気味な赤い光だった。
見ているだけで背筋が凍り付くような。
そして放たれたのは、今までのそれとはまったく違う速さの一撃。
大樹のような触手は、一撃で八騎の黒仮面騎士をはるか後方へ吹き飛ばした。
『020(トゥエンティ)!?』
『ちょっと! うちの天才が手を怪我したらどうするんですか!』
『な、なんてでたらめ……』
苛烈さを増した攻撃に、黒仮面騎士の足が止まる。
前に進めない。
それどころか、じりじり押し戻されていく。
邪神の身体が淡い緑色の光を放つ。
切り飛ばした触手が再生していく。
(まずい、このままでは……)
撃破が可能な射程には入れない。
完全回復能力がある以上、どんなにダメージを与えてもコアを破壊しなければ戦況は劣勢でありつづけるというのに。
しかし、そんな逡巡が許されたのも僅かな時間だった。
『強欲の邪神』のコアが再び真紅の光を放つ。
荒れ狂う巨竜のような十七の触手が一斉に放たれる。
(そんな――)
あまりの速さにリナリーたちは反応できない。
その一撃は、リナリーだけでなく、黒仮面騎士のほとんどを一撃で戦闘不能にする破壊的な一閃。
巨竜のような触手が迫る。
最後に頭を過ぎったのは、自身の背中を押してくれた姉の姿だった。
(ごめん、リース姉様――!!)
痛みへの恐怖に目を閉じるリナリー。
しかし、来るはずだった衝撃はいつまで待っても来なかった。
『――みんな、待たせてすまない』
聞こえてきた声が信じられなかった。
嘘だと思う。
そんなことあるわけないと思う。
だってそんなの、都合が良すぎで。
ありえなくて。
でも、本当であって欲しかった。
病院で眠っているはずの彼が、いつもどおりそこにいてくれたら。
それだけで、私は幸せで。
半信半疑で目を開ける。
ずたずたに切断され、ちぎれ飛ぶ巨大な触手たちの真ん中で、彼は黒の外套を翻して立っていた。
大好きな人が立っていた。






