88 王都防衛戦2
「本当にあの人たちは……」
モカは怪物へと走る黒仮面騎士の背中を見てつぶやく。
仮面の下の瞳は涙でにじんでいる。
それは、作戦が始まる前の出来事だった。
「あたしも戦わせてくれ! じゃない、ください! お願いします! 力になりたいんです!」
モカは、006(シックス)に言った。
000(ゼロ)がいない緊急事態。
しかも相手は、人間が戦える相手とは到底思えない化物だ。
自分にもできることがあるのなら。
たくさん勉強して、魔術プログラミング言語も覚えて、組織内のテストでは最高得点を取った。
念願だった戦闘用スーツとコードナンバーももらった。
戦闘の練習はできてないけど、喧嘩には多少の自信がある。
少しくらいは力になれるはずだ。
盾になって、死んでしまうはずだった誰かの身代わりになるくらいのことは――
だけど、006(シックス)はモカの同行を許さなかった。
「君たちは、我々の未来だ」
もし自分たちが死んだら、と006(シックス)は言った。
そのときは、僕らの代わりにモカちゃんたちがこの国を守るんだよ、と。
「名前、覚えててくれたんですか」
モカはびっくりする。
いつも寡黙な印象の006(シックス)とは、覚えている限り一度も関わりが無い。
座学の授業でも講師として来ることはなかったし、いつも危険な戦闘部隊の最前線にいて、必ず成果を出して帰ってくる。
あんな風になりたいと密かに憧れていた。
そんな、かっこいい先輩が、自分の名前を覚えていたなんて。
「すまない、忘れてくれ」
006(シックス)は言う。
「君たちが生きて幸せになってくれることを願っている」
(こんなときまで、あたしたちの心配をしてくれるなんて……)
本当に、なんて良い人なんだろう。
006(シックス)さんだけじゃない。
みなさんはやわらかいベッドをくれた。
勉強を教えてくれた。
どこに行っても通用する技術力をくれた。
それは、きっと自分たちがもし死んでも、あたしらが困らないようにするためで――
(頼む。神様、力を貸してくれ。あたしはまだ何も返せてないんだ。もっともっともっと、恩返ししたい。一緒に過ごしたい。だから)
モカは怪物へと迫る黒仮面騎士の背中を見て願う。
戦っているのは現場の戦士だけではない。
地下秘密基地では、オペレーションチームが刻一刻と変わる状況をモニタしながら、黒仮面騎士に指示を送っている。
相手は未知の怪物。
伝承の記録は頭に入れているとは言え、攻撃パターンには不確定要素の方がずっと多い。
指示の失敗は、即取り返しのつかない状況に直結する。
安易な判断はできなくて。
しかし、迅速に決断しなければ、状況は次々と先へ進んでしまう。
難しい状況にも関わらず、彼らの心に迷いはなかった。
命を救ってくれた人たちの力になることができるのだ。
こんなにうれしいことがあるだろうか。
腕を磨き、準備してきたのはこのときのため。
迷いなんてそんなもの、あるわけない。
『こちらオペレーションチーム! 最適なルートを算出しました! 三時の方向に進んでください!』
黒仮面騎士たちは一斉に三時の方向に向かう。
迫り来る触手の津波を両断すると、エアポケットのようなスペースが目の前に現れた。
このスペースを使わせないように、と怪物はこちらの方向から攻撃をしたのだろう。
そして、オペレーションチームはその意図を完全に看破したのだ。
エアポケットを走る黒仮面騎士。
紫色に発光するコア。
刹那放たれた触手は、今までのそれとは速さも量も格段に違うものだった。
「なっ――!?」
それは戦闘用スーツで強化された彼らの迎撃能力さえも凌駕している。
しかし、誰も反応できないその微かな時間の中で、その二人は魔術を起動させていた。
他を寄せ付けない圧倒的魔術起動速度。
『八炎殺地獄』
『六炎殺地獄』
エメリ・ド・グラッフェンリートとオーウェン・キングズベリー。
業火が一瞬で触手を蒸発させる。
燃えさかることさえ許されず、気体に変わって霧散する。
「私たちが道を作る」
「止まるな。前へ進め」
触手の海に風穴が空く。
『強欲の邪神』が再び攻撃体勢に入るより早く、さらなる魔術攻撃が空いた穴を広げるべく殺到した。
「あんな化物なんかに好き勝手させるものですか!」
言ったのは学院生部隊の指揮を執るメリア・エヴァンゲリスタ。
「クロエさん、ブルーウォーター部隊斉射!」
「了解です!」
『水弾の機関銃』
破砕したポンプ車のブルーウォーターを使った水魔術攻撃。
「今よ、フィオナさん! 炎魔術部隊合わせて」
「任せて」
『炸裂する十一の火花』
一斉に放たれる炎熱系魔術。
散布されたブルーウォーターと反応して爆炎が吹き上がる。
燃焼し失われた酸素を、土魔術部隊と風魔術部隊が即座に供給する。
「土魔術部隊で防壁と風の通り道を作ります!」
「使ってください!」
モニカ・スタインバーグ、デニス・カンナヴァロたち土魔術部隊が作った土壁の中、
「おう、ぶちかますぞレオン!」
「はい、先輩!」
『風の前の塵に同じ』
グロージャン・ランビエールとレオン・フィオルダート、そして風魔術部隊が一斉に風魔術で酸素を送り込む。
さらに勢いを増す猛火の塔。
「私たちも決めるわよ! レリア、合わせて」
「はい、姉様!」
『高貴で優美な桜の双大嵐』
花びらの大嵐が触手を切り飛ばし、吹き飛ばす。
追い風を背にして、黒仮面騎士は駆けた。
支援攻撃はそれだけに留まらない。
「来ました! 見せ場です、見せ場! ここでなんとしてでも目立たなくては! 基地で仮面も借りてきたので身バレ対策もばっちりです! さあ、蹂躙させてもらいますよ、古の邪神!」
触手の海に飛び込んだのは、黒仮面にメイド服の謎の女性。
人間離れした身体能力で地面を蹴り魔術を起動する。
『裁断する水蜘蛛』
現れたのは疾駆する水流の糸。
周辺一帯を閃光のようにはしったそれは、襲い来る無数の触手を一瞬で八つ裂きにした。
「見事な水魔術だ。あと、かわいい」
言ったのはヴァレンシュタイン家当主、ノエル・ヴァレンシュタイン。
「何か言ったかしら、あなた?」
絶対零度の視線と言葉。
王国一の氷魔術の使い手ではないかと噂される彼女は、その妻ミサ・ヴァレンシュタイン。
「ひっ。いえ、なんでもないです」
「あら、そう?」
「はい。王国の窮地ですし、ここは戦いに集中するべきではないかと」
「そうね。じゃあ、お話は勝ってからたっぷり聞かせてもらいましょうか」
「はい……」
『双氷の世界』
瞬間、空気が液体化して蒼に染まる。
蠢く触手の波は一瞬で凍りついて氷像になった。
炸裂音と共に、それを破壊したのは巨大なレーザー砲の砲撃――
試作S2型ブラスターパンツァー。
380mmブラスターカノンを搭載した重戦車の中で、ウィルベル父と祖父は声を弾ませる。
「よし、成功したぞ! 大戦果だ!」
「おい、次は儂だ。儂に主砲撃たせろ」
「了解です、お父さん」
「見ておれ、その昔ブランコでの靴飛ばしでそのコントロールから『白い死神』と恐れられた儂の力を見せてやる」
「ああ、楽しい……!! 正義の味方楽しい……!!」
ウィルベル母と祖母は穏やかに微笑む。
「やれやれ、男の人はいつまでも子供ですね」
「そういうものですから」
そして放たれるすさまじい威力のレーザー砲。
大地を揺らすその衝撃に、六賢人フランチェスカ・ロールシャッハはため息をつく。
「なるほど。俗世にも相当のアホがいるらしい」
「すごいわフランちゃん! 新しい! あんなの初めて見た! あれあたしも乗せてもらえないかしら!」
「脳天気ぶりではこっちのアホも負けていないが」
「一緒に乗りましょ! 行って交渉してくる!」
「待て。今は大事な状況だろうが」
「おっと、そうだったわね。失敬失敬」
ミス・ウォルター・フォン・ブラウンは頭をかいて言う。
「まずは、目の前のこれをぶっ倒さねえとな」
「ああ。叩きつぶして検体にしてやろう。それが先人たちへの一番の供養になる」
『水竜砲』
炸裂したのは巨大な竜のような水の大砲。
蠢く触手の壁に、一瞬で大穴が空いている。
それは水による一撃であることさえ理解が追いつかないほどの破壊力。
現れた脅威に殺到しようとする触手たちは、近づいた端から、生命力を失って大地に落ち朽ちる。
『曼珠沙華』
きらきらと塵のように光を反射する空気。
舞っていたのは神経性の猛毒だった。
フランチェスカが調合し、風魔術で制御する毒花粉は触れた端から、神経細胞に作用しその機能を麻痺させる。
「あなたたちならできる! 行きなさい!」
「そのまま王国まで救ってこい、アホども!」
みんなで作った隙に乗じて、黒仮面騎士はさらに深部へ侵攻する。
集まったすべての人々が、王都を救おうと戦っていた。






