87 王都防衛戦1
「――状況開始」
天へとそびえる漆黒の柱。
そこへ最初に放たれたのは集まった魔術師たちによる強烈な魔術砲火だった。
炸裂するすさまじい爆炎と衝撃。
大地が振動する。
あまりの衝撃波に、黒柱のそばにあった建物の残骸が吹き飛ぶ。
閃光のように空気が明滅する。
まだ明るい大地をさらなる白で埋め尽くす。
「す、すげえ威力……」
「これなら……!!」
しかし、そんな期待はすぐに裏切られた。
黒煙の中、悠然と現れたのは山のように巨大なクラゲに似た姿の怪物。
空を覆う巨大な赤黒い傘には、泡立ち爛れたような跡が無数に散る。
蠢く無数の触手はその一本一本に茨のような鋭い棘がついていた。
脳髄の神経回路のように複雑に入り乱れるそれの奥、半透明の傘の中心で、円形のコアが怪しく紫色の光を放っている。
『強欲の邪神』
晴れた煙の先、あやしく光を放つその身体には傷一つ無い。
「効いて、ない……」
「無傷だと……そんな、バカな」
それは目にしているだけで背筋を冷たいものが伝う光景だった。
あそこにいるのは、自分たちのような小さな存在が立ち向かっていい相手じゃない。
本能的にそう感じている。
怯えている。
「立ち止まるな! 作戦は続いている! 前へ進め! 自分がすべきことを続けるんだ!」
言ったのは、王立警備隊隊長。
少なくない修羅場をくぐっている彼は、伝承の怪物を前にしても平常心を保っていた。
「高圧ポンプ車、前へ!」
ポンプ車から鎮座する怪物に、大量のブルーウォーターが注がれる。
「攻撃――!!」
一斉に放たれる炎熱系魔術。
太陽が目の前に現れたかのような爆炎。
ブルーウォーターが周囲の酸素、魔光子と反応して激しく燃焼する。
山一つ灰に変えてしまいそうな猛火だった。
大蛇のような触手が燃え落ちていく。
「効いてる……!! 効いてるぞ……!!」
「攻撃を続けろ! 勝てる! 倒せる!」
さらに放たれる魔術砲火。
炎が勢いを増す。
怪物の身体が焼け落ちる。
しかし、それでいてなお『強欲の邪神』はただ触手を揺らしているだけだった。
攻撃に気づいてさえいないかのように。
直後怪物が放出したのは淡い緑色の光だった。
瞬間、激しく燃えさかっていた炎が幻だったかのように消える。
焼け落ち、灰に変わっていた体表面が元の傷一つ無いものに変わっていく。
「そ、そんな……!?」
「完全再生能力……まさか、ここまでなんて……」
そして『強欲の邪神』は、触手を一凪ぎする。
目も開けていられない強烈な風圧と衝撃波。
耳を裂くのは大地が粉々に砕ける炸裂音。
舗装された路面と建築物が紙細工のように形を変える。
舞い上がる破片。
十八台の高圧ポンプ車が空に巻き上げられ、地面に落ちて大地を激しく揺らす。
残ったのはえぐり取られた大地の空白。
たった一凪ぎ。
寄ってきた羽虫を払うかのような、ただそれだけの動きで、用意した攻撃部隊はあっけなく半壊してしまった。
「か、勝てるわけねえ……こんなの勝てるわけねえよ……」
怪物は手を止めない。
次に襲ってきたのは無数の触手。
数十、いや数百の深紅の茨が一斉に集まった人々の前線へ疾駆する。
炸裂すれば、まず間違いなく百以上の命が失われる。
あまりにも破壊的なその一撃は、しかしそれを上回る力によって消し飛ばされた。
「恐れる必要は無い。我々がついている」
振り抜かれたのは大剣――ブラスターガンブレード。
そこにいたのは、十七人の黒仮面騎士。
神話の大蛇のような巨大な触手が切断されて舞っている。
落下して大地を激しく揺らす。
「す、すげえ……」
風に翻る外套。
黒仮面は言う。
「想定以上の回復能力だ。やつを倒すには、やはり近づいてコアを破壊するしかない。作戦をフェイズ2に移行する。支援を頼む」
「あ、ああ」
王立警備隊隊長はうなずく。
驚きがあった。
あれを見て、彼らの声には動揺も怯えもない。
迷いなく、危険な怪物の懐に飛び込もうとしている。
(なんて……なんて頼もしい)
彼らは命を賭けて、怪物を倒そうとしているのだと思う。
だったら自分たちも覚悟を決めるべきだ。
命を賭けて、王都の人々を守る。
それが自分の職責なのだから。
隊長は同じ決意を胸に集まった仲間たちに言う。
「プラン2だ! 全力で彼らを支援するぞ! 道を作るんだ!」
◇◇◇◇◇◇◇
プラン1――すなわち、遠距離魔術砲火による『強欲の邪神』撃退は失敗した。
作戦はより危険を伴うプラン2、距離を詰め近距離攻撃でコアを破壊する作戦に移行する。
それがどんなに危険なことか、頭が良いとは言えないFクラス生たちも理解している。
一歩間違えれば死に直結する。
今日が人生で最後の日になるかも知れない。
しかし、彼らを前に進ませたのは向けられる期待の視線と応援の声。
「頼む! 王都を救ってくれ!」
「今の我々にとって、君たちは希望だ」
「くろのきかんがんばって!」
それがどんなにうれしかったか。
心をあたたかくしてくれたか。
きっと、他の人にはわからない。
誰にも必要とされない劣等生だった。
学校での扱いを親に言えなくて、嘘を吐いた。
テストの結果がバレて出来損ないだと叱られて。
変な子だと後ろ指を指されることも多かった。
人と違う趣味は理解されなくて。
侮蔑の言葉に聞こえないふりをした。
そんな自分たちが今、王都中の人に期待され、必要とされている。
身体は羽根のように軽い。
負ける気なんて、微塵もしない。
ここで死んだって構わないとさえ思えた。
こんな気持ちになれるのなら。
でも、もっともっと味わいたいから、やっぱりまだ死ねない。
勝って。
生き残って。
王都を救ってみんなで笑うんだ!
疾駆する大蛇のような触手を切り飛ばして、黒仮面騎士が前に進む。
勝てる相手とはとても思えない怪物を前に、迷いも躊躇もなく、前に進む。
その姿が、人々にどんなに勇気を与えたか。
彼らの背中は、集まった大人たちに戦う勇気を与えた。
決してあきらめず戦おうとしている。
だったら、自分たちも――
折れた心に灯った勇気の灯。
全力の魔術砲火が迫る触手の動きを鈍らせる。
中継映像の先では、国中の人々が見つめている。
前に進むその姿に、思わず両手を組んでいる。
お願い、勝って――
崩壊した王都にあって、彼らの姿がどれだけ人々に希望を与えたか。
彼らは知らない。
知ることはない。
だけど、たしかに心に刻まれる。
ただの劣等生の集まりだった。
ごっこ遊びに過ぎなかった。
そんな彼らは今、本物のヒーローになっていた。






