84 共鳴
王城はひどく混乱していた。
門の前には、たくさんの人が押し寄せている。
怒りの声が響いている。
投げられた卵が門にあたって爆ぜる。
リナリーは躊躇いなく裏口を目指した。
王族しか知らない非常用の隠し扉。
回り道をしている時間は無い。
リナリーは地面を蹴ると同時に、足下で電撃を魔光子と反応させ、小さな爆発を起こす。
強い風圧が彼女の身体を浮き上がらせる。
塀に飛び乗り、その上を走って敷地裏側にある隠し扉を目指す。
雨樋をつたって、敷地内に降りたリナリーに、王城警備隊員は目を丸くした。
「リナリー様!?」
「ごめん、通して」
驚いた顔の隊員の脇を抜け、城の庭を走る。
予想通りだった。
隠し扉に繋がる庭には、王の盾と王族関係者が集まっている。
「リナリー!」
まず気づいたのはリース姉様だった。
一斉に視線が注がれる。
王の盾の奥にいる父を見据えた。
「……何してるの」
「リナリー、よく来たね。さあ、一緒に逃げよう」
リナリーの声は聞こえなかったらしい。
ほっとした様子の父の声に、リナリーは握った拳をふるわせる。
「なんで逃げようとしてるの! 王都の一大事じゃない! 民を守るために立ち上がるのが王じゃないの!」
「リナリー、国を運営するにはきれい事では解決できないこともあるんだ。現実的な判断が大事なんだよ。ここで王都にこだわって私が死んだら、それこそ民たちは困ってしまう」
「なら、王の盾は化物から人々を守るために使って。少しでも時間を稼いでくれれば、それだけ多くの人が逃げられるから」
「ダメだ。王の盾はこの国で最大の戦力だ。ここで失うわけにはいかない。混乱の中で、私の命を狙う者もいるかもしれないし」
怒りで頭の中が真っ白になった。
この人は何を言っているんだろう。
私が目を覚ましてやらないと。
間違った方法なのはわかってる。
でも、自分のことしか考えてない愚かな王をただせるのは、娘の私しかいないはずだから。
地面を蹴った。
第二王女である自分を警戒していない王城警備隊二人の脇を抜ける。
踏み込んで、皺一つ無い父のその顔に拳を叩き込もうと腕を振り抜く。
「――なりません、リナリー様」
しかし、拳が父に届くことはなかった。
王の盾の長を務める、『紺碧の騎士』ジルベール・バッセンハイム。
リナリーのそれとは違う、磨き上げられた本物の体術。
一瞬で組み伏せられている。
二人の警備隊員が、慌ててジルベールに代わってリナリーを引きはがした。
「民を見捨てた王なんて誰が慕ってくれるの! 死にたくないからって王都を襲う脅威にただ逃げるだけ! そんな王なんて何の価値も無い!」
「リナリー、君にもいつかわかる日が来る」
「来ないわよ! 少なくとも、建国の英雄は、初代国王はそんな人じゃなかった!」
「それはそうかもしれないが。しかし、王のあり方にもそれぞれの形が……」
言い訳を聞くのはもうたくさんだった。
「離して」
自分を拘束する二人の王城警備隊員にリナリーは言った。
「しかし、リナリー様」
「離してって言ってるの」
鋭い視線と有無を言わさぬ低い声。
警備隊員がリナリーから手を離す。
父は慌てた様子でリナリーに言った。
「リナリー、君も一緒に――」
「私は逃げない」
リナリーは言う。
「逃げたいなら逃げればいい。貴方の力なんか借りなくても、私は王都の人を一人でも多く救ってみせる。それが、くだらない王の娘として生まれた私がすべきことだと思うから」
リナリーは踵を返して地面を蹴った。
「捕まえろ! 捕まえるんだ!」
父の声。
追いすがる王城警備隊員たち。
しかし、初動で出遅れた彼らが追いつく前に、リナリーは魔術を起動させていた。
足下で、爆発が起きる。リナリーは、城壁の上に飛び乗っている。
(私が……私がなんとかしないと……!!)
リナリーは決意を胸に走る。
◇◇◇◇◇◇◇
黒の機関構成員たちの行動は、多くの人々を動かすことになった。
「声をかけてくれてありがとう。わかった。協力する」
「フィオ先輩が行くなら、私ももちろん行きます!」
グランヴァリア王立魔術学院代表選手元主将フィオナ・リート。
現主将、クロエ・パステラレイン。
「アーヴィスがピンチなんだろ? 俺も手伝おう」
「うん、俺も協力する」
元代表選手グロージャン・ランビエール。
デニス・カンナヴァーロ。
「ボク、アーヴィスとは仲良いと思ってたんだけどな。夏休み一度も遊びに誘われなくて。……そっか、他のみんなと遊んでたんだ」
少し傷ついた様子のレオン・フィオルダート。
そして、たくさんのグランヴァリア王立魔術学院生たち。
協力してくれたのは、他校の生徒たちも同じだった。
「姉様、危険すぎます! 考え直してください!」
「何言ってるの! こんな面白そうなイベント参加しないくらいなら死を選ぶわ! 聖アイレス総出で協力するから! 他校の子たちにも声をかけてみるわね!」
聖アイレス女学院、エヴァンゲリスタ姉妹。
「私たちのデータが必要なようですね」
「協力しよう。城塞戦術は怪物に対しても効果的なはずだ」
ローザンヌ大付属、アムステルリッツ魔道学園。
「わかった。協力させてもらう」
「感謝してください。隊長は忙しいんです。今は引退後入部した手芸サークルとお菓子作りサークルの活動があるんですから」
フォイエルバッハ魔術学園、隊長オーウェン・キングズベリー。
副隊長、モニカ・スタインバーグ
ブラッドフォード、バーゼル、リヴァーラーゲン。
他にも多くの魔術学院が協力要請に応えてくれた。
力を貸してくれたのは、学院生だけではない。
「王都の危機だって! それはなんとかしないと!」
「そうね! 大変だわ! 私たちも全力で支援しなくちゃ!」
「大きくなったの、ウィルベル。王都の危機に自ら立ち上がるとは。なんと立派な志じゃ……」
「子供というのは少し目を離した隙に大きくなってるっていうのはほんとですね」
世界で三本の指に入る大財閥、ストロベリーフィールズ財閥。
「え!? 俺が氷漬けになってる間にそんな大事件に!?」
「わかったわ、イヴ。私たちも協力します」
アイオライト王国魔術界屈指の名家、ヴァレンシュタイン家。
そして、グランヴァリア王立魔術学院に子息を持つ貴族たち。
「王が動かないなら、俺たちが自分たちの手で王都を守ろう……!!」
子供たちが始めた呼びかけは急速に大人たちに広がり、王都中の人々を巻き込んで大きなうねりとなる。
「知り合いの考古学者が手伝ってくれるそうだ。記録によると、『強欲の邪神』には炎を使った攻撃が有効らしい」
「ブルーウォーターを使おう。燃焼時の危険性はこの場合むしろ好都合だ」
「社の倉庫に在庫が腐るほどある。好きなだけ使っていい」
「問題はどうあの巨体に散布するかだが」
「うちの高圧ポンプ車を使ってくれ。他の署にも声をかけてみる」
「おい、全国魔術大会で活躍した有力選手たちが協力してくれるそうだ。現役の連中による最高クラスの魔術砲火が期待できるぞ!」
仮設対策本部で話し合いをする大人たち。
――しかし、その心には大きな不安があった。
あんな化物を、本当に倒せるのだろうか。
雲を裂く巨大な黒の柱。
蠢く何かの姿は彼らの本能的恐怖を助長する。
逃げた方が良いのではないか。
立ち向かうなんて、愚かな選択なのでは……
心のどこかでそう感じずにはいられなかった彼らの目の前に現れたのは、全身黒尽くめの仮面の戦士だった。
「お集まりのようだな」
「黒の機関……!?」
三十を越える黒仮面騎士が外套を翻して現れる。
国内の賞金首や犯罪組織を次々と蹂躙してきた謎の秘密結社が一体何をしに来たのか。
戸惑う大人たちに、先頭に立つ黒仮面は言う。
「我々も協力させてもらう」
迷いなど微塵もない声だった。
「黒の機関に敗北はない。我々がこの戦いの勝利を約束しよう」
その言葉が、どんなに彼らを勇気づけたか。
「黒の機関が協力してくれるなんて……」
「もしかして、本当に勝てるかも……」
「いける……!! これならいけるぞ……!!」
王の盾と同等以上、王国最強の組織ではないかとさえ噂され始めた黒の機関の登場に彼らの士気は上がる。
王都中を巻き込んだ、大作戦が始まろうとしていた。






