83 立ち上がる漆黒
side:魔術医師、ギュンター・アイントホーフェン
その日は、ギュンターの医師人生の中で最も忙しい日だった。
運ばれてくる大量の急患たち。
目が回るような忙しさの中、ギュンターは後輩の医師たちに的確な指示をしながら、一人でも多くの患者を救うべく最善を尽くす。
現れた怪物の姿に、周囲の病院では医師が逃げだしているという話もあったが、だからといって逃げるなんて選択肢はギュンターにはなかった。
目の前に治療を待つ患者がいるのだ。
医者である自分がどうして逃げることができる?
(よし、少し落ち着いたか)
額の汗を拭ったそのときだった。
昔なじみが血相を変えて飛び込んできた。
「急患だ! 助けてくれ! 頼む、なんとしてでも助けないといけないんだ……!!」
「エメリ……」
いつも落ち着いていて、余裕綽々。
何をしたって簡単に人よりはるか上の成果を出してしまう大天才、エメリ・ド・グラッフェンリート。
その取り乱した姿を、ギュンターは初めて見た。
「見せてくれ」
ギュンターはエメリと共に裏口に急ぐ。
そこに運ばれてきたのは、ボロボロに壊れた黒の魔術装身具を身につけた少年。
(黒の機関……)
それは王都を騒がせる謎の秘密結社の装備であり、
(彼は……!!)
壊れて半分に欠けた仮面から覗くその素顔は、
ギュンターが以前妹を手術して治した、未踏魔術使いの少年だった。
◇◇◇◇◇◇◇
集中治療室の扉には、使用中であることを示す赤いランプが点灯している。
廊下のベンチの上で、ドランは肩を落としうなだれていた。
「私が、もう少し早くアーヴィス氏の意図に気づいていれば……」
『強欲の邪神』が、完全体になる際発したすさまじい魔光子量の衝撃波。
通常であればまず間違いなく全員命を落としていたであろうそれから、彼らの命を救ったのはアーヴィスだった。
全国魔術大会決勝、フォイエルバッハ戦で使った一定エリアの固有時間を加速させる魔術。
さらにエメリと六賢人二人の魔術障壁。
その合わせ技を以て尚、逃げ切れなかった数名を守るため、アーヴィスは身を挺して彼らを突き飛ばした。
それは、自身の戦闘用スーツが他のそれよりも高性能であることを知っているがゆえの行動。
000(ゼロ)専用戦闘用スーツなら、高魔光子のすさまじい衝撃波に対しても、他の仲間よりも生還できる可能性が高いから。
読みは正しかった。
しかし、払ったのは少なくない代償。
戦闘用スーツは修理不可能なところまで破壊され、アーヴィス自身の命も危うい状況に置かれている。
「なぜ私は、アーヴィス氏の身を案じることができなかったのか。お守りすることができなかったのか……!!」
「落ち着いてください、001(ファースト)。我々に時間を戻すことはできません。起きたことを悔いても仕方ないのです」
「しかし、しかし……!!」
アーヴィスを失った黒の機関構成員たちの動揺は大きかった。
「すごく良いドラ×アヴィだね……」
「うん……」
「でも、なんだかいつもみたいに楽しめないね……」
「うん……」
いつも元気なFクラス女子たちも意気消沈し、
「有能助手……」
イヴも心ここにあらずという様子で俯いている。
ショックを受けているのはリナリーも同じだった。
『私に手伝わせてくれ。命を救われた礼だ。私の薬で絶対にこいつは救ってみせる』
『あたしも手伝うわ。医療魔術は専門じゃ無いけど、それでもその辺の医者よりはできるはずだから』
治療には六賢人の二人も手伝ってくれてる。
助かる可能性も決して低くはないはずだ。
だけど、もしかしたら……。
じっとしていると、よくない想像が広がってしまいそうで、廊下を行く当てもなくさまよい歩く。
「おい、国王が王の盾と共に王都を放棄して逃げようとしているらしいぞ」
……え?
不意に聞こえてきた噂話にリナリーは足を止める。
「いや、さすがに嘘だろ。こういう状況じゃ不確かなデマも飛び交うものだし」
「でも、もし本当だったら取り返しつかなくなる。俺たちも逃げた方がいいって」
信じたくない話だった。
さすがにあの人もそんな判断をする人ではないと思いたい。
待合室の大型モニターには放送局の中継映像が流れていた。
まるで爆弾が爆発したかのように崩壊した王都と、中心にそびえる巨大な黒い柱。
蠢く化物。
大量の人が押し寄せパンクした交通機関。
横転した貨物列車から転がる果物。
そして、隣の誰かを押しのけてでも王都から逃げようとする人々。
現実のものとは思えない想像を絶する光景。
王都は危機に陥ってるのだ、と思う。
まるで、伝承に残る建国前のように。
(……なんとか、しなきゃ)
王女である自分には、この状況でできることがあるはずで。
ずっと暮らしてきた大切な場所である王都を、化物に一方的に滅茶苦茶にされるのは我慢ならなくて。
それに――
もしあの人が本当に逃げようとしてるなら。
ふざけんなって娘の私が目を覚ましてやらないと。
心は決まっていた。
アーヴィスくんは絶対大丈夫。
エリスちゃんのためならどんなことでもする彼が、彼女を置いて死ぬわけない。
そう、知りすぎるくらい知ってる。
だって、あれからずっと目で追ってきたから。
「みんな! 私たちは私たちにできることをしましょう!」
リナリーは駆け戻って、肩を落とす黒の機関構成員たちに言う。
「アーヴィスくんは絶対に戻ってくる。大事なところで必ず駆けつけてくれる、そういう存在だってことはみんなの方が知ってるはずでしょ」
俯いていた顔がすっと上がる。
視線がリナリーを捉える。
「私たちは、彼が戻ってきたときのために行動しなきゃ。大変なことになってる。もしかしたらもうどうしようもない事態なのかも知れない。でも、私たちにだって力がある。私たちなら、なんとかできる可能性がある」
リナリーは言葉を待った。
不安があった。
自分の言葉では届かないかも知れない。
そのとき、聞こえてきたのは思わぬ声だった。
『へんしん! くろのきかんさんじょう!』
子供の声。
ニュース番組の中継、その映像の中で避難する子供たちがベルトを腰につけてポーズを取っている。
『だいじょうぶだよ! くろのきかんがまもってくれるから!』
ベルトをプレゼントした救貧院の子供たち。
凄惨な状況にもかかわらず、その目には一点の曇りもない。
彼らは信じているのだ。
かっこいいヒーローが、王都を守ってくれると。
「そうだな。リナリー嬢の言うとおりだ」
ドランは拳を握って言う。
「アーヴィス氏は戻ってくる。絶対に」
「そうね。夢小説の中の彼はこのくらいじゃ倒れない」
「BLコミックスも好調なんです! あんな変なのに編集部を潰されるわけにはいきません!」
「子供たちは世界の宝ですからね! 我々が守らなければ!」
「あんな化物なんかに私様の王都を壊されるわけにはいかないわ!」
「何より、こんなわくわくする状況」
「立ち上がって正義のヒーローやるしかないじゃないか」
彼らの心にもう失意の色はない。
「お父様とお母様に協力をお願いしてくる」
イヴが立ち上がって外へ駆けていく。
それがきっかけだった。
「私様もお父様とお祖父様にお願いしてみるわ!」
「俺も父さんに協力をお願いしてみるよ」
「ルビーフォレスト銀行最大の金庫室も王都にある。もし守れるならどんなことでも力を貸してくれるはずよ」
機能し始める貴族御曹子ネットワーク。
「我々だけの力では足りない。先輩たちにも協力を要請しよう」
「全国魔術大会の有力選手にも声をかけてみる。もしかしたら手伝ってくれるかも」
声はどんどんと広がっていく。
波紋のように、反響し合う。
たしかに、何かが動きだそうとしている。
(あとは、私があの人を説得すれば……)
リナリーは覚悟を決める。
二度と会いたくない。
そう思っていた、この世界で最も嫌いな相手に会うため、地面を蹴る。






