8 転校生
翌朝、半覚醒状態の僕を起こしてくれたのはエインズワースさんだった。
「おはようございます、アーヴィス様。只今の時刻は七時二分。三十九分以内に準備を終え家を出れば、始業の十五分前には学院に到着するかと」
「ありがとう」
「お召し物はこちらに。朝食もご用意したかったのですが、食材が一種類しかなかったためどうしていいかわからず……申し訳ございません」
「いやいや、気にしないで。料理は僕、苦にならない人だし」
もやしを茹でて朝食を作る。いつも通りエリスの分を多めに盛りつけたところで、ふと気づいた。
「エインズワースさんも食べる?」
「いえ。私に食事は必要ありませんので」
「あ、そうなんだ」
少しほっとする。食費を少しでも抑えようと目論む深刻な貧乏性の僕だ。
朝食を済ませ、身支度を調える。新品の制服は見るからに質が高くて、僕はおっかなびっくり袖を通した。
「僕がいない間エリスのことをお願い」
「はい、承知しました」
お手伝いさんだと紹介したところ、エリスはエインズワースさんのことをすぐに気に入ってくれた。
『兄様、本当にお金持ちだったんだ』
『そうだぞ。兄様は天才だからね』
『すごいね、兄様』
『えへへ』
エリスに褒められて、昨日は気持ちよく布団に入ることができたのを思いだす。
使用人としてプロフェッショナルなエインズワースさんは、病弱で目が不自由なエリスの生活を僕以上に完璧にサポートしてくれた。
遊び相手や話し相手にもなってくれて、僕は心の重しが一つ取れてほっとする。
僕がいない時のエリスは、きっとすごく寂しかったり退屈してたりするんだろうなってずっと気になっていたから。
気持ちよさそうなエリスの寝顔に頬をゆるめてから寮の自室を出る。
「それじゃ、行ってきます」
「はい。行ってらっしゃいませ、アーヴィス様」
なんだか家柄に恵まれた普通の学生になったみたいな気分で、僕は学院に出発した。
グランヴァリア王立魔術学院は、僕が思っていたよりはるかに大きな学校だった。
敷地内には塔のようにそびえる建物がいくつも並んでいる。
人工芝のグラウンドと雨天でも使える室内演習場。
一流の教授たちが研究に励む実験棟。
二百万を超える蔵書が収められた大図書館。
七カ所あるプールでは温水の中、水を使った魔術の練習ができる。
全面ガラス張りの校舎入り口を見ながら、高級ホテルかなんかなんだろうかと僕は呆然と立ち尽くした。貧乏人には、めっちゃ肩身狭いよこの学校。なんだこれ。
しかし、僕には先生に頼まれている仕事がある。
『学院に通う君の同級生の護衛をお願いしたいんだよね。少し周囲に怪しい動きが見られるから』
転校生として学院生活初日を過ごしつつ、集めたのは護衛対象であるリナリー王女の情報。
とはいえ、その工程は決して難しいものではなかった。
彼女は学院でも一二を争う有名人だったからだ。
もう着ている服からして、貧乏人の僕とは次元が違う。同じ空気を吸っているだけで、あまりの高貴さに消えて無くなりそう。
その上、このリナリー王女がとんでもない美少女というのが、彼女の存在を際立たせる大きな要因だった。毎朝靴箱は恋文であふれ、休み時間には告白しようとする男子生徒で列ができる。
一応護衛を頼まれてる身の僕は、高貴なオーラに浄化されないよう、かなり距離を開けて尾行していたのだけど、振られる男子生徒を何人見たことか。三十から先はもう数えていない。
きっと彼女に今まで何人を振ったのか聞くと、今までに食べたパンの枚数を覚えているか的答えが返ってくるんだろうと思う。
しかも、なんとリナリー王女は魔術の才能にもあふれているらしい。一年にして学院トップクラスの実力者なのだとか。
実力に応じてSクラスからFクラスまで割り振られる学院の中で、彼女が所属するのは頂点に位置するSクラス。
しかも、学年最強と噂される二人の内の一人だと言う。
家柄、容姿だけでなく、魔術の才能にも恵まれてるとか、マジでうらやましいんだけど。何その完璧超人。代わって。お願いだからそのポジション代わって。
しかし、僕も大魔術講師であるところのエメリ・ド・グラッフェンリート氏にスカウトされた逸材。
転校後の実力判定テストでも学院中を驚かせる高得点を連発し、Sクラス入りは間違いなし。
「アーヴィスくんは、その……Fクラスだね。学年最低点」
「…………」
最低点らしかった。
考えてみればそうか。僕、適応属性無しの欠陥品だし。
あまりの劣等生ぶりにみんな、恐れを成したのか、その日は誰も話しかけてこなかった。
転校先での学生生活は、無事ぼっちルートに入ったらしい。
昼食は一人で、朝茹でたもやしを食べた。
天才ばかりの中、ハイレベルな授業の内容はびっくりするくらい理解できない。
仕方ないので、『未踏魔術書』を読んで時間系魔術の勉強をする。
前世の僕が書いたものだけあって、その内容は教科書の二十倍くらいわかりやすかった。暗号で描かれてるのも、むしろ解読してやろうって燃えてくるし。
なるほど、時間ってそうやって止めれば良いんだな、ふむふむ。
こうして、学校の勉強に付いていけない結果、時間を止める魔術を習得した僕は初日の成果を報告しようとエメリ先生の教授室を訪ねた。
ドアをノックしようとして手を止める。中から聞こえてきたのは、怒りに満ちた声だった。
「納得できません! どうして私が不合格で、適応属性無しのFクラス生が合格なんですか!」
開いたドアの隙間から中を覗くと、抗議しているのはリナリー王女だった。
王女様でも怒ったりするんだ、とスラム育ちの僕は変なところで感心する。
「私は君より、彼を評価している。ただそれだけのことだよ」
エメリさんは穏やかな声で言う。
しかし、王女様の怒りはまったく収まらない様子。
「私は適性がないものを除けば教科書の魔術をすべて完璧に扱うことができます。一方の彼は、一つとして使えない。一つも、です。魔術を学ぶ学生としては、最低限のことさえできていない。そんな彼の何を評価するというのですか。私の方が絶対に直接ご指導いただくのにふさわしいはずです。納得できる理由を聞かせてもらえるまでここを退きませんから」
うわぁ、すごい怒ってる。
しかも、怒りの対象は僕みたいだし。
関わりたくないし、出直そうかな。
ああ、早く帰りたいのに。
「納得できる理由か。それなら簡単だ」
エメリさんは明白な事実みたいに言った。
「アーヴィスくんは、君より強いよ。間違いなくね」
一瞬間があった。言葉を失ったような間だった。
「……冗談ですよね。それこそ、ありえません」
「ううん、事実だよ。私は公平に見て君より彼の方が魔術師として優れていると思っている。それだけ」
「じゃあもし、私が彼に勝ったら、私を研究室に入れてもらえますか」
「いいね。それが一番わかりやすい」
嫌な予感がした。
逃げようとする僕の耳に、聞こえてきたのはエメリさんの声。
「アーヴィスくん、聞いてただろ。部屋に入ってきて」
……やっぱり気づかれてたか。
学院に入れてもらってる身としては、さすがに無視をするわけにはいかない。
ドアを開けて中に入る。
「よし、じゃあこれから室内演習場に行こうか。あそこなら、誰にも見られないし、負けても恥をかかずに済む」
「私が負けると本気で思ってるんですか」
「うん、普通に戦えば負けるだろうね。勝負は時の運だし、もちろん勝機が無いわけではないだろうけど」
「わかりました。なら、結果で先生が間違っていることを証明するだけです」
リナリー王女は、青い瞳を怒りに燃やして僕を睨み言った。
「絶対負けないから」