75 瞼の裏に残る
side:リナリー・エリザベート・アイオライト
その知らせがリナリーは信じられなかった。
自分の魔術に、この国の魔術における最高峰――六賢人が興味を持っているなんて。
(ほんとに、ほんとに特別になれるかも……)
夢にまで見ていた景色がすぐ傍にあった。
どんなことをしても許される。
誰に何を言われることもない、自分の力ですべてを選択できる魔術師になるという目標。
リナリーは彼女が思っていたよりも早く、そこに近づいていた。
(しかも、……アーヴィスくんも一緒だし)
最近、なんだか人気でいろんな人たちから好意を寄せられている好きな人。
黒の機関なる組織に入ってから、その印象はますます強くなっている。
女子だけで無く、男子からもやたらと人気だし。
(これは、ライバルたちに差をつける千載一遇のチャンス……!!)
がんばらなきゃ! と拳を握るリナリー。
部屋の扉がノックされたのはそのときだった。
「リナリー様。リンドバーグ様からの手紙が。いつも通り顔が見たいから城へ来て欲しいという内容ですが」
「捨てておいて」
有無を言わさない口調だった。
ここ数年何度も繰り返してきたやりとり。
しかし、今日は少しだけ違った。
執事長が引き下がらなかったのだ。
「恐れながら申し上げます。一度、リンドバーグ様に顔をお見せしても良いのではないでしょうか。リナリー様の近頃のご活躍は大変目覚ましい。今改めてご意志をお伝えすれば、お父上のお考えも変わるのではないかと。今の貴方は、根拠のない自信しかないように見えていたあの頃とは違う。間違いなく、この国で最も将来を期待される魔術師の一人なのですから」
「…………」
父に会う必要なんてないと思っていた。
いつも体面ばかりを気にしているあの人には、私の考えなんて絶対にわかってもらえないと思っていたから。
それでも、たしかに今なら。
今なら、何か変わっているかもしれない。
六賢人に興味を持たれる魔術師になった私なら――
「それに、お顔が見たいという言葉もきっと本心だと思います。娘が顔を見せないというのは、父親にとって大変寂しいものなのですよ、リナリー様」
ちくりと胸が痛んだ。
もし本当に寂しい思いをさせているのなら、少し顔を見せるくらいはした方が良いように思えた。
それは、両親の望みに逆らっている不出来な娘にできる、ささやかな罪滅ぼしだと思うから。
「……わかった。行く」
リナリーは、三年ぶりに自らの意思で父の住む王城へ行くことを決める。
王城の城壁、巨大な門の前で、門番を務める王城警備隊員は慌てた様子で扉を開けてくれた。
「これはこれは、リナリー様。僭越ながら、私がご案内させていただきます」
「ありがとう。お疲れ様」
石造りの大きな道を歩く。
城の前に広がる庭には、美しい夏の芝生が広がっている。
流れる小川が、日差しを反射して宝石みたいに輝いていた。
先導してくれる甲冑の騎士の後ろに続いて城の中へ。
行き交う人々はみんな、リナリーを見て目を丸くした。
「す、すごい美人……」
「バカ。口を慎め。第二王女様だよ」
「あの、最初に出た舞踏会のあと、すさまじい数の恋文が届いたって言う第二王女様!?」
「第二王女様が王城に来られるなんて……」
「リンドバーグ様とのご関係は良くなったのかしら」
ひそひそ声はいつものことだ。
さして腹立たしくもない。
そんな気持ちはとっくに捨ててしまっている。
「よくぞ来られました、リナリー様」
「デミアンさん、久しぶり」
宰相を務めるデミアンは、リナリーにとって数少ない好感を持っている王城の人の一人だった。
噂好きでくだらないゴシップの話ばかりしてる王城の人たちの中で、彼はそういう事柄に一切の興味を持つこと無く、自らの仕事に猛進していた。
没落していた家で幼少期苦労したと聞く彼は、他の人とは違って国を良い方向に導こうという思いがあるのだろう。
「父に会いたいんだけど」
「リンドバーグ様はちょうど今朝お戻りになられたところです。面会の手筈を整えます。少々お待ちください」
通された豪奢な来賓室で、面会の準備が整うのを待つ。
(フォートナム&ジュフレールのアールグレイ。お母様、まだこれ好きなんだ)
ベルガモットのなつかしい香り。カップの紅茶を揺らしてリナリーは微笑む。
そのとき、部屋の扉を開けたのは意外な人物だった。
「リナリー、久しぶり」
「リース姉様」
第一王女、リース・エリザベート・アイオライト。
「元気だった? みんな心配してたのよ。誘拐されて帰ってきたと思ったら、すぐお父様と喧嘩して、窓から出て行っちゃうんだもん」
「ごめんなさい……」
「いいの。リナリーのやりたいこと、わたし応援してるから。昔からずっと魔術師になるって言ってたものね。それを絶対にダメなんて言われたら、出て行くのも仕方ないって」
にっこり笑うリース。
「それより、全国魔術大会すごかったわね! お父様に隠れて見てたんだけど大活躍でわたしびっくりしちゃった。解説の人が言ってたけど一年生が活躍するのってすごいことなのよね? しかも、決勝の大魔術なんて、中継映像が乱れるほどすごくて解説の人絶句してたんだから」
「ありがとう」
建前と社交辞令。腹の中では何を考えているかわからない人ばかりの兄姉たちの中でリナリーはこの姉のことが一番好きだった。
計算も裏表もなく、目の前のことに無垢な子供みたいに一喜一憂するやさしい姉様。
「本当にリナリーはすごい。みんなが反対するのに、突き進んで。絶対にできないって言われたことをどんどん成し遂げて。わたし、ほんとに尊敬してるのよ。家族の中で一番リナリーがすごいなって」
「私は姉様を一番尊敬してるけどな。あんな人になれたらって思うのは姉様だけだから」
「わたしみたいに?」
「うん、リース姉様みたいに」
「そっか。そうなんだ。うれしいな」
にへら、と笑うリース姉様。
そんな姉をもっと喜ばせたくて、リナリーは言う。
「実は、六賢人の人たちに呼ばれてね。私の魔術を研究したいんだって。少しの間王立魔術大学に行くことになってて」
「六賢人ってあの!? すごい! すごいじゃない、リナリー!」
姉は声を弾ませて言う。
「それを伝えたら、絶対お父様も許してくれるわよ! だって素人のわたしでもすごい人だって知ってる人たちだもの!」
「だったらいいなって思う」
思わず笑みが零れていた。
お城の中で笑うなんて、いつぶりだろう。
王城の執事長さんがリナリーを呼びに来たのはそのときだった。
「面会の準備が整いました。ご案内します、リナリー様」
姉と別れて、父親の待つ執務室へ。
部屋の中に入るのは勇気がいった。
深呼吸して、心を落ち着ける。
こんなの何でもないと思いたいのに、部屋の中の空気はいつも吸っているそれよりも薄い気がした。
「よく来たね、リナリー」
アイオライト王国、国王リンドバーグ・ライネス・アイオライトは穏やかに微笑んで言った。
「心配してたんだよ。会いに来てくれてうれしい」
「……そう」
リナリーは意識して感情を抑えて言った。
喜んではいけないと自分に言い聞かせる。
じゃないと、思わず安堵してしまいそうになる自分がいたから。
「全国魔術大会、大活躍だったんだってね」
父は穏やかに微笑んで言った。
「すごいじゃないか、リナリー。小さい頃から何でもできる子だと思ってたけど、まさか魔術の世界でも活躍するなんて」
「たまたま、運が良かっただけだから」
「謙遜しなくて良い。努力が実を結んだ結果だろう? 本当に毎日よくがんばってたからね、リナリーは」
「そう、かな」
リナリーは唇を噛む。
そうしないと、喜んでしまいそうになる自分がいた。
安堵してしまいそうになる自分がいた。
「そうだよ。父親としてうれしい。君を誇りに思うよ」
やさしい笑みに許されたような気持ちになった。
父親との関係がうまくいっていないという事実は、リナリーの思っていた以上に大きな棘として心に刺さっていたのだろう。
一人で別邸に暮らすのはやめてお城に帰ってみてもいいのかもしれない。
今のお父様は魔術の道で生きたいと言う私を認めてくれていて。
だったら――
「ちょうどよかった。良い話があるんだ」
父はにっこり笑みを浮かべて言う。
「ヴィンターフォール皇国の第三王子が君のことをとても気に入っていてね。四年前に舞踏会で見た君が衝撃だったってこの前も話しててさ。是非君を妻として迎え入れたいって。もちろん、受けて良いよね」
「…………え」
心が一瞬で凍りつくのを感じた。
コノ人ハ、一体何ヲ言ッテイルンダロウ。
「あのヴィンターフォール皇国に娘を嫁がせられるなんて、父親として鼻が高いよ。みんな驚くだろうな。ああ、次回のパーティーが楽しみだ」
「……貴方はどうして私がここに来たと思ってるの」
「大会で優勝したから魔術の道は満足したんだろう? 女の子の幸せはやっぱり結婚だからね。魔術の世界なんて厳しいところに身を置いても楽しいことなんて何も無いのはわかりきってるし」
怒りすらも湧いてこなかった。
そうだ。この人はこういう人だった。
幼い頃からずっと恵まれたところにいて、どうすれば自分が一番楽しいか、周囲にちやほやしてもらえるかしか考えてなくて。
国王としての仕事よりも、社交界のパーティーを大切にする。
そういう人。
「違うわ。今日は宣言をしに来たの」
リナリーは言う。
「私は、もうここには帰らないし貴方の言いなりにはならない。自分の道は自分で決める。やらないといけない仕事さえ、自分の楽しみのために放り出す。貴方みたいな人には死んでもなりたくないから」
怒りは言葉になってあふれ出ている。
「さよなら」
父は何も言わなかった。
早歩きで城の外へと急ぐ。
こんなところ、もう一秒でも早く出て行きたかった。
大きな扉を開けてもらって外に出る。
外の空気にリナリーは少しほっとしている。
先導してくれる王の盾の少し後ろを歩いていたリナリーを呼び止めたのは一つの声だった。
「リナリー!」
「……リース姉様」
駆け寄ってくる姉の姿に、リナリーは少し警戒する。
この人も、私を窮屈な貴族社会に閉じ込めようとするんだろうか。
「リナリー、貴方は――」
姉はリナリーの手を握る。
「自分の信じた道を行きなさい。貴方はわたしと違ってそれができる人だから。自分の道を自分で切り開ける人だから」
びっくりした。
そんな風に言ってもらえるなんて全然思ってなくて。
「がんばれ! がんばれ、リナリー!」
姉はリナリーの姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。
たくさんの人が見てるのに。
あんなことすれば、父は絶対良く思わないのに。
だけど、だからこそそんな姉の姿は瞼の裏に残った。
忘れてはいけない。
そう思った。
(がんばろう。お姉様の思いに応えるためにも)
リナリーは決意と共に足を進める。
その足取りは、来たときよりも少しだけ力強いものになっている。






