66 手術2
side:病院の出来事、エリス
エリスにとって、病院での出来事は驚きに満ちたものだった。
魔術の才能なんてさっぱり無くて。
それでも、薬のお金を稼ぐため全力でがんばってくれてるのがエリスの見てきた兄様だったから。
(本当に、代表選手に選ばれたんだ……全国魔術大会で大活躍したんだ)
あの兄様が有名選手だなんて信じられない。
それでも、街中で呼び止められたりサインを求められるのを何度も聞く内に、本当にそうなんだとようやく理解する。
いや、あの兄様だからわたしを安心させるためにそこまで仕込んでる可能性もあると思うけど。
でも、看護婦さんも先生も言ってたから、多分本当なんだよね。
(すごい。すごいなぁ、兄様)
エリスはそう心から思う。
才能なんて全然無くて、それでもバカみたいに努力してなんとか魔術学院に入った兄様が、魔術の世界で有名選手になってるなんて。
(目が治ったら、兄様の活躍も見えたりするのかな)
◇◇◇◇◇◇◇
手術までの時間はあっという間に過ぎていった。
リナリーさんとイヴさんは時間を作って夕食を作りに来てくれた。
「もっと目立つために負けているわけには……!!」とエインズワースさんもがんばってくれるから、僕とエリスは未だかつて無い健康的な食生活で、手術当日の朝を迎えることができた。
「兄様は、本当にたくさんの人に愛されてるんだね」
「愛されてるってほど大げさな感じでは無いと思うけど」
「そんなことないよ。わたしすごく安心した」
エリスは言う。
「昔の兄様は、周りの人はみんな敵って感じでいつも警戒ばかりしてたから」
「あれは環境が環境だったからさ。あ、いや違うよ。僕らは貴族の生まれだからね、うん。ただ、恵まれすぎていろいろ反感を買うことも多かったというか」
「わかってる。だから、兄様がたくさんの人に囲まれててすごくうれしい」
エリスはにっこり笑う。
その笑みが僕が何より守りたいもの。
この子さえ幸せにできるなら、他のものは何一ついらない。
その気持ちは、今もまったく変わってない。
「わたしも、目が見えるようになったら、兄様みたいになれるのかな」
ぽつりと零すような言葉だった。
「なれるよ。絶対なれる。僕なんか相手にならないくらい友達いっぱいできるから。みんなエリスのことを大好きになるから」
僕は言う。
「だから、がんばろう」
「うん。がんばる」
結局手術室に入るまで、エリスは一度も不安とか怖いとか口にしなかった。
麻酔はあるとは言え、目を直接触られるのが怖くないわけがないのに。
「先生、お願いします。エリスの目を……エリスの目を治してください……!!」
「ベストを尽くします」
手術が終わるのを待つ。
落ち着かない。
ひどく落ち着かない。
気持ちが急いて仕方が無かった。
何かしたいと思うのに。
それでエリスの目を治せるならなんだってするのに。
だけど、何もできない。
自分がこんなにも無力だなんて、僕は知らなかった。
「大丈夫ですよ。きっと、成功します」
エインズワースさんが僕の背中を撫でてくれる。
時間の流れはひどく遅かった。
魔術以外の方法で時間がこんなに遅くなるなんて。
何度も同じ廊下を行ったり来たりした。
階段を上っては降り、そしてまた上る。
聞こえた声に心臓が止まりそうになり、エリスとは関係ないものだと知ってほっと胸をなで下ろす。
「不安そうだね」
聞こえたのは意外な声だった。
「エメリ先生」
僕は足を止めて先生に向き直る。
「どうしてここに?」
「今日が君の妹さんの手術だって、ギュンターに聞いたから」
「そういう気遣いとは無縁の人じゃなかったですっけ」
「そうなんだけどね。ただ、少し気が向いてさ。もしかすると、私も君と接する内に少し変わってきてるのかもしれない」
「その方が良いですよ。自由大好き自己中魔術師なんて、まず間違いなくもらい手なくて行き遅れますし」
「私は魔術と結婚してるから」
「熱々でうらやましいです」
僕は時計の針に目をやる。
時間は相変わらず、遅々として進んでいない。
「どうして、君は妹さんがそんなに大切なんだろう?」
「なんですか、その質問」
「私にはその感覚がわからなくてさ。誰かのことを君ほど大切に思ったことがないから」
エメリ先生は言う。
「少し興味があるんだ。よかったら、参考までに教えてほしいんだけど」
茶化しているわけではなく、真剣に聞いているみたいだった。
「先生は、自分が世界中すべての人に嫌われてると感じたことあります?」
「私はないかな。いかなる状況であれ、何人かの人は私のことを好いてくれてたと思う。不思議と、人には好かれる方だったから」
「僕はあります。物心ついたときにはそうでした。親も友達もいなくて、周囲の連中は隙を見せたら僕の集めた僅かな食料を奪って逃げた。ちゃんとした服を着た人たちは普通じゃない僕らを、野良犬みたいに嫌ってました。みんな、みんな僕のことを嫌っていた」
僕は言う。
「そんな中でエリスだけが僕のことを頼ってくれたんです。好きだと言ってくれたんです。たまたま兄妹だったからかもしれない。目が見えないあの子には僕以外頼る相手なんていなかったから仕方なくだったのかもしれない。でも、僕はそのことに本当に救われたんです。生きていていいんだって思えた。この子のために生きようと思った。エリスは僕に、生きる意味をくれたんです」
そうなんだ。
エリスは、僕に助けられてるって言うけれど、本当は違う。
本当は、僕の方がエリスに助けられていて。
救われていて。
だから――
「エリスを幸せにするためなら、僕はどんなことだってします。それが、僕の生きる意味ですから」
「なるほど。それが君の理由か」
エメリ先生はうなずく。
「勉強になったよ。私には理解できない感覚だけど、でも少しだけわかるところがある気がする」
「それならよかったです」
それから、先生は真面目な顔で言った。
「成功すると良いね。そう心から思うよ」
手術室の扉が開いたのはそのときだった。
僕は駆け出している。
出てきたエリスは両目に包帯を巻いていた。
僕は目に衝撃を与えないよう、小さな身体をぎゅっと抱きしめる。
「がんばったね、エリス。えらい。エリスは本当にすごい」
「兄様」
安堵の声が、すぐ傍で鼓膜を揺らす。
他の何よりも大切な、大切な声。
戦い抜いたエリスに、僕は与えられるのは身体の温度だけだった。
エリスの感覚器官は普通より敏感だから、僕の温度が少しでも元気を与えられれば良い。
その一心でぎゅっと抱きしめる。
出てきた先生の顔を見ることが僕はできなかった。
もしも失敗していたら。
怖くて、胸が潰れそうになる。
でも、その気持ちはきっとエリスに伝わってしまうから。
聡いエリスは、僕の動揺にきっと気づいてしまうから。
だから、見えない。
何より、今はがんばったエリスを褒めてあげないと。
「がんばったね……本当に良くがんばった……!!」
「ありがと、兄様」
行き交う人の視線なんてどうだってよかった。
できるすべての力で、エリスにエネルギーを送る。
エリスが十分に落ち着いたのを確認してから、僕は立ち上がった。
ギュンター先生が僕を見ていた。
「お話があります」
その言葉を口にするのに、ひどく勇気がいった。
悪魔なんかよりもずっと、ずっと怖かった。
「成功、したんですか?」
息ができない。
告げられる、その言葉がひどく怖い。
「ベストは尽くしました。結果はわかりません。三時間後、最初に包帯を取り薬を点眼する。そのとき、見えているかどうかの勝負です」
「三時間後……」
まだこの時間が続くのかと思う。
いや、いけない。
本当に怖いのはエリスなんだ。
どういう結果になろうと、エリスを不安にさせないよう僕はしっかりしてなくちゃ。
「わかりました」
僕は動揺を飲み込む。
不安を押さえ込む。
これくらい、エリスのためなら大したことじゃない。
「話したいのは、彼女の目と呼吸器の疾患の原因について。可能性については感じていましたが、手術を通して確信しました。これは、その昔最高位の悪魔が使っていた呪いの類いです」
「悪魔の呪い?」
信じられない言葉だった。
「どうしてエリスが悪魔の呪いなんて」
「わかりません。ただ、もし手術が成功しても、五年もすれば彼女の目は再び見えなくなると思われます。呼吸器の方はもっとひどい。今の私ではどうすれば治せるのかさえわからない」
「治す方法は無いんですか?」
「悪魔の呪いは魔術ともまったく違うものですから。可能性があるとすれば、最高位の悪魔に解呪させるくらいしか――」
ギュンター先生は深刻な顔で言ったけど、僕はそれを一つの希望として受け止めた。
最高位の悪魔――すなわち、悪魔の王に解呪させればいいのか。
だったら、僕にもできることはある。
むしろ、手術に頼るしかなかった今までよりずっといい。
最初の点眼までの三時間、僕はずっとエリスの小さな手を握っていた。
「大丈夫。兄様が絶対、エリスの病気なんてやっつけてあげるから」
「うん。ありがと、兄様」
エリスはただの励ましだと思っていたようだけど、実はそれは違う。
これは決意だ。
絶対にエリスの身体を治す。
そういう決意。
「それでは、包帯を外します」
三時間が経つ。
包帯が解かれる。
エリスが、
目を開ける。
「痛っ――」
最初に響いたのは悲鳴だった。
エリスは顔を俯け手で両目を覆う。
僕は息の仕方を忘れる。
「エリス!?」
失敗だったんだろうか。
身を乗り出した僕に、エリスはふるえる声で言った。
「ちがうの。大丈夫。眩しすぎて目が痛かっただけだから」
それから、噛みしめるみたいに続けた。
「見える……見えるよ、兄様……!!」
信じられなかった。
本当なんだろうか、と。
こんなの都合が良すぎる、と思って。
だけど、それはたしかに目の前で起きていて――
うれしくて。
あまりにうれしくて。
目の前が真っ白になるくらいうれしくて。
「良かった……良かった本当に」
僕は、その小さな身体をぎゅっと抱きしめた。






