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63 スラム街の少女


 side:スラムの少女、モカ


 アイオライト王国、辺境に位置する地方都市のスラム。

 十二歳の少女――モカは、重たい身体を引きずり懸命に先を急いでいた。


 既に疲労はピークを越えている。

 もう三日何も食べていない。


 それでも、モカは足を止めない。

 止めるわけにはいかない、理由がある。


「くそ、見つからねえ。一度戻らねえと」


 モカは狭い路地を引き返す。

 ぐったりと倒れ込む子供たちの姿をモカは何度も目にした。

 横目で顔を確認して、知り合いでないことにほっとする。


 それから、罪悪感がちくりと胸を刺す。

 知り合いじゃ無ければ見捨てて良いのか、と。


 しかし、モカは他に手段がないことを知っていた。

 自分は無力で、多くを救える力なんてなくて。

 だから、一番大切なたった一人を持てるすべての力で助けないと。


「ココア、お姉ちゃん帰ったぞ」


 住処にしている廃墟に戻ったモカは、そこに広がっていた光景に心臓が止まりそうになった。


「おい、ココア! しっかりしろココア!」


 妹は、うつぶせに倒れていた。

 慌てて、助け起こす。

 身体が熱い。


 まさか、と思い額に手を当てる。

 異常な高熱。


 一切の医療知識がないモカだが、その症状についてはよく知っていた。


 数年に一度スラムを襲う流行病。


 慢性的に栄養失調であり、薬もなく医療を受けることもできない彼らにはかかったら最後、死を待つしか無いことで知られている病だった。


「う、嘘だろ……そんな……」


 一番恐れていた事態が目の前にあった。


「おね……ちゃ……」

「良い。喋らなくて良いから。大丈夫だ、絶対大丈夫だ」


 抱きかかえたモカに、ココアはかき消えそうな声で言った。


「……ありが、と」


 その一言で、モカはわかってしまう。

 妹はもう助からないのだと。


 自分でそう悟っていて、

 だから最後に残っていたすべての力を使って、そう伝えてくれたのだと。


「なんで……なんでなんだよ……」


 ココアは悪い事なんて何もしてないはずだ。

 ただ、生まれた環境が悪かっただけ。


 どうして、どうしてこんな……。



「妹を救いたいか」



 突然背後から聞こえた声にモカは、驚く。

 そこにいたのは、全身黒尽くめの男だった。

 その素顔は、黒い仮面で覆われている。


「ココアを助けられるのか!?」

「可能だ。我々は神が決定した運命さえ覆せるほどの強大な力を備えているのでね」


 信じられない話だが、モカには選択肢が無かった。

 ココアを助けるのに、それ以外手段がないのなら。


 もちろん、何か裏があることくらいモカもわかっている。

 貧しく何も持っていない自分たちを何の見返りも無く助けるような善人なんてこの世にいない。


 目的は内臓か、あるいは貴族に非合法な奴隷として売られて慰み者にされるのか。


 死にたくなるまで鞭で打たれたり、熱湯をかけられたり、水の中に顔を押しつけられたり。


 考えるだけで最悪すぎて反吐が出る。

 しかし、モカはそれを選ぶしかない。


 たとえ地獄のような日々が待っているとしても、

 それでココアを救えるのなら。

 選ばない理由なんてないじゃないか。


「あたしにできることなら、何でもする! だからココアを! 妹を助けてくれ!」

「わかった」


 黒仮面はうなずいた。






 それから起きたのは、信じられない出来事だった。

 黒仮面は、モカとココアに栄養豊富な食事と、高価な薬をくれた。


「貴族の間でのみ流通している新薬だ。悪性のウイルスを的確に排除する」


 絶望的だった症状は見る見るうちに改善し、モカは元気になった妹をつぶれるんじゃないかってくらいぎゅっと抱きしめた。


「本当に助かった。ありがとう」

「礼は良い。君たちには対価を払ってもらう」

「……わかってる」


 一体どれだけ苦しい対価が待っているのか。

 それでも、そこまで覚悟して選んだのだ。


 そして、連れて行かれたのは巨大な地下施設。

 そこにはモカたちと同じスラムの子供たちが数え切れないほど多く生活していた。


「ここは……?」

「黒の機関の新人を養成する施設だ」

「黒の機関?」

「君には、共に世界の闇と戦う仲間になってもらう」


 与えられたのは、今までは考えられないほど豪勢な食事だった。

 鶏肉なんて、使われず捨てられる部位しか食べたことが無かったモカはあまりの美味しさに気を失いそうになった。


「おねえちゃん、これすごくおいしいよ!」

「あ、ああ」

「どうしたの? 浮かない顔で」

「いや、……なんでもない」


 モカは零れそうになった言葉を飲み込む。

 ココアにはせめて、少しでも長く幸せな思いをさせてあげたい。


 これはきっと、責め苦の前に与えられる最後の晩餐で。


 あたしたちはこれから、与えられたこと以上のつらい思いをすることになるのだろう。


(せめて、ココアだけは。ココアだけは守らねえと……)


 続いて行われたのは、一般教養を教える座学の授業だった。

 女性の声の黒仮面たちは、勉強なんてしたことがないモカたちに一人ずつ丁寧に勉強を教えてくれた。


「おねえちゃん、すごいよ! まるで学校みたい! ここにいればわたしたちもちゃんとした仕事に就けるかも!」

「あ、ああ……」


 モカは黒仮面たちの目的がまったくわからなかった。

 一体どうして、自分たちに勉強なんて。


「自分も手伝いましょう! 子供は世界の宝ですからね。け、決して少女と触れあってあわよくば仲良くなりたいなんて思ってませんよ。ええ、決して思ってないので」

「帰れ、ロリコン」

「う、うう……」


 肩を落とし、すごすごと帰って行く黒仮面の姿も、考え込むモカの視界には入っていない。


(一体、何が目的なんだ?)


 まるで別世界のような大浴場で身体を洗った。

 お湯に浸かるなんて生まれて初めてで、気持ちよさのあまり失神しそうになった。


 着替えとして用意されていたのは信じられないほど仕立ての良い衣服の数々。

 今まで着ていたぼろ切れとはまったく違う。


 夜は、二人部屋が用意され、ふかふかのベッドで眠った。


「すごいね、お姉ちゃん。まるで貴族のお嬢様になったみたい!」


 思わず、信じてしまいそうになる。

 この人たちは本当に、自分たちに不自由なく生活できる環境をくれ、育てようとしてくれているんじゃないかって。


(そんなことあるはずない! 浮かれたところから絶望させて楽しむつもりなんだ、そうに違いない!)


 しかしモカの予想に反して、彼らの態度が変わることは無かった。

 モカはますますわからなくなる。


(どうして、どうして……)


 心を許したくなる気持ちと、裏切られるんじゃないかという不安。

 積もり積もった気持ちは、十二歳の少女が抱えきれるものではなかった。


 あふれ出した思いは、ある日爆発する。


「教えてくれ! あんたがここのトップなんだろ! あたしらを安心させて、そこから突き落として楽しもうとしてるんだろ!」


 組織の長らしい000(ゼロ)という名の黒仮面にモカは駆けよって言った。


「やめなさい! 000(ゼロ)様になんと無礼な――」

「良い」


 000(ゼロ)は、止めに入った007(セブン)を制止して言う。


「なぜそう思った?」

「何の見返りも無くやさしくしてくれるなんてありえねえから……」


 顔を俯け、力無く言うモカ。


「そうだよ。わかってるんだ。ありえないってわかってる。なのに、信じてしまいそうになるんだよ。本当に良い人たちなんじゃねえかって」


 声がふるえる。


「頼む。頼むよ。もし裏があるならここでそう言ってくれ。じゃないと、信じちまう。信じちまうから……」


 モカの視界が歪む。

 雫が落ちて、床にシミを作る。


「大変だったな」


 瞬間、頭を撫でたのはやさしい手のひらだった。


「安心して良い。私たちは君を裏切らない。既に君は、黒の機関の仲間だ」


 その言葉がどんなにありがたかったか。

 きっと、他の人にはわからない。


「あたし、がんばるよ。いっぱい勉強して訓練して、みんなに恩返しできるあたしになるから。いや、な、なります」


 不慣れな敬語で言ったモカに、000(ゼロ)は言った。


「期待している」


 何もない自分たちを救ってくれた。

 安心と幸せをくれた。


 本当になんてすごい人たちなんだろう。

 信じられないくらい強大な力を持っていて、なのに全然えらぶったりしなくて。

 あたしたちのような何の力も無い者にまでやさしくしてくれる。


 こんなにも強くて優しい人たちが、残酷なこの世界にいるなんて――


(がんばろう。助けてくれたみなさんに少しでも恩返しできるように)


 遠ざかる000(ゼロ)の大きな背中を見つめて、モカは思った。



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