6 消された魔術師と未踏魔術書
王都での新生活で、僕に与えられたのは貴族の学生が暮らす寮の一室だった。
ふかふかの絨毯と、キングサイズのベッド。水晶のシャンデリアに、品格漂う調度品たち。とても庶民の僕が使っていいものには思えない。
「貴族じゃない僕が使って良いんですか?」
「私が用意させたものだからね。好きに使ってくれて構わない」
まさか、僕がこんな高級ホテルみたいな部屋に住める日が来るなんて。
持つべきものは、権力者の知り合いということか。
大人の世界の真実を知ってしまった気がする。
「この部屋には二十七種の魔術障壁をかけておいた。盗聴される心配はないから、聞かれるわけにはいかない秘密の話をすることもできる」
「なんだかすごいですね。よくわからないですけど」
小学生のような感想の僕に、真剣な声でエメリさんは言った。
「君は一体何なんだ?」
「え?」
「何故あのような魔術式を知っている? どこで誰に学んだ? 教えてくれ」
前のめりの口調に、僕はちらりとエリスを伺う。
長時間の移動で疲れたらしく、エリスはベッドの真ん中で丸くなって寝息を立てていた。
「できれば、声は小さめでお願いします。エリスが起きちゃうんで」
「君が誠実に答えてくれるならそうしよう」
「答えますよ。僕如きの駆け引きが通用する相手とも思えませんし」
正直さは、会話における一つの武器だ。
正直な言葉は、策士が巡らせたそれでは到底太刀打ちできない、特別な力強さを持つ。少なくとも、僕はそう思っている。
「模擬戦に向け、四十時間ぶっ通しで魔術の練習をしていたんです。疲れで意識を失って、夢を見ました。夢の中で、僕は時を操る魔術を使っていた。そして、その夢の通りに魔術式を描くと、あの模擬戦のようなことができたんです」
疑われるかもしれない、と思っていた。
この話は、荒唐無稽に思われても仕方ない類いの話だから。
しかし、意外なことにエメリさんは納得した様子でうなずいただけだった。
「なるほど。何らかの理由で意識が古の魔術師とリンクした、と」
「信じてくれるんですか?」
「夢は魔術において重要なものだ。無意識が生み出す夢を軽視する者は、良い魔術師にはなれない」
どうやら、僕が経験したことも魔術の世界ではあながちおかしな話でもないらしい。
「おそらく、君の魂はその魔術師のそれに同調する部分があるんだろう。もしかしたら、その魔術師は君の前世なのかもしれない」
「僕も、なんとなくそうなのかなって感じてました」
「そうだとすれば、君は私の想定以上に価値がある存在なのかもしれないな」
うなずいてから、エメリさんは僕の目を見つめて言う。
「これから、この学校で生活するに当たって、君には二つお願いしたいことがある。一つは、この話は誰にも言わないこと。君が見た夢の話は、私と君だけの秘密だ。でないと、良くない何かに目をつけられる可能性がある」
「良くない何か?」
「ああ。現状で言えることは多くないが、この国の魔術には闇が巣くっていると私は考えている。その闇はこの世界の魔術を良くない方向に進ませようとしている。少なくとも、私はそう感じている」
「あんまり関わりたくない話ですね」
「そうかい?」
「はい。僕はエリスさえ幸せなら他のことはどうでもいいんで」
「残念だけど、君はもう事態に関わってしまっている。中心人物の一人とさえ言っても良いかもしれない。昼間の模擬戦だけでも、君が時間系魔術を使えることを彼らはすぐに突き止めることだろう」
「エリスを危険な目に遭わせるのだけは勘弁して欲しいんですけど」
「だったら、私に協力することだ。君が協力してくれるなら、私も彼女を守るためベストを尽くすと約束する」
「わかりました」
既に断れる状況でもないみたいだった。
この部屋に張り巡らされた魔術障壁は、僕とエリスを脅威から守るためのものでもあったんだろう。
「とはいえ、隠して欲しいのは夢についてだけだ。時間系魔術については、むしろ目立つように使っていってもらいたいと思っている」
「そこは隠さないでいいんですか?」
「見せることで向こうの反応を見たいからね。それに、目立つ存在の方が消すのも難しくなる。結果的に安全面でも効果的なわけだ」
「でも、向こうが本気で消しに来る可能性もありません? 僕はエリスの次に自分が大切なので、危ない橋は渡りたくないんですけど」
「それに関連するのが二つ目のお願いかな」
エメリさんは言った。
「『クラウゼヴィッツの未踏魔術書』って知ってる?」
「聞いたことはあります」
それは、この国の有名な都市伝説だった。
「二百年前の人魔大戦で、魔王を倒した大魔術師が残したという魔導書ですよね。彼が使ったという、未踏魔術の数々が記されている。とはいえ、その大魔術師自体公式の記録には残っていませんし、魔導書も実在しないと言われてるんですけど」
「そうだね。一般的にはそう言われている。ただ、一つだけ間違っていることがあるかな」
「間違っていること?」
「これが『クラウゼヴィッツの未踏魔術書』だ」
エメリさんが机に置いたのは、箱のように分厚い一冊の本だった。
しかし、それがただの本ではないことは一目でわかった。
思わず息を呑んでいる。
これは、簡単に扱って良いものじゃない。
下手に扱うと、世界の仕組みさえ壊してしまいかねない、そういうものだ。
「君には、この魔導書の解読を頼みたい」
「解読?」
「この魔導書は未解読の暗号で書かれている。おそらく、彼の大魔術師はこれらの魔術が悪用されるのを恐れてたんだろう」
「こんなとんでもないもの、僕に解けるとは思えませんけど。もっとちゃんとした魔術師や学者に頼んだ方が」
「既にそれは試してる。誰一人として、解読できた者はいなかったよ」
「だったら、尚更僕なんて――」
「似てるんだよ」
エメリさんは鋭く言った。
「君が使った時間系魔術の魔術式は、この魔導書に描かれているそれに酷似している。それも、体系的な部分でなく、描き方の手癖や発想の部分が」
「つまり、これは前世の僕が残したものかもしれない、と」
「そういうことだ。そして、だからこそ君なら解読できるんじゃないか、と私は考えている」
言われてみると、たしかに僕が好きそうなデザインの魔導書だった。
この無駄に意味深で強大な力が秘められてそうな感じ、僕すごい作りそうかも……。
「そして、これを解読することで君は魔術の世界に巣くう闇にも対抗できる力を手に入れられる。私はそう期待している」
「つまり、自分の身は強くなって自分で守れ、と」
「有り体に言えばそうだね」
理不尽な話だった。
まあ、時間系魔術を使った時点で、闇とやらに目をつけられるなら、対抗する手段をくれるのはありがたい話ではあるのだけど。
しかし、頭が良い天才の僕は気づいていた。
自分が今、お願いをされる立場、すなわち優位なところに立っていることを。
どうせなら、少しでも多くの金と良い条件を取り付けなければ。
エリス! もっといっぱいごはん食べられるよう兄様がんばるからね!
「残念ながら、その依頼を受けるわけにはいきませんね。僕にも僕の主義と思想があるので」
「報酬としては大体このくらい考えてるんだけど」
「誠心誠意やらせていただきます、依頼主様」
即落ちだった。
僕は金額によっては躊躇いなくプライドを投げ捨てる覚悟を持って日々を生きている。
「うん、よろしく」
エメリさんは微笑んでうなずいた。
エリスの寝息を聞きながら、僕は薄暗い部屋でスタンドの灯りを頼りに『クラウゼヴィッツの未踏魔術書』に向かう。
読めば読むほど、それは僕が作りそうな構造をしていた。
夢の中でもうっすらとこれに関する部分があった気がする。
たしか、前半部はカモフラージュのため適当な謎言語並べてるだけなんだよな。
本命は、後半部。最初に守護精霊の認証があって――
『魂の認証完了いたしました。対象を創造主であるクラウゼヴィッツ様と確認。ロックを解除します』
淡い緑色の光が辺りを包む。
眩しさに目を閉じる。目を開けたとき、そこに立っていたのは背の高い一人の少女だった。
「お久しぶりです、クラウゼヴィッツ様」
少女はそう言って美しい所作で一礼する。
「再びお仕えできること、心よりうれしく存じます。私はエインズワース。クラウゼヴィッツ様の忠実なる右腕です」