58 決勝戦6
控え室で、試合を見守っていたクロエには、フィオナの笑みの意味が誰よりもわかった。
(ずっと苦しい思いをしてましたもんね……)
思いだしただけでクロエは泣きそうになってしまう。
なんとかしたくて。
無力で。
どうすることもできなくて。
その先輩が今、ウェンブリーでプレーしている。
全国魔術大会の決勝戦。
世代最強選手、『フォイエルバッハの皇帝』を相手に、それでもあきらめず戦おうとしている。
涙がこらえきれなかった。
水の粒はクロエの意志と無関係にはらはら流れ落ちて、床にシミを作る。
よろめきながら立ち上がる三人の姿に、尚更涙はその量を増す。
気がつくと、両手を合わせて祈っていた。
祈らずにはいられなかった。
(がんばれ、アーヴィスくん……)
チームをここまで導いてくれた一年生エース。
(がんばれ、イヴさん……)
クールで無感情で。だけど、フィールドに立てば誰よりも頼りになる小さな後輩。
(がんばれ……がんばれ、フィオナ先輩……!!)
そして、人とうまく関われずにいた自分を救ってくれた、大好きな先輩。
神様どうか。悔いの無いプレーをさせてあげてください。
どうか、どうか……。
クロエは祈る。
閉じた瞼は水の粒でぐっしょりと濡れている。
◇◇◇◇◇◇◇
グランヴァリア王立の一年生エースが、オーウェンの前に姿を現したのは、試合が始まって一時間と三十六分が過ぎた頃だった。
身体は傷だらけ。
満身創痍。
既に立っているのがやっとの状態に見える。
しかし、そんな姿を前にしても、オーウェンは決して気を抜かなかった。
人並み外れたセンスと魔術知識が作り上げたオーウェンの異能、『限りなく真実に近い嘘』
しかし、その圧倒的な才能も未踏魔術に対しては通用しない。
初めて現れた、自らの理解を超えた魔術を使う敵。
オーウェン・キングズベリーは最大級の警戒を持って彼に対している。
常識外の作戦でこちらの不意を突く手の内も知っている。
オーウェンは、彼のすぐ後ろの瓦礫にフィオナ・リートとイヴ・ヴァレンシュタインが隠れていることも把握していた。
(……何かある)
だから、オーウェンは動かない。
絶対的な自信を持つ中距離の間合い。
高速での移動を制限するため、更地にした周囲のフィールドには、走りづらいようわざと凹凸を作っておいた。
状況は完全にこちらが有利。
(さあ、どう出る。未踏魔術使い)
オーウェンは目の前の、一年生エースを見つめる。
◇◇◇◇◇◇◇
イヴ・ヴァレンシュタインにとって、ここまで戦ってきた日々は特別な意味を持つものだった。
ずっと一人だった自分が友達と一緒に大会に出て。
チームの輪の中で一緒に戦っている。
遠ざけたり怖がったりする人は一人もいなくて。
それどころか、イヴの魔術をみんな喜んでくれて、頼りにしてくれて。
(一緒に戦うのが、こんなに心地よいなんて知らなかった)
だから、イヴは大会が終わるのを残念に思う。
本当はもっとこのチームで戦いたくて。
だけど、それは叶わないから、このラストプレーは自分にできる最高のものを置いていこう。
身体は既に限界を超えている。
普段なら簡単に放てる魔術も、今の自分にとっては心が折れそうになるくらい難しい。
それでも、イヴはあきらめない。
自分を信じて。
誰よりも積み上げてきた途方もない量の練習を信じて。
渾身の、この大会最後の魔術を放つ――
『氷結』
それは、この大会最後のプレーが開始される証。
アーヴィスの目の前、瓦礫の山が一直線に凍りつく。
オーウェンに向けて伸びるそれは、平らでよく滑る氷の道――
フィオナはすかさず魔術を放つ。
(これが最後……すべてを出し切る……!!)
「『炸裂する十一の火花』」
フィオナの高校最後のプレーは、
――すぐ傍にいたアーヴィスを凄まじい速度で吹き飛ばした。
(仲間を――!?)
予想外の事態に、オーウェンは一瞬動揺する。
爆風に吹き飛ばされ、氷の道を滑るアーヴィス。
身体の態勢を立て直しながら、魔術を起動させる。
『時を加速させる魔術』
傷だらけのアーヴィスでは、既に二倍速が限度。
それでも、爆風によって高速で吹き飛ばされているアーヴィスの二倍速は、
オーウェンにとって致命的になり得る速さになる。
(そういうことか――!!)
即座に迎撃魔術を放つオーウェン。
『高貴で優美な桜の嵐』
常人離れした術式起動速度は、三人が作り出した最高速の攻撃をも凌駕する。
桜の花びらのように、無数の刃が宙を舞う。
アーヴィスの身体をずたずたに切り裂く。
しかし、そこは――
『時を消し飛ばす魔術』
――既にアーヴィスの間合いの中に入っていた。
消し飛ばされる一秒。
瞬間、弾丸のような速度の拳がオーウェンの頬を撃ち抜いていた。
二人の身体は、そのままもつれあって、凄まじい勢いでフィールドを転がり、奥の壁に衝突して動かなくなる。
舞い上がる砂煙。
見守る全ての人が息を呑む。
そして、二人の身体は同時にフィールドから消えた。
「同時!?」
「ダブルノックアウト! 引き分けだ!」
両チームの大将が同時にノックアウトされる。
想定外の事態に、騒然となる会場。
大観衆のざわめきがすべてをかき消す中、
メリア・エヴァンゲリスタは身を乗り出したまま言う。
「違うわ。公認魔術戦規則の第六条。『両チームの大将が同時に撃破された場合、プレー終了時に残ってる選手が多いチームを勝利とする』って記述がある」
「じゃあ、この試合勝ったのは――」
「グランヴァリアさんの勝ちよ」
主審が、グランヴァリア王立の勝利をアナウンスしたのはその直後だった。
ウェンブリーフィールドの真ん中、力を出し尽くして動けない勝利チームの二人に、九万人の観衆から歓声が送られる。
(え、嘘……勝ったの?)
フィオナは信じられないという顔でそれを見つめる。
実感が湧かない。
現実とは思えない。
だけど、たしかに目の前の大観衆はフィオナに声をかけてくれていて。
(これって、あのときの……)
それは――
あの日、この場所で見た憧れの選手に降り注いでいたのとまったく同じものだった。
ただ違うことは一つだけ。
フィオナは今、選手としてその中心にいる。
いろんなことが頭を過ぎった。
チームをどうすればいいかわからなくて、ごはんが喉を通らなくなったこと。
聞こえてくる侮蔑の言葉に、零れそうになる涙を必死で堪えたこと。
ローザンヌ大付属に負けた後、あまりにふがいなくて、一人の部屋で泣いたこと。
自分の無力さを思い知った。
どんなにがんばったって多分報われない。
がんばることに意味なんてないんじゃないか。
そう、目の前が真っ暗に見えることもあって――
だけど、無駄じゃ無かった。
苦しみ抜いたあの日々は、全部無駄じゃ無かったんだ。
気がつくと、涙があふれていた。
瞳のダムは決壊して、雫がぽろぽろと頬をつたう。
抑えようとしてるのに、全然抑えられない。
(良かった……本当に良かった……)
フィオナは崩れ落ちる。
静かな嗚咽が響く。
主将なんだから、しっかりしないと。
そう思っているのに、身体は全然言うことを聞かなくて。
そのとき、フィオナの頭をおずおずと撫でてくれたのは小さな手だった。
フィオナは一瞬びっくりして、それからふっと表情を緩める。
(やさしい子だな、イヴさんは)
これじゃ、どちらが先輩かわからない。
だけど、泣き止まないとと思う気持ちとは裏腹に、フィオナはあふれ出る涙を止めることができなかった。
(生きてて良かった。良かった……本当に)
それは、今までの苦しみ抜いた日々が全部報われるような、そんな瞬間だった。






