48 準決勝3
side:聖アイレス女学院、エヴァンゲリスタ姉妹
「そんな……あの守備陣を突破するなんて……」
唇をふるわせるレリア。
甲高い音を立てて足下でカップが割れる。
「あれを突破するなんて。すごいわ。すごく、興味深い」
一方で、メリアに動揺の色は見えなかった。
瞳を輝かせ、好奇に満ちた目で混乱する戦場を見つめる。
「姉様、そんなことを言っている場合では」
「レリア。良い思考は、楽しむ心から生まれるものなのよ。遊び心が大切なの」
メリアは優雅に紅茶を一口飲んで言う。
「事実、この戦いはここまで私の計算通りに進んでいるでしょう?」
「それはそうかもしれませんけど……」
レリアは不安そうに周囲を見回して言う。
「しかし、こんな作戦あまりにも大胆すぎます。もし敵に見つかったらと思うと……守備隊にも何も伝えてないですし」
「だからこそ、誰も想定しない。気づけない」
メリアはにっこりを目を細める。
「さあ、これでチェックよ、一年生策士さん。早く気づかないと負けちゃうわよ?」
◇◇◇◇◇◇◇
逃げ遅れた最後の一人をノックアウトして、僕はほっと息を吐く。
周囲には、敵守備陣左翼を守っていた五人の痕跡が残っていた。
これで、合計で九人撃破。
十五人いる選手のうち半分以上を倒したことになる。
先輩たちを囮にし、砲火魔術の砂煙に身を隠して間合いを詰める。
懐に潜り込んで、絶対的に優位が取れる接近戦で敵守備陣を一気に崩す。
こちらも五人失ったものの敵陣左翼は崩壊。
聖アイレスは後退し、なんとか最奥にいる大将を守ろうと防衛ラインの再構築を急いでいた。
しかし、既に敵陣深くに潜り込んでいる僕を、聖アイレス守備陣は捕捉できていないはず。
一気に奇襲をかけて、勝負を終わらせに行くか……?
僕は少し迷う。
今が大きなチャンスであることは間違いない。
おそらく、僕がここまでやることは向こうも想定できてないはず。
問題は、聖アイレス最強のエヴァンゲリスタ姉妹を、僕が一人で仕留められるかということだった。
できないことではないと思うけど、しかしそこは敵陣のど真ん中。
すぐに決めきれないと、守備隊も戻ってきていよいよ苦しい戦いになる。
ただ、早い段階で決めないと、地力の差が響く展開になるしな……。
迷った末に、僕は攻撃をしない決断をする。
焦りは禁物だ。
こっちが早く試合を終わらせたいことを向こうもわかっているはず。
それこそが、罠である可能性もある。
このまま、着実に敵陣深くまで押し込んで試合を優位に進めるべき。
今はここで味方の上がりを待とう。
ここまでの戦いは僕の作戦通りだ。
『聖アイレスの策士』は、後手に回るばかりで何もできてなくて――
一瞬疑念が過ぎった。
策士と評されるほど魔術戦をよく知っている、メリア・エヴァンゲリスタがここまで何もできず後手に回るだろうか。
違和感があった。
僕なら、もっと別の手を打つはず。
たとえば、必死で大将を守ろうとしている守備陣は囮で。
本当は大将自らが、前のめりになるこちらの攻撃陣の背後を取って。
こちらの大将であるフィオナ先輩を倒そうとしているとか。
「――やられたっ!」
僕は慌てて自陣に戻る。
あの守備隊の動きを見るに味方にさえ伝えていないのだろう。
誰もが予想外、想定外の奇襲。
だけど、それは間違いなくこの状況における最善手だ。
「間に合え……耐えてください、フィオナ先輩……!!」
祈りつつ、僕は懸命に地面を蹴る。
◇◇◇◇◇◇◇
side:窮地、クロエ・パステラレイン
「代表合宿以来ね。ご機嫌はいかが? フィオナさん」
メリア・エヴァンゲリスタはにっこり微笑んで言った。
「嘘……!? なんでこんなところに……!?」
クロエは呆然とする。
ありえない。
一体何でこの場所にエヴァンゲリスタ姉妹がいる?
「さすがだね。完全に私たちの裏をかいたわけだ」
隣で、フィオ先輩は落ち着いた声で言った。
「本当は、こんなことするつもりなかったんだけどね。あまりにも、そっちの一年生策士さんが優秀だったから。これ以外の手じゃ負けちゃうかもって」
「お褒めにあずかり光栄だよ。最弱世代と言われた私たちが、聖アイレスをそこまで脅かせるチームになれるなんて」
フィオ先輩は、つけている手袋の裾を引く。
クロエが好きな、品のある凜々しい所作。
確かめるみたいに指を少し動かしてから、先輩は言った。
「ここで勝って、わたしたちがウェンブリーに行く」
「無理は良くないわよ、フィオナさん。貴方にはまだ先がある」
メリア・エヴァンゲリスタはカップの紅茶を一口飲んで言う。
「その右膝はもう限界を超えているのでしょう?」
クロエは愕然とする。
「ど、どうしてそれを?」
なんでこの人がそれを知っているのか。
先輩が必死に隠している、きっと私しか気づいてないはずの怪我のことを。
「動きを見ればわかるわ。多分、代表合宿最終日ね。模擬戦で交錯したときに痛めたのでしょう」
「さすがだね。そこまでお見通しか」
「無理をすれば、選手生命に関わるわ。だから、ここは勝利を譲って。じゃないと、私手加減はできない人間だから。貴方の右膝の怪我を徹底的に狙う戦い方をすることになる。敵の弱いところは徹底的に攻める。そういう戦い方しかできないの、私は」
メリア・エヴァンゲリスタは本気で言っているようだった。
策ではなく、本当にフィオ先輩のことを心配して。
「貴方は優秀な選手です。姉様の言うとおり、ご無理は禁物かと。私たちは最善を尽くす以外の戦い方ができませんから」
一歩後ろで控えていたレリア・エヴァンゲリスタが言う。
たしかに、止めるならここだと思った。
一年生の活躍もあって、無理な戦いをすることなく、ここまで勝ち進めてきた。
だからフィオ先輩の脚も持っている。
しかし、エヴァンゲリスタ姉妹は全国魔術大会の中でもトップクラスの怪物。
世代別代表でもチームの中心として活躍している選手だ。
戦うとなると、フィオ先輩は自分の最高以上の力を出そうとするだろう。
右膝を庇って戦える相手じゃない。
そうなると、限界を超えた右膝はきっと――
クロエは判断に迷う。
ウェンブリーはフィオ先輩の夢だ。
でも、そのために先輩の未来を犠牲にすることが本当に正しいのか。
ここで選手生命が終わってしまうかもしれないのに。
無理だと判断したら止めよう。
クロエは怪我に気づいた時点で、そう決めていた。
私は先輩が好きだから。
大切だから。
先輩の意志に反しても、止めないといけないときは止めるべきだと思っていて。
だけど、今がそのときなのか、クロエには答えが見つからない。
「心配してくれてありがとう」
フィオ先輩は言う。
「でもね。結論は最初から出てるんだ。間違った選択かもしれない。バカなことをしてるのかもしれない。わかってる。だけど、これはわたしの人生だ。わたしが選ぶ。わたしが決める」
それから、真っ直ぐにメリア・エヴァンゲリスタを見つめた。
「わたしはここで二人を倒す。決勝に、ウェンブリーに行く」
(ああ、答えはもう最初から出てたんだ)
クロエは思う。
言うとおりだ。間違った選択なのかもしれない。
それでも、先輩はそれを選ぶと言っている。
強い決意を持ってそう言っている。
だったら、それを全力で手助けするのが私の仕事だ。
「私が、先輩をウェンブリーに連れて行きます」
エヴァンゲリスタ姉妹を見据えてそう言うと、メリアは微笑んで言った。
「愚かな選択ね。でも、そういうの嫌いじゃないわよ」
「私には理解できません。一試合のために、未来を犠牲にするなんて」
「人の心っていうのは時に合理性に逆らった判断をするの。そこに人間である意味が存在するのよ」
「間違ってることが尊いということですか?」
「そういうこと」
メリアは微笑んでから、紅茶を飲み干してカップを廃墟の窓枠に置く。
「それじゃ、最高の試合をしましょうか。フィオナさん」
戦いが始まる――
◇◇◇◇◇◇◇
フィオナ・リートは、世代別代表ではチームメイトのエヴァンゲリスタ姉妹の戦い方をよく知っていた。
『聖アイレスの策士』と呼ばれるメリアが周囲への指示と頭脳を担当し、
『聖アイレスの剣』と呼ばれる、レリアがチーム最優の個人能力で戦闘を担当する。
二人が得意とするのは共に風属性。
圧縮した空気を花びらのように飛ばして攻撃する技を得意としている。
意外だったのは、大将をレリアが務めていることだった。
(これまでの試合では、メリアが務めるケースが多かったはずだけど)
奇襲を警戒して、個人技に優れたレリアを大将に据えたのだろうか。
(手負いのわたしでは、二人を相手にするのは不可能。うまく二対一を作って、大将のレリアを仕留めることができれば――)
地力では、はっきり劣っていることをフィオナは自覚していた。
勝機があるとすれば、短期決戦でワンチャンスをものにする――
フィオナは指を鳴らす。
『炸裂する十一の火花』
瞬間、炸裂したのは十一の爆発。
四人が向かい合っていた廃墟は、その一撃で吹き飛び半壊する。
燃焼し失われた酸素が気圧差を作り、強烈な突風が吹き込む。
追い風を背にして、フィオナとクロエは黒煙の中に跳び込んだ。
(視界は封じた! これなら、連携も取れないはず――!!)
至近距離から最高火力で叩き込めば、さすがの『聖アイレスの剣』も耐えられない。
個人技で劣るメリアでは、この最高速での奇襲から咄嗟に大将を庇うほどの能力は無いはずだ。
(取った……ッ!!)
指を鳴らそうと手を伸ばすフィオナ。
グランヴァリア王立の勝利を決定づけるはずだったその一打は、しかし放たれることは無かった。
「『高貴で優美な桜吹雪』」
まるで巨人に殴られたかのような衝撃。
圧縮された強烈な突風が、黒煙と廃墟の残骸ごと圧倒的な力でフィオナを吹き飛ばす。
壁に叩きつけられ、崩れ落ちるフィオナ。
隣では、クロエが気を失って倒れている。
魔術戦用安全装置こそかろうじて作動してないものの、戦闘の続行はほとんど不可能と言えた。
(嘘……? どうして、メリアがあんな魔術を……)
全力を出していないにも関わらず、優に第六位階級に相当するその威力は、レリアでないと出せないはずで――
瞬間、フィオナはトリックに気づいて愕然とした。
「まさか、入れ替わって……!?」
「さすがね、フィオナさん。もう気づくなんて」
言ったのは大将を務めるレリア――に扮したメリア。
双子のそっくりな容姿を利用したトリック。
髪飾りとその位置を入れ替えて、こちらの認識を狂わせていたなんて。
「演技上手すぎじゃない? 女優目指しても成功すると思うけど」
「ありがとう。でも、私ができるのはレリアの真似だけだから。レリアはかわいいから、そっちの道でも成功するかもしれないけどね」
「いえ、姉様の方こそ綺麗です。絶対成功します」
「ふふっ、ありがとう」
妹に微笑んでから、メリアは言う。
「膝には衝撃が少ない当たり方でよかったわ。貴方の選手生命を終わらせずに済んだ」
ほっと息を吐いて、
「それじゃ、終わりにしましょう。また一緒に面白い試合をしましょうね」
微笑むメリアの隣で、レリアは試合を終わらせる魔術を放った。
「『高貴で優美な桜の雨』」
無数の花びらがフィオナとクロエを襲う。
鋭利な不可視の刃は、石造りの廃墟の残骸をゼリーのように切り刻む。
まるで桜の雨のような、無数の刃を止める術はフィオナにはなかった。
(ここまでか……)
肩を落とし、目を閉じるフィオナ。
しかし、最後の一撃はいつまで経っても、フィオナに届くことは無かった。
代わりに、前髪を揺らしたのは、そよ風のようなやさしい風。
「何やってるんですか。まだ終わってませんよ、先輩」
――頼れる後輩が、フィオナを守るように立っていた。