28 悪魔
side:下級悪魔、モラフス
ありえない。
ありえないありえないありえない。
廃工場の入り口で、門番を務めていたモラフスは目の前の現実が受け入れられず首を振る。
なぜ自分たちの潜伏場所が露見しているのか。
その上、現れたのは想定していた王立警備隊以上に魔術に長けている謎の集団。
あのお方のおかげで、この国における魔術は低いレベルで抑えられているはずなのに、彼らのうちの数名は自分たち悪魔とも対等に戦える力を持っていた。
何より、モラフスを苦しめたのはその数だ。
人数差を活かした物量に、モラフスたち下級悪魔は次第に押し込まれていく。
(このままでは、メノウェ様に何と言われるか……)
工場の奥に、王女の腕を切断しに行った直属の上官を思い浮かべて、モラフスはふるえる。
普段は落ち着いた物腰の上官が、自らの意に沿わない事態になると、別人のように激昂することをモラフスはよく知っていた。
(なんとしてでも、ここにいる人間共を全員始末せねば)
一人の少年が撃ちだす暴風の刃に身を切られながら、モラフスは渾身の炎熱系魔術を放つ。
隕石のように巨大な火球が、年若い人間たちを殲滅しようと向かっていく。
(よし! 殺した!)
たしかな手応えと共に放たれたそれは――
「このくらいじゃわたしには届かない」
次の瞬間熱エネルギーを失い凍りついていた。
放たれたのはすべてを一瞬で凍てつかせる氷魔術。
(あ、あの火球を一瞬で……)
小柄な少女の圧倒的な力に、モラフスは方針を変更する。
もはや、殺すのは不可能だ。
突破されないよう食い止めることに死力を尽くさねば。
そのとき、弾丸のような速度で何かがモラフスの隣にいた仲間二人を弾き飛ばす。
「遅くなってしまいました。久しぶりに戦えると期待していたのですが」
「き、貴様は……」
その姿をモラフスは知っている。
救世の魔術師が生み出した大精霊、エインズワース。
「何故だ……貴様はあのお方がたしかに消滅させたはず」
「なるほど、関係者ですか。これは生け捕りにして話を聞かなければなりませんね」
エインズワースはじっとモラフスを見つめる。
「そんな余裕があると?」
「あります。貴方では私には勝てませんから」
「ほざけ」
放った火球がエインズワースの身体に直撃する。
しかし、一千度を超える温度の火球は、エインズワースの身体に傷一つつけられなかった。
(ここまで……ここまで違うのか)
歴然とした力の差にモラフスは絶句する。
「勝負はついたようですね」
「今のうちにいい気になっていればいい。必ず、必ずメノウェ様が貴様を葬り去ることだろう」
「残念ですが、それはありません。そもそも、私の出る幕もないでしょうから」
「出る幕もない……?」
「アーヴィス様は私より強いですから」
エインズワースは当然の事実のようにそう言った。
◇◇◇◇◇◇◇
side:中位悪魔、騎士爵、メノウェ
メノウェは一瞬、何が起きたのかわからなかった。
強者である自分が、なぜろくに受け身も取れず床を転がっているのか。
頬の痛みに、殴られたという事実を遅れて認識する。
(人間ごとき下等種がこの私を殴った……!?)
そしてわき上がったのは強烈な怒り。
(許せない……許せない許せない許せない)
ゆらりとメノウェは立ち上がる。
血走った瞳で目の前の少年と正対する。
決して強そうには見えない冴えない少年だった。
痩せていて、線は細い。前髪は長く、目元にかかっている。
しかし、ただの少年が自分を殴り飛ばせるはずがない。
(一体何者だ……いや、何者でも構わない。殺す、絶対に殺す……)
「なかなか乱暴なご挨拶ですね」
落ち着いた風を装って、メノウェは言う。
いつもと変わらない大人で穏やかな物腰。
しかし、その瞳は強烈な怒りに染まっている。
「自分が何をしたかわかっていますか? 下等種である人間が、中位悪魔であり騎士爵である私を殴るなどあってはならない。あってはならないことなのですよ、人間」
「少しでもうまくなりたいってたくさんの時間を費やしてきた魔術師の腕を切りとばす方がよっぽどあってはならないことだと思うけど」
「今はそのような話はしていません。貴方が、私を殴ったことが問題なのです。下等種の腕などどうだっていい」
「話が通じない相手でよかったよ。気兼ねなく、遠慮なく殴り飛ばすことができる」
「ええ。私もよかったです。貴方は生きていて良い人間ではないと確信できましたから」
にらみ合う二人。
先に地面を蹴ったのは、少年の方だった。
(バカな……!? なんてデタラメな……!?)
まるで三倍の速度で動いているかのような速さであっという間に、距離を詰め、拳を振り抜く。
初撃はなんとかかわしたメノウェだったが、次第に速さについていけなくなる。
四発目の拳はメノウェのこめかみを撃ち抜き、そのまま廃工場の壁を貫通してその奥にうち捨てられていたスクラップの山に叩きつけた。
「一度ならず二度までも……!! 許されない、許されないぞ人間……!!」
メノウェは怒りに身を任せ、近くにあった巨大な支柱を切りとばす。
真っ直ぐに伸びた剣のように鋭利な爪は、鉄製の太い支柱をゼリーのように裂いた。
重力に引かれて数トンの支柱が少年に向け落ちる。
三倍速でかわしたその先に、メノウェはもう移動していた。
「殺す……!! 絶対に殺す……!!」
しかし、それも届かない。
少年はメノウェの動きを完全に見切っている。
身をかわす。
伸びた髪が一房宙に舞う。
カウンターで振り抜かれた前蹴りに、メノウェは再び地面を転がり壁に直撃することになった。
(ぐ……バカな……!? 強い……強すぎる!?)
メノウェは思う。
(仕方ありません。こうなったら、奥の手を使うしかない)
「なるほど。私が思っているより貴方は強いらしい」
身体を起こし、燕尾服に付いた砂埃をはらってメノウェは言った。
「それはどうも」
「しかし、それもあくまで人間にしては、です。この姿は優美さに欠けるのであまり好きでは無いのですがね」
メノウェの身体が紙風船のように裂ける。
中から現れたのは猪の頭をした巨人――
鋼のような筋肉で覆われた毛むくじゃらの身体。その背中からは黒い翼が伸びている。
二階建ての建物ほどあるその巨大な悪魔は、都市を一人で壊滅させる力のある化物だった。
「これでわかったでしょう。悪魔というのは人間が敵うような相手では無いのです。我々は貴方方下等種よりはるかに高いところにいる」
言葉には落ち着きが戻っていた。
絶対的強者の余裕。
「怖いですか? 恐ろしいですか? 跪いてふるえる声で命乞いする準備はできましたか?」
口角を耳まで上げ、メノウェは不気味な笑みを浮かべる。
「簡単には殺しません。貴方が苦しみのあまり、死にたくて死にたくてたまらなくなるまで遊んでもらいますよ、人間」
メノウェは拳をふるう。
巨人の速さは少年を越えていた。
一発、二発、とギリギリでかわす少年。
刹那の攻防。
アーヴィスは積まれていた金属製の缶の山を盾にする。
しかし、通用しない。
メノウェは紙くずのように巨大な缶の山を裂く。
中の液体が、二人の身体を濡らした。
「ふははははははッ!! 無様! 無様ですねえッ!!」
歓喜の声を上げるメノウェ。
「簡単には終わらせませんよ。ショーは始まったばかりですから」
追撃するメノウェ。
一発、また一発、と人智を越えた速度の拳が少年を襲う。
そして、遂に重い一撃が少年の身体を直撃した。
なすすべなく吹き飛ばされ、壁にぶつかり止まった少年を見てメノウェは嗜虐的な笑みを浮かべた。
穴の開いた缶から、血のように青い液体が流れる中、少年はぐったりして動かない。
決まった。
もはや、この少年に身体を動かす力は無い。
あとはお楽しみの時間だ。
(劣等種の分際で、悪魔の私を侮辱した罪を償わせてやる)
「痛いですよね? 苦しいですよね? もっとです。死にたくて死ねなくて耐えられなくなるまで痛めつけて――」
「この辺りがどうして廃工場地帯になったか知ってるか?」
少年は不意に、そんなことを言った。
「何――?」
「当時使われていた液体燃料、ブルーウォーターの価値が暴落したんだ。それに代わる新しい燃料が発見されてね。だから、この辺りの工場には売れ残ったブルーウォーターの残りが大量にうち捨てられている」
少年が身体を起こしたのはそのときだった。
「本当に、お前がバカで良かったと思ってるよ」
立ち上がる少年に、メノウェは驚愕する。
「なぜだ……なぜ傷一つついていない……!? 人間の身体では耐えられる威力では無いはず……」
「何もせずぶつかっていればそうだろうね。僕は受け身が得意でさ。世界がゆっくり見える分、衝撃を殺すのは簡単なんだ」
少年は言う。
「でも、代わりにできないこともある。炎系の魔術は大の苦手でね。簡単な生活魔術さえ使えない。だから、火を起こすにはこうして道具に頼らないといけない」
懐から取り出したのはマッチだった。
「まさか……」
「僕らがかぶっているのはブルーウォーターだ。これだけの量なら、この工場は一瞬で跡形もなく消し炭になるだろうね」
「しかし、そんなことをすれば貴様もただでは済まないはず」
「そうだね。普通ならそうだ」
少年は悪い笑みを浮かべてマッチに火をつける。
「僕は、時間を止める魔術が使えるんだ」
少年は、火の付いたマッチをブルーウォーターの中に落とす。
「やめっ――」
瞬間、響いたのはすべてを消し飛ばす轟音。
爆風は音速を越える速さですべてを吹き飛ばす。
廃工場は一瞬で消し飛び、ぱらぱらと小さな屋根の破片が辺りに降り注いだ。
絶命こそ免れたものの、巨体の悪魔は戦えるだけの力を失う。
燃えさかる巨体が爆心地の真ん中で崩れ落ちる。
あっけなく。
本当にあっけなく、勝負は決着した。
対都市級の化物を、少年は一人で簡単に倒して見せたのだった。






