25 夜
side:少女、リナリー・エリザベート・アイオライト
アイオライト王家の別邸に普段リナリーは暮らしている。
理由の一つは、父や母が住む居城は学院から少し距離があること。
もう一つは、政略結婚の道具になることを期待する周囲の目に耐えられなかったからだった。
別邸で共に暮らすのは、執事とお手伝いさんと護衛の騎士。
必要以上の会話はしないが、それを寂しいとも思わない。
そんな時間があるなら、魔術の勉強をしたいというのがリナリーの正直な気持ちだったからだ。
周囲の要求に逆らって、自分で選んだ道を生きていける特別な存在になるためには、みんなが休んでいる時間こそがんばらないと。
だからリナリーは学院から帰ってからも真摯に魔術に打ち込む。
趣味はない。楽しみにしてる娯楽小説もない。それでいいと思っている。
魔術の邪魔になるものは必要ない。そう、全部投げ捨てて今日まで生きてきた。
(だから、本当はこれも捨てないといけないんだろうけど)
鍛錬を終えて、自室に戻ったリナリーはじっとへたくそなぬいぐるみを見つめる。
以前の自分なら、こんなもの簡単に捨ててしまえたはずで。
だけど、今の自分にはもう捨てられない。
もっと良いプレゼントを星の数ほどもらってきたはずなのに。
どうして拙いぬいぐるみが、こんなにも愛おしく思えてしまうのか。
リナリーは戸棚の一番綺麗に見える位置に、不格好なぬいぐるみを置く。
周囲には煌びやかな芸術品の数々が並んでいる。
ぬいぐるみはその中では、あまりにも浮いている。
だけどリナリーは満足げに微笑む。
ずっとずっと、そうしている。
その夜、リナリーは喉の渇きを感じて目を覚ました。
普通王家の人間ならお手伝いさんを呼んで持ってこさせるところなのだけど、夜遅くにこの程度で起こすのも忍びない。
水を飲もうと自室を出て、螺旋階段を降りる。
誰もいないキッチンで、コップに水を注いで喉を潤す。
最初の違和感は、流し台のお皿が片付いていないことだった。
洗剤がついたまま、すすがれることなく放置されている。
途中で作業を遮られて、そのまま忘れてしまったんだろうか。
嫌な予感がした。
リナリーは護衛を務める騎士の部屋に行く。交代で夜中警備を続けてくれるので、真夜中でも灯りはついている。
「ねえ、少し気になることがあるんだけど」
ローズウッドの扉をノックする。
返事はない。
うたた寝してるんだろうか。
リナリーは扉を開ける。
案の定だった。
護衛の騎士は机に突っ伏して眠っている。
(疲れているのかしら?)
普段真面目に職務をこなしてくれているのに珍しい、と思う。
かわいそうだとは思うけど、仕事は仕事なので起きてもらわないと。
起こすために近づこうとする。
不意に床で液体が溜まりを作っていることに気づく。
真っ赤な液体だった。
それは、椅子からぽたり、ぽたり、と落ちて波紋を作った。
それは血だまりだった。
「おやおや、夜更かしとは感心しませんね。第二王女様」
すぐ後ろで声が聞こえたと思った次の瞬間には、リナリーは意識を失っていた。