22 決勝戦その4
リナリーさんとうっかり落とし穴にはまって、急いで待ち合わせ場所に向かったらクライマックスだった。
……一体なんでこんなことになってるの?
内心、かなりびっくりしつつも、信頼を裏切らないよう真面目な顔をキープする。
常に冷静沈着、クールでハードボイルドなのがFクラス隊長モードの僕だ。
「隊長! ということは、リナリー・アイオライトは――」
「ああ。リナリーさんは当分ここには来れない。大丈夫だ」
「さすが、隊長……! 一対一であのリナリー・アイオライトを倒すなんて……!!」
え? 倒す?
いや、落とし穴はまってたからそのままにしてきただけなんだけど。
「リナリーを倒した……?」
Sクラス隊長、イヴ・ヴァレンシュタインは信じられないという顔で言う。
「あなたは何者? 本当にFクラス?」
なんか倒した前提で話進んでるし。
「悲しいかな、六属性全部使えない正真正銘のFクラス生だよ」
「欠陥品?」
「そう。欠陥品。でも、君に勝って優勝するつもりだけど」
「それはありえない。勝つのはわたし」
当然のことのように淡々と言うイヴさん。
絶対零度の瞳が僕を射貫く。
それだけで、周囲の温度が下がったように思ったのは気のせいじゃ無い。
少しの感情の揺らぎが、そのまま世界に影響をもたらしてしまうくらいに、彼女の氷雪系魔術は常人の域を超えている。
早い内に決着を付けなければ。
氷で壁を作られ、物理的に接近できない状況を作られると苦しい状況になる。
固有時間を加速させたり、七秒間時間を止めることはできる僕だけど、戦いの中で現状できるのはそれだけ。
時間を操作してもどうにもならない状況では、ただ何もできない劣等生になってしまう。
しかし、そんなわずかな逡巡の間にもう、勝負の行方は決していた。
イヴ・ヴァレンシュタインが無数の氷の刃を放つ。
僕は時間を加速させてかわそうとする。
瞬間、絶句する。
足首が凍り付いている。
まさか、あの一瞬で……!?
なんとか足を動かそうとする。動けない。動かせない。
氷の刃はゆっくりと、僕の息の根を止めようと近づいてくる。
かわしきれない。
もうかわせない。
無数の鋭い切っ先は、僕の身体に致命的なダメージを与え、Sクラスの勝利を確定させるだろう。
ここまでなのか。
横殴りにされたような衝撃が身体を襲ったのはそのときだった。
「隊長――!!」
ドランだ。
ドランが全体重をかけて僕に体当たりをしている。
半ば捨て身のような、渾身の体当たりは、僕の足首にまとわりついた氷を砕くのに十分な威力を持っていた。
助かった。
ありがとう、ドラン。
そう見上げた僕の視線の先で、氷の刃は、身を挺し僕を庇った彼の身体に降り注いでいた。
「ドラン――!!」
「隊長。任せました」
にっと微笑んで。
ドランの身体が消える。
思いだされたのは決戦前夜のことだ。
『Sクラス生というのは本当に天才揃いなんです。こんな化け物がいるのか、と心が折られてしまいそうになるような』
ドランはSクラスについて、そんな風に言っていた。
『もし、自分がSクラスを相手にちゃんと戦うことができたなら。何かが変わるような気がするんです』
そして、こう続けた。
『魔術の世界ではダメだったけど、それでもあのとき自分はSクラスの天才たちに一矢報いたんだぞ、と。そんな風に思える気がする。強くなれる気がする』
ドランはこの舞台で立派に戦い抜いたのだと思う。
持てるすべてを尽くして、自らよりはるかに強大な敵に挑んだ。
そして、それはドランだけじゃない。他のみんなもそう。
みんなの力のおかげで僕は今、敵の大将と一対一で向かい合っている。
僕は今、Fクラス全員の思いを背負ってここにいた。
「負けられない理由ができたよ」
身体を起こして言う。
「僕はここで、君を倒す」
◇◇◇◇◇◇◇
side:『氷雪姫』、イヴ・ヴァレンシュタイン
イヴ・ヴァレンシュタインにとって、Fクラスの大将が使う魔術は初めて目にするものだった。
魔術界随一の名家、ヴァレンシュタイン家に生まれ、最高傑作と呼ばれている自分が見たことのない魔術。
(すごく興味深い)
それは、周囲の物事にあまり関心を持たない彼女には珍しい心の動きだった。
それだけ、彼女の魔術に対する愛と知識が、人並み外れて深いということなのだが。
(あとでどういう魔術式なのか聞きに行こう)
そう思いつつ、身体は敵を倒すための最善の行動を選択し続ける。
生後間もない頃から、頭と身体にたたき込まれた魔術技能は、考えずとも身体が勝手に反応できる域まで磨き上げられている。
天才を天才たらしめるのは時間だ。
そうイヴは考えている。
そして、自分が魔術に費やした時間は他の誰よりも多い。
彼女と双璧をなす『雷帝』リナリー・アイオライトにもそこでは絶対に負けていない。
それは、半ば強制されたものだった。
友達と遊ぶことも、好きなことをするのも許されない。
ヴァレンシュタインの家に生まれるというのはそういうことだ。
彼女はそのために本来経験できるはずの楽しい時間を犠牲にして生きてきた。
しかし、それを不幸とも思わない。
イヴにとっては普通で当たり前のことだから。
そしてそんな環境に身を置いてなお、まだ魔術を心から好きでいられることが、彼女を天才たらしめる最も強力な資質だった。
だから彼女は、目の前の少年が人間業とは思えない速度で氷の刃をかわす姿に、素直に感動する。
(素敵な魔術。絶対教えてもらわなきゃ)
しかし、そんな思考とは裏腹に、その攻撃の手は止まらない。
次から次へと、矢継ぎ早に最適最善の攻撃を選択し続ける。
普通はここで脱落する。
魔術界中の名家から、たくさんの天才が彼女に挑んだが、これに耐えられた者は誰もいなかった。
彼女と戦うと、みんな決まって傷つくことになる。
身体以上に、心が傷つけられる。
力と才能の差を痛感するからだ。
それゆえ、イヴはずっと一人だった。
称えられ、崇められ、そして恨まれ。
常人の域を超えた力は彼女を孤独にした。
だからイヴは目を輝かせる。
目の前の少年が攻撃をかわしきったことをうれしく思う。
この人には、恨まれたり嫌われたりせずに済むかもしれない。
見上げられ持ち上げられることもなく、もしかすると対等な友達にだってなれるかも――
この状況に及んでイヴは自分が負けるなんて微塵も考えていない。
それは彼女にとって起こりえない未来なのだ。
イヴ・ヴァレンシュタインは今まで一度だって負けたことがないのだから。
そもそも、敗北を想定することさえできない。
そしてそれが、この戦いでアーヴィスが突ける、『氷雪姫』唯一の隙だった。
「すごい。あなたは強い」
イヴは感心した様子で頬を緩める。
「どうも」
時間を加速させ、氷の槍をかわすアーヴィス。
『氷雪姫』は寂しげに目を伏せて言った。
「でも、これで終わり」
そして組み上げられるのは第六位階級の魔術式。
どんなに早く動いてもかわせない、彼女の持つ必殺の対軍級魔術。
『氷の世界』
瞬間、世界はその色を変える。
イヴが差しだした手の先、半径五十メートルの扇形状の範囲で、空気が青い液体に変わっていく。
マイナス196度――それは空気が液体化する温度。
そこでは呼吸さえ許されない。
すべてを例外なく凍らせる、絶対的に静謐な青の世界。
ヴァレンシュタイン家の最高傑作が編み出した秘術。
彼の身体は瞬く間に凍りつき、安全装置によって戦場から転移することになるだろう。
そのことを、イヴは寂しく思う。
やっぱり、絶望させてしまうだろうか。遠ざけられてしまうだろうか。
しかし、仕方が無い。
勝つ以外の方法をイヴは知らない。
(嫌われたくないな……)
そんな思いとは裏腹に、起動した魔術は目の前の少年の身体を青く濡らす。
しかし、瞬間聞こえたのは背後からの声。
「すまない。終わりにさせてもらう」
「え――」
イヴ・ヴァレンシュタインの誤算は二つ。
一つは、ライデンフロスト効果。
液体化した空気が身体に触れた瞬間、起きるのは温度差による急速な気化だ。
生じた気化ガスは保護膜のように作用し、ほんの一瞬だけ身体を守ってくれる。
そして、七秒だけ時間を止められるアーヴィスには、その一瞬だけで十分だった。
(転移魔術!? 嘘、未踏魔術のはずなのに!)
二つ目の誤算を目にしてイヴは激しく動揺する。
拙い体術で、なんとか最初の一撃をかわしたものの、そこがイヴの限界だった。
拳が振り抜かれる。
安全装置が作動し、イヴの身体は戦場から転移する。
そんな状況にもかかわらず、彼女の心は敗者とは思えないほど晴れやかだった。
(すごい。転移魔術が実在するなんて)
まずは間近で目撃した奇跡に感動し、
(どういう魔術式か教えてもらわないと)
それから彼に会いに行くことを決意する。
自然と頬が緩んだ。
何より自分に勝った彼なら、住む世界が違うと自分を遠ざけたりはしないかもしれない。
ずっと欲しかった友達になってくれるかもしれない。
(友達になれたらいいな)
安全装置により、イヴの身体が戦場から消える。
それは、絶対王者のSクラスが敗北した瞬間であり、
劣等生の掃きだめであるFクラスが、クラス対抗戦で優勝を決めた瞬間だった。






