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21 決勝戦その3


 どうして助けようとしてしまったのか。

 その理由は自分でもわからない。


 判断ミスというのが、一番誠実な表現だとは思う。

 エメリ先生に言われた、リナリーさんを守れという指示。


 先日の暗殺未遂がそこに加わって、リナリーさんを助けるために行動しなければ、というのが自分の中で一つの決まり事になっていた。

 だから、つい手を伸ばしてしまったのだ。


 敵のエースが落とし穴に落ちたのだから、そのまま放っておけばよかったのに。


 結果、僕は自分たちが仕掛けた落とし穴に落ち、身動き不能の状態になっていた。

 ……近い。

 リナリーさんが近い。


 しかも、まずいことに僕はリナリーさんを押し倒したような体勢で動けなくなっていた。

 相手は王女。誰かに見られたら、即通報間違いなし。アイオライト王家は躊躇いなく僕を牢獄にたたき込むことだろう。


 エリスのためにも、それだけは絶対に避けないと……。


 身体を退かそうとするが粘着性のトラップはなかなか剥がれてくれない。

 さすが名門魔術学院生が全力で調合した最新式トラップ……って感心してる場合じゃ無いんだけど。


「う……うう……」


 リナリーさんは、顔を真っ赤にして、身体を小さくしている。

 怒っているらしい。無理も無いよな。前も、似たような状態になって避けられてたのに、またこれだもの。


 ……やっぱり、くさいのかな僕。

 スラム時代言われること多かったから、ここ数年は毎日身体洗ってるんだけど。

 特に、リナリーさんに避けられ始めてからは一日二回は欠かさず洗って、貴族令嬢ばりに綺麗にしてたつもりなんだけど。


 染みついた匂いは努力しても取れないということだろうか。

 だとすると、大分へこむ。

 どうすれば、許してもらえるだろう。前みたいに話してもらえるだろう、と僕は考える。


 一体リナリーさんは何を考えているのか。

 こんなに近くにいるのに、それがわからなかった。






 ◇◇◇◇◇◇◇


 side:少女、リナリー・エリザベート・アイオライト


 近い。

 アーヴィスくんが近い。

 ただそれだけのことなのに、リナリーの思考回路はショート寸前だった。

 心臓が早鐘を打つ。

 顔は熱いし喉はからから。

 クラス対抗戦のことなど完全に頭から消えている。

 今、彼女の頭を支配しているのは、それとはまったく違う一つの事柄だった。


(何これ!? も、ものすごく良い匂いするんだけど!?)


 寮に備え付けられた高級石けんの香り。

 はちみつを使用した甘く香ばしいそれは、不運なことにリナリーが大好きな香りだった。

 必然、彼女の思考はさらに混迷を極めることになる。


(ダメ……こんなのダメ……)


 目と鼻の先、愁いに満ちた横顔がやけにかっこよく見えて、リナリーは呼吸の仕方を忘れそうになる。

 冴えない男子にしか見えなかったはずのその顔が、どうして今はこんなに素敵に見えるのか。

 女子のそれより太い首回り。筋肉と、浮き出た静脈もリナリーを激しく混乱させた。


(もしこのまま抱きすくめられたら……って何考えてるの私!?)


 自分のことがわからない。

 魔術以外のことにはさして興味が持てなくて、面倒な付き合いもしがらみも全部大嫌いで。そんなものに縛られず自由に生きられる自分になりたい。


 それだけが、私の望みだったはずだ。

 なのに、仲の良い男子が近くにいるだけでどうして私はこんなに激しく混乱しているのか。


 不意にアーヴィスくんの顔が近づいてくる。

 怖くなってリナリーは目を閉じた。


 息づかいが、身じろぎの音がやけに大きく聞こえる。

 何をされるんだろう、と思う。


 わからない。怖い。


 でも、アーヴィスくんならいいかも。


 呼吸を止めていたリナリーは、目の前で起きていたことにまったく気づかなかった。

 一分ほど過ぎて、恐る恐る目を開ける。


 そこにアーヴィスはいなかった。


「………………あれ?」


 落とし穴の底から見える区切られた空を流れる薄雲を見ながら、リナリーは何が起きたかわからないままそのままぼんやりとしていた。






 ◇◇◇◇◇◇◇


 side:Fクラス副隊長、ドラン・クメール


「隊長がいない?」


 その知らせは級長にして副隊長のドランの心に不安の影を落とすものだった。

 自分たちFクラスが、どれだけ隊長であるアーヴィスに依存しているのか、こういうとき改めて実感する。


(本当にアーヴィス氏に支えられてここにいるのだな、我々は)


 作戦立案から、指示。戦闘まで、すべての段階でアーヴィスの貢献は大きかった。

 Aクラス生とCクラス生が協力してくれたのも、両チームの大将がアーヴィスのことを気に入ったからだ。


 そのおかげで落ちこぼれと馬鹿にされていたFクラスは決勝の舞台に立っている。

 気がつくと蔑まれることはなくなって、決勝戦がんばれと励ます声さえ聞こえてきて。

 その環境の変化が、ドランたちFクラス生にとってどれだけありがたかったか。


(すべてアーヴィス氏のおかげだ。本当に、どれだけ我々が感謝しているか。きっと、氏は半分もわかってないのだろうな)


 そう自覚しているからこそ、しっかりしなければとドランは思う。

 いずれ、彼が世界を股にかける大魔術師になったときに、仲間として一緒に戦ったと胸を張って言えるように。


 そして、何よりも自分のために。


 Sクラスにだって、最後まで逃げずに立ち向かったと胸を張って言える自分になるために。


 ドランは不安を振り払い、自分を鼓舞して指示を出す。


「おそらく、隊長は森の中でリナリー・アイオライトと交戦したのだろう」

「『雷帝』と!?」

「そんな……いくら隊長でもリナリー王女相手では……」


 不安げなクラスメイトに、ドランは意識して微笑んで言う。


「大丈夫だ。必ず、隊長は勝利する。そして、我々の元に戻ってくるに違いない」


 隊長の代わりに、隊員の精神状態をコントロールする。

 それが今の自分の仕事だ。

 そして、ドランの言葉はたしかな効き目を持って、Fクラス生たちの不安を払ってくれたみたいだった。


「そうだな、隊長は今までも不可能を可能にしてきた」

「隊長なら勝てる。勝ってくれる」


 拳を握る男子たちと、


「隊長に対する信頼……アヴィ×ドラ尊い」

「いや、アーヴィスくんは右側固定だって。ドラ×アヴィだよ、絶対」


 よくわからない言葉で盛り上がる女子たち。

 ともあれ、士気を上げることはできたようだ。

 ほっと胸をなで下ろしたドランの耳に届いたのは、切迫した通信魔術テレパスの声だった。


「副隊長! イヴ・ヴァレンシュタインが演習場中央を進攻中! 約二分後、キルゾーンに入ると思われます」

「キルゾーンに……」


 強者であるイヴは、他の道を選択しない。必ず正面の道を進行する。

 そう誘導すべきキルゾーンを設定したアーヴィスの洞察力に感嘆すると共に、迫り来る決断の時にドランは息を呑む。


 攻撃するか否かをドランは決断しなければならない。


 最大戦力である隊長の不在は痛い。

 しかし、今仕掛けている土石流は今日仕掛けるものとして最大の量を準備していた。

 自軍の魔力の消費量を見ても、これ以上の攻撃は見込めない。

 これは、自分たちFクラスにできる最大威力での攻撃だ。


(やるしかない……!! 自分たちの力で、Sクラスを倒すんだ……!!)


「全軍、持てるすべての魔力を投入。この一撃に賭ける」

「了解しました、副隊長」


 準備が進む間、ドランの緊張はピークに達していた。

 失敗は許されない、みんなの力をすべて合わせた一撃。

 その引き金を自分は握っている。


 気がつくと、手の中は汗でじっとりと濡れている。

 気づかれたら終わりだ。


 自然の力を利用することで、対軍級にあたる第六位階魔術級の力を再現したこの一撃は、しかし狙いを変更することができない。

 キルゾーンに入ってもらえなければ最後。

 全員の魔力と思いを込めた一撃は、すべて空振りに終わってしまう。


 学院一の魔術迎撃スキルを持つが故に、イヴ・ヴァレンシュタインは攻撃をかわさないとアーヴィスは言ったが、それでもドランの心の中は不安でいっぱいだった。

 少しの気まぐれで。

 ほんの少しの気まぐれですべて無に帰してしまう。


(腹をくくれ。失敗は考えるな。ただ、今できる最善を尽くそう)


 キルゾーンに入れ。

 入ってくれ……!!

 息を潜め、ドランは待つ。

 やがて、そのときは訪れた。


「――副隊長! イヴ・ヴァレンシュタインがキルゾーンに入りましたッ!」

「攻撃を開始する! 撃てッ!!」


 ドランは叫ぶ。

 放たれたのは土砂をまとった莫大な量の濁流。

 周囲のすべてを巻き込み、勢力を拡大しながら一直線にイヴ・ヴァレンシュタインがいるキルゾーンへと向かう。


 気づかれ、かわされたら終わりだ。

 回避が不可能な距離までドランは気が気では無かった。


 しかし、この日勝利の女神はドランに微笑む。

 イヴ・ヴァレンシュタインは最後まで回避行動を取らなかった。

 攻撃は警護をしていたSクラス生二人をいとも簡単になぎ倒し、イヴに直撃する。


「やりました! 攻撃対象に直撃! 我々の勝利です!」


 第六位階級、最大火力の一撃が直撃して、Fクラス生たちは勝利を確信する。


 しかし次の瞬間、目の前に広がったのは予想だにしない光景だった。


 土煙中の水蒸気が結晶化して、光を反射する。


 凍り付いている。


 すべてが凍り付いている。


 ダイヤモンドダストが降る中、土石流は凍り付き、イヴの手前でぴたりと動きを停止していた。


「嘘だ、ろ……」

「あ、あの一撃を……」


 ふるえる声で言うFクラス生たちを、絶対零度の瞳が射貫いた。


「――見つけた」


 まず最初に標的になったのは、少し離れた位置でイヴの動きを報告していたマーカスだった。


 ぴきり、とすぐ傍で何かが鳴る。


 そのときにはもう、マーカスの両足は凍り付いている。

 空を覆う影。落ちてきたのは隕石のような氷のつぶてだった。


「マーカス!?」


 Fクラス生の悲鳴が響く中、マーカスはあっけなく。本当にあっけなく、戦場から消えた。


「退避ッ! 退避だッ!」

「逃がさない」


 次に標的となったのは比較的近い距離にいた三人だった。

 一瞬でその全身に氷が侵食する。


 悲鳴ごと氷り付けにされた彼らは、為す術無くそのまま戦場から消える。


 ほんの数秒の間に、

 四人が撃破された。


(とにかく、一度退いて体勢を立て直さなければ……!!)


 しかし、ドランのそんな思いは届かない。

 足場が凍り付いている。一瞬躊躇したその間に、浸食する氷はドランたちの足首を掴んでいた。


「――――!?」

「くそ! つかまった!」

「撃て! 全軍大将に攻撃を集中!」


 咄嗟に攻撃を指示するドラン。

 生き残った三人は、相性の良い炎熱系魔術をイヴへと一斉にたたき込む。


 対して、イヴ・ヴァレンシュタインは何ひとつしようとはしなかった。

 まるで攻撃に気づいてないかのごとく、とどめをさそうと近づいてくるだけ。


 にもかかわらず攻撃は届かない。

 渾身の炎熱系魔術は、イヴの身体に届く前に、熱エネルギーを失って消滅する。


「そん、な……」

「次元が、違う……」


 言葉にするのこそ堪えたが、絶望しているのはドランも同じだった。

 本能的にわかる。わかってしまう。


 勝てない。

 イヴ・ヴァレンシュタインは他のSクラス生と比べても格が違う。

 そんな当たり前の事実を嫌になるほど思い知る。


 自分は間違っていたのだろうか。

 あそこで切り札を使ったのは失策だったのだろうか。

 それとも、勝とうと思ったことそれ自体が誤りだったのか。


 残る二人が氷漬けにされ、消えていくのを見ながらドランは思う。


 そうだ。最初から無謀な戦いだったのだ。

 自分たちのような劣等生の掃きだめ、Fクラスが。天才揃いのSクラスに勝とうなんて、叶うわけ無いはかない奇跡のような願いで。


 心は完全に折れている。

 崩れ落ちそうになるのを耐えられたのは、一つの声が鼓膜をふるわせたからだった。


「――すまない。待たせた」


 その声で、ドランの心に火が灯る。

 そうだ。

 この人なら。

 この人なら、なんとかしてくれる……!!


「隊長……!!」


 一度折れた心をつなぎ止めたのは、信頼する隊長の大きな背中だった。



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