20 決勝戦その2
僕らが仕掛けたのは、人工の土石流だった。
土魔術と水魔術で、高台に貯水池を作り水と泥を溜める。あらかじめ見繕っておいた窪地まで敵本隊を誘導し、貯水池を決壊させ、一気に水と泥を流し込む。
土石流は、進行方向上の土を巻き込んでさらに力を増す。自然の力で災害級の域に達していたそれを止める術は、天才揃いのSクラス生にもなかった。
「やった……俺たちが、あのSクラス生を倒した……!!」
Sクラス生本隊六人を撃破したことを確認して、僕らを包んだのは強い興奮だった。
「やったよ、これ。いける、わたしたち勝てる……!!」
「勝てる……勝てるぞ……!!」
拳を握るクラスメイトたち。
「待て。まだ状況は有利とは言えない。向こうにはリナリーさんもいるし、『氷雪姫』もいる」
僕の言葉に、
「そうですね、隊長の言うとおりです」
ドランがうなずく。
八対四と数の上では優位になったとはいえ、向こうは一人で十人倒せる化け物揃いなのだ。
客観的に見て、決して有利な状況とは言いがたい。
「今まで通り落ち着いていこう」
◇◇◇◇◇◇◇
side:Sクラス生、ユフィ・サラスパティ
「本隊が全滅した……!?」
その報告はユフィを激しく動揺させた。
Sクラス生六名からなる本隊は、いずれも優秀な精鋭揃い。
Fクラス生に撃破されるなど万が一にもあり得ない。そのはずなのに。
一体どんな手品を使ったというのか。
(まさか、私たちが負ける……!?)
心をさっと不安が侵すのを感じつつ、ユフィは隊長に状況を報告する。
小柄な身体と、作りの小さな手足。かわいらしい体躯と裏腹に、銀色の髪と感情の無い金色の瞳は幻想的なまでの美しさ。
そして、その圧倒的な魔術師としての才能が、彼女の存在感をより際立たせる。
イヴ・ヴァレンシュタイン。
名門、ヴァレンシュタイン家の最高傑作にして、学院最強の『氷雪姫』
「イヴ様。本隊が全滅したとの報告が」
「そう」
それだけだった。
イヴ・ヴァレンシュタインは金色の瞳をまったく揺らさなかった。
まるで、そんなことさして興味が無いかのように。
「それだけですか……?」
ユフィは戸惑う。
ありえないはずのことが起きているというのに、どうしてそこまで落ち着いていられるのか。
「何か考える必要がある?」
「Fクラスは私たちが知らない秘密兵器を隠し持っているのかも知れません。あるいは、何らかの反則行為をしているのかも」
「問題ない。何をしてようと勝つのはわたし」
機械のように淡々とイヴは言った。
自信も自負もそこには無い。
ただ、当たり前の事象として自分の勝利を確信しているようだった。
その言葉に、ユフィは救われる。
(そうだ、私たちにはイヴ様がいる!)
「イヴ・ヴァレンシュタイン、出る」
「はい、イヴ様!」
敵陣へと足を進めるイヴの背中は、小さいはずなのにとても大きく見えた。
その上、Sクラスにはもう一人の怪物、リナリー・アイオライトもいる。
Fクラスに負けることなんて、万が一にもあり得ない。
(今頃リナリー様が一人でFクラスを蹂躙してくださってるはずだ)
何をやっても完璧で隙が無い天才王女、リナリーのことを思い浮かべてユフィは頬を緩めた。
◇◇◇◇◇◇◇
side:迷子、リナリー・エリザベート・アイオライト
迷った。
小一時間森を彷徨った末、その事実をリナリーは受け入れざるを得なかった。
(方向感覚には自信があるはずなんだけど……)
リナリーはこめかみをおさえてため息を吐く。
(道に迷うなんて、今まで一度も無かったのに)
一体自分はどうしてしまったのだろう。
あり得ないはずの失敗ばかり繰り返している。
包丁を握れば指を切る、塩と片栗粉を間違える、ずっとフライパンを見てるはずなのに、なぜか食材は真っ黒になっている。
何が原因なのだろうか。
おかしくなったきっかけは多分あれだ。
(アーヴィスくんに、その……助けてもらってから)
思いだしただけで顔が熱くなる。
硬い男の子の身体の感触。
頭が真っ白になって、何もできなくなってしまう。
(なんで? どうして? 動揺する事なんて何も無いはずなのに……)
ただ危ないところを助けてもらった、それだけのはずだ。
結果、身体が触れあったりもしたが、だからといって自分がおかしくなる理由にはならない。
(べたべたするのは好きじゃないからあまり人に触ったりはしないけど。触れたくらいで心が異常を来すものじゃないことくらいは私にもわかる)
まさか、毒性の植物でもあるまいし。
相手はただの人間なのだから。
しかし、だとすればどうして私はこんなに動揺しているのだろう。
おかしくなってしまっているのだろう。
(もしかして、精神性の疾患かしら。強い精神的ストレスが心の傷となって、時間が経ってからも思いだすたび、恐怖を感じる事例を本で読んだことはあるけど)
でも、恐怖を感じるわけじゃないのよね、とリナリーは思う。
そうじゃなくて、気恥ずかしくてドキドキするというか。
どうしていいかわからなくなるというか。
(もしかすると、未だ発見されていない新種の精神疾患かも)
そう考えると、すべての事象に一応の説明が付く。それなら、優秀な自分でも戸惑うのも当然のことだ。何せ、世界中誰も見つけられていない新種の疾患なのだから。
(とにかく、今は目の前のこの試合をしっかり戦わないと)
心を落ち着ける方法を、リナリーはこの数日間で見つけ出していた。
それは、アーヴィスくんのことを考えないよう意識すること。
彼のことさえ考えなければ、私は優秀ないつもの私でいられる。
(アーヴィスくんのことは考えないよう気をつけて戦いましょう)
がさがさ、と音がしたのはそのときだった。
誰かが茂みの中から出てきたのだ。
肩の紋章はFクラスのもの。
敵だ、やっと見つけた!
リナリーは口角を上げ、攻撃体勢に移る。
(よし、遅くなったけど今日一人目――!!)
瞬間、その顔が視線に映る。
(あ、あああアーヴィスくん!?)
心の動揺は魔術式を暴走させ、コントロールを失った電撃は、周囲の木を裂いただけだった。
(なんで彼がこんなところに!? ってFクラス生だからいて当然じゃない!)
頭の中が真っ白になる。
(とにかく、今はいつも通り普通の自分を装わないと。変に思われないように)
深呼吸し心を整えてから、いつものクールな自分を意識して、リナリーは言う。
「アーヴィスくんじゃない」
「リナリーさん」
「悪いけど、手加減はしないから。ここで一気に勝負を決めさせてもらうわよ」
「いや、それはいいんだけど、そこ足下が危ないというか」
「問題無用!」
恥ずかしさをごまかすように、リナリーはアーヴィスに飛びかかる。
「へ?」
地面が抜けたのはそのときだった。確かな強度を持っているように見えたその場所は、薄い氷のように割れて身体を引きずり込む。
「リナリーさん!」
バランスを崩したリナリーを咄嗟にアーヴィスが助けようとする。
しかし、支えきれない。
二人して穴の底へと落ちていく。
(また助けようとしてくれた――って私は一体何を!)
自分の心が制御できない。
今は戦いの途中だというのに。
なんで私はうれしくなってしまっているのか。
そのまま落ちたのはスライムのような、粘着性の物体の上だった。
揉み合うように落下する。呼吸の音が聞こえるほどすぐ近くにアーヴィスがいて、リナリーはパニックになった。
「ち、近い! アーヴィスくん近いから! 離れて!」
じたばたもがき、ぽかぽかとアーヴィスを叩くリナリー。
叩いた胸の感触が思った以上に硬くて、ますます動揺は大きくなる。
「……ごめん、無理。これくっついて取れない」
「え?」
二人が落ちたのは、Fクラス製の粘着落とし穴の中だった。
アーヴィスたちは、残りのSクラス生を倒すため、絶賛罠を仕掛けている途中だったのだ。
(つ、つまり、これからずっとこの状態ってこと!?)
リナリーにとって悪夢のような、あるいは天国のような時間が始まろうとしていた。






