2 希望
魔術の世界は徹頭徹尾才能の世界だと言われている。
火、風、水、土、雷、氷。
これが現代魔術を構成する六大原質だ。魔術学院に通う学生はこれらのうち一つ、自分に合った属性を選びそれを強化することで技能を高めていく。
どの属性が、どの程度自分に合っているか。それが魔術における才能だ。
適性が無い属性の魔術を習得することはできないから、適性がわかった段階で魔術師の将来性は目に見えてわかると言われている。
普通の学生は属性も一つだけ。属性が二つ習得できると、才能があると周囲にちやほやされる。
三つあると、ゲイルのような天才様のできあがりだ。みんな褒めるばかりで何をしても厳しく言わないから、性格も見事に歪むことになる。
どんなにいじめてようが、ほんと何一つ言わないからな、教師ども。
そして、僕が苦しめられているのもこの才能の壁だった。
適合属性が一つも無い欠陥品。
それは、数ある学生の中でごく希に現れる劣等の証だった。
みんなが簡単に習得できる魔術さえ、一ヶ月以上かけないと習得できない。
難度が高い攻撃魔術に至っては、ただの一つも使えずにいる。
それが僕の現在地だった。
誰だって一つはあるはずの適合属性がなぜ存在しない者が生まれるのか。
現代魔術は未だにその謎を解明することができていない。
「なんでよりによって僕なんだよ……」
何回言ったかわからないつぶやきが漏れる。
もっと恵まれてるやつにすればいいじゃないか。
僕はエリスを守らないといけないのに。
「落ち着け。自分の不幸を嘆くのは愚か者だ。あきらめるな。次は何か変わるかもしれない」
十万回やって届かなくても、十万一回目は違うかもしれない。
そう信じて、僕は呪文を唱え続ける。
夜が明けるまで一晩中繰り返して、結局何一つ得ることはできなかった。
「よう、やってんな、アーヴィス」
ラルフの声に、僕はあわてて飛び起きた。
「眠ってた……」
僕は声を上ずらせて言う。
「今何時だ? 僕は何時間眠ってた?」
「今は十時を少し過ぎたくらいだな」
「二時間も寝てたのか……」
何をしてるんだと嫌になる。
時間は限られているというのに。
「落ち着け。慌てんな。まだ四十時間以上ある」
ラルフはやれやれ、と首を振って言う。
「ほら、飲み物と飯持ってきたぞ。どうせ何も食べてないんだろ」
「いいのか?」
「友人の一大事だからな。代金は、俺のためにプール付きの家を買ってくれればそれで良い」
「さらっととんでもない金額が提示された気がするんだけど」
「一流の魔術師になればそれくらい簡単に払えるだろ。出世払いってやつだ」
ラルフはそうにっと笑う。
「期待してるぜ、天才魔術師様」
「任せとけ」
ラルフが作ってきてくれた弁当は、信じられないくらい美味かった。
料理が得意なのは知っていたけれど、ここまで美味いなんて。
きっとここ最近、もやしもろくに食べてなかったからだろう。
僕は半分ほど食べて、弁当にふたをする。
「もう食べないのか?」
「あとはエリスの分。もやししか食べさせてやれてないからさ」
「そう言うと思ってたよ」
ラルフはやれやれ、と両手を広げる。
「ほら、こっちがエリスちゃんの分。ちゃんと用意してあるから、お前はそれ全部食べろ」
「ラルフ。お前って神だったんだな」
「そうだぞ。私が神だ。もっと敬いたまえ」
「これからは一日八回ラルフの方を見て、礼拝することにするよ」
「気持ち悪いからマジで止めてくれ」
飯を食べると、信じられないくらい力が漲ってきた気がした。
きっとラルフが僕のために作ってくれた弁当だから、尚更そう感じるんだろう。
「絶対家建ててやるから。約束する」
「おう、期待してる」
そのためにも、安定した収入がある一流の魔術師にならないと。
こんなところでくじけてはいられない。
僕は、決意を新たに魔術の特訓に励んだ。
休日の二日間、僕は可能な限りの時間を魔術の特訓に充てた。
エリスに本を読み聞かせる日課も、初めてお休みさせてもらった。
「いいよ、気にしないで。兄様ががんばってくれてるの、エリスわかってるから。どんなことになっても、エリスは兄様大好きだよ」
本当に聡い子だと思う。
あるいは、僕が隠し事下手すぎるのか。
ラルフが持ってきてくれる弁当を食べながら、それから四十時間寝る時間を削って特訓を続けて――
得たのは、経験したこと無いレベルの疲労だけだった。
十万一回試しても、才能が無いと現実を変えることはできなかった。
気がつくと、僕は野原に倒れ込んでいる。
起き上がらないと。
起き上がって、魔術の特訓を続けないと。
次は、次はきっと何か変わるから。
だけど身体は動かない。
蒲公英のやわらかい感触を頬に感じながら、
ふがいない僕は意識を失っていた。
――夢を見た。
不思議な夢だった。
まるで本当に経験した過去のように明瞭なその夢の中で、僕は最強の魔術師だった。
世界で唯一の時属性魔術師の僕は、時間を操作して悪魔たちを圧倒していた。
二百年前、人と魔が争った人魔大戦。
人類を窮地から救い、魔王を倒した大魔術師。
それが僕だった。
本当、夢物語のような話だと思う。
その夢がおかしいのは、やけに細部の輪郭がはっきりしていることだった。
たとえば、時属性について。
存在しないはずの魔術のことを、僕は本当に実在するみたいに明瞭に、その体系と使い方について知っていた。
まるで、自分が本当に時属性に特化した魔術師で、だから他の属性に適性が無かったんじゃないかと思うくらいに。
「くだらないこと考えてる場合じゃないだろ、僕」
重たい瞼を強引にこじあける。
太陽が朝の光を世界に振りまいている。
結局、十万一回やっても何も変わらなかった、か。
ふとしおれた蒲公英の花が視界の端に映る。
そう言えば、夢の中の僕は対象物の時間を操作してたっけ。
ありえるわけがない夢物語だ。
時間を操作するなんてそんな滅茶苦茶な力、現代魔術には存在しない。
さして期待せず手をかざす。
手を下ろしたとき、その蒲公英は過去に戻ったみたいに青々しい葉を空に向け広げていた。
「………………え?」
そんなわけない。
小さな黄色の花はたしかに、生気を失い身体を折っていたはずで。
だけど、今たしかに背筋をぴんと伸ばし、みずみずしく咲き誇っている。
「まさか、本当に」
現代魔術には存在しない時属性魔術。
もし本当に、僕がそれを使えるとしたら――
勝てるかもしれない。
エリスを守れるかもしれない。
十万一回の繰り返しの後に、僕が見つけたのは一つの希望だった。