コミカライズ版書き下ろし最終話『この時のために』
コミカライズ版最終話として書きました。
時系列的にはweb版二章後の話になっています。
(一体どの人を選ぶべきか……)
昼休みの屋上で僕は、山のような資料を前に考え込んでいた。
夏の終わりの空は高く澄み渡り、かすかな薄雲が天頂高くに張り付いている。
「何を見てるの?」
リナリーさんがお弁当を手に言う。エメリさんの気まぐれによるパワーハラスメントによって、対外的には恋人ということになっている僕とリナリーさん。
屋上で一緒に昼食を食べる日課は続いていたけれど、今はそこにもう一人新しい友達が加わっている。
「わたしも気になる」
リナリーさんと仲良くなったイヴさんが、一緒に食べるようになったのだ。
『二人の時間を邪魔するのは……』と、誘われたイヴさんは遠慮しようとしたそうなのだけど、
『私はイヴとも食べたい』とリナリーさんは、イヴさんを強固な意志で説得。
天上天下唯我独尊なリナリーさんの押しの強さを前にイヴさんは、『友達とお昼ご飯……!』とあっけなく陥落。
結果、昼休みには三人で昼食を食べるのが僕らの日課になっていた。
元々偏食で好きなものしか食べないイヴさんのお弁当はなかなか残念な感じだったのだけど、しっかり者で意識の高いリナリーさんによってそのあたりも少しずつ変わってきている様子。
ささやかな変化を微笑ましく思っていた頃のことだった。
「エリスの手術をお願いするお医者さんなんだけどさ。どの人に頼むか悩んでて」
「アーヴィスくん手当たり次第、目についた人みんなに聞いて回ってたわよね」
リナリーさんの言葉に、
「熱意と圧がすごかった」
イヴさんがうなずいてから続ける。
「あまりの熱意にSクラスの中で貴方は、『あのすごいシスコンの人』って言われてる」
「遂に手に入れたチャンスだからね。僕がどれだけこのときを待っていたか……!」
僕は資料の一枚を握りしめて言う。
「エリスのためなら僕は自分の命だって惜しくない。エリスは僕の生きる喜びであり、神が使わせたこの世界における天使なんだよ」
「まっすぐな目をしている」
「でも、だからこそ悩まずにはいられないんだよね。どの人がエリスにとって一番良いのか。苦しい思いをさせずに最も良い治療を受けさせられるのか」
頭を抱えつつ視線を落とす。
リナリーさんが僕を見て言う。
「私が紹介した王家お抱えの魔法医師さんはどう?」
「もちろん第一候補。でも、イヴさんに紹介されたヴァレンシュタイン家出身のお医者さんや、ウィルベルさんに紹介された財閥お抱えのお医者さん。メリアさんに紹介されたフィオナ先輩の脚を診たって言う名医さんも捨てがたく……」
「難しいところね。どの人も優秀だと思うけど、看てもらえるのは一人だけだから」
「そうなんだよね。これが最初で最後のチャンスかもしれないし、悔いが無い選択をしたいから」
「やっぱり目の治療に高い専門性を持っている人が良いと思うわ。経験と場数も大事だから、医師として脂の乗った四十歳以上。でも、年齢が上すぎるのもよくないと思う。身体能力と視力の衰えを考慮すると五十代前半までの人を選んだ方が良くて」
リナリーさんはお医者さんの選び方にも詳しくて、資料を見ながらいくつかのアドバイスをしてくれた。
「ほんと、いろいろなことに詳しいよね」
「身体作りについて勉強してるから」
当然のことみたいに言う。
すごいなぁ、と感心していた僕だったけど、後でイヴさんから本当は少し違うことを聞かされた。
「これは内緒の話だけど、リナリーは貴方の妹に最適なお医者さんが誰なのか、自分でもかなり調べてる」
「どうしてそんなことを?」
「『好きな人のことだから気になるというか……』って言ってた。顔が真っ赤だった」
「そ、そんなことが」
「あと、『アーヴィスくんには幸せになって欲しいから。私にできることはしたいの』って言ってた」
「ほんと素敵な人ですよね。リナリーさんって」
「私もそう思う。傷つけたら、貴方でも許さない」
「気をつけます」
「でも、貴方も大切な友達だから強くは怒れないかもしれない」
「そういうときは怒っても良いんですよ。大切だからこそ、よくないことには注意するのが本当に良い友達だと思います」
「じゃあ、がんばって怒る」
うなずくイヴさんを微笑ましく見つめる。
本当に僕は恵まれている。
素敵な友達と仲間に囲まれている。
それでも、満足できないと思ってしまうのが僕の弱さだった。
求めてしまう。
どうしようもなくほしいと思ってしまう。
エリスの目を治して、世界を見せてあげられる未来を。
そのためなら、他のことすべてを失っても良い。
そんな風に思ってしまう自分がいる。
結論から言うと、エリスの目の手術は失敗した。
リナリーさんが紹介してくれた、王家お抱えの名医もエリスの目を治すことはできず、僕は深く落胆することになった。
しかし、そこには希望もあった。
この国の裏側で蠢く悪魔たち。
エリスの目の疾患には彼らが使う呪いに近い部分があって、その情報を集めることでエリスの目を治すことができるかもしれないと言われたのだ。
僕は持てるすべてを使って悪魔たちを追った。
対悪魔における戦闘では屈指の実力者であるエインズワースさんに加えて、Fクラスの仲間達も協力してくれた。
黒の機関――世界の闇と戦うかっこいいヒーローになりたいという残念な動機で作られたこの組織は、大財閥の娘であるウィルベルさんとそのご家族が乗り気になってしまったせいで、異常なまでの戦力を保有していた。
悪魔を追い、その情報を徹底的に集めつつ殲滅する。
「任せてください。アーヴィス氏に恩返しをする。そのための我々です」
ドランは静かに口角を上げてそう言ってくれたし、
「ドラ×アヴィ! ドラ×アヴィですわ!」
「素晴らしい。こんなに美しい光景がこの世にあるなんて」
「ああ、神様……! ありがとうございます……!」
Fクラスのみんなは声を弾ませて協力してくれた。
エインズワースさんの全面協力の下、黒の機関は各地で連戦連勝。
一方でリナリーさんとイヴさんに言えない秘密も増えていった。
僕は知らなかったのだけど、この時期のリナリーさんは別人のように精神的に不安定だったらしい。
「アーヴィスくん、多分好きな人ができたんだと思う……」
力ない声で言うリナリーさんに、イヴさんはこの子を護らないといけないと思ったそうだ。
「氷漬けにしよう。大丈夫。手順はお母様から聞いてる」
「でも、私はあくまで偽りの恋人関係だから、彼を責めていい立場じゃないし。彼が他の人が良いって言うなら、彼の幸せのために身を引かないといけないと思うし。だけど、やっぱり悲しくて、二人で幸せに過ごす夢を見た後、ああなることはないんだなって思ったら涙が出てたりして――」
「氷漬けにした。取り調べる。任せて」
張り切るイヴさんに、僕は氷漬けにされた。
二人を危ない目に遭わせたくなかったから、なんとか隠し通そうとした僕だったけど、涙目のリナリーさんを前にあっさりとすべてを白状することになった。
「事情はわかったわ。私も協力する」
「わたしも手伝わせて」
若き天才二人が加わって、黒の機関はさらに力を増した。
さらに、どこで話を聞きつけてきたのか、あの人も僕の前に駆けつけて言った。
「話は聞かせてもらったわ! 私も混ぜなさい!」
聖アイレスの策士。
神出鬼没なメリアさん。
「いったいどうやってこの話を?」
「聡明な私にはすべてお見通しなのよ。具体的に言うと、貴方を女装させて聖アイレスに転校させるために動向を追ってたの」
「まだあきらめてなかったんですね」
「うまくいかないなら、うまくいくように策を用いるのが私のやり方よ。おかげで、もっと面白そうなものを見つけることができたんだけど」
メリアさんはにっと笑みを浮かべて言う。
「全部バラされたくなかったら、私を仲間に入れなさい」
こうして弱みを握られた結果、エヴァンゲリスタ姉妹が黒の機関に加入。
「私はいったい何をしているのでしょう……」
仮面をつけたレリアさんが遠い目でつぶやいていた。
本当に不憫な人だと思う。
季節は瞬く間に過ぎていった。
遂にエリスの目を治せるヒントを手にしたとき、僕は三年生になっていた。
『黒の機関が再び現れ、国王陛下を救う』
紙面の記事を前に、熱心に語り合う声が聞こえる。
「またやったのかよ。いったい何者なんだ」
「俺は神代の英雄の生き残りだと思うんだが」
「功績を称えて王家では銅像を建てるって話も出てるらしくて」
なんだかとんでもないことが聞こえた気がしたけれど、気にしないことにする。
僕はエリスをつれて病院に向かっているところだった。
エインズワースさんは悪魔退治で忙しく今日は二人きり。
少し大きくなった身体。
だけど、まだまだ小さな手を握る。
普通の人よりも遅い歩く速度。
一人で歩くのに比べて三倍くらい時間がかかる。
でも、それだけ長い時間をエリスと過ごすことができる。
僕はこの時間を何よりも愛している。
「兄様。今日はどういう検査なの?」
「エリスの目に出ている症状と悪魔の呪いの共通項を精査して、手術の準備をするんだ」
「これで三度目の手術だね」
「そうだね」
エリスは少しの間押し黙ってから言った。
「ねえ、兄様。ごめんね」
「エリスが僕に謝ることなんて何もないよ?」
僕の言葉に、エリスは首を振った。
「わたしは兄様からたくさんの時間を奪ってしまってるから。わたしがいなければ兄様はもっと楽しく生きられたはずなのに」
「僕はエリスといるこの時間が何より楽しくて幸せだけど」
「それは兄様が、わたしといる以外の生き方を知らないからだよ。兄様がどれだけわたしのためにがんばってるか、わたしは知ってる。その時間を自分のために使っていたら、兄様はもっと幸せになれたのに」
簡単に答えてはいけない問いかけであるように感じられた。
そんなことを言われるのは初めてで。
だけど、エリスは多分ずっと思っていたのだ。
言ってはいけないと思っていた。
もっと僕の負担になるだけだから、と。
僕は自分のすべてを使ってこの子の不安を取り除かないといけない。
お兄ちゃんだから。
たった一人の家族だから。
――何より、エリスの言葉はその前提から根本的に間違っているから。
「お金がなくて、頼れるような人も誰もいなくて。心が折れそうな夜も何度もあったよ。でも、エリスがいたからがんばることができたんだ。エリスのためだと思えば、どんなことでも前向きに取り組むことができた。エリスのためにがんばっている自分を好きでいることができた。エリスは僕に助けられてきたと思ってるかもしれない。だけど、本当は違うんだ」
僕は言う。
「僕はずっとエリスに救われてた。もっと幸せになんてなれないよ。エリスがいたから幸せだったんだ。君が大切だったから、僕は僕の人生を大切にすることができた。生まれてきてくれてありがとう。エリスのおかげで生きていられたんだよ」
僕の言葉は、エリスにとって予想外のものだったように見えた。
小さく息を呑んで、俯いて。
それから言った。
「ずるいなぁ」
「何が?」
「そんな風に言われるともっと兄様のことを好きになっちゃうでしょ。わたし、兄様無しじゃ生きられないダメ妹になっちゃうよ」
「ダメ妹になってもいいよ。エリスがいるだけで僕は幸せだから」
「ううん。わたしは兄様を支えられる自分になりたい。今までもらったものを全部返すなんてとてもできないけど、それでも返していきたいって思うんだ。兄様の身の回りのこと全部やって、兄様をわたし無しじゃ生きられないダメ兄様にしちゃうくらいしっかりした自分になりたい」
エリスは言う。
「つまるところ、わたしは兄様みたいになりたいの」
凜とした声だった。
たしかな意志と決意がそこにはあった。
「わたし、手術がんばるね」
「うん」
声がふるえないように注意して返事をする。
エリスは小さく微笑んで、少しだけ強く僕の手を引いた。
手術当日の朝は、心が騒いで落ち着かなかった。
これが最後のチャンスかもしれない。
失敗すれば、エリスの目はこの先ずっと何も見えないままかもしれない。
言いようのない不安が僕を包んでいた。
自分のことだったら、もっと楽に割り切ることができるのに。
大切で大好きな妹だから割り切れない。
余計なことばかり考えてしまう。
それでも、一番不安なのはエリスだろうから。
兄として、不安を外に出さないように細心の注意を払っていたのだけど。
「大丈夫です。絶対にうまくいきます」
エインズワースさんは、そっと僕の肩に手を添えて言った。
どうやら、完全に隠しきることはできなかったらしい。
手術が始まると、不安はさらに強くなった。
リナリーさんとイヴさんとドランが駆けつけてきて隣にいてくれた。
「ドランルート! ドランルートのフラグはまだ残っています!」
「一番距離近いですわ! たまりませんわ!」
「お願い、神様どうか……!」
遠くからFクラスの女子たちらしき声が聞こえた気がしたけれど、多分気のせいだと思う。
落ち着かなくて、僕は何度もトイレに行った。
病院の廊下を意味も無く歩き、階段を上ったり降りたりした。
自分が無力であることを思い知った。
最後には手術室前の椅子から動けなくなった。
組み合わせた両手を額にあてて、ずっと祈っていた。
神様、この先特別な幸せはいりません。
僕の持っている運をすべて使い果たしてもいい。
だからどうか、今日だけはエリスに味方して下さい。
良い子なんです。
悪いことなんて何一つしてないんです。
そんなことほんとは関係なくて、良い人が不幸な目に遭ったり、悪い人が幸運を手にすることもあるのがこの世界だってことはわかっています。
それでも、今日だけは味方して下さい。
今日だけでいいんです。
他にはもう何も望みません。
だからどうか、どうか……。
永遠のように長い時間が過ぎたように感じられた。
手術室の扉が開く。
顔を上げる僕に、医師は言った。
「成功です」
人ってこんなに泣けるんだと驚くくらいに僕は泣いた。
一週間後、目元の包帯を取ったエリスが、目を開けたその瞬間のことを僕は生涯忘れないと思う。
それはさながら奇跡のような瞬間だった。
エリスは不思議そうにゆっくりと周囲を見回した。
少しだけ眩しそうに目を細めていた。
ずっと待ち望んでいたものがそこにあった。
それから、エリスは急速にいろいろなことを学習していった。
エインズワースさんがつきっきりで傍にいられたことも大きかったのだろう。
六ヶ月後、エリスは家の家事を僕以上に精力的にこなすようになっていた。
「また兄様、半額だったからって余計なもやし買ってきたでしょ」
むっと頬をふくらませて言う。
「で、でも安かったし多くあるに超したことはないというか」
「食べ過ぎは身体に毒なんだよ。兄様勿体ないって、無理して全部食べようとするんだから。それに、栄養バランスを考えるともやしだけでなく他の野菜も摂らないといけなくて」
もやしが高価な食べ物だという嘘は、あっさりとバレてしまった。
というか、元々エリスはそれが嘘だということに気づいて合わせてくれていたらしい。
目が見えるようになったエリスは、僕が自分より優先してエリスにごはんを食べさせていたことに気づいて愕然とした。
「これから兄様の食事はわたしが管理します」
リナリーさんに弟子入りして、栄養学の勉強を始め、エインズワースさんと一緒に献立を考えて料理を出してくれる。
毎朝六時に起きてしっかりした朝食を用意してくれるから、申し訳なくて何度もそこまでしなくていいと言ったのだけど、
「兄様のためにできるのがうれしいの」
と天使みたいなことを言われると何も言えなくなってしまう。
少し前からは初等学校にも通い始めている。
本格的な勉強は初めてで、最初は苦戦したみたいだけど、しっかりした性格のエリスはすぐに教師とクラスメイトの心を掴み、今ではすっかり溶け込んで楽しく過ごしている様子。
「リーダー的な発言力ある子の顔を潰さないようにするのがコツなんだよ」と僕以上に大人なことを言うからびっくりしてしまった。
身体も前よりずっと大きくなった。
小さい子の成長は早い。
きっとこの子は大丈夫なんだと思った。
「兄様。今日はお昼までだよね」
「うん」
「ごめんね。わたしも行ってあげたかったんだけど」
「いや、エリスは学校に行く方が大事だから」
「学校より兄様の方がずっと大事だし」
「そう言ってくれるのはうれしいけど」
「わかってる。良い卒業式になると良いね、兄様」
その日は僕の卒業式だった。
保護者席でピンと背筋を伸ばして拍手するエインズワースさんの目に涙が浮かんでいたり、卒業式に告白した二人は永遠に結ばれるという伝説の木に、太いロープでドランとくくりつけられたりした。
「その……すまない」
隣でドランが力ない声で言う。
「うん、大丈夫。なんとなく僕もわかってきてるから」
ドランと僕をくっつけようとする過激派の犯行とのことだった。
穏健派の女子たちが慌てて駆けつけて助けてくれた。
「許せないですよ、まったく!」
「ドラ×アヴィは自然に結ばれるって確定してるのに」
「これ、この前のイベントで出したドラ×アヴィ本なんですけどよかったら」
モザイク無しには見せられないやばそうな本をもらってしまった。
見なかったことにしつつ鞄に仕舞う。
(数時間後、僕の鞄を見たエリスが誤解して「兄様がそういう趣味でもわたしは大丈夫だよ」と言われるのだけど、それはまた別の話だ)
先輩たちが来てくれて、近況を聞かせてくれた。
「あの全国魔術大会のことは今でもよく言われるよ。おかげで、職場でもなんかリスペクトしてもらえててさ」
うれしい報告に目を細める。
「フィオ先輩! 代表選手入りおめでとうございます」
クロエ先輩の言葉に、フィオナ先輩が苦笑しながら言う。
「まだ二十三歳以下の代表だから」
「それでも飛び級ですよ、すごいですよ」
「レギュラーとして試合に出ないと意味ないからさ」
そう話すフィオナ先輩は、二年前より綺麗になったように見えた。
クロエ先輩や他の女子の先輩達もそうだ。男子の先輩たちも、なんだか大人になっていてすごいな、と思う。
「君の言ったとおりだったよ。続けていたら、思ってもなかった力が自分の中にあることに気づいたんだ。二年前はもう伸びしろなんてないと思ってたのに」
フィオナ先輩はにっこり目を細めて言う。
「私が思ってるより、私には可能性があったみたい。とはいえ、あの子たちに比べたらもっとがんばらないといけないんだけどね。まさか、二年であそこまで大きくなるとは」
「僕もびっくりしてます」
「でも、君も復帰すればあれくらいできるでしょ?」
「買いかぶりですよ」
校門の方から歓声が上がったのはそのときだった。
「お、噂をすればなんとやらかな」
人だかりの中から現れた二人の姿。
セレブみたいなサングラスをかけたリナリーさんとイヴさんがそこにいた。
「なんでサングラス?」
僕の問いかけに、リナリーさんは頬をかいて言った。
「イヴがかけたいって言うから。私は恥ずかしいって言ったんだけど」
「サングラスは大人とかっこよさの象徴。どんなものでもサングラスをかけるとかっこよくなる。もはやサングラスが本体と言っても過言ではない」
イヴさんはサングラスをずらしてキメ顔で言う。
二年の間に、イヴさんは少し明るくなった。まだまだ引っ込み思案だけど、ちょっとずつ自分を出せるようになっているのを感じる。
多分、リナリーさんから良い影響を受けているのだろう。
僕もそこに貢献できてたらいいな、と思う。
加えて、二人は魔術師としても二年間で大きな成長を遂げていた。
飛び級で二十三歳以下の代表の代表にも選出され、フル代表招集の話もある世代を代表するスーパースター。
実は黒の機関での戦闘経験と練習施設がそこに貢献しているのは、僕たちしか知らない秘密だ。
三人の女子生徒がイヴさんに駆け寄る。
「イヴ先輩、リボンもらえませんか?」
「お願いします。よかったら、髪飾りを」
「私、実は先輩のファンで」
イヴさんはサングラスをずらして言う。
「サインは一人一枚で良い?」
「きゃー!」
すっかり有名人気取りのイヴさんだった。
意外とミーハーで承認欲求強いんだよな、あの子。
「アーヴィスくん、こっち」
肩をつんつんとされて、リナリーさんの後に続く。
人気の少ない東校舎の屋上に続く階段でリナリーさんと話した。
「やっと落ち着けるわ。どこに行っても人の目を気にしないといけないから」
「すっかり有名人だもんね。その上、王女様だし」
「そういう目立ち方が嫌だったんだけどね。でも、人生ってなかなか思うようにはいかないみたい」
うーん、と伸びをしてから階段に背中を預ける。
金糸のような髪が階段に広がる。
「階段で寝るのは痛くない?」
「人目を気にせずに済む幸せを満喫してるの。アーヴィスくんも復帰しなさい。一緒に同じ苦しみを味合わないと不公平だわ」
「僕じゃリナリーさんみたいにはなれないって」
「謙遜も時と場合を選ばないと嫌味に聞こえるわよ」
「高く評価してくれるのはうれしいけど。でも、そうだね。復帰してもいいかもしれない」
エリスの目のことが第一だったから。
魔術戦については、一年の全国魔術大会以降、一度も出場していない。
一年時に目立つ活躍をしていたこともあって、最初は色々と言われたり書かれたりしたけれど、今ではすっかり忘れ去られ、普通の人として平穏な毎日を送っていた。
おかげで、黒の機関のリーダーとして行動しやすくて随分助かったのだけど。
でも、未踏魔術書の解読と悪魔達との戦いにも終わりが見え始めている。
たしかに、そろそろ復帰してもいい頃なのかもしれない。
「言ったわね。言質取ったから。やっぱり止めた、とかは無しだからね」
「そこまで言われるとちょっと怖いんだけど」
「私も癒やしが欲しいのよ。魔法は好きだし、期待されるのもやりがいしかない。プレッシャーも逆風も全然怖くないけど、それでも疲れたな、癒やされたいなってことはあるの。二年半も経つのに、好きな人は全然振り向いてくれないし」
リナリーさんは唇をとがらせてから続ける。
「まあ、妹さんが大変な時期だから今はそういうことを考えられないって気持ちもわかるけどね。そういう家族思いなところも好き」
「くらくらするから堂々と言われると困るんだけど」
顔が熱い。
「くらくらさせたくて言ってるの。とはいえ、さすがの私も分が悪いのはわかってるんだけどね。ここまで好きと言っても振り向いてくれないし。多分アーヴィスくんは私のことタイプじゃないんだろうなっていうのは薄々わかってるし。望みはないんだろうなって思うんだけどそれでも止められないっていうか。私以外を見てるアーヴィスくんを見てるだけで私は幸せだし、もういいかなって思ってたりもするんだけど」
「僕はリナリーさんが好きだよ」
「またまた、気を使わなくてもいいから」
リナリーさんは言ってから、「ん……?」と口元に手をやる。
「えっと、今なんて?」
「僕はリナリーさんが好きだよ。本当はもっと前から好きだったけど、エリスのことがあったから大切にできる自信が無くて。でも、やっと大丈夫だと思えたから。だから」
それはまったく、予想外の言葉だったのだと思う。
リナリーさんは林檎みたいに顔を真っ赤にした。
後ずさって、視線を右往左往させて、首を俯けたり頬に手を当てたりした。
「ほんとに?」
「リナリーさんと一緒にいたい。それだけで、僕は幸せなんだ」
涙が一筋綺麗な線を描いて頬を伝った。
リナリーさんは目元をおさえて顔を俯けてから、
「うん」
と僕を小突いて、笑った。
見つけてくれて、ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。
担当編集さんからご依頼いただいて書いたコミカライズ版最終話の原作です。
良いものにしたくて、心の準備をしていたのが懐かしい。
気合いを入れて書いた結果、依頼いただいた枚数を超えてしまったのも良い思い出です。
今日発売するコミカライズ最終巻とあわせて、よかったら楽しんでいただけたらうれしいなって。
『時使い魔術師』についてですが、葉月が今後続きを書くことはありません。
コミカライズが続けられるなら続きを書きたいと思っていたのですが、現実は望んだ通りにはなりませんでした。
小説を書く人としての生活を続けるために、新作に挑戦したい自分がいます。
待ってくださっていた皆様は葉月をボコボコにする権利があります。
期待に応えられずごめんなさい。
『時使い魔術師』を見つけてくれて、読んでくれて本当にありがとう。
この小説を投稿した当時、小説家になりたくて仕事を辞めてから五年が経っていました。
多分、最後の小説になるはずでした。
三十歳の誕生日までに本が出せなければ、小説家を諦めると両親に約束していたからです。
しかし、両親と約束した期限の一ヶ月前に書籍版『時使い』を本にすることができて、葉月は生き延びました。
皆様が『時使い魔術師』を見つけてくれたから、応援してくれたから、今小説家として生きています。
振り返ると、本当に感謝の気持ちしかありません。
2章でフィオナが言った『夢を叶えるのって大変で。多分そうなれないっていうのが段々とわかってくるんだよね』という台詞は当時の葉月の正直な気持ちです。
だからこそ、2章終盤でフィオナが報われたシーンは、皆様が見つけてくれたから書けたシーンとしてすごく記憶に残っています。
そして、このコミカライズ版最終話でその先の姿も描けて本当によかったなって。
葉月の小説を読んでくれて本当にありがとう。
これから絶対にもっと良い小説を書くので、よかったら応援していただけるとうれしいです。