Extra Episode1 探偵小説
今回のお話は『時使い魔術師』一巻に書き下ろした追加エピソードの一つになります。
時系列は一章クラス対抗戦後のお話です。
小さい頃から、わたしは一人でいることが多かった。
物心ついた頃には、もっと一人になった。
『イヴちゃんは、わたしなんかが一緒にいて良いような人じゃないから』
初等学校に入学した四月。
仲良くなれそうかも、と密かに期待していたクラスメイトの後ろ姿は、今もイヴの目に鮮明に刻まれている。
期待してはいけないんだ、とそのときイヴは学んだ。
(わたしはきっと誰かと一緒にいることができない人なんだ)
物心つく前からずっと魔術漬け。
友達と遊んだ事なんて一度もない。
名門ヴァレンシュタイン家で、持てる時間のすべてを魔術に費やしたイヴは、天才の中の天才として国中に将来を期待される存在だった。
だけど、身につけた強さと才能は彼女をますます孤独にする。
クラスメイトたちはみんな、イヴを見るだけで傷ついた顔をした。
何もしてないのに怖がられることも増えた。
『感情が見えない。怖い』
『あれは魔術人形なんだよ。感情が無いヴァレンシュタイン家の魔術人形さ』
そんなことないのに。
思っていることはいっぱいあって。
ただ、どう形にしていいのかわからないだけなのに。
喜びも悲しみもない。
魔術しかない生活。
そんなイヴの心を癒やしてくれたのは、探偵小説だった。
父が好きで集めていたそれに、イヴはすぐに夢中になった。
息を呑む見事な伏線と、あっと驚くトリック。
何より、イヴが好きだったのは魅力的なキャラクターたちだった。
たしかな自分の価値観を持ち、一人でいることを恥じたりせず、周囲や権力を敵に回しても臆すことなく立ち向かっていく。
かっこよくてやさしい名探偵たち。
(『見るだけ。君は観察をしていない。それだけのことだよ』……! すごい! かっこいい!)
イヴは本の中の彼らに夢中になった。
自分もそうなりたいと心から思った。
(事件が起きたときのために練習しておこう)
鏡の前で、探偵っぽいかっこいい仕草を研究する。
とはいえ、日常生活で本の中のような事件なんて起きない。
起きたとしてもひとりぼっちの自分が名探偵になんてなれるだろうか。
本当は知っている。
多分なれないだろうって。
憧れと探偵ごっこは、ずっとイヴ一人の世界のものだった。
そんなある日、イヴに大事件が起きる。
クラス対抗戦の決勝で、人生初めての敗北を喫したのだ。
(わたしより強いこの人なら、わたしのことを遠ざけたりしないかも……!)
勇気を出して彼がいる控え室の扉を開けた。
『良かったら、嫌じゃなければ……友達になってほしい』
果たして、彼は自分を受け止めてくれた。
『ダメじゃないよ。友達になってくれるなら、大歓迎』
初めてできた友達。
すごくうれしくて、学校に友達がいるんだって思うだけで心がぽかぽかして、
だけどイヴには一つ悩みがある。
(友達ってどういう風に接すればいいんだろう……?)
イヴにはまったくわからない。
このままでは、仲良くなれず自然消滅なんてことになってしまうかもしれない。
(それは絶対に嫌。なんとしても、彼と本当の友達にならないと……!)
イヴは脳内名探偵議会を招集した。
『第二千七百七十九回脳内名探偵議会を開始する』
『回数が多い』
『数は適当』
脳内にいる名探偵たちが一同に会するこの会議は、イヴが好きな一人遊びの一つだった。
『今回の議題は本当の友達になる方法』
『興味深いテーマ。謎の解き甲斐がある』
『わたしにとっても重要な問い。心して臨ませてもらう』
『会議なのにみんなキャラが同じなような』
『わたしはわたしだから』
『わかる』
自分に自分でツッコミを入れつつイヴは空想会議を進める。
『わたしに案がある』
言ったのは、ディアストーカーハットにインバネスコートの脳内イヴだった。
『単純接触効果というのを本で読んだことがある。少しでも多く視界に入ったり声をかければより仲良くなれるはず』
『すごい! 名案!』
『もっと褒めて』
『かっこいい! 大天才! 素敵!』
『ふふふ』
楽しく脳内会議をしつつ、イヴは心の中で拳を握る。
(これでいこう! この方法ならきっと本当の友達になれるはず!)
早速イヴは行動を開始した。
「じー」
「何か用?」
首をかしげる彼にイヴは言う。
「用というほどのものはない」
「その割にはすごく視界に入ってくるような」
「偶然。気のせいだと思われる」
「そうかな。上の方見てるときとか、全力で背伸びして入ってこようとしてる気がするんだけど」
「全力で背伸びしたい気分だっただけだから」
「でも、首振ったら反復横跳びで追いかけてきてるような」
「全力で反復横跳びしたくなっただけ」
「そっか。あるよね、そういうとき」
「そう」
「せっかくだし少しお話ししたいと思うんだけどどうだろう?」
「大歓迎……!」
二人で楽しくお話しした。
『やった! 大成功! 事件解決!』
『さすが名探偵!』
『素晴らしい推理! 称賛に値する』
『ふふふふ』
楽しくお話しできたことにイヴは頬を緩める。
『喜ぶのはまだ早急すぎる』
付けひげに緑色のカラーコンタクトレンズのイヴが言う。
『先ほどの会話には反省点も多かった』
『たしかに。好きなもやしの生育温度についてうまく応えられなかった』
『黙り込んだのは失策。最低でも何か返すべき』
『もやしについての勉強もしないと』
『それに、まだ本当の友達にはなれたわけではない』
『たしかに。この事件のゴールはそこ』
『もっと仲良くなる方法を考える必要がある』
静かな会議室で一斉に考え込む探偵に扮したイヴたち。
『そう言えば、共通の話題がある相手とは仲良くなりやすいってお父様が言っていた気がする』
『共通の話題』
『なるほど、名案』
『でも、彼と共通の話題って何?』
再び考え込むイヴたち。
『問題ない。わたしはこの事件を解決する方法を思いついた』
言ったのは、品の良いツイードの服に縁なし眼鏡、ステッキを持ったイヴだった。
『どうすればいい……?』
固唾を飲んで見守る周囲のイヴたちを見回して縁なし眼鏡のイヴは言う。
『どんな人とでも会話が続く魔法の話題がある』
『魔法の話題……!?』
『どんな人とでもというのは言いすぎだと思われる。彼はもやしと妹を何より愛好する変人。そう簡単に共通の話題が見つかるとは思えない』
『そう考えているうちはまだまだ。この魔法は彼相手でも間違いなく通用する』
『な……!? それは一体どんな魔法……!』
驚くイヴたちに、縁なし眼鏡のイヴは言った。
『天気のことを話せば、絶対に共通の話題になる』
『ほんとだ! すごい! さすが!』
『もっと褒めて』
『頭良さそう! クール! 空前絶後の超絶名探偵!』
『ふふふふふ』
縁なし眼鏡のイヴは眼鏡をくいと上げてポーズを取る。
『でも、逆に一つ気をつけないといけないこともある』
『気をつけないといけないこと?』
『共通でない話題。特に相手が興味ないことを話すのは悪手。特に、探偵が好きって話はしない方がいい。好きすぎて、つい話しすぎちゃう可能性が高い』
『たしかに』
『気をつけないと』
『でも、この作戦ならきっと本当の友達になれる!』
こうして、イヴは期待を胸に彼の元へ向かった。
「じー」
「何か用?」
「お話がしたい」
「いいよ。何話す?」
「今日の天気。わたしは可も無く不可も無い天気だと思う」
「そうだね。概ね曇りだけど少しだけ晴れてるところもある、なんとも言えない感じというか」
「うん。あと、最近あたたかくなってきた」
「そうそう、おかげでエリスの体調も良くてさ。あ。エリスって言うのは完全無欠超絶最強世界一かわいいな僕の妹なんだけど」
「知ってる。何回も聞いてるから」
「この前なんて、『兄様のごはんがエリスは一番好き』って言ってくれてさ。僕うれしくて、うれしくて」
「たしかに。それはかわいい」
「そうなんだよ。あれはもうやばいね。致死量のかわいさだね」
「死ぬの?」
「うん、死ぬ。でもかわいすぎて離れたくないからまた蘇る」
「不思議な生態をしている」
うれしそうに話す彼の姿を見ながら、イヴは脳内会議の自分に耳打ちする。
『うまくいってる』
『良い。その調子』
『あとは、絶対に探偵が好きって話はしないことだけ気をつけて』
『わかってる』
しかし、順調にいっているときほど、不意に落とし穴があるものだ。
「ほんとどうしてエリスはあんなにかわいいのかな」
「真実を見つけだすプロフェッショナルであるわたしにもわからないことはある」
「真実を見つけだすプロフェッショナル?」
(しまった……!)
『緊急事態! 緊急事態発生!』
『落ち着いて! まだ迷宮入りしたわけじゃない』
一斉にあわあわする脳内名探偵たち。
「あ、いや、探偵小説が好きで妄想で探偵ごっこをよくしてるわけじゃない。絶対にない」
「探偵小説が好きなの?」
「そ、そんなことは」
動揺して後ずさったイヴは、蹴躓いてバランスを崩す。なんとか立て直したけれど、ポケットから落ちたのは一冊の本。
何回も繰り返し読んでる大好きな探偵小説だった。
(終わった……)
イヴは思う。
妄想で探偵ごっこしてるなんて、絶対変な子だと思われる。遠ざけられる。
『イヴちゃんは、わたしなんかが一緒にいて良いような人じゃないから』
怖くて仕方なくて。
目を閉じたイヴに、彼は言った。
「わかる。いいよね、妄想。探偵ごっこするなら僕が助手やるけど」
びっくりした。
そんな言葉が返ってくるなんて夢にも思ってなくて。
「変じゃない? この歳で探偵ごっこなんて」
「別に普通じゃないかな。変になっちゃうくらい好きなものなら僕にもあるし。エリスとかエリスとかエリスとか」
それから、芝居っぽい口調で彼は言う。
「今日は事件がなくて暇ですね、先生」
ほんとにいいんだろうか。
嫌われないだろうか。
半信半疑で、おずおずとイヴは言う。
「事件がないのはいいことだから」
「さすがです、先生。でも、僕は先生のかっこいい推理も見てみたいですけど」
「そう……?」
いいのかな。
そう思いつつ、イヴは言った。
「なら、どんな謎でも持ってくると良い。名探偵のわたしが解決してみせる」
「わかりました! では、謎を探しに行きましょう先生」
ノリノリで言ってくれたその言葉がうれしくて。
本当にうれしくて。
だけど、名探偵はかっこよくないといけないから、
イヴはクールな感じを装ってうなずいた。
その日から、探偵ごっこは、彼と二人のものになった。






