124 後日談
スコーピオンが目覚めたのは知らない病室だった。
ぼんやりとした視界の中、リディアが慌てた様子で部屋の外に出て行く。
医師らしい白衣の男と共に帰ってくる。
医師はスコーピオンの診断をする。
話によると、スコーピオンは丸二日眠っていたらしい。
「本当に心配したんだから。逃げてって言ってもエミールくん全然逃げようとしないし」
診断が終わり、医師を会釈して見送ってからリディアは言った。
「すみません」
「ううん。みんなを守るためにがんばってくれたんだよね」
「みんなというか、リディアさんを守りたかったんですけど」
「もう、大人をからかうものじゃないよ。お姉さんちょっとどきっとしちゃったじゃないか」
リディアは言う。
「リディアさんはここで死んでいい人じゃないと思ったんです。良い人だから」
「そう言ってくれるのはうれしいけど」
「それに、リディアさんを守れたら、空っぽな僕の人生にも少しは意味があるのかなって」
「空っぽ……」
リディアは少しの間押し黙ってから続ける。
「エミールくんはさ。普通の人とちょっと違うよね」
「そうですね」
「でも、すごく普通のところもある」
「え?」
「君は知らないかもしれないけど、そういう悩み持ってる人結構多いんだよ?」
予想外の言葉だった。
「一つ言えることは私はすごく君に感謝してるってこと。君がいなかったら私は今こうしてお話なんてできなかったと思う。私だけじゃないよ。もっとたくさんの人を君は救ったの」
リディアはやさしく目を細めて続ける。
「エミールくんはすごく素敵な人だよ。だから、空っぽだなんて思わないでほしいな」
その言葉が、スコーピオンにとってどれだけありがたかったか。
救われたか。
きっとリディアは半分もわかってないのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「不覚でした……まさかこのタイミングで帝国がシレジアに侵攻してくるとは」
神聖教国シレジアの聖女、ルミナスは唇を噛んで言った。
「しかし、さすがはルミナス様のお力。無事国を守ることができました」
「ローゼンベルデで起きたことに対しては何もできませんでした。大きな被害なく収拾がついたのは奇跡のようなものです」
「そうですね。噂では時間を操る魔術を使うという少年が、邪神に塩に変えられた者たちを救ったとか」
「奇跡にも類する力です。彼があそこに居合わせたのは神のお導きか。あるいは、何者かの意図するところなのか。いずれにせよ、我々が警戒すべきはもう一つの要因の方でしょう」
「――黒の機関ですか」
「そうです」
大司教の言葉に、ルミナスはうなずく。
「本当なのですよね。あの暗殺教団が壊滅させられたというのは」
「はい。たしかな筋からの情報です。もちろん、教団もタダでやられるほど脆くはありません。敵の正体に繋がる有力な情報を掴んでいたようです」
「正体に繋がる情報……!」
「ええ。その結果さらなる怒りを買い、壊滅させられることになったと思われますが」
大司教は深く息を吐いてから言う。
「しかし、我々はその情報を入手することに成功しました」
「なんと! それは真ですか」
「はい。世界中に優れた智者との繋がりを持つ我々です。考古学、言語学、天文学……その智の集積は一組織である暗殺教団とは比になりません。彼らの正体にたどり着くまでさして時間はかからないでしょう」
「一体どのような情報なのですか?」
聞いた聖女ルミナスに、大司教はうなずきを返す。
「暗号です。古代ルルイエ語で光を意味する言葉であることをもう掴んでいます」
「暗号?」
大司教は自信ありげに笑みを浮かべて言った。
「――ドラアヴィ」
◇◇◇◇◇◇◇
こうして、ローゼンベルデで起きた大事件は幕を閉じ、僕らは日常に戻った。
ローゼンベルデの不動産をもらえることになった僕は、家賃収入がもらえる日を楽しみにしつつ日々を生きている。
安定した収入源を手に入ることになった今、もう今までのような節約生活する必要はない。
食べるもやしの量増やしちゃうもんね! 倍食べちゃうもんね!
一方で変わったこともある。
レオンが休み時間ごとに僕の席に来て話しかけてくるのだ。
「この前行った魔術カフェ楽しかったね。まさかアーヴィスもコーヒー好きだなんて。好みがあってうれしかったな。次はどこ行こうか?」
満面の笑みで言う。
なんか明らかに前より距離感近いし。
『何があったの?』と聞いたけれど、シトレーさんも『気をつけろ……あいつ只者じゃねえ……』って憔悴しきった様子だし。
『でも、ちゃんと守り切ったからさ。みんなのこと』
死闘を戦い抜いた後みたいな様子で言った。
よくわからないけど大変だったらしい。
ゆっくり休んでほしいと思う。
黒の機関は休みが取りやすいホワイトな職場環境だからね。
「レオ×アヴィ! レオ×アヴィの時代が到来してますわ!」
「レオン様の攻勢により時は空前のレオ×アヴィブーム! ローゼンベルデの王子たちも参入してアーヴィスくんハーレムは今正に戦国時代!」
「マティ×アヴィ、いえ、麻呂×アヴィという可能性もあるね。友を救われた恩返しがしたい第九王子が『麻呂の体を好きにして』と」
なんだか楽しそうで何よりだと思う。
「危ないところでした……女子たちがレオ×アヴィ旋風とローゼンベルデ王子たちとのカップリングに夢中にならなければ、一体どんな悲劇が起きていたか……」
ドランがため息を吐く。
「旋風? 悲劇?」
「い、いえ、アーヴィス氏は知らなくていいことなので」
「それならいいけど」
疲れた顔のドランも、僕が知らないところでがんばってくれてたみたいだった。
クラスのみんなに「また後退してない?」って言われて「違う! そんなこと……そんなことない……!」って全力で現実逃避していたけれど。
光の誘惑に負けずがんばってほしい。
僕は応援している。
「ちょっと匿ってもらえるかな?」
エメリさんが寮を訪ねてきたのはそんなある日のことだった。
「どうしたんですか? 大型連休全部休日出勤してた高位社畜みたいな顔してますけど」
「うん。察しが良くて助かる」
大きな隈のある目を伏せて言う。
「薬と抗魔石で魔術を封じ込めての拉致監禁。いくら国の大変な時期とはいえ、師匠があそこまで非情な手を使うとは想定してなくてさ。『私も忙しいのにお前だけ楽をさせてたまるか。今回は絶対に道連れにしてやるからな』と」
「疲労と睡眠不足は人から余裕とやさしさを奪いますからね」
「なんとかスプーンで壁に穴を開けて、脱出することはできたんだけど」
「脱獄ものの映画か何かですか」
「嫌だ……もうあそこには戻りたくない……!」
大人になるって大変だなぁ。
「あの、アーヴィス様。お客様が」
エインズワースさんが言ったのはそのときだった。
隣で凄惨な笑みを浮かべる小さな少女は、六賢人にして国一番の薬師フランチェスカ・ロールシャッハ。
「エメリぃ、私から逃げられると思ったか? なぁ?」
「ひっ、嫌、やめて。許して」
「許さん。今まで楽してた分、今回は絶対に逃がさないからなお前」
蔦でぐるぐる巻きにされて拘束されるエメリさん。
「邪魔したな」
簀巻きにされたエメリさんを引きずって帰ろうとするフランチェスカさんはふと思いだしたように足を止める。
「そうだ。ローゼンベルデの件、大活躍だったみたいだな」
「ありがとうございます」
「よくやってくれた。この国の魔術師の力を示してくれたこと、感謝する。エメリや私もそうだが、この国の魔術師は魔術戦より研究の方に行く者が多くてな。他国から低く見積もられることも多いんだ。まあ、正直どう思われようといいんだが、一応この国の魔術界の頂点に立つ者としてその辺りも気にするのが仕事なんでな」
フランチェスカさんは言う。
「そうだ。お疲れのところ悪いが、君と黒の機関にも動いてもらうかもしれない案件がある」
「案件?」
「帝国の動きに気になるところがあってな。神聖教国にちょっかいをかけてたんだが、それがどうもローゼンベルデの件に呼応した動きじゃないかってうちのアホが言ってる。気のせいならいいんだが、あいつの見立てはこういう場合結構当たるんだ」
うちのアホ、というのはミス・ウォルターのことだろう。
「帝国の狙いはローゼンベルデとうちの国を含む東部地域の国々じゃないかと私は見ている」
「わかりました。みんなに伝えておきます」
「悪いな」
「いえ、帝国が侵攻してこようとしてるなら、それこそ黒の機関の出番ですから」
そういう世界の闇と戦うための黒の機関だからね。
世界を支配する帝国とか、絶対悪魔とつながりあるし。
面白くなってきた。
僕は壁に貼られた世界地図の半分近い地域を占める帝国を見据えて思う。
とはいえ、それはまた別の話。
最近、エリスは初等魔術学校に通う準備をしている。
中でも、張り切って取り組んでいるのが光魔術。
「兄様、光さんに迂回してもらって、ものを消すことができるようになったよ! 本当はあるんだけどないみたいに見えるの」
新しいことができるようになるたびに、声を弾ませて報告しに来てくれる。
「もっともっと兄様の力になれるようがんばるから。兄様も安心してわたしに頼っていいからね」
「うん。頼りにしてる」
でも、本当は力になんてならなくてもいいんだ。
ただ、エリスがいるだけで。
それだけで僕は十分すぎるくらい力をもらっていて。
ここまで僕ががんばれてるのも、本当は全部エリスのおかげで。
だけど、この子はそんなこと全然気づかずに、僕の力になろうとがんばってくれるのだ。
そんなエリスが僕は大好きである。






